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まだだ。まだ終わりじゃない

 ココまでか? いや、まだだ。項垂れながらもペダルを回し続けるトシヤは二つの事を考えていた。

 先週、いつも前を走っていたハルカが居なくて寂しいと思った事、そして今日はハルカが前を走っているという事を。


「このカーブを抜けたらハルカちゃんが走ってるんだ。だから止まって休むって選択肢は無い!」


 トシヤは前を見ようとした。だが、疲れている為か顔は少ししか上げられない。

 ならば目線だけでも前を向こうとトシヤは上目遣いでカーブを見据えた。


 すると少しだけ呼吸が楽になった気がした。


 トシヤはハルカの背中を意識し過ぎるあまり顎が上がってしまっていたのだ。顎が上がると呼吸は浅くなる。だから今日はいつもより呼吸が苦しく感じたのだろう。

 顎が軽く引けた事に加えて肩を落とした事で脇が締まり、トシヤのフォームが良くなった。と言うか、今日のトシヤは気負いすぎて効率の悪い変なフォームで走っていたのだ。それでは先週より疲れるのも当然だ。


「コレなら行ける!」


 トシヤの顔から焦りが消えた。だからと言ってスピードが劇的に上がるなんて事はあり得ない。しかしほんの少しペースは上がり、サイコンの数字は二桁を示した。そしてカーブを抜けるとハルカの背中は少しだけ近くなっていた。


 なんとかハルカとの距離を詰めたトシヤがほっとして足を緩めると、当然の事ながらサイコンの示す速度は一桁に落ちた。だがそんな事はどうでも良い。速さなどもとより求めていないのだ。ハルカと一緒に渋山峠を上っている、それだけでトシヤは嬉しかった。


 ヘアピンの手前の駐車場が見えた。トシヤがココに来ると思い出すのはハルカとの間接キス騒ぎだ。だが思い出に浸っている場合では無い。まだまだ先は長いのだ。それに現実のハルカが前を走っているのだ、今は思い出の中のハルカに用は無い。

 するとハルカの頭が一瞬左に動いてすぐ前に向き直った。ハルカも駐車場を見たのだろうとは思われるが、それは単にソコで休みたいと思ったのか、或いはトシヤと同じ様に間接キスの事を思い出していたのか……


 駐車場のヘアピンを越えると渋山峠ヒルクライムもいよいよ大詰めだ。それと同時に最後の難所がトシヤに牙を剥く。もっとも第二ヘアピンから駐車場のヘアピンまでの区間も長いし、勾配がキツい所もあるしと難所と言えば難所……言ってしまえば渋山峠自体がトシヤにとっては難所の塊みたいなものなのだが。


 ココまで来れば残すところあと少しだ。そう思うと気分的にはだいぶ楽になる。トシヤは軽快にヘアピンをクリアした……って、無い無い、そんな事。楽になるのは『気分的に』だけで肉体的には疲労が蓄積されて悲鳴を上げているのだ。トシヤはヘロヘロと駐車場のヘアピンをなんとか通過し、ハルカの後を追った。


 ハルカは『休むダンシング』を用いて上っているが、トシヤはずっとシッティングのままだ。時折り腰を上げるハルカの姿に「自分も休むダンシングが出来たら」と思うトシヤだが出来無いモノはどうしようもない。

 トシヤも練習すれば出来る様になるのだろうが、もう少しで足着き無しで上れるところまで来ているのだから一度足着き無しで上りきるのが先決だと思い、ダンシングの練習などしていなかったのだ。だからトシヤはオールシッティングで上るしか無い。何しろ見よう見まねでダンシングの真似事をしたところで足を休めるどころか余計に足が疲れるだけなのだから。


 気力と根性のみでトシヤはペダルを回す。サイコンの示す速度は相変わらず一桁で真っ直ぐ走る事もままならない。マサオの買った『ヒルクライムスペシャリストへの道 ~目指せ山神~』には蛇行すると疲れるから真っ直ぐ走れと書いてあったが真っ直ぐ走りたくても走れない。

 また、ヒルクライムの時のケイデンスは80~90回転が良いとか書いてあったが、回せないものは回せない。多分トシヤのケイデンスは50前後だろう。リアクト400はミッドクランク、インナーローだとフロント36T、リア30Tだ。これでケイデンス80で走ると時速約12キロ、つまり渋山峠が約4キロだから二十分を切るタイムで上れる計算になる。


 既述ではあるが渋山峠ヒルクライムの平均タイムは二十分だ。もちろんコレはネットに自分のタイムを上げる健脚達の平均タイムなので初心者のトシヤどころかハルカやルナでさえもこんなタイムを叩き出す事など不可能だ。


「ハルカちゃん、よくあんなにペダル回せるよな……」


 トシヤが呟いた。トシヤが脚力勝負で必死にペダルを回しているというのにハルカはクルクルと軽快にペダルを回している様に見える。脚力なら女の子のハルカより男子のトシヤの方が強い筈なのに。


「やっぱり俺ってハルカちゃんより脚力無いのか?」


 打ちひしがれるトシヤだが、そんな事は無い。もちろん単純な脚力ならトシヤの方がハルカより遥かに上だ。

実はハルカのエモンダはコンパクトクランクでフロント34T、リアのスプロケットはノーマルでは最大28Tだったのをヒルクライム用に30T、所謂『乙女ギア』(数年前までは28Tでも乙女ギア呼ばわりされていた)を組んでいる。もっともハルカは女の子だし、現在ではリア30Tの完成車も増えつつあるので取り立てて騒ぐ程の事では無いのだが。


 それにもう一つ見逃せないのが『重さ』だ。

ヒルクライムでは重力に抗わなければならないので重ければ不利、小柄でスレンダーなハルカの身体はヒルクライムにおいて強力な武器となる……胸は残念だが。


 更にハルカのエモンダはトレックの誇る軽量モデルだ。アルミのALR5だとは言え車重は9キロを切っている。まあ、ペダルやライト、ボトル等を入れれば9キロを越えるだろうが。

 ともかく低いギア比と軽い重量の相乗効果でスイスイと……まではいかないが着実にハルカは上って行く。


 とは言ってもトシヤのリアクト400もノーマルでは9キロ超だがホイールをレーシング5に交換したので9キロは切っている筈。だから車重はエモンダと然程変わらない。

 違うのはギア比。トシヤは言ってみれば『ギアが足りない』のだ。

とは言ってもギア比を低くしてケイデンスを高くしたところで回してる割にスピードは出ない。だからこそペダルをクルクル回すハルカに脚力勝負でペダルを回すトシヤが着いて行けるのだが、足にかかる負担はトシヤの方が遥かに大きい。だが泣き言を言っている場合では無い。今トシヤがすべき事は、重いペダルをひたすらに回す事のみなのだから。



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