東雲悠真 5
翌日、悠真は近所に出向いていた。
西洋チックな住宅街を歩き回り、獲物を狙う目で周囲を注視している。
「お願いしまーす」
そうして通行人が通ればビラを押し付ける。受け取れば良し。受け取らなくとも視線が動いていれば可。デカデカとプリントした『リニューアル』の文字さえ認識させればよかった。
「あ、お姉さん。実はですね……」
中でも立ち止まってくれた相手や、明らかに興味を持ってくれてる相手は貴重だ。焦り過ぎず、押し付けがましさを与えず、それでいて懇切丁寧に説明することを心掛ける。
そうして気づけば相手は聞き込んでしまっている。腐っても政治家の息子だ。小さいころから社交界に連れ出された経験が、話術という形で発揮されていた。
「是非、お願いします! 美味しいコーヒーを淹れて待ってますから!」
そう言って、悠真はにっこり笑顔で見送る。若い親子連れは紙面に目を落としながら、わいわいと盛り上がっていることが窺えた。
「ふぅ……」
それがたっぷり印刷したビラの最後だった。どれだけ来てくれるかはさておいて、数は捌いたという事実に満足感を覚えながら――
「…………コーヒー」
少し離れた位置で、ビラを手にしたミミにガックリとする。
ロボットのように同じ単語を繰り返すばかりだった。見るからに不満そうで、伸ばした手も通行人に向いていない。これでは独り言の類と思われてしまうだろう。
「ミミ叔母さん」
「…………」
「もう少し真面目にやろうよ」
「…………なぜ、私がコーヒーなんぞを」
要はそれが本音だった。特別コミュ障なわけでも会話が苦手というわけでもない。『コーヒーを売りにする』という一点に口を尖らせているのだ。
「チャーハンなら……チャーハンであるなら、私はPRするのに……!」
「叔母さん。叔母さんは中華料理屋がしたいの?」
「母がしたかったのは喫茶店です」
「ならやろうよ。コーヒーの宣伝を」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
そこまで言って、ようやく叔母はビラを目一杯に伸ばす。扱いを思い出してきたとは言え、色々と難儀な性格だった。
「あっ、ミミちゃん!」
「ミミっち!」
それでもミミを連れて来ることには意味がある。
今しがた駆け寄ってきた女子高生などがその効果だ。
「お店変えるの!? どんな風になるの!?」
「タピオカはー? タピオカも作る感じ?」
二人組は営業トークも挟む必要もなく、わいわいと盛り上がってくれる。それが悠真にはない強みだった。
ミミはずっとここに住んでいる住人であり、徒歩で十分程度の女子高に通っている。多少意固地なところはあっても、面倒を見るのが好きな性格だ。すなわち人と関わることを良しとしている彼女であり、その証拠に知己も少なくない。
「じゃあミミちゃん! 今度また寄るよ!」
「チャーハン以外で。あと出来ればタピティー」
故に井戸端会議がそのまま営業へと繋がる。きっと彼女達は来てくれる。口コミが広がればそれだけ客足に繋がるだろうと、悠真は打算的なことを考えつつ――
「チャーハン……」
「チャーハンは無しで」
どうしても作りたいなら僕が食べる。それでも満足出来ないならメニューの一つとしてだ。
そんな妥協案は一先ず吉に働いていた。
「じゃ、始めるよ?」
スマホを片手に悠真は合図を出す。
狭い店内で、少しばかり中央へと寄せたテーブル。適度に陽の当たる位置を選んだ結果だ。差し込む光と影がコントラストとなって、そこに座るミミが一枚の絵のようにかたどられている。
「コピ・ルアク」
言って、ミミはティーカップを手に取る。銘柄を口にしたのも、そこを伏せる意図がないことを示してのことだ。コーヒー自体のPRはさておいて、まずは顔を覚えてもらおうと悠真は思っていた。
キャラクターという重要性を悠真は知っている。実が伴うに越したことはないが、そこに行き着くまでに視覚という要素は否定できない。
「いただきます」
だからこその試飲動画だった。現役女子高生の経営する喫茶店という謳い文句と、見た目の幼さを前面に押し出す。
豆は外部から取り寄せた出来合いで、小袋包装された粉末状の物だ。そこに専門的な技術は必要としない。その場限りの絵を取る為だけに用意された――言ってしまえば少々ズルイ方法である。
「ん……」
ミミはカップを傾け、コーヒーを啜る。そこに物怖じをする様子はなく、撮られているという意識さえも感じさせない。
それから無音でカップを置き、薄く微笑んで見せて――
「猫のクソみたいな味がします」
「はいアウト!」
ありのままの感想が飛び出た。
悠真は即座にスマホを下ろし、ズカズカと駆け寄る。
「まぁ猫のクソなんて食べたことないですけどね? ただそれ相応のレベルで、敢えて例えるならお向かいさんの生ゴミを漁った時のような」
「アウトっつってんだろ! カメラ止めろ!!」
そうして二カメラと三カメラと、別視点の録画もオフにする。ミミのガラケーやら数世代前のデジカメやらと、蓋を開けばハリボテの撮影会であった。
「インパクト重視じゃなかったんですか?」
と、ミミが首を傾げる。どうやら悪戯目的ではなかったらしい。インパクトという意味では確かに相応ではあったが、
「叔母さん。僕達がしたいのは広告であって、炎上じゃあないんだ」
「? 似たようなものでは?」
「一理ある。でもその議論は色々とアレだからやめとこう。っていうか台本にして渡したんだから、その通りに言ってくれればいいんだよ」
「ですが、台詞にインパクトが薄いと思ったので」
「悪かったな!」
「あと実際に美味しくもなかったですし」
「悪かったな!!」
コーヒー好きを自称する悠真であるが、別にコーヒーを淹れるのに長けているわけではない。言葉選びのセンスも同様であり、謀を企てはしても、国語の成績は平均以下であった。
「とにかく撮り直し! ちゃんと出来るまでやるからね!!」
「マスターに指図とは……ユーマ君もエラくなりましたね。小さい頃はお姉ちゃんお姉ちゃんって、私の後をヒヨコのように付いてきていたというのに」
「そんな呼び方したこと一度もないでしょ? そもそも小さい頃は僕だって知らなかったんだし」
「いーえ、ユーマ君にはもう少しリスペクトの精神がありました。レディーファーストです。利蔵だってそう思ってます」
と、ミミはカウンターで寝そべる猫に振り向く。
「ねぇ利蔵? 利蔵だってちゃんと覚えてますよね?」
「ンナァ」
「ほら」
「いや何が?」
残念ながら悠真に猫語を介する力はない。というか世界中の大半がそうであり、ミミだってそうに違いない。『猫同士なら或いは』だなんて、そんなことを考えてみたところで通訳は存在せず――つまりは何とでも言えるということだ。
「ん?」
そんな詮なき思考を縫うように、不意に悠真は気づいた。不細工に広がる三種の毛色に、四色目が浮かび上がっていることを。
「いや…………なんで?」
シジミであった。狭い頭の上に、文字通り『猫の額』の上に、シジミがぽつんと乗っかっている。
しかも縦に、ウルトラマンのアイスラッカーのようである。お魚咥えたドラ猫ならぬ、シジミを伸ばしたデブ猫であった。
「あぁ、昨日安かったですもんね」
されどミミの反応は薄い。またかと言わんばかりに小さく息を吐き、利蔵の頭から引っこ抜く。
「よくくすねるんです。歳も歳ですから、そんなに食欲はない筈なんですけど」
果たしてどんなつまみ食いをしたら、そこに刺さるのか?
悠真に疑問は尽きなかったが、乾いた貝はさっさとゴミ箱に放り込まれる。抜き取られた当人(猫)も一瞥すら寄越さず、なんなら刺さっていたことすら気づいてなかったのかもしれない。
「まぁ……いっか」
考えても仕方ないと、悠真はカメラを再セットし始める。テーブルの上のコーヒーはすっかり冷めきっていた。