目覚め
ここからが本編…いや、前段階なのかなぁ?
なんか寝ぼけたこと言ってますね
6年ぶりに見ると恥ずかしくて仕方ないですわ。
戦いは、魔王は、みんなはどうなったんだろう
ふとそんな思いが頭をよぎる。
頭をよぎる…?
私は何をしている…?
慌てて眼を開く。
身を起こした途端、全身に痛みが走りベッドに倒れこんだ。
どうにか叫びそうになるのを息を止めて押し殺し、ぼんやりとした視界に目を凝らす。
だんだんと視界がクリアになり見えたのは、やけに白い天井と窓辺に置かれた花瓶だった。
ネモフィリスの愛らしい紫色の小さい花が活けられている。
この花は穢れた大地でしか花をつけない。
戦場からはそう遠くないところなのだろうか。
起き上がろうとするが上手く力が入らず、上掛けを床に落としてしまった。
そこに丁度リネンを持った神官が通りがかり、やや驚いた表情で近寄ってくる。
「おや、目を覚まされましたか。ご自分の名前は言えますか?」
「…ッ、ァァ…」
「あぁ、声が出ないようですね。失礼しました。こちらをどうぞ。」
テーブルに置かれていた吸いのみを口に当てられる。
カラカラに乾いた口に、ゆっくりと水が流れ込んでくる。
乾ききった喉が少しずつ湿っていく。
ただのぬるくなった水がまるで甘露のように甘い。
飲んでも飲んでも喉の渇きが癒やされずあっという間に吸いのみは空になった。
ある程度乾きが満たされたことで落ち着いた。
だがしかし、私はなぜここにいるのか。
「ここ、は…?」
「ここは野営病院です。あなたは戦地で倒れていたところを衛生兵に回収され、ここへ運ばれたのです。記憶にございませんか?」
思い出そうとすると頭が鈍く痛む。
脂汗が滲み出てきた。
「…ッ、わか、らない。みんなは…どうなったんですか。」
そうだ。カルヴァンは、ディリィは、アスターは、
無事、なんだろうか。
「ここに運び込まれた者ならリストがあります。ご自身のお名前と所属部隊は言えますか?」
「わたしは、アリス、です。所属…は」
第何部隊だとか誰の配下だとか聞いたことがない…
強いて言うならば神殿直属だが…
「勇者の、パーティーで……神官を、やっていました。」
人に聖女だと名乗るのは未だに恥ずかしいものがある。
これを聞いたときの人々の反応はだいたい2パターンに分かれる。
私としてはいきなり『聖女様』と崇められるのも
こんなチンケなのが聖女かと値踏みされるのもどちらもごめんであったが。
まぁ慣れたものである。
しかし、それを聞いた神官の反応は今までのどちらとも異なるものだった。神官は少し困ったように眉をひそめると
「真面目に答えてください」
と、まるで私がふざけて聖女を騙ったというかのような反応を示したのだ。
確かに私は若輩者だしキラキラ輝く神秘的なオーラも神聖な金の髪も持っていないし吟遊詩人が唄うような美人でもない。
田舎から出てきたばかりの村娘感に溢れていることも自覚している。
しかし聖女や勇者を騙るのは重罪であるというのに。
今までにそんな不届き者と出会ったことでもあるのだろうか。
「真面目に答えてます。私が聖女アリスです。」
少し悲観的な思考になってしまったが私が聖女であることは純然たる事実である。
姿勢を正し、胸を張ってこたえる。
神官は私の目をじっと見つめるとふと目を伏せた。
一片の迷いもなく澄み切った瞳を見て
嘘ではないことを理解したのだろう。
きっと。
しばしの沈黙のあと神官は口を開く。
「…可哀想に、よほど悲惨な光景を見て頭がそれを拒否してしまったのでしょう。」
理解はしてもらえなかった様子。
「なにを言っているのですか、」
「勇者様御一行は未だ魔王城にて交戦中です。そして聖女様のお名前はクリシュナ様ですから…」
服装を見るに神官をやっていたことは間違いないだろうが部隊で数少ない女性であるうえに聖職者であることから聖女と崇められた影響だろうかなどと的外れなことを言う神官の言が耳を抜けていく。
なんで、聖女は私なのに
アリスは愕然としていた。
お前が聖女だなんてと嗤われるのには慣れている。
1年という短い期間ではある
それでも何度もみんなと
命を失いそうになりながらも
戦い続けた日々が
私の、ものでは、ない
そう否定されるのは
違う
あってはならない侮辱である。
世界を救うために奔走した今までが全て幻であったと言われるのは
アリスに怒りを呼び起こすとともに
ふと、自分などが聖女であるわけでないと
これは夢なのだと
たまに頭をよぎる恐怖を思い起こさせた。
「聖女は、私、アリスです。」
震える声でもう一度。
歯を食いしばり、怒りをこらえ神官に訴えた。
神官はもはや可哀想なものを見るように
アリスを見つめるだけだった。
「記憶の混濁もあるようですし、クロード卿に診てもらいましょう。あなたは運がいい。本来聖国の本神殿にしかいらっしゃらない枢機卿が視察でいらっしゃっているのです。」
どうしても信じてはもらえないようだ。
聖女である自身の言を信じないばかりか
聞いたことのない女を聖女と崇める神官を
腹立たしく思っていたが
ゲイル様がここにいらっしゃる。
アリスはその一言を聞いて
希望の光が差し込んだように感じた。
ゲイル·クロードはアリスが雪深い山奥で
年老いた山守のお爺と暮らしていたあの日。
神託を受けて聖女アリスを迎えにきた神官である。
都会の人間らしくらしく洒脱ではあるが
人当たりの良い中年男性だ。
この神官の態度はアリスの常識ではあってはならないものである。
もしかしたらこの基地は丸ごと
夢魔の術にかけられているのかもしれない。
純粋な戦闘力に欠けるがあれは厄介な魔物だ。
だが、ゲイル様なら、ゲイル様が現状を知ったのなら恐らくどうにかしてくれるはずだ。
彼はこの世界で1、2を争うほど
神聖術に長けた方なのだから。
「ゲイル様に、会わせてください。」
「ゲイル様だなどと恐れ多い…あなたの師事した神官はあまり常識を教えてくれなかったようだ。
いや、その若さであれば時間がなかったのか。
まだお若いようですからね。さもありなん。」
結局その神官はクロード卿と呼ぶまで
ゲイル様を呼びに行ってはくれなかった。
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天井の模様を数えていると声が聞こえてきた。
「聖女様を名乗る意識が不明瞭な患者はこちらです。」
段々と重くなってきていた瞼は瞬時に開かれた。
「ゲイル様!!私です!アリスです!」
ゲイル様は私を見て目を見開く。
大丈夫。私を覚えていらっしゃる!
「あれほどクロード卿と教えたのに…!
申し訳ございません。
意識が未だ混濁している模様です。
ご容赦ください。」
「いや、構わんよ…知り合いだ。」
聖女と断言してくれないのには
神官の無礼を窘めないのには
きっと訳があるのだろう。
精神を病んだ患者は自分の世界が否定されると
激高して襲いかかってくることがあると聞く。
まぁ、あの神官は私の妄想だときっぱり言ってくれたが…
「少し…二人きりにしてくれるかね。」
「は、しかし…」
「こんな弱りきった女性にやられるほど腕は鈍ってないよ。」
「いえ!そんなつもりは…では、失礼します。」
納得のいかなさそうな表情ではあったが
深く一礼して神官が出ていった。
その瞬間アリスはパァっと顔を輝かせ
窮地に颯爽と現れた恩人に向き直る。
聖女として旅に出るまで師事させていただいた
大恩のある相手なのだ。
尊敬と嬉しさの入り混じった顔でゲイルに語りかけた。
「ゲイル様…!」
「あぁ、わかっているよアリス。たくさん辛い思いをさせたね。」
「いいのです…私は…それよりどうなっているのでしょうか。あの無礼な神官は私でなくクリシュナという者を聖女だと…」
なにか戦場で人気のある女性神官のことを聖女と呼んでいるのでしょうか。
冗談めかしてそう続けようとした。
私を労るように微笑んでくださっていたゲイル様が困ったような、泣きそうな顔をしている。
言葉は喉に突っかかって出てこなかった。
「すまないね、君はもうお役御免なんだよ。」
ヒュッと喉が鳴った音は誰のものか。