ぐるぐる魂
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、ようやくかい、待ちくたびれちゃったよ。そちらから依頼をしておいて、いざ当日になったら遅れてくるとは、ちと失礼じゃないかい?
ああ、いらない、いらない。詫びなんかいらない。世の中、情状酌量の余地があるとかいうけど、やっちゃったことは戻らないからね。
君に頭を下げさせても、僕が気持ちよくなるかどうかに過ぎない。そんなもん、世界的に見たら何の役に立つっていうんだ? それより、一人でも多くの人の命の輝きにつながるために動くべきだよ。君の執筆もしかり。
そんじゃ早速、実益の話に入ろうか。この体験、まとめるのに時間がかかってしまってね。
用意はできたかい? それじゃ話すよ。
私がかつて住んでいたところでは、子供に関して、ある言い伝えが残っている。
子供の魂は、まだこの世にやってきてから日が浅く、完全になじんでいない。だから何かの拍子で、この世界に生まれる前の場所へ戻ってしまうのだろう、というものだ。
「お七夜」でもよく知られる、幼子は神様のものという概念だね。だから子供をしつける時に、「いい子にしないと、悪い神様が迎えに来ちゃうよ」と脅されたものだ。
それが浸透したのか、子供たちの間でも「この世界に溶け込めるよう、日頃からいい子にしていよう! 気をつけよう!」と声高に告げる者がちらほら。
――そんなこといったって、具体的にどうするのさ。ただ親のいうことを聞いていればいいだけだろ?
私は内心、小馬鹿にしながら日々を過ごしていたんだ。実際に体験するようになるまでは。
小学校の授業が思いがけず、早くに終わったその日。私は友達のひとりから、秘密基地ごっこを提案された。あの「いい子になろう」説の、熱心なシンパでもある。
これまで秘密基地だったら何カ所か作ってきた覚えがあるし、てっきり私は、その中のどれかを選んで遊び場にするものだと思っていたんだよ。
ところが、友達の足はどんどん学区から遠ざかり、それについていく私は、道すがら目的地候補より外れていく、秘密基地たちを数えていった。そしてついに最後のひとつの脇を通り過ぎ、学区からも出てしまった友達。ここまで一度も振り返らないその姿勢をいぶかしんで、私は「どこに向かうの?」と尋ねてみたけれど、友達は「もうちょっと。もうちょっとだから」と口にするばかり。
新しい場所を発掘したにしても、これまでの秘密基地作りからして、双方の家の間や、ほぼ同じ距離を空ける場所と相場が決まっていた。しかしそれは、いずれも学区内の話。
――これ以上、遠く離れてしまったら、帰り道が分かるかなあ?
友達だからと気を抜き、とことんついてきてしまったけれど、最後の秘密基地を越えてからそれなりに歩いている。悪いけど、遊ぶのはやめにして帰らせてもらおうと声をあげかけたところで、不意に友達が目前の十字路を左折したんだ。
ブロック塀が成す、背の高い壁。そこから顔をのぞかせた時、私は息を呑んだんだ。
理容店の前によく置かれている、サインポール。君も知っているよね? あの青、赤、白のトリコロールカラーの縞模様が、くるくると回り続けるあれだ。
それが、目の前にたくさん立っている。それぞれ道の両端で、等間隔を保ちながら延々と列が続いていた。ただし、理髪店と違うのは、それらが機械ではなく、人間の子供の手によるものだったということ。
そう、柱の一本一本を、人間がその場で自転することで形成していたんだ。頭のてっぺんからつま先に至るまで、例の三色の帯、右へ行くに従って上へとのぼっていくようにペイントされていた。背丈こそ低いものの、彼らが右巻きにその場で回転する様を見ていると、確かにサインポールの見ているのと変わりない、奇天烈な印象を受けたよ。
――こいつら、頭がおかしい。
背筋にぞわぞわと、虫が這い上がってくるような嫌悪感を覚えつつ、友達はどこだと私は周囲に視線を散らす。
ほどなく友達は見つかった。道の右端の最前列、私のほぼ真横をまっすぐ進んだところで、やはりくるくると回り始めている。他の連中と違ってペイントは施されていないが、それが文字通りの異彩を放っている。
「くるくるう、くるくるう。洗濯だ、洗濯だ。僕らの魂、洗濯だ。回って回って、ようくこねて。この世にくっつけ、僕らの命」
そんな歌詞で、友達を含めたその場の子供たちが、一斉に歌い始めたんだ。回ることをやめないままにね。
もう、反射的にその場から逃げ出していたね。元来た道を、懸命にひた走った……つもりだったんだ。だが、目前に広がる景色は、明らかに高台。僕たちがいつも通っている学校の、グラウンド全体がはっきりと見下ろせる、高い位置にあったんだ。
信じられなかった。友達の背中を追いながらとはいえ、坂道を上がった記憶は一切ない。こんなに高い場所まで登って気がつかないなんて……。
坂道をひた走っていた私は、その途中で思いっきりすっころんだ。
石とかにつまづいたわけじゃない。足をつけることができると思った、一歩先の地面。そこがいきなり消え失せて、階段に化けたんだ。
あらかじめ測り、身体が備えていた足下の距離感。それを外されたら、もう崩れるしかない。私はそのままごろごろと段を転げ落ち、体中を次々と打ちのめしてくる痛みにあえぐ。
――友達について行った時には、階段なんて一段だりとも上がってなんかない。どうして、こんなことに……
身体の痛みを呪い始めたところで、回転は唐突に終わる。私は平らなアスファルトの上に叩きつけられながら、周囲を見渡す。
驚くべきことに、そこは先ほどまで友達と居た場所と、学校をはさんで正反対の地点。私の下校途中の道にある、一台の自動販売機の足下だったんだ。
何がどうなっているのか、分からなかった。私は体中の擦った場所を確かめながら、支えを求めてつい、近くの自動販売機へ手をかけてしまう。
触れた感触は一瞬だけ。それがすぐにすり抜けて、体重を預けかけていた私は、そのまま横倒しに。再び接した地面は、もう自動販売機がたたずんでいた場所の、舗装された歩道じゃなかった。
砂と、それにふんだんに混じり合った小石たち……学校のグラウンドのものだったんだ。私は学校の敷地の中へ移動していた、はずなんだ。
どうして「はず」なのか。だって、授業が遅いコマまである生徒、および先生方はまだ校舎内にいる時間帯のはず。そうでなくても、すぐには帰らない生徒たちが、グラウンド隅に置かれたバスケットゴールなどで、遊んでいるのが日の常だった。
その気配が、一切ない。私の居る場所は校舎の西端近くで、ここには理科室を初めとする、特殊な教室が揃っている並び。そこの廊下といえば、いつの時間帯も、人通りがそれなりに見受けられるものだったのに、今は動く影などひとつも見えなかった。
もう私は、一歩も動きたくなくなってしまう。
どうせ私が触れようとしたものは、次の瞬間には消え去って別のものとなり、身体を痛めつけるものに変わってしまう。ならば、このままとどまって、状況がどうにかなるのを待った方がいい……。
だが、その状況は、いささかも私を停滞させないものだった。グラウンドの向こうから何かが弾む音がして、私はそちらを見やる。
バレーボールが、グラウンドの東端からこちらへ転がってくるんだ。引き続き、周囲に人の気配はないにも関わらずだ。
ぐんぐん近くに、ぐんぐん大きくなるバレーボール。すさまじい速さで迫ってくるそれは、人が思いきり投げても、果たして実現できるかどうか。
――きっと、触ったらまずいんだろうな。
私が禁を破って身をかわそうとすると、ボールは更に不自然に速度を増してきて……。
また景色が一変。私は通学路途中にある横断歩道。そこに立ち入る一歩手前で、しりもちをついていたんだ。先ほどまでボールだったものは、白いセダンに姿を変え、間一髪轢かれるところだった私にクラクションを鳴らす。しかし、それも形だけで、決して減速することなく、がら空きだった道路をまっすぐに走りすぎていってしまったんだ。
――あれ、でもさっきまで誰もいなかったところに車がいるってことは……?
私がふと周りを見やると、久しく聞いていなかったざわつきが聞こえてくる。そこは、通行人の皆さんが、腰を抜かしたような姿勢の私を横目で見やりながら、歩き去って行く気配に満ちていたんだ。
もう、私は変なところへ移動することなく家へ帰ることができたが、あの人間サインポールの光景と、その後の体験はあまりに強烈すぎた。その日はまともに眠れず、学校でもついうとうとしちゃったよ。
あの友達は平然とクラスにやってきたけど、近寄る気にはなれなかった。ただ偶然、トイレのタイミングが重なった時、私に尋ねてきたんだよ。「どうして魂の洗濯をしなかったの? 下手したら、これから先、生きていけないよ?」と。
あの体験の末、車に轢かれ掛けた私からしたら、鼻で笑うことのできない言葉。でも、あんな人間サインポールの真似なんか、絶対に嫌だったよ。そして、放っておいた有様がこうさ。
君と直接会うことができない僻地へ身を置き、メールによってやりとりするしかない、この身体。あれからも私は、あるはずのものに触れられず、居るはずのない場所へいることがあり、日常生活をまともに送ることができない。動かずにパソコンを打つことくらいが、せいぜいさ。
当初の私は瞬間移動だと思っていたんだが、歳を重ねた今では、むしろ私の認識がおかしくなっていたんだと考え始めた。
友達のいう魂の洗濯。あれに参加しなかったために、私はこの世のあらゆるものを、正しく認知できなくなってしまったのかもしれない。