東雲悠真 6
「うーん……」
街を訪れて早二週間。自宅と近所を往復するだけの、まるで一昔前の主婦のような日々が続いて十数日。
悠真は思い悩んでいた。先の宣伝の反応が悪いわけではない。むしろ上々と言える。高校時代のツテを通して公開した動画はそこそこ話題になっている。
「あっ、バイトのお兄さん!」
「兄ちゃん、調子はどうだ?」
「ミミちゃんとは仲良くやってるー?」
また手渡しの広告も功を成したのだろう。暮らして間もないのにすっかり顔を覚えられてしまい、気分転換に散歩をしているだけで何度も話しかけられる。
ここの住人の人柄もあるのだろう。繋がりが乏しい現代において、それを貴重と言うべきか、無警戒と言うべきか。
「で、いつ開くの?」
だがいずれにせよ――集まった関心がプラスに働くとは限らない。
割烹着を着た女性からの問いかけに、悠真は「うっ」と言い淀む。
「前から何度も聞いてるけど、具体的には決まったの?」
「は、はは……それはもう少し」
「はぁ……」
誤魔化そうとして、溜息を吐かれてしまう。
彼女は近くで小料理屋を経営している女将だ。街の風景とアンバランスでありながら、夜はしっかりと賑わっている。
「正直あたしゃ心配だねぇ」
と、頬杖を付いて浮かない表情を向ける。同じ商売人としての厳しさを知っているが故なんだろう。
「ミミちゃんってば、ミサトさんに似て頑固だから。辛かったら店を閉めてウチに来たらどうかって言ってるんだけどねぇ?」
(いや、アレは頑固というよりアホなだけだと思いますけど?)
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、悠真は「まぁマスターは続けたいみたいですから」と愛想笑いで返した。
「でも……色々と道を間違って、もしタイガみたいになったらって思うと、死んでも死にきれないよ」
「タイガ?」
「今頃あの馬鹿は何処をほっつき歩いてんだか」
「いや、あの?」
「ん……あぁ、ごめんごめん。こっちの話だったね」
ついていけない会話に茫然としたのも束の間。女性ははっと正気戻って苦笑する。
たとえ世間話が出来ようと、過ごした時間は短い。悠真にとって、ここはまだ『知らない街』なのだ。
「じゃあ、ミミちゃんにもよろしくね?」
そう言って女性は路地の奥へと消えていく。手にしていた買い物袋はパンパンに詰まっていて、近くのスーパーが特売であったことを思い出す。
必要なのは日用品とインスタント食品の買置き。チャーハンはすっかり食傷だ。小さなマスターも毎朝無表情で冷凍のミルクパンを齧っており、出来合いはどれだけあっても足りやしない。
(こういうところがなぁ)
悠真は溜息を吐きつつ、元来た道を引き返す。「果たして世の中にインスタントばかりを口にしている、飲食店のマスターがどれだけ存在しているのか?」などと考えながら、店に置いたままの財布を取りに戻った。
「おかえりなさい」
扉を開くと出迎えの声。丁度入れ違いだったのだろう。制服姿のミミがカウンターに腰をかけ、太いストローを口に咥えていた。
「タピオカ?」
「JKですから」
ミミは残った液体を一気に飲み干して、透明な容器を流し台に置く。底に残った黒い粒には目もくれていなかった。
「分けて飲んでたの?」
「タピオカって飲みにくいですし」
「じゃあなんで買ったんだよ?」と悠真は思う。するとそんな思考を読み取ったかのように「付き合いってやつです」とミミは口を尖らせる。
「リーさんとチーさんは流行り物に目がないのです」
「リーさん? チーさん?」
「ユーマ君も会ったことがあるでしょう? ビラを配ってた時にいた」
そこまで言われて「あぁ」と悠真は手を叩く。
「そんな名前だったんだ。それって仇名?」
「ふっくら優しげなのが安西佳代さんで、こんがり焼け肌なのが木下亜希さんです」
「ふぅん、安西さんと木下さんか…………って待て。リーとチーは何処から出た?」
「安西佳代、佳代りん、リーさん。木下亜希、あきっち、チーさん」
「あぁなるほどそういう過程で――ってなるか! どっちにしろ元の名前一つも残ってないけど!?」
「仇名なんてそんなもんですよ。ユーマ君は仇名とは無縁の高校生活だったかもしれませんけど」
「勝手に人の高校生活を灰色認定すんな! 今はもう連絡なんてしてないけど、友達くらいちゃんといた
よ! むしろ多過ぎたくらいで、それが原因で――」
と、続けようとしたところで止まる。
それはいつもの軽口。いつものやり取り。いつもの能面のようでいて――何となくミミが不機嫌そうなことに気づいたのだ。
「しかしよりにもよって『小鹿』が始めるとは……相変わらず嫌味ったらしいですね」
ぼやきと共に視線が逸れる。それが一瞬、流し台のカップに止まっていたことを悠真は見逃さなかった。
「……カプレーオ?」
すかさずそれを手に取って、文字を読み上げる。透明なプラスチックの表面には、ロゴと思しき鹿の絵がプリントされていた。
「うちの売り上げを掻っ攫ってる、悪のチェーン店です」
「悪のチェーン店て……っていうか、もしかしてそれって?」
「えぇ。狐坂さんが働いてるカフェですよ」
同じ町にあるというライバル店。話の流れからして、そこに寄って来たのだろう。流行りのタピオカドリンクを始めて賑わっているであろう光景を悠真は想像する。
「まぁ……あれを働いてるって言っていいのか分かりませんけど」
しかしミミの不機嫌の理由は違うような気がした。危機感やライバル意識といった、そんなハッキリとしたものではない。視線は俯きがちで、悲哀に近いやるせなさを匂わせていた。
「叔母さんは、狐坂さんと何かあったの?」
「何もありませんよ。学校では別のクラスですし、本当に何も」
「いやでもそれにしたって」
まったく何もない相手に出せる声色ではない。そう思ったが故に追及しようとして、
「だってあの子、ヤベー奴ですから」
ミミはそんな風に吐き捨てる。「お前が言うな」と悠真は思った。口には出すと面倒くさいので言わないが、すごく言いたかった。
「まず彼女はプロの便所飯ニストです」
「便所飯ニスト」
「そして村八ムーブの達人でもあります」
「村八ムーブ」
「おまけにイマジナリーフレンドマイスターです。ありもしない存在と会話をして、一人で笑ったり喧嘩したりの大盤振る舞いを」
「まってまって」
聞いたことのないパワーワードが次々に飛び交い、推測する暇もなかった。
しかしミミは止まらない。沈みかけの夕日を窓越しに眺めながら、大きく胸を上下させる。
「ついでに最近は厳ついオッサンをストーキングするのに凝ってるようです」
「やべぇ」
悠真の喉から率直な感想が溢れ出た。何処までが本当のことなのかは分からないし、そもそもの意味も分かっちゃいない。ただ仮にそうなら『ヤベー奴』に違いないと思いながら――
「でも、よく見てるんだね?」
「…………」
指摘が僅かな沈黙を引き起こす。
小さな掌は中途半端な位置で止まっていた。滑ってしまった口を押えようとしていたに違いない。
「別に、見てるわけじゃありません」
ふるふると長い髪が左右に揺れる。垂れ下がったそれは横顔までも隠してしまい、どんな表情をしているのか分からなくなる。
「ただ……時々目について、モヤモヤするんですよ」
声は押し殺すかのように、それでいて手繰り寄せるかのように拙く。
「そこにある癖にって」
「それってどういう?」
「…………何でもありません」
そう言って、ミミはくるりと身を翻す。
床を擦って丁度一回転。それで全てが流れ去ったのだと言わんばかりに――何時もの塩顔が悠真を出迎えた。
「そんなことよりお腹が空きませんか? もうすぐ夕飯時ですし、ミルクティーだけじゃちょっと物足りないです」
つまりは聞いてほしくないと、そういうことであった。
見れば外は街頭が灯り始めている。すっかり話し込んでしまったことを感じながら、悠真はガクリと肩を落とす。
「でもインスタントの買い置きはもうないよ?」
「私が作りますよ」
「いやでもチャーハンはちょっと」
「生憎お米も切らしてますから――今日は普通に作ります」
「は?」
素っ頓狂な声が出た。『普通に作る』とはどういうことなのか?
あんぐりと口を開いている内に、ミミの背中はキッチンへと消える。まな板を小刻みに叩くリズムは淀みなく、パチパチと焼ける音が心地よい。換気扇から逃れた煙はフロアにまで流れ、バターとケチャップの香ばしい香りを運び込む。
「出来ました」
そうして待つこと僅か十数分。
悠真の目の前には湯気立つナポリタンが置かれていた。タマネギピーマンにウインナー。その上に巻かれているのは粉チーズか。木皿にはめ込まれた鉄板は十分な熱を発しており、口にする前から期待以上の予感を感じさせる。
「叔母さん、チャーハン以外の料理出来たの?」
目を丸くして聞くと、ミミはむっと眉を曇らせる。
「失敬な。私は現役JKカフェオーナーですよ?」
果たして現役JKカフェオーナーとやらが料理に長けているのか?
聞いたことのないワードを改めるつもりでフォークを手に取り、
「っ!」
ただ一口。それで悠真に電撃が走った。
味付け加減、焼き加減、茹で加減、あらゆる点に無駄がない。古き良きなどという言葉でさえ陳腐だ。ただただ『絶品』という悲鳴が脳を満たし、行儀作法全てを忘れて啜り狂わざるを得なかった。
「ふー……」
程なくして空になった鉄板。ケチャップで一杯になった口の周りを拭って、満足気に息を漏らす。
そんな至福の余韻をひとしきり味わった後、悠真はミミに向き直る。
「なんで?」
「現役JKカフェオーナーですから」
「いや、そうじゃなくて」
「……母がいたころ、夕飯の当番はいつも私でした。こう見えても十年はやってます」
ミミの視線は明後方向。手にしたフォークでくるくるとパスタを巻くばかりで、一つも口にしていない。
「いやだから……」
悠真は続ける。イマイチ話が噛み合っていないことを実感しながら「なんで?」と同じ質問を繰り返す。
「自炊神話って、馬鹿馬鹿しいと思いません?」
するとミミは玉になったフォークを置いて、顔をふいと逸らす。
「手間もかかるし、同じものを食べないといけない。諸々考えるとコスパだっていいとは言えません」
誰もいない方向に向かって、誰かにぼやいているかのようかのように。
「それに」
「…………」
「一人分の料理を作るの、嫌ですから」
と、僅かに声を震わせた。
元々低い背中が、今は一層小さく見える。だから悠真は席を立ち、床板をギシリと踏み鳴らし、その肩に手を伸ばす。
「じゃなくてさ」
そしてぽんと手を乗せて一言。
寂しい話だったことも、いたたまれない話だったことも認める。
でもそうじゃない。
「客 に 出 せ よ!!」
店の壁ごと突き破らんばかりの怒声であった。フロアの中を残響し、窓ガラスがビリビリと揺れ、端っこで利蔵が飛び跳ねる。
それから悠真はぐるりと振り返り、手付かずの木皿を掴み取り、ミミの眼前に突き出して見せた。
「アホなの!? 叔母さんアホなの!? こんなこと出来るなら最初から言ってよ! そうならこんな悩む必要なかったしさぁ! うろうろうろうろと動物園のライオンみたいに街中歩き回って、どうしようかどうしようかって堂々巡りしてる時間とか……ってそんなことはどうでもいい! とりあえずこれふっつーに金取れるって! いや取るのは普通か? ぼったくれるって言うべき!? 仕入れのパイプがない分ちょぉぉっと高くなるかもしれないけど、それでも十分に……ってそうでもない! あぁあぁ! そうじゃなくてそうじゃなくって!!」
言葉がまとまらない。味という感覚一つで、悠真の情報量はパンクしきっている。
「とりあえず……とりあえず……!」
だから深呼吸をした。すーはーすーはー、ひっひっふーひっひっふーと繰り返し、頬に手痛いビンタを自らお見舞いして、一つの結論を導き出す。
「売れる。売りに出来る」
「…………」
「いける! 叔母さんいけるよ!!」
「…………はえ?」
どうやら放心していたようだ。ミミは外れた焦点を元に戻し、斜め四十五度に首を傾ける。
「おそまつさまです?」
否。
まだ戻りきっていなかったらしい。呆けた声でズレた表現を口にする。
「ふふ……ふへへへへへ! いける……これで一山当てることだって夢じゃあ……ぐへっ! ぐへへへへへ……!」
そして悠真も戻っちゃいない。先走った気持ちが妄想の境地に行き着いてしまったのだろう。ある意味ラリっているとも言えた。
そして結果として、この案は功を成す。
『コーヒーが駄目なら料理を出せばいいじゃない』と、小学生でも思いつきそうな発想がこの店を蘇らせ――1つの終幕へと導く。
年下の叔母と年上の甥。
二人の生活のターニングポイントまで、あともう少し。




