吾郎丸 3
一度やるとなれば行動は早い。やるとなれば行動しなければ示しが付かない。
その両者を踏まえているからこそ、吾郎丸の逆襲は早かった。
〈おい……ここいらの話、聞いてるか?〉
黒のベンツに寄り添う二人。いかにもカタギではない顔を見下ろしながら、吾郎丸は数多の部下を控えさせている。
〈あぁ、なんかタケが道端でシバかれたとか。ざまあみろってもんだ〉
〈そりゃそうなんだけどよ……それとは別に目撃があったらしい〉
〈目撃? 何の?〉
話している内容に興味はなく、そもそもニンゲンの言葉の大半が分からない。吾郎丸にとって大事なのは、男達が『ヤクザ』という人種であり、それを決して逃がさぬことだ。
〈アレだよ。途中まではうちに協力的だったってのに、肝心なところで日和りやがったあの政治家の〉
〈……東雲のジジイか? 馬鹿言うな。とっくにくたばっただろ?〉
〈本人はな。でも前に見たことがあっから間違いない。あんな若造を遣わして何企んでんだって話で、早いとこ始末すべきかもな〉
男達はお喋りに夢中で、隠れる猫達に気づかない。ほんの少し観察すれば、街路樹や電柱に昇る彼等に気づけようものの。
「…………お前ら、準備はええか?」
吾郎丸は振り返る。そこはコインパーキングに隣接した二階建ての屋根の上で、人相(猫)の悪い面々ばかりが連なっている。
『親分。いつでもいけやさぁ』
『くくく……爪が疼くぜぇ……!』
『こんな喧嘩は九十代目の時以来だ。あん時は三人はやっちまったかなぁ?』
『嘘つけ。お前腹見せて寝転んでただけだろ』
『ってか九十代目って、なんか犬っぽくなかった?』
『馬鹿、失礼なこと言うな。本人だって『俺は尻尾の先まで猫だワン』って言ってたろ?』
『確かに尻尾出してんな』
と――1部無関係な雑談が混じっているが――やる気には満ち溢れている。
吾郎丸は地上の男達に向き直り――変わらず油断しきっていることを認めると――そこに指球を突き付けて言う。
「やれ」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」
瞬間、隠れていた猫が一斉に飛び出す。
重なる声は獅子の雄叫びのよう。男達は何が起こっているのか分からぬまま、駆け寄ってくる軍勢を茫然と見つめ、
〈〈ひ……ひぎゃああああああああああああ!!〉〉
成す術もなく呑み込まれた。
〈やめっ! おまえら……いだっ! あいだだだだだだ!!〉
『顔狙え顔!』
『股間もだ! ツルッツルのメスにしてやろうぜ!』
〈おえっ! うげ! そ、そんなおおぎなもの……は、はいらな……!〉
『ほらたーんと食え! 採れたてピチピチのネズミじゃい!』
『おかわりはたくさんあるからな! ハナとケツからもしっかり堪能せいや!』
崩れる男の胴体に、モコモコと猫の山が積み上がって行く。
噛みつかれ、引っかかれ、手足をピクピクさせていたのは束の間。やがて完全に無抵抗になろうと、暴力は収まらない。全ては指示の下で、ブチブチと抜け落ちる音が空しく響く。
「そのへんにしとけ! ほんとにおっちんでも面倒じゃけえのぉ!」
一頻り満足を得て、吾郎丸はストップをかける。
そうして猫の山が去った後には、ボロ雑巾が広がっていた。白目を剥き、衣服を細切れにされ、全身の毛を引き千切られた――そんな哀れな男達である。
「ようやった」
言って、吾郎丸は伸びた男達を踏みつける。そんな姿を見守る部下達はソワソワと、未だ興奮冷めやらぬ様子だった。
「おやぶぅん! 次はどうしやすか!?」
その中で若い一匹が吠える。二歳足らずの白猫で、毛先を真新しい深紅に染めている。
「こんなのは前菜でもない。ボス……今日のメインディッシュはいつ来るんだい?」
言いながら、キザな錆び猫は爪を舐める。一見冷静のようでいて、オッドアイの瞳が爛々とした煌めいている。
「コケッ! コケコッー!!」
トサカの生えた二つ足も元気に吠えている。何時の間に紛れていたのかは誰も知らない。
「…………当たり前じゃろ?」
そんな面々を見渡し、吾郎丸はニヤリとほくそ笑む。
体力も威勢も十分。景気づけには最高のスタートを切れたと思いながら、大きく口を開いて見せた。
「こんなもんは序の口――次行くから気合入れろやぁぁ!!」
「「「オオオオオオオオオオオオ!!」」」
そして――鬨の声。
荒くれ者共の宴は始まったばかりなのだ。
〈ぎえええええええええええええ!?〉
対、入れ墨塗れのマッチョメン。
恵まれた体格を生かす術はない。素早い猫の動きに翻弄され、散々疲れた後での一網打尽だった。筋骨隆々な四肢が生まれたままの姿で晒され、発見した市民は思わず110番を押したとか押してないとか。
〈あいええええええええええええええ!?〉
対、グラサンこさえた悪オヤジ。
任侠映画に出てきそうな渋メンが女のような悲鳴を上げていた。勢い余って玉を齧られた所為かもしれない。元々のスキンヘッドヘアーは、下までスキンヘッドに仕上げられたとさ。
〈ママァァァァァァァァァァァ!!〉
対、インテリっぽいメガネ。
ハナから相手にもならない。亀のように丸まるばかりで、小便まで漏らす有様だった。あまりに手ごたえがなさ過ぎて、猫達は奪った眼鏡をジャラシのようにして遊んだ。
かくして――街に潜んだヤクザは着々と減っていく。
報復も特定も出来ない。そもそも猫の仕業という発想が生まれない。
次第にヤクザは街へと赴かなくなる。『化け猫騒ぎ』の時と同じだ。どれだけ金鳴る木がぶら下がっていようと、自分達の命に代えられる物はない。
もっとも――それ以上がないのだと仮定するなら、であるが。
「乾杯!」
「「「かんぱあああああああああああああい!!」」」
鳴き声を地鳴りのように轟かせながら、彼等は一斉に顔を突っ込む。桶の中の水にはマタタビがふんだんに溶かされている。それをゴクゴクと喉へ流し込み、ぷはっと蕩け切った表情を見せる。
そこは町境付近の集会場。空き家が多いこともあって、どれだけ汚そうと窘められることはない。四方にはネズミや野鳥の肉が並べられており、あまつさえ何処から取ってきたのか、生魚の切れ端まで転がっている。一見生ゴミのように見えようとも、いずれもが彼等にとっての御馳走であった。
「今日も見事な勝ち戦じゃった! 存分に飲んで、存分に飲んで、英気を養え!」
「「「ひゃっはあああああああああああ!!」」」
歓声を浴びながら、吾郎丸は近くに控えさせた部下に目配せをする。酒に食とくれば次に来る物は一つだ。奥からしゃなりしゃなりとスマートな四肢が踊り出る。
「うふっ、よろしくね?」
「あらあら、たくましい。思わずサカって来ちゃいそう」
「おねえさんの今夜の相手はぁ……どの子かな?」
現れたのは野良とは一線を画した集団。混ざり気のないシャムやペルシャは妖艶な雰囲気を漂わせ、しなやかな手足を動かす度に何処かしらで生唾を飲む音が響く。
「今日は楽しんでいって、ね?」
「「「いやっほおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉう!!」」」
一層熱の入った歓声が響いた。ニンゲンであろうと獣であろうとそこは変わらない。メスの煽情な姿に賑わってしまうのは、オスという生き物の宿命なのだから。
「お疲れ様です、親分」
「おう」
無論、それは全て計算の上だ。一通りの音頭を終えた吾郎丸はその場にふんぞり返って、部下の酌を受け入れる。
吾郎丸は十を超える老齢ではあったが、未だ総長としての経験は長くない。
故に威厳とモチベーションには尽力を尽くしている。決して舐められぬよう、決して反感を抱かせぬよう、総長としての振る舞いを見せつけようとしている。
(っちゅうても……こいつは余計じゃったが)
毛繕いをしようとして、舌は皮膚に行き届く。フサフサの冬毛が蘇るのはまだまだ先だ。かろうじて三毛ではない、そんなコンプレックスを思い出しながら――
「御免」
本物の三毛猫が現れる。
栄養たっぷりの下っ腹を揺らしながら、そのクセ大層に風を切るかのように。
「吾郎丸」
程なくして三毛猫が目の前に立つ。この場において彼は完全なる余所者だ。されど周囲の部下は不機嫌そうにしかめながらも、道を遮ろうとしない。本音は八つ裂きにしたくとも、そう易々と手を出すことが出来ないのだ。
「……性懲りもなく何のようじゃ? 士郎丸」
吾郎丸が吐き捨てるその名が、何を意味するのか分かっているからこそ。
「差し入れである」
言って、士郎丸は口に咥えた物を落とす。
ブツブツと黒い斑点の入った長方形であった。好物のネズミのような色をしていながら、齧ってみると妙な弾力がある。
「…………」
というか噛み切れない。固定して千切ろうにもヤケに滑る。舌から伝わる味も淡泊の極みである。
吾郎丸は食すことを諦め、大きく前足を振りかざすと――
「食えるか!」
と、盛大に弾き飛ばした。
浮遊するコンニャクは士郎丸の頭上を通り過ぎ、地面に着地した後もツルツルと滑り続ける。やがて表通りに消えていったソレから視線を切り、吾郎丸はギロリと三毛を睨みつけた。
「おどれ、喧嘩売っとんのか?」
「メスに飢えてる時にも使えるぞ」
「何をすすめとんじゃおどれは!? んなことせんでもわしゃあな!」
「落ち着けハゲ丸。間違えた、吾郎丸」
「ぶっ殺すぞ!!」
「お、親分落ち着いて!」
とっ掴みそうになる身体を他の猫達が抑える。
それが吾郎丸と彼の常だった。元々抱いている敵愾心もあって、すぐに爪を立てようとする。
「とうとう連中を襲ったそうだな?」
しかし士郎丸は威嚇すら返そうとしない。飽くまで冷静な口調を保ったまま、グリーンの瞳が真っ直ぐ吾郎丸を見つめている。
「それも手当たり次第に、情け容赦もなく」
それはまるで――上が下を窘めるかのよう。
それが吾郎丸にとっては何より気に食わない。
「性懲りもせず、わしらの土地を荒そうっちゅうんじゃ。今度という今度こそ根絶やしにしてくれる」
故にそう答えた。爪を地面に立てながら、脅しつけるかのように。
「確かに奴らことは見過ごせん。しかし行き過ぎた暴力は必ず報復を招く」
「じゃったら、なくなるまで続ければいいことじゃろう」
「本気でそう思ってるのか? そこにお前の私怨はないのか? ましてや……良い恰好を見せようなどと」
「っ!」
息が詰まったのは一瞬。それよりも大きな激情が吾郎丸の心を真っ赤に染め上げ、抑え込む部下を蹴り飛ばす。
「ええ加減にせえよ!」
そうして三毛に詰め寄り、吐き出す。
よりにもよって結束を揺るがそうとするソレが許せなかった。
「小言ばっかり抜かしよって……おどれはわしの何じゃ!?」
「……吾郎丸」
「さえずるな! おどれは他所もんじゃろうが!? ここはわしらのもんじゃ! わしらの宴に水を差すな!!」
「…………」
それ以上、士郎丸は何も言わなかった。くるりと踵を返し、猫の波を割って去っていく。
親分の意向に沿うかのように、その背には罵倒が浴びせられる。「失せろ」「二度と来るな」という拒絶のコールだ。
何時もはそれでも堂々足るものだった。しかし今日は少しばかり小さく見える。その理由が何かを考え――よもや自分の発言に由来しているのかと思うと――吾郎丸の気は一層荒ぶってしまう。
「何様のつもりじゃ……!」
勝ったという気には到底なれない。仕切り直しと言わんばかりに始まる雌猫のセクシーショーーも右から左だ。マタタビ入りの水を煽るように飲み、それでも忘れられぬ表情がフラッシュバックする。
「何様の――」
やがて吾郎丸はぶっ倒れる。部下の前では決して見せまいとしていた醜態だ。仰向けに寝転がって、イビキをかいて、無防備な腹を晒し出す。口端に漏れた吐瀉物の味が残飯のそれに似ていて、不思議と懐かしさに包まれながら。




