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優しい嘘

 トシヤの喉はカラカラで手はじっとりと汗ばんでいる。だがコレは暑さのせいでは無く、極度の緊張によるものだ。そう、トシヤは腹を決めたのだ。今、この場でハルカに『好きだ』と言おうと。

 トシヤはボトルのスポーツドリンクを喉に流し込むと口を開いた。


「ハルカちゃ……」


 その時、無粋な声が割って入った。


「着いたああぁぁぁぁぁ」


 言うまでも無いだろう、マサオの声だ。残念ながらタイムアップ、マサオのプリンスとルナのエモンダが駐車場に到着したのだ。

 駐車場に入るなりマサオはフラフラとプリンスから降り、ハンドルを片手で支えながら丁度良い感じの大きな石に座り込んだ。


「あら、ハルカちゃん、パンク?」


 ヘタり込んだマサオとは対照的に涼しい顔のルナはひっくり返されたハルカのエモンダとトシヤとハルカの汚れが落としきれていない手を見て尋ねた。するとハルカはバツが悪そうに答えた。


「うん、何か拾っちゃったみたい。もう修理は終わってるから」


「へえ、ハルカちゃん、パンク修理出来るんだ」


 ハルカの言葉を聞き、マサオが死にそうな顔でボソッと言った。どうやらマサオはハルカがそんな事を出来るとは思っていなかった様だ。


「何言ってるの、これぐらい出来なくてどうするのよ! 些細なトラブルは自分で何とかするのがローディーってモノでしょ? ううん、パンクなんてトラブルのうちに入らないわよ」


 平然と言い放ったハルカにマサオは言葉を失った。


 もちろんマサオも一応パンク修理のキットは積んではいる。だが幸いにもソレを使う状況には陥っていない。もし、出先でパンクして手際良く作業を行えるかどうかは疑問だ。


「まあまあハルカちゃん。こればっかりは実際経験してみない事にはね。それにトラブルに見舞われないのが一番なんだから」


 ルナがマサオを養護する様に言うが、トシヤはマサオに強く言った。


「いや、出先でパンクする前に家で練習しといた方が良いぞ、タイヤ外すのって意外と大変だからな。それにこのクソ暑い中のポンピングは地獄だぞ」


「ごめんなさい……」


 するとマサオでは無くハルカが小さな声を発した。そう、トシヤの「地獄だぞ」という言葉に反応したのだ。


「いや、ハルカちゃん、そんなつもりじゃ……」


 しゅんとしてしまったハルカにトシヤは焦った。ほんの数分前までは凄く良い雰囲気だったのに。マサオが上って来るのがもう少し遅ければ、いや、トシヤがあと数秒早く腹を決めていれば気持ちをしっかりと伝える事が出来たのに……

 だが、全て後の祭りだ。今となってはしゅんとしてしまったハルカを慰めるしか無い。


「ほら、『地獄』ってのはモノの例えでさ、それぐらいしんどいってだけなんから」


 トシヤは頑張って言い繕おうとするが、まったく慰めになっていない。それどころか『しんどい』と強調している様なモノだ。ハルカの顔が益々暗くなった。


「そもそも俺が勝手にやった事なんだから」


 そう、ハルカが自分で空気を入れようとしたのをトシヤがポンプを奪い取ったのだ。遥かに罪は無い。


「それにハルカちゃんの……」


 必死に口を動かすトシヤが言葉を飲み込んだ。口から出かけた言葉はこうだ。


 ――ハルカちゃんの為だったらアレぐらいどうってこと無いよ――


 だが、マサオとルナの手前それを口に出すのはあまりにも恥ずかしい。そこでトシヤはとっさに違う言葉を口に出した。


「ハルカちゃんのせいじゃ無いよ。パンクしたのは運が悪かったんだからさ」


 するとルナが素朴な疑問を口にした。


「でも、ココで修理したんでしょ。ハルカちゃん、ドコでパンクしちゃったの?」


 もちろんルナに悪気は無いが、それは今ハルカに一番聞いてはいけない質問だ。ハルカは泣きそうな顔で答えられずにいるとトシヤが代わって答えた。


「駐車場に入った途端ですよ」


「……え?」


 トシヤの嘘にハルカは驚いた顔をしたが、トシヤは構わず話し続けた。


「駐車場入る時に溝の蓋を横切るでしょ、その瞬間ブシューってね。目の前だったからちょっとビビりましたよ」


 トシヤの言う『溝の蓋』、俗に言う『グレーチング』だ。タイヤの空気圧が低い状態で勢いよくコレを通過するとリム打ちパンクを起こす危険があるが、ヒルクライムに挑むハルカが空気圧の調整を怠るとは考えにくい。だが、ルナは穏やかな声で言った。


「駐車場の出入り口って舗装が荒れて異物が溜まりやすいから気を付けないとね」


 ルナは泣きそうな顔のハルカを見て気付いたのだろう、トシヤがハルカを気遣って嘘を吐いていると。トシヤの優しい嘘でハルカに笑顔が戻った。


 少し休んでマサオが体力を取り戻し、そろそろ下りようかとハルカがひっくり返していたエモンダをヒョイっと元に戻して跨り、右のクリートを嵌めた。その時、エモンダのリアタイヤが大きく潰れたのをトシヤは見逃さなかった。


「ハルカちゃん、ダメだよ。やっぱ空気足んねーわ」


 迷わずハルカを止めたトシヤは自分の携帯ポンプを手に駆け寄ると、ハルカを跨がせたままエモンダのリアタイヤのバルブキャップに手を掛けた。それはもちろん純粋にタイヤに空気を追加しようとしただけだったのだが、計算外のシチュエーションとなってしまった。


 バルブに手を掛けると言う事は当然トシヤはリアタイヤの横に座り込む事になる。そしてハルカがエモンダに跨ったままだと言う事は、トシヤが顔を上げればハルカをローアングルから見上げる形になるのだ。言うまでも無いがハルカが履いているのはピタピタのビブショーツ、しかもビブショーツの下はノーパン(かもしれない)だ。


 トシヤの視界の隅にはハルカの生足(脹ら脛)が見え、時折り吹く風がハルカの汗の匂いを運んで来る。バルブキャップを外し、フレンチバルブの先端のボルトを緩めながらトシヤは顔を上げたいという誘惑と必死に戦った。


「ハルカちゃん、ペダルに体重掛けてみて」


 トシヤの声にハルカがペダルに体重を乗せるとタイヤは僅かばかり潰れるだけとなった。コレなら大丈夫だろう。トシヤはボルトを閉め、バルブキャップを付けると下を向いたまま立ち上がった。


「トシヤ君、ありがとう」


 嬉しそうに言うハルカはトシヤがそんな誘惑と必死に戦っていた事など知らない。もちろんトシヤとしても絶対に知られたく無いだろう。





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