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珈琲を飲めば桶屋が儲かる  作者: 弱男三世
16/29

武澤大雅 1


 不味ったと、ただそれだけを思っていた。

 何に対してなのかは分からない。何時からなのかもわからない。何処かで何かを間違えた結果が今に繋がっているということだけは分かる。


 それは十一月末の冷えた朝のこと。

 武澤大雅に与えられた仕事は――そう思わざるを得ない馬鹿馬鹿しさに溢れていた。


「アホか」

 

 ドスの利いた声でぼやくも、現実は変わらない。手にした写真が消えるわけでもなければ、そこに映っている間抜け面が正体を現すわけでもない。 

 大雅は極道者である。それも凡百ではない。かつては『飢えた虎』の二つ名で畏怖されていた男であった。故に「やれ」と言われる相手もそれ相応。これまでは武装した集団か敵対組織の大物首を相手にしていれば良かった。


 しかし悲しいかな。

 大雅は経営も政治も分からぬ。腕っぷしだけが自慢のアナクロ大将でもあった。

『最期まで立っていた奴の勝ち』という小学生並のバトル理論で突き進むこと約二十年。時代の流れに付いていけるわけもなく、インテリ集団からは蛇蝎の如く嫌われ、上層部からも次第に距離を置かれ始めた。

 その結果が今である。左遷オブ左遷。気づけば組織の四次団体にまで身をやつしている。


「アホか」


 と、大雅は写真に向かってもう一度ぼやく。「こうやって繰り返していれば秘密の暗号でも浮かんでこないか?」と思う。そんな発想をしてしまうくらいの阿呆であったのだ。


(しかもよりによって――)


 くしゃくしゃにした写真をポケットに捻じ込み、ジロリと周りを窺う。そこは見慣れぬ建築ばかりが並んでいながら、奇妙な程に迷わない。都会とも下町とも取れぬ半端っぷりが変わっていない所為である。

 腕に下げたビニール袋でさえ同じだ。コンビニエンストアへと姿を変えながら、かつてのロゴマークーが小さく印刷されている辺り、古き酒屋の抵抗を感じる。


(やってらんねぇ)

 

 大雅はすっかり疲れ切っていた。何処を歩いていても見られているような気がしてしまう。まともに仕事をするつもりも起きず、こうなったら昼間から飲み明かしてやろうと思っていた。


「マ ズ イ!!」


 そんな最中であった。

 ほんの少し奥――建物を隔てた右隣の通りから、ガサツな叫び声が聞こえてきたのは。


「おあっ!!」


 続けざまにもう一発。

 さっきよりかは幾分か高く、女の悲鳴だと分かる。


「っ……んだゴラァ!!」


 そして三度響いた瞬間、大雅は進行方向を変える。

 すっかり骨身に馴染んだ空気を察したのだ。『カタギを巻き込まぬ』というアナクロを守っているが故に。


「あぁん? なんのつもりだてめえ!!」


「あ……あぁ……!」


 案の定、そこには恐喝の現場が広がっていた。

 パンチパーマの男は同業者で、震えている少女はこの街の住人か? 大方肩がぶつかったとか、そんな理由で絡んでいるのだろうと当たりをつける。


「おい」

 

 だから迷うことなく大雅は割り込んだ。

 極道者としての道義半分。もう半分は憂さ晴らしを期待して。


「そんなガキに喚くんじゃねーよ。大人気ないって知ってんのかぁ?」




 結果的に喧嘩はあっさり終わった。

 むしろ手ごたえがなさ過ぎて、憂さ晴らしにもならなかった。

 なけなしの小遣いで買った焼酎瓶を仕舞い、大雅はその場を後にする。風に吹かれた吸い殻が自分を追い越していくのを見送りながら、不意に口元の寂しさを思い出した。


「ちょ、おま……いや!」


 しかし胸ポケットから煙草を取り出すには至らない。駆け寄る男が右鼓膜を揺らしているのだから。


「待ってくださいよアニキィ!!」


「…………サブ」


 大雅は耳を押さえながら不快そうに口を開く。するとサブと呼ばれた男は――頬に刻んだタトゥーに似合わぬ――子供のような破顔っぷりを見せる。


「アニキ! 本物のアニキだ!! どうしたんっすか!? 水臭いじゃないっすか!! なんで来るなら来るって言ってくれなかったんっすかぁ!?」


「…………」


「ってかアニキって、前はたしか本部長の補佐やってるって……それがなんだってこんな街に」


「そりゃこっちのセリフだろう?」


 と、大雅は捲し立てるサブに割り込む。それが『見栄を探られたくなかったから』であることは言うまでもない。


「さっきの男、轟道会の奴だろう? なんだってお前が一緒にいる?」


「う……そ、それは……」


 探られたくない腹があるのはお互い様。

 しかしそこは兄貴と弟分である。サブはさぞ言い辛そうにしながらも「実は……」としょぼくれた様子で語り始めた。


「親父が馬鹿やっちまったっんす」


 話は単純で、徹頭徹尾その一言に集約されていた。

 かつて大雅の古巣であり、サブは今も所属している桜曉会。そこの組長が発砲事件を仕出かしたのだと言う。


 それも敵対組織に対してではない。一般市民相手――それも酔った勢いで女に絡み、冷たくあしらわれた怒りからの乱射であった。幸いにも怪我人は出なかったそうだが、暴力団に厳しい昨今からすると、失脚には十分な理由となった。


「それから親父の仇名が『バカボンのパパ』になっちまいまして」


「…………」


「俺達子分連中もみんな『バカボン』って言われるようになって……くぅ!」


 ちなみに銃を乱射するのは『本官さん』である。

 色んな意味で間違ってはいるが、心底見下げ果てられていることは伝わってくる。


「それで桜曉会はすっかり変わっちまいました。シノギのほとんどを同じ二次団体の轟道会に掻っ攫われて、今では連中に顎で使われる有様っす……」


 そう言って、サブは涙をホロリとさせる。

救いようのない話だと大雅は思った。しかし哀れでもなければ意外でもない。元々組長に対する尊敬や忠義は皆無で、むしろ「とうとうやりやがった」と思えるくらいに軽蔑していた。


「サブ。前にも言ったろ?」


 故に大雅は豪語する。かつて血の気の多い若衆に見せていたような、大きな背中を向けながら。


「男ってのは誰かに頼るもんじゃねぇ。デカい木に寄り添うことはあっても、てめえはてめえの足で歩くもんだ」


 そうあることが正しいのだと、取り出した煙草を咥えて。


「それだけ出来りゃあ上等だ。裏切られたもクソもねぇ。お前らしくあれんなら、そこがお前にとっての浄土ってやつになるんだからよ」


「ア、アニキ……!」


 弟分の感涙を受け止めながら、ふーっと長い紫煙を吐き出す。

 きまった、と大雅は思った。いかにもアニキらしい助言を言えたと思った。


「だからよお……オメーが気に食わねー仕事だってんなら、まずは」


 あとは締めが必要だった。嫌ならやめてしまえばいいと、そんな言葉を続けようとした矢先に――


〈ピリリリリリリ!〉


 と、無骨な着信音が遮る。

 不慣れな操作で専用に設定したものだった。


「あ、ちょい待ち」


 大雅は携帯を両手で抱え、そそくさと路地の奥に引っ込む。液晶に表示された相手は案の定で、あーあーと声色確かめながら通話ボタンに指を乗せた。


「……! っ…………!!」


「はいっ……はいっ……」


 開口一番、相手は怒声を浴びせてきた。つんざく割れ音にも厭わず、大雅はペコペコとした態度で応じる。


「っ! ……! …………!!」


「いや、それはですね」


 まるで頭を上下させる機械のようだった。目の前に相手はいないというのに、壁に向かって何度も何度も。


「やってます! もちろんやってます! えぇ! えぇ!」


 相手を宥める為だけに心を押え、都合の良い言葉ばかりを並べては、


「ぶっ殺します! ぶっ殺しますからどうか生活費は! これ以上下げられたら!」

 

 大雅は吠える。切実な様子で、哀願を訴えかけている。

 それはなんということはない。電話の相手は今の上司であり、進捗を改めたに過ぎない。

かつての飢えた虎が、今は金に飢えている――ただそれだけのことなのだから。


「はい……はい……お疲れ様です! それでは自分は仕事に戻りますんで!」


 そう言って、相手が通話を切ったのを確認した後に携帯を仕舞う。

 そんな大雅の後ろ姿を見て、誰が百戦錬磨の猛者だと思うことだろうか? むしろくたびれたサラリーマンが関の山である。


「…………」


 それはちゃっかり見ていた弟分とて例外ではない。

サブは感情を失った瞳で、背中が曲がった大雅を見下ろしている。


「アニキ……」


 やがて一言呼びかける。

そこに答えられない。答えられよう筈もない。ダラダラの汗を流しながら、ゆっくりと大雅は振り返る。


「アニキ…………いや、弟?」


 迷った末にサブがそう発した瞬間――すかさず愛の鉄拳。

 勝手に立場まで逆転させるなと大雅は思った。今は実際にそうであることはさておいて。


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