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珈琲を飲めば桶屋が儲かる  作者: 弱男三世
20/29

武澤大雅 5


 しかしながら――尽きぬ違和感の答えは向こうから訪れる。


 それは十二月中旬のある日のこと。

 大雅は襲撃にあった。寝不足故に半ばルーチン化した買い出し帰りのことだ。先日自らがぶちのめた男と再開し、諍いの末にボヤ騒ぎを引き起こした。

 

 そこには目つきの鋭い少女もセットになっていたが――大雅にはさしたる関心事ではない。「訳の分からないことを言ってないで、とっとと家に帰れ」という一心の下、適当な言葉を並べ立てたくらいだった。


(一体何が起こってる? 俺の知らないところで、この街に何が?)


 現場から離れて数分。既に大雅は何を言ったのさえ覚えていない。それよりも轟道会からの襲撃があったという事実ばかりが脳を満たしている。


(前にぶん殴った恨みなんかじゃない。アイツは叔父貴の名前を口にしていた)

 

 それは荒事に身をやつしたが故の、野生の勘と言ってもいい。

 大雅は馬鹿ではあるも愚かではない。何かがおかしくて、何かを掛け違えているという六感が、今日起こった状況に警鐘を鳴らしている。

 このまま放っておけば――取り返しのつかないことが起こってしまうという危機感を。


「ぎょえええええ!! 家が!! 俺のヤサがああああああ!!」

 

 ところが、けたたましい声がそれらをすっ飛ばす。

あれからロクに姿さえ見せなかったサブである。燃える住処を遠目に、悲壮な嘆きを上げていた。


「おいサ――」


 と、大雅は声をかけようとした。「これは不可抗力であって俺は悪くない」と、火事を引き起こした言い訳やらを考えながら。


「ま、まさか緑谷のガキの件で……? いやでも……?」


「――――」


 しかし大雅は息を呑む。ぶつぶつと呟いている内容に、聞き逃すことの出来ない単語が混じっていたのだから。


「おい!」


 そこからの行動は反射的だった。へたり込んだ胸倉を掴み上げ、鼻っ柱が付かんばかりの距離でギロリと睨みつける。


「答えろ」


「ア、アニキ……?」


「答えろや!」


「は、はい!」


 主語のない問いかけに、サブはこくこくと頷く。

 或いは彼自身にも分かっていたのかもしれない。そこからもごもごと語られる内容は、まさしく大雅が知りたかった答えであったのだから。


「今回の仕事……俺が、轟道会の連中が追い出そうとしてんのは……緑谷海々の家っす……」


「っ!」


「許してくだせえアニキ! 本当に! 本当に知らなかったんっす! まさかのあのガキがアニキの……だなんて」


「言い訳はいい。続けろ」


 暴れ狂う鼓動とは裏腹に、大雅の言葉は底冷えしていた。サイレンの音が遠くで響き渡り、煙たさに釣られて住人がわらわらと炙り出てくる。人目の悪さから手をぱっと離すと、サブは咳き込みながらも大雅を見上げる。


「昨日、轟道会の親父が襲われたそうなんす」


「叔父貴が?」


タマまでは取られてません。でもひでえ怪我だったみたいで、何でも全身の皮膚が切り刻まれてて、ズタズタにされてたとか」


「……まるであの時みたいだな」

 

 大雅が口にしたのは、まだこの街に住んでいた時の事件である。『化け猫騒ぎ』と恐れられ、開発計画が半ばで頓挫してしまった最大の要因であった。


「地上げ目的のヤクザはあの時が山場だった。そこら中にガラの悪い連中がうろついてて、追い出し目的のチンピラとはよくケンカしたもんだ」


「アニキもそれが切っ掛けだったんすよね? 前の若頭にスカウトされて、それで」


「俺のこたぁどうだっていい。それより――叔父貴連中はなんだって俺を疑う?」


 追及にサブが視線を逸らす。下唇を噛み締め、言葉を選ぶかのように。


「それは……俺が進言したからっす。元々やってらんねえ仕事だってのに、アニキの姪っ子みたいな相手を揺さぶるだなんて、俺にはとても」


「それだけじゃねえだろ? てめえが進言した程度で疑う程か? もっと別の理由……俺がやったって思わせるくらいに、根拠があったんじゃねえのか?」


「う……」


 苦々しい表情が、そのまま証明となっていた。背後で行き交う野次馬は拝啓のようで、迫る核心を前に全神経を集中させる。


「アニキ……今すぐにこの街から離れてください。アニキが疑われてるんです」


「根拠を言えっつっただろ? てめえの助言なんざ聞いてねえ」


「緑谷の家に若造がいたんっす! そいつが弁護士を雇って、轟道会の追い出しを邪魔しようとしてる! そこにアニキが来ちまったから、自分達を裏切ったんじゃないかって!」


「誰だ!? 若造って誰のことを言ってやがる!?」


「ま、前の地上げがあった時……再開発の指揮を取ってた東雲って政治家の……!」


 その名を聞いた瞬間――大雅の胸の中ですとんと落ちたような気がした。


「孫、みたいなんです」


 そしてようやく繋がったような気もした。もし運命というものがあるのだとすれば、自分はこの為に戻ってきたのだと。


「埃臭くて、都合のいい仁義」


だから大雅は呟く。


「緑谷の養子として厄介になってた俺と、そこに住んでる東雲の孫。昔みてえに自分達の邪魔をしてるんじゃないかって、上の連中は考えてる」


 煮えたぎる腸を抱えながらも冷静に。


「温室育ちのモヤシヤクザを蹴散らすなんざわけねえ。俺は時代に取り残された飢えた虎だ。ケンカしか脳のない男が、昔の縁を守ろうとしてる」


「…………」


「そういう筋書だろ? だから連中は俺が裏切ったと思ってる」


「…………はい」


 重苦しそうにサブは肯定する。責任を感じてほしくないと思っていたのだろう。

 だがしかし――


「それは大きな間違いだ。俺はんなこたぁ、これっぽっちも考えちゃいねえ」


「ア……アニキ?」


「サブ。俺はよぉ……喧嘩は好きだし、やれと言われた相手は散々ぶちのめしてやる。でも殺しまではやらなかった。道徳とかそんな安い理由じゃねえ。ぶっ殺す相手ってのが、ずっと昔から決まってたからだ」


 自身でも気づかぬ内に、大雅の口角は曲がっていた。

 三日月を描くようにニンマリと、それでいて血に飢えているかのように。


「息子よりも孫が先に追いつくんだ。あっちにいる奴さんは、どう思ってくれるだろうなあ?」


「アニキ! そ、それって!」


「サブ! てめえは手を引け!! これは――俺のやるべき仕事だ」


 鈍っていた血流が蘇るような感覚。ドクドクと心臓に血潮が流れ込み、ポンプとなって脳へ送り込まれた熱量が殺意という激情に形を変える。

 かつて家に潜り込み、義理の姉をたぶらかし、去っていった男。

 その時に抱いた感情が今へと直結し、ナイフのような無慈悲さが握り拳となって具現化する。


「東雲ぇ……今度は逃がさねえ……!」


 そして虎は夜に吠える。

 静かに、決定的な終焉を匂わせながら。




翌日、大雅はお目当てを見つけていた。イルミネーションを視界の端に追いやって、ズカズカと足を進めている。買い出しに駆け回る主婦や、年末と言う節目に騒ぐ学生に遮られて、何度も何度も肩をぶつけながらだ。


(見つけた! 間違いない!)


 事前に聞いていた情報と相違はない。いかにも育ちが良さそうな、二十かそこらの若人であった。声をかけただけで逃げる辺り、後ろめたい気持ちがあるに違いないと大雅は踏んでいる。 

 人混みを掻き分けながら、見失った方角を突き進む。たとえその背中が見えなくとも、帰るべきは予想出来ている。かつて二人で暮らしていた屋敷が今もそこに残っているのだとすれば――


(アイツさえいなければ)


 そうして見覚えのある屋根が遠目に映る。記憶と寸分狂いがないことを脳が理解すると、チカチカと大雅の視界がフラッシュバックする。

 廃屋で寝起きして、ゴミを漁っていた幼少期。そこから手を引かれて、暖かい食事というものを初めて知った。蒸せながら掻き込んで、少女が笑って、それからマグカップを差し出される。屋敷には漂う芳醇な香りの正体だ。最初は苦くてどうしようもなかったが、慣れると共に欠かせなくなり、やがては家族の味となった。


(アイツさえ)


 五感全てがカラーで蘇るような感覚だった。今の彼は緑谷大雅であり、武澤大雅でもある。過ぎ去っていった感情と、研ぎ澄まされた暴力が繋がっている。


「ああ、どうしてこうなってしまったんでしょう? 私がやりたかったのは、もっと静かな喫茶店だった筈なんですが」


「今まで散々静かだったんだからいいでしょ? まだ二週間もやってないし、せめて返し終えるまでは頑張ろうよ」


 対して、今の屋敷からも二人分の声が聞こえる。ドアには『CLOSE』の札が掲げられており、大雅は窓から中の様子を窺った。


「いいえ。これも全部ユーマ君の所為です。ユーマ君の口先に騙されなければ奥様方は押し寄せませんでしたし、ユーマ君の口車に乗せられなければ私だって腱鞘炎にならずに済んだのです」


 そう言って口を尖らさせているのは先日の少女。そんな事実に大雅は驚きもしない。記憶がクリアになった今となれば、むしろ何故気づかなかったのだと不思議に思えるくらいだ。


「良く言うよ。元を正せば叔母さんがアホだから始まったことであって――」


 その向かいで東雲の孫息子が肩を竦めている。『ユーマ』という名前を決して覚えようとはしない。どうせ二度と呼ぶことはないのだから。


「東雲……往生しろや」


 呟き、大雅はむくりと立ち上がる。小刀ドス拳銃チャカも必要ない。正面から攫って、人目のないところで殴り殺すことは造作もないことだ。 

 何せ彼は飢えた虎。学はなくとも暴力は特級。三下が束になろうと相手にもならず、単身で敵の事務所に乗り込んだという武勇伝にも事欠かない。

肩と首を回し、ポキポキと威圧的な音を拳で奏でる。向かい合うはかつての古巣。中に潜むは邪知暴虐の化身。そのタマを取ってやらんと、勢いよく乗り込もうとして――


『タイちゃん。この街の猫は大事にせんとあかんよー?』


 不意にミサトの声が蘇る。

 言って聞かせるような口調だった。


『蔑ろにしよったら、バチが当たると?』


 何故今になって、そんなことを思い出してしまうのか?

 理由は簡単。ドアを蹴り破らんとしている大雅を、無数の視線が見下ろしていたから。


「「「…………」」」


 多種多様な毛色の猫が、屋根の上にズラリと並んでいた。伏せる姿勢でじっとしたまま、大雅の一挙一動を監視している。

 そこに愛らしさなど微塵もない。光によって細くなった瞳孔は爬虫類のそれに近く、ただただ不気味さを漂わせている。


『んだって、猫はこの街の――』


 間もなく大雅は痛感する。

 ミサトが伝えようとしていたことの意味を。


「ナーオ」


 それは毛の薄い一匹からもたらされた。

 何処となくドスの利いた鳴き声が響いた瞬間――大雅に豪雨が降り注いだのだ。


「なっ!?」


 連続する自由落下。猫達は大雅を落下地点へと定め、次々に身体を押し付ける。その質量を前に、やがて地面に倒れようとも容赦はしない。腹に、足に、頭にと、大雅の全身はボディプレスの雨に晒された。


「――――」


 大雅は悲鳴を上げようとして、声が出なかった。

 いや、それどころか息が出来ない。何時の間にか口の中に何かを捻じ込まれている。生暖かくて泥臭く、それがドブネズミだと悟るのに時間は要さない。


「――――」


 されど嫌悪感を覚える暇もなく、それよりも全身が熱い。皮膚が爪と牙で穿られているのだ。身体の上で山のように重なる猫は最早別の生き物であり、指一本動かすことが叶わなかった。


(ミサ、姉)


 百戦錬磨のヤクザは死を意識した。恐怖のあまりに母を呼んでしまうかのように、心の中で最も大きな存在に縋る。

 しかしそれは摂理だった。飢えた虎とて、この街においては絶対的な存在ではない。

 この街の支配者はずっと――先住民たる彼等なのだから。


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