9.マイヤ神殿にて
翌日の昼過ぎ。旅は順調に進み、当初の予定通りミランの街が見えて来た。
街の周囲は高い石壁に囲まれ、入り口には壮麗な門が構えている。そして門の前には兵士のような人たちがおり、街に入るための審査を行っているようだった。
「さて、そろそろミランの街に着きますね」
「あれ、検問ですか?」
「ええ。ちょっとした審査ですが、街に入る者は皆受ける必要があります。とはいえ、今回は私が居りますので、ご心配なさらなくて大丈夫です」
門の前に立つ兵士たちを見て少し表情を硬くしていた春子に、ファルディンは安心させるように微笑みかける。
確かにファルディンに連れてこられたのだから、ここで街に入るのを断られることはないだろう。しかし、今のところこの世界では春子の身分などを証明出来るものは何もないため、ついつい不安になってしまうのだ。
「春子さん、異邦人登録をすれば、身分証明書も発行されるよ」
「ネジュさん……。そんなに私、分かりやすかった?」
「ううん。でも、春子さんなら、そんな心配するかなって」
思いがけず不安を言い当てられて驚くと、ネジュはふにゃりと笑う。
この半年間で、かなり春子の性格を熟知していたようだ。ファルディンもそう思ったらしく、眉を上げてネジュを見ていた。
そして前に並んでいた数組の旅人たちが街へ入るのを見送り、春子達の番がきた。
「ようこそ、ミランの街へ」
「神殿騎士のファルディンです。この二人は私の連れです」
「お疲れ様です! はい、身分証確認致しました。どうぞ、お通り下さい!」
朗らかに挨拶してくれた兵士は、ファルディンの身分証を提示されると、途端にシャキリと背筋を正した。そして春子達は身分証の提示すら求めず、あっさりと街の中へと通される。
ファルディンを見送る兵士たちの目が、キラキラと輝いていた気がする。
「さすが、神殿騎士が一緒だと楽だなぁ」
「すごい、あっさり……」
「この街は、元々マイヤ神殿の門前街のようなものですから。マイヤ神殿の力がかなり強いのです」
少し苦笑しながら説明したファルディンは、街の奥に建つ大きな建物を指す。
「あれが、マイヤ神殿です」
「わぁ……。すごい」
高台に建つ神殿は、街の入り口からも良く見えた。
神殿、というと春子としてはつい古代ギリシャの神殿を思い浮かべていたのだが、ここのマイヤ神殿はいくつもの尖塔を持った建物だった。元の世界でいうと、ゴシック建築の大聖堂みたいな形だろうか。
灰白色のその建物は、荘厳で、美しい。
「旅でお疲れと思いますが、このまま神殿に向かいます。……申し訳ありませんが、少々、驚かせてしまうと思います」
「え……」
「まぁ、なんとなく想像つくよ」
目を伏せて告げたファルディンに、ネジュは皮肉げに笑う。
やっぱりネジュは、ファルディンにはどこか攻撃的だ。珍しいそんな反応に、春子は首を傾げてネジュを見上げる。
しかし、目が合ったネジュは曖昧に笑うだけで、相変わらず説明はしてくれなかった。
そして辿り着いたマイヤ神殿は、近くで見ると精緻な彫刻が随所に施されており、とても豪奢な建物だった。神殿前の広場に面した礼拝堂は一般にも公開されており、観光の人々で賑わっている。
神殿前広場では様々な食べ物やお土産品を取り扱った出店もあり、色々と見て回ると楽しそうだ。
しかしファルディンはそんな観光客で賑わう場所には寄らず、裏手の方へと進んでいく。一般公開していない、神殿の奥は関係者の修行と生活の場だという。
裏手にはこぢんまりとした門があり、ファルディンと同じ鎧姿の騎士が警備に立っていた。ファルディンは警備の騎士に軽く挨拶すると、振り返って春子に対して丁寧な礼をする。
「ハルコ様、ここまで大変ご苦労をお掛け致しました。マイヤ神殿へ、ようこそお出でくださいました」
「え……」
「さぁ、お手をどうぞ。ご案内致します」
初対面の時以上のレベルでキラッキラした笑顔を張り付けたファルディンが、春子へと手を差し伸べる。これが、驚かせると言っていたことだろうか。
一緒に旅をしていた時とのギャップに戸惑い、ネジュを見上げると、苦笑しながらファルディンの手を取るように促される。
「春子さん、手を取って」
「う……はい」
「それでは、参りましょう」
春子が差し出した右手を恭しく取り、ファルディンが進んでいく。先程までファルディンが手綱を持っていたフーディーは、門番に預けられたようだ。
そして入った神殿の敷地内には、表の礼拝堂程は華美ではないが、随所に彫刻が刻まれた立派な建物が並んでいる。ファルディンの説明では、この建物は騎士や神官の宿所だという。
広大な神殿の敷地内を進んでいると沢山の騎士や神官ともすれ違うが、その全ての人に恭しく礼をされ、とても居心地が悪い。しかも案内をしてくれるファルディンも常に麗しい笑みを浮かべており、最早気持ち悪い。
そうして辿り着いたのは、ひと際豪奢な彫刻が施された大きな扉の部屋だった。飴色の艶が美しい扉の前には一人の騎士が警備のために立っており、恐らく偉い人の部屋だろう。
不安、というよりも嫌な予感がひしひしとして、春子は少し顔を顰めた。
「グディアム助祭、異邦人のハルコ様をお連れしました」
「入るが良い」
朗々としたファルディンの声に返されるのは、少々高めの男性の声だ。尊大な物言いが、春子の嫌な予感を増大させる。
警備の騎士が開けた扉を通り、入った部屋は広く、派手な調度品に囲まれていた。
今まで通って来た廊下や神殿の外観は豪奢ではあったが、品があり、荘厳であった。しかしこの部屋は、派手さばかりが目立ち、どうにも品がない。
眉間に皺が寄りそうになるのを堪え、部屋の主へと視線を向ける。
「ようこそお出でくださいました。わたくしは、本神殿の助祭をしております、グディアムと申します」
「はじめまして、春子です」
大きな執務机から歩み寄る小太りの男は、刺繍が沢山入った豪奢な白いローブを身に纏っていた。ここに来るまでに会った神官たちが来ていた服は、こんなに刺繍は入っていなかった。
この部屋の様子も含め、露骨に権力を感じる。
ファルディンがこんな男の部下らしいことに驚きつつ、苦労して笑顔を作る。そして差し出された手を取ると、指先に口付けを落とされた。
「っ……」
「お疲れでしょうから、どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます……」
思わず漏れかけた悲鳴を飲み込み、グディアムに勧められるままソファーへと腰掛けた。そして向かいのソファーに座ったグディアムは、春子の背後に立ったネジュをちらりと見ると、怪訝そうにファルディンへ問い掛ける。
「そちらの男性は?」
「ハルコ様を保護されていた、ネジュ殿です。ハルコ様がお一人で旅をするのは不安だ、とのことでしたので同行をお願いしました」
「どうも」
「それはそれは……。わざわざご苦労です」
にこやかなファルディンの説明に、グディアムは少し不快そうに呟いた。
春子としてはファルディンの説明には少し疑問があったのだが、それを口にするのは危険だろう。春子の希望ということにしないと、すぐさまネジュが追い返されそうな気がした。
「さて、ハルコ様。改めて、マイヤ神殿へようこそお出でくださいました。王都への旅の途中ではありますが、本神殿にてしばしお疲れを癒してください」
「えっと、ありがとうございます?」
ミランの街以降の行程を知らなかったのでちらりとファルディンを見上げると、麗しい笑顔を向けられた。
「ご説明をしておらず、申し訳ありません。準備と疲れを癒して頂くため、ミランの街の出発は、3日後を予定しております」
「そう、なんですか」
「ええ。この後お部屋にもご案内させて頂きます」
「わたくしはハルコ様の後見人となる予定ですので、気になることがありましたら、気兼ねなく仰ってください」
「え、後見人……?」
後見人という言葉に驚けば、にこにこと笑ってグディアムが頷く。
「はい。異邦人登録をしても、何かとお困りになることがあるでしょう。わたくしはこのミランの街のマイヤ神殿助祭ですから、ハルコ様のお役に立てるでしょう」
「そう……ですか。ありがとうございます」
ミランの街のマイヤ神殿助祭、というのがどれ程偉いのか分からない。以前に聞いたところによるとミランの街の神殿はかなり古くからあり、マイヤ神殿内でも伝統、という点からは重視されている場所らしい。
とはいえあくまでも伝統的な拠点、というだけであり、権力面で言えば微妙なのではないだろうか。
春子は曖昧な笑みを浮かべ、とりあえず頷いておく。
その後はしばらくグディアムの話に付き合い、このおっさん面倒、という思いが隠し切れなくなった頃、春子達は開放された。旅による肉体的疲労に加え、精神的な疲労も大幅に追加され、若干ふらふらだった。
グディアムの執務室から出たあと、行き先は分からないままファルディンについて行く。そして辿り着いたのは、これまた大きな扉の部屋だった。
廊下に面した扉の先には小さな部屋があり、そこには女性の神官が控えていた。そしてその部屋の先の扉を開ければ、広いが落ち着いた内装の部屋だった。
淡い色の草花模様の壁紙とレースのカーテンは可愛らしいが、照明や調度品は飴色の落ち着いたもので揃えられている。壁紙と同じような草花模様の生地を使ったソファーや奥の方に見えるベッドは大きく、上等な部屋であることは一目瞭然だ。
「ハルコ様はこちらの部屋をお使いください。お世話の者が控えの間に常に居りますので、何かありましたらお声かけください」
「え……」
「ネジュ殿は、こちらになります」
この広い部屋を割り当てられ、しかもお世話係が常駐するなんて、普通の扱いじゃない。グディアムのおかげで明確になった嫌な予感に、大きくため息を吐く。
そして控えの間にいた女性神官に教えてもらい、ネジュの部屋へ行く。
「わ……。ここまで格差つけるんだ」
「春子さん。まぁ、僕はおまけだからね」
「それにしても、ね。グディアムさんの態度があからさまだったけど、これはなぁ……」
ネジュの部屋は春子の部屋と同じ階にはあるが、かなり離れた場所で、広さも格段に狭かった。壁紙や調度品には装飾もなく、そもそもベッドと木のテーブルとイスしかない。
春子の部屋は賓客用の部屋であり、ネジュの部屋は一般の神官用の部屋ではないだろうか。
これからの旅を思い、深くため息を吐くのだった。