第5話 巡る未来
車を走らせて一時間ほど。存在しか知らなかった近隣の大学にやってきた。というか近隣と聞いていたのに蓋を開ければ来るまで一時間かかった。車で一時間は近隣とは言わないと思うけど。
「車で一時間を近隣とは言わないと思うのよね」
「同じこと考えてた」
「帰ったら祥子に文句言わなきゃね」
二人で愚痴を言いながら歩ける程度にはこのあたりにはゾンビが見当たらない。遠くには見えるもののこちらに気づくこともない。警戒をするに越したことはないけど、ここまで何もいないと拍子抜けだ。
二人でテクテク敷地内を歩き、見えてきた校舎を見てさっきの答えが出た。
「これは・・・凄いわね」
見えてきた校舎は黒く煤けており炎こそ消えているようだが、そこかしこが黒く焦げていたり、崩れていたりと激しさを見て取れる。
「人もゾンビも燃えちゃったのかな」
「それを確めに行くんでしょ」
たった二人で未知の場所に入るのは怖いけど、そうも言ってられない。何かの情報なりなんなり手に入れて帰らないと二人にも申し訳ないし。
「すごい火事だったのね」
「ね、崩れないのかな」
「だったらたぶんもう崩れてるんじゃないかしら、知らないけど」
「知らないんだ・・・」
「でもこれで黙って帰るわけにも行かないでしょ。ここ以外当てがないんだもの」
「それは、そうだけど」
美都も同じことを考えていたらしい。でもよく見ると片方の握った拳も、もう片方に握りしめたバットも小刻みに震えている。怖いのに我慢して気丈にふるまっているらしい。そんな姿を見せられたら私だって頑張らざるを得ない。急に手を握ると驚いた顔をしてくる。怖いんでしょ、なんて言っても認めるわけがないのはわかっているので、今日は私が折れることにする。
「怖いから、手つないでもいい?」
「し、しょうがないわね」
握った手はしっかりと震えていたし、手汗でぺったりと私の手にくっつく。なんて言ったらどんな顔をするのか見てみたい気もするけど私だって弁えるときは知っている。
手を繋ぐことはこの状況ではあまり褒められたことではないけど、片手が塞がってでも彼女と手を繋ぐことは意味があった。主に精神的な意味で。手を繋いでいたからこそ急に聞こえた音に泣くことも背を向けることもなかった。
「だ、誰か、いるのか・・・」
「「・・・」」
思わず二人で顔を見合わせる。正直言って予想外だった。ゾンビがいるかもしれないとは思っていた。アレらの生命力が恐ろしく高いことは知っている。これだけ燃えた後でも生きている可能性も考えてはいた。でもこの瓦礫の中で生きている人に会えるとは思っていなかった。嫌な考え方だけど罠である可能性もある。だからこそ私たちは返事が出来なかった。
「そこ、誰かいるんだろう、足音も話し声も、聞こえてた」
息も絶え絶えという声が扉の向こうから聞こえてくる。ばれていたらしい。別に隠れていたわけではないんだけど。
「えーと、あなた、誰?」
「俺か、もう、名前も忘れたよ。誰ともしゃべっていない」
「じゃあ、いいや。ここで何してるの?」
「何をしているわけでもない、強いて言うなら死を待っているだけだ」
「どういうこと?噛まれたの?」
「いや、火事に巻き込まれたんだ。もともと消防士をしていたんだが、道具が無ければ何もできん」
「そっか。大丈夫なの?」
「いや、無理だ。今、生きているのが、不思議な大火傷だ」
「願いというわけじゃないが、聞いてもらえるか」
「いいよ」
即答した私を美都が何か言いたげに見つめる。でも今はあえて無視。
「妹がいる、今生きているかも、わからん」
「探してほしいの?」
「まあ、簡単に言えば。ウッ」
急に咳き込んでしまい、扉向こうから苦しそうな声がしばし響く。目の前の歪んだ扉を開くことはできないし、開けたからと言って彼を助けることが出来るわけでもない。少し収まったころ、また声が聞こえてくる。
「名前は、高橋陽莉。目の細い、子だ」
聞いたことがあるどころか、現在進行形で住んでいる人の名前が出てきた。無事を知らせようと扉を叩く。向こうからはもう何も聞こえてこない。
「ねえ!お兄さん、ねぇってば!生きてるよ!妹さん!今、一緒に暮らしてるよ!」
必死に叫んだ声も向こうから返事が返ってこない空のやまびこだ。尚も叫ぼうとして美都に手を引かれる。首を振っている意味は分かる。さっきから虫の息だったのにこれだけ話した方がおかしいのだ。きっと、いや確実に、彼はもう何も言わない。それに大騒ぎをすればゾンビが寄って来てしまうことも考えられる。もうこれ以上はここにいられない、それが私たちの結論だった。
二人で無言で歩く。来るときはひそひそ声で話しながら来たのに帰りは二人とも何も言わなかった。この気持ちをどうすることもできなくて、口を開けなかった。きっと二人のことはこんなになった世界でありふれた話のはずで、でもそれが身近の人に起こったのなら話が違ってくる。
「早く帰ろ」
「だめ、もう暗くなって来てる」
「でも、陽莉ちゃんに言わないと!」
「早く帰ってもどうしようもないでしょ!ここで危険を冒して帰れなくなる方があの子は悲しむでしょ!」
そんなことは分かってる。でも、あの人の最期の言葉が耳にこびりつく。
結局今日は車で一泊してから帰ることになった。狭かったので一緒に抱き合うようにして眠ることになった。
寂しかったわけじゃない、ほんとに。




