Ⅰ
「転職をしたい? ハァ……またですか?」
冒険者ギルドの一角に設けられたスペースで、カウンター越しに座るエルフの女性は面倒臭そうにため息を吐いた。そのような態度を取られるのは甚だ遺憾で、俺はカチンときて言い返した。
「またとはなんだ、またとは」
「いや、タツガミ様はこの間も来ていたでしょう。『遊び人は嫌だから賢者になりたい』とか言って。偶にいるんですよ、そういう我儘をいう人は」
「言っておくが、俺はまだ諦めてないからな」
「……あのですね」
女性は俺に無駄に綺麗な手で指を指す。
「能力値が足りてないんですよ。諦めないことは美徳ですが、ステータスが達していない以上連日来られても困ります。特に賢者は魔法使いの上位クラス。ほいほい誰にでもなれるんだったら苦労しませんよ。いい加減、目を開けたまま夢見るのはやめてもらっていいですか?」
この職員、口悪すぎない?
まだ数えるくらいしか顔を合わせていないのに流れるように罵倒されるのか。
俺の頑丈ではないメンタルは既に軋んできている。
「いや、私だって言う人は選びますよ。こんなこと言うのは貴方だけですよ?」
「……」
なんだろう、ちょっとシチュエーションが違えばときめくのかもしれないが、少なくともこの場においては俺の精神を傷つけるものでしかない。
「尚悪いわ。俺だって一応冒険者なんだからもうちょっと対応の仕方をね? そりゃ、敬えとか言うつもりはないけどさ……」
元穀潰しの引きこもりである俺が敬意を払われるような人間でないことは分かる。
しかし、俺なりに頑張ってやってきているのだ。せめて普通の対応をして欲しい。
この受付嬢が全方位にこんな冷たい対応を取るならまだしも、先ほどの言葉通りこんな酷い扱いを受けているのは、知る限り俺だけだ。
「いいですか?」
女性は物分かりの悪い学生に言うように優しい声色で言う。
「権利と義務は表裏一体です。冒険者の義務とはモンスターの討伐等のクエストを達成することです。それをこなし、一人前となって初めて権利を行使出来るのです」
「……俺はその義務を果たしてないと?」
「明確に口に出した方がよろしいですか?」
泣きそうになった。
「ちょっと待ってくれ! 今日の俺はちゃんとレベルアップしてきたんだ! まずはそのステータスを確認してくれよ!」
俺が弁解すると受付嬢の眦は少しだけ柔らかいものになった。
「……そうなんですか? いや、ですが少しレベルアップした程度で転職出来るほどの経験値に能力値は得られていないと思います」
「いやいや! 俺には分かる。昨日の俺とは違う溢れる知性! 確かに賢者は難しいかもしれないけど、魔法使いくらいならなれるはずだ」
「まぁ、そういうことであれば……」
受付嬢は渋る様子を見せながらも俺が差し出したギルドカードを受け取る。運転免許証くらいの大きさのギルドカードは特殊な魔法で加工されており、そのままだと名前しか見ることが出来ない。ギルドといった正式な場所でしか自分のステータスを確認出来ないのだ。
なんでこんな七面倒な作りになっているのかというと個人情報の漏洩を防ぐためらしい。
異世界に来てそんな単語を聞くとは思わなかった。
ギルドカードを俺に見えるように机に置く。
「では、行きますよ。……『開錠』」
霞みがかったギルドカードの数字は靄が晴れるように明らかになっていき、俺のステータスが確認出来るようになる。
「おお!……おぉ?」
ヒデオ・タツガミ LV1→LV2
体力……5→5
魔力……5→5
筋力……5→4
敏捷……5→5
知性……5→4
運……10→12
【特殊技能】 なし
「……」
「……」
「……す、凄いじゃないですか! 運が2もアップしてますよ!」
「下手な気遣いは止めてくれよ! いたたまれなくなるだろ!」
あの冷血受付嬢が気を遣うという行動に出たことは俺の羞恥心を大いに刺激した。
運が2上がる代わりに筋力と知性が下がってトータルは変わらない。寧ろ、運は余程高くないと殆ど死んだステータスらしいし、足し引きマイナスだ。
「なんで知性が下がってるんだよ! 伸びるどころか下がるとか!」
「確かに昨日とは違う知性をお持ちのようで」
「暴言吐いても良いとは言ってませんけど!?」
叫び過ぎて喉が痛くなってきた。疲れた俺はため息を零す。
「あのさ。運はいいとして真面目な話、なんで筋力と知性が下がってるの?」
「……ギルドの一般的な見解になりますが……」
受付嬢は形の良い顎に手を当てて慎重に喋り出す。
「レベルアップとは最低能力の上限を向上させることです。ここまでは良いですね?」
「ああ。聞いたよ」
例えば筋力で言うと分かりやすいかもしれない。100キロのバーベルを持ち上げられるヤツがいたとして、それを何回も続けると疲労が溜まりバーベルを持ち上げることが出来なくなる。ただ、どんなに疲労が溜まっていたとしてそれだけ筋力量があれば10キロのバーベルは持ち上げることが出来るだろう。つまり、それが最低値。
レベルアップとはこの最低値の底を上げることを指すのだという。
「レベルアップをすること自体には習熟度を上げる必要はありません。経験を積めば等しくレベルが上がります。そして向上するステータスはその経験に左右されます。つまり問題となるのは『どのような経験を積んだのか』ということなのですが……」
受付嬢はちらりと俺を見る。
「タツガミ様がどのような経験を積んだか、お聞きしてもいいですか?」
「……。偶然見つけた群れからはぐれた死にかけのゴブリンを殺りました」
「問題解決ですね」
無情なことを言ってのける受付嬢に、俺は縋るような思いで声を掛ける。
「……あの、賢者に転職とかは……」
「申し訳ありませんが知能が足りていません」
ここで知性ではなく知能と敢えて言ってのけるあたり流石の受付嬢だ。