治癒
テスト目前に加え提出物の期限が迫る中、何故か本日も更新です!
シモンズ神官に連れられて入ったのはさっきまで見ていた怪我とは比べ物にならないほどの、生きていることが不思議なくらいの重症を負った人たちの病室であった。
そんな病室をぐるりと見渡して、手に持っていた燭台に灯りを灯す。
シモンズ神官の手元がぼんやりと明るくなって悲惨な現実をよりまじまじと見ることができた。
「一部の患者はここを“最前線”と揶揄しています。死に1番近い部屋だと。」
他の病室と違い扉を閉ざされたこの部屋を、部屋の前に薄く漂う靄を見てわかってはいた。
その部屋の患者は傷が酷いだけでない、傷から瘴気を発していた。
身体がこの土地の空気や土と同化し瘴気を発するようになる。
つまりそれだけ生けるものから無機物に近づいているのだ。
他の患者と一緒にしておけないためこの病室にまとめられているのだろう。
心身ともに健康な神官でもなければ体調を崩してしまうだろうと思われるほどの濃い瘴気に包まれていた。
「ここの患者は私が一回でも治癒を行わない日があれば死んでしまうでしょう。ギリギリのラインを保っているだけです。」
ですが、とシモンズ神官は熱を帯びた瞳で私を見つめる。
いつもと同じように静かに話しているのに言葉には深い深い渇望が籠められていた。
「もう一人でも神官さえいれば、少しずつでも生命を助けることができる。私がそう夢想しない日はありませんでした。」
目の前に横たわる男性を見つめる。
腹部に巻かれた包帯が痛々しく映る。
血で汚れていないのはシモンズ神官の甲斐甲斐しい看病のおかげだろう。
顔色が蒼白で呼吸が荒い。
肌に触れてみると大量に汗をかいているのに冷たかった。
腕には何のためなのかはよくわからないが壁にかけられた袋から管が繋がっている。
今まで自分の役目だからと、研鑽することはあった。
だが、治癒をかけ続け人の命を助ける行為だという実感が沸かずにいた。
今私は私の力がなければ喪われてしまう、弱々しい生命の灯火を前にして初めて武者震いを経験した。
「やり、ます。…治癒」
私が不安そうな素振りを見せれば患者は私のことを信用出来なくなってしまう。
司祭様にいつも言われたことだ。
しかし、真っ直ぐに発したつもりの言葉は震えてしまっていた。
普段、口癖のように唱えているたった一言がとてつもなく重かった。
だが、有り難いことにそんな私の緊張を反映することはなく、手が淡く光るといつも通りとろりとした金の光が私の掌から溢れ、患者の体に染み渡っていった。
すうっと光が収まる頃には患者の呼吸が段々と落ち着き、眉間に刻まれたままだった皺が解れる。
「…ゥう、あ…。痛く…ない。ここは、俺は何を…?」
「目が覚めたのですね。ここは野戦病院です。気分はどうですか?」
「特には…いや、なんかふらふらするな…」
「あなたは大量に出血していらっしゃったので血が足りないのでしょう。生命の危機は脱しましたが安静にしてゆっくりと元の力を取り戻していきましょうね。」
「あ、あぁ、わかった。」
シモンズ神官は慈愛の籠もった笑みを浮かべ、患者に優しく上掛けを掛け直す。
その姿は聖職者の鑑というに相応しく神々しさまで感じられるようだった。
「あぁ、ハーゲンさんですか。A1ベッドの患者を大部屋へお願いします。…さて、中々の聖気量のようですね。流石は辺境の出です。」
シモンズ神官は患者が眠りについたのを確認すると壁に掛けられた伝声管を手に取りハーゲンさんへ指示を出した。
さて、とくるりとこちらを向き、ぱちぱちと乾いた拍手を送る。
全く褒められている気がしない。
笑顔のままではあるのだが患者に向けていた慈愛溢れるものではなく、あ、怒られるなこれ。となんとなく察することのできるものだった。
「ですがただ垂れ流して全身に行き届かせることで治癒させるなど効率が悪すぎます。そんなバーサーカーのような力技で全て乗り切ろうなどと脳筋の考えです。今すぐに捨ててしまいなさい。」
「はい、シモンズ神官…」
笑顔が真っ黒にみえてきた。
「貴女も身体の構造くらい習ったでしょう。治癒とはまずはどこが悪いのか少し聖気を流して調べ、悪くなっているところを元の形に戻すことを想像しながらかけるものです。工程がなんのためにあると思っているのですか。力を!節約する!ためですよ!」
シモンズ神官のお説法がヒートアップしてしまった。
あと少し力があればとずっと悔やんでいた為かとてもしつこい。
「まったく…ほら、手を貸しなさい。これからしばらくは手伝って頂く予定なのです。盗める技術は盗んでいくといい。」
シモンズ神官は私の手を取り、息を深く吐く。
次第に身体が淡い緑に輝くと触れた指先を伝って私の身体に溶け込んできた。
ほのかにミントが香り、指先から身体中をくまなくすーっと洗い流されるような清涼感を感じた。
「これが精査です。」
聖気が身体を流れることがこれ程に気持ちの良いものだとは。
「私は小川のせせらぎをイメージして、血管に聖気を流すことで滞っている部分を探ります。イメージは人それぞれですので自分で試してみるといいでしょう。」
「は、はい…」
小川のせせらぎ………駄目だ、うまく行かない。
これでは嵐のあとの濁流である。
また一人患者が全快した。
シモンズ神官も苦笑している。
「一朝一夕で上手く行くとは思っていません。焦らずに日々の鍛錬を繰り返しましょう。それにこれ程に力があるのであれば思い切り洗い流されるのも気持ちいいものだと知りました。貴女の長所ですよ。」
…そうか。
治癒を覚えるときだって制御がうまく行かなくてずっと練習したんだ。
これからは立て続けに治癒を使い続け、いつ魔物に襲われないか戦々恐々としながら眠りにつく日々も徐々に終わるのだろう。
ゆっくりと、やっていこう。
「それに、力が有り余っているようですしひとまずはこの部屋の患者を全快させるまで練習しましょうね。」
にっこりと微笑むシモンズ神官の笑顔が真っ黒なものに変わった…
あぁ、今夜はぐっすりと眠れそうだなぁ…
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「全快と言ったはずです。身体に瘴気が残っていますよ。」
「おや、この程度の古傷も直せないのですか?一度繊維を解きほぐすように力を込めてみなさい。…違いますね。やり直しなさい。」
「おやおや、擦過傷が残っていますねぇ。全快という言葉の意味をご存知ないですか?」
「小石が入ったまま傷を閉じたのですか?手抜きにも程がありますよ。」
わかっている。私が至らないのが悪い。
でもシモンズ神官は小姑に向いていると思う。
いつか絶対完璧な治癒を披露して唖然とさせてやる。
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後日全快したA病室の患者たちは
「身体が20代の頃のように軽い!」
「30年前にやられた古傷がなくなっている!」
「入れ墨が消えた!」
など大騒ぎして他の病室の患者を仰天させた。
その姿を見て私は自分が神官で良かった、と今までに感じたことの無い程に充足感を覚えるのだった。
私の単位の行方や如何に……
次回「落単からの留年コース」
お楽しみに!(楽しくない)