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初めてのダウンヒルは怖かった

「じゃあ、そろそろ下りましょうか」


 展望台で少し談笑した後、ルナがサングラスを掛け、エモンダに跨った。それに続いてハルカもサングラスを掛け、トシヤはリアクトに、マサオはプリンスに跨った。


「峠の下りは初めてよね? 無理に抜こうとしちゃダメよ」


 ルナは滑る様に駐車スペースから峠道へと漕ぎ出した。トシヤは前に峠の上りでゆっくり走るルナとハルカを無茶なペースで追い越した結果、途中で力尽きるという醜態を晒してしまった事を思い出して気を引き締めたが、マサオはせせら笑って軽口を叩いた。


「ふっ、所詮は女の子だな、スピードが怖いと見える。トシヤ、見せてやろうぜ。俺達の豪快な走りをよ!」


 フローラルロードでハイスピードダウンヒル(マサオにとっては)を経験して、妙な自信を持ったのだろう、鼻息が荒いマサオだったが、それを聞き逃さなかったハルカは真剣な目をして忠告した。


「下りを舐めちゃダメよ。まあ、これから身をもって知る事になるでしょうけど。あっ、車間距離はしっかり取っておいてね」


 言い残してハルカがスタートすると、トシヤとマサオも続いてスタートした。


 下り坂なのでペダルを回さなくても速度はどんどん上がっていく。だが、フローラルロードの真っ直ぐな下り坂とは違い、峠道の下りだけあって、ブレーキでスピードを抑えなければカーブを曲がりきれない。


「なるほど。コイツはスリリングだぜ」


 マサオは楽しそうに笑ったが、そんな余裕はすぐに消え去った。峠道の舗装は荒れていて、ギャップや溝があちこちに出来ている。おまけに雨水の排水溝が道を横切っているものだから、タイヤは跳ね、ハンドルは取られる。更にはハンドルがサドルより低いロードバイクでは、前のブレーキだけを強くかけると前輪を軸にして一回転する危険も有る。威勢が良かったマサオがルナとハルカが言った事を理解するのに時間はかからなかった。


「うおっ、怖ぇっ!」


 次々と迫る高速カーブを右へ左へとクリアするトシヤとマサオ。だが、前を走るハルカの背中はどんどん離れていく。だが、ここで無理すればどういう目に遭うか。上りであればスピードはそんなに出ていないので転倒したところで精神的ダメージは大きくても身体と車体の損傷は大したこと無いだろう。しかし、このスピードで転倒すれば大怪我する事間違い無い。何しろサイクルジャージは防御力など皆無に等しいのだから。それに車体も無事では済まないだろう。最悪の場合、フレームにクラックが入って一発廃車という事も考えられる。『危なくない程度に爽快に走れる速度』という基本中の基本を守ってトシヤとマサオは峠道を駆け下りるうちに二人の身体に異変が起こってきた。ブレーキを握る手、ハンドルを抑える腕に力が入らなくなってきたのだ。


「うー、腕パンパンだー」


 トシヤは呻いた。リアクトのブレーキはもちろん『105』だ。しかし、この峠道の下り坂でスピードを抑えるにはトシヤの力ではギリギリだったのだ。


「くそっ、腕しんどい!」


 力がギリギリなのはマサオも同じだった。ただ、プリンスに装着されているブレーキは『105』よりグレードが一つ上の『アルテグラ』なのでトシヤよりは握力は少なくて済む。もっとも二人共、ルナとハルカに離されるという事は、ブレーキの使い過ぎなのは間違い無いのだが。


 ブレーキは、運動エネルギーを熱エネルギーに変換してスピードを落とす装置だ。という事は、ブレーキを多用し過ぎると、熱を持ち過ぎてブレーキの効きが悪くなってくる、所謂『ブレーキがタレる』というヤツだ。だが、そんな事は知らないトシヤとマサオは必死にブレーキを握り、消耗し続けた。


 幾つものカーブを抜け、勾配が緩くなった頃、トシヤは今走っている所に見覚えがある事に気付いた。


「あれっ、ココって……」


 そう、トシヤが上った事のあるポイントまで下りてきたのだった。


「だいぶ下ったよな……って事は、まだまだ峠の制覇には遠いって事か……」


 溜息を吐きながらトシヤは『第一ヘアピン』をクリアした。ここから先は舗装が良くなり、リアクトが暴れる事は無い。トシヤはほっとして快適なダウンヒルを楽しむ余裕が出来た。



「おっそーい!」


 ヒルクライムのスタート地点、つまりダウンヒルの終着点に着いたトシヤとマサオを迎えたのはハルカの

嘲笑う様な声だった。


「ハルカちゃん、ダメよ、そんな事言っちゃ。ダウンヒルは安全が第一なんだからね」


 ハルカを嗜める様にルナが言うが、既にトシヤとマサオのプライドはズタズタだ。ヒルクライムでもダウンヒルでもこの二人には敵わない。トシヤは肩を落としたが、ルナはそんな事はどうでも良いとばかりに笑って言った。


「良い汗かいたわよね。じゃあ、いつものコンビニでも行きましょうか」


 するとマサオが突然元気になり、いきり立ってトシヤを問い詰め出した。


「『いつもの』ぉ!? トシヤ、お前何だよ『いつもの』ってどーゆー事だよ、いつも一緒にコンビニ行ってるってのか?」


 まったくこういう事にはうるさい男だ。トシヤは面倒臭いと思いながらもマサオに解りやすい説明をしてやった。


「この峠を上る者にとっては『いつもの』って事だ。ちなみに今日待ち合わせたコンビニな。一応言っとくが、俺だってルナ先輩とハルカちゃんと一緒に行ったのは一回だけだからな。ってゆーか、ソコでルナ先輩とハルカちゃんに出会ったんだ」


 マサオは不審そうな顔でトシヤの説明を聞いていたが、ようやく納得したのか掌を返す様に笑顔になった。


「そうか、じゃあ早く行こうぜ。喉がカラっからなんだよ」


 言うとマサオは空になったボトルをプラプラと振って見せた。確かにトシヤも喉がカラカラだ。「冷たい飲み物が飲みたい」という気持ちが顔に出ていたのだろう、ルナは「ふふっ」と笑うと走り出した。



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