予想外の再会
峠の入口はそんなにキツく無く、ゆるゆるとながらも何とか進む事が出来たが、距離を増す毎に足と体力は削られ、前を走るマサオが止まってしまった。
「はぁ、はぁ……俺の事は構わず先に行ってくれ」
息も絶え絶えに言うマサオに頷いてトシヤはペダルを回した。もちろん自分も数分後にはマサオの様に止まってしまうんだろうなと考えながら。そしてその時はあっけなく
訪れた。トシヤの足も完全に終わってしまい、ふらふらとリアクトは道の脇に吸い寄せられる様に止まった。
「くっそー、ダメだ……」
ハンドルに突っ伏し、呻くトシヤ。まだ峠は始まったばかりだと言うのにこのザマだ。情けないと思いながら呼吸を整え、足が回復するのを待つ事数分、マサオが必死の形相で追い付き、リアクトの後ろにプリンスを止めた。
「ようトシヤ、休憩か?」
「見りゃ解んだろ。お前こそ、もう大丈夫なのかよ?」
「はっきり言ってダメだ。もう帰りたい」
「そりゃ俺も同じだ。でもな、帰るには、この坂を上んなきゃなんねーんだよ」
「ああ、知ってる。こうなりゃ上るしか無ぇもんな」
軽口と泣き言と覚悟が入り混じった二人の会話。そう、ココを上りきらないと帰れないのだ。もちろん引き返すという選択肢も有るが、今さら引き返す訳にはいかない。と言うか、ここまで来たら引き返す方がしんどいと思われる。
暫く休んだ後、二人はまた上り始めた。時速10キロにも満たないペースで走っては休み、また走り出す。そんな事を何度繰り返した事か。ボトルは空になったが、そのおかげで車体は軽くなった。
そして暫く走った所で緩い右カーブの向こうに短いトンネルの様な物が見えた。確かスマホの地図アプリで見た時に峠道と有料道路が交差するポイントの向こうに展望台が有った。つまり、もうすぐ峠の頂上だ。
「遂に頂上にたどり着いたぞ!」
「やった! 長かったな」
喜び勇んだ二人は最後の力を振り絞り、峠道と有料道路の立体交差をくぐり抜けると、ようやく上り坂は終わり、緩い下り坂となった。ペダルを回す足を止め、惰性で走るとすぐ、右側に駐車スペースらしき広場を見つけた二人は対向車が来ない事を確認し、そこに入ると展望台と言うだけあって、遥か遠くの地平線まで見渡せる絶景が広がっていた。
「凄ぇな、おい」
「俺達、自転車でココまで来たんだよな」
その展望台は車やオートバイでなら、ほんの数分も走れば着ける場所でしか無い。だが、何度も何度も足を止めて休んだとは言え、自分の脚力で上ったのだ。その感動は実際に体験した者にしか解らないだろう。トシヤとマサオが感慨深げに景色を眺めていると、二台のロードバイクが坂を上って来るのが見えた。
「おっ、二台上って来たぜ」
「本当だ。キツそうだな、俺達もあんな感じなのかなぁ」
何度も何度も足を着いた事を棚に上げ、上りきった者の余裕でトシヤとマサオが見守る中、二台のロードバイクは無事に坂を上りきり、駐車スペースへと入って来た。
「ん? アレ、女じゃねぇか?」
マサオが入って来たロードバイクに乗っている二人のうち、前を走る一人のヘルメットから黒く長い髪が伸びている事に気付いた。サングラスをかけているので残念ながら顔はよく解らないが、よく見ると足も細く、胸は紛れもなく女性の大きなバストだ。後ろの一人も胸は小柄ながら肩のラインや細い腕と足から、どう見ても女の子の体つきだ。すると、その二人もトシヤとマサオに気付いた様だ。それと同時にトシヤが急にソワソワし始めた。
「あら、トシヤ君。ココに居るという事は、頑張って上って来たのね」
黒髪の女性がサングラスを外し、トシヤに微笑みかけた。
「はい、ルナ先輩。何回も足着いちゃいましたけど」
「そんなの関係無いわよ。上りきった事に意義が有るんだから。何度も挑戦していれば、そのうち足着き無しで上れる様になるわよ。ねえ、ハルカ」
名前を呼ばれてもう一人の女の子もサングラスを外した。トシヤは近くに来た瞬間、二人が誰なのか解り、ソワソワしていたのだが、マサオは二人の顔を見て驚いた。
「何だお前、やっぱり解ってなかったのか。二人共コンビニで会った時と同じ格好してるじゃねぇか」
呆れた声でトシヤが言うが、マサオからすれば、前に二人と会った時はほんの一言二言しか話せていないのだ。どんなサイクルジャージを着てたかなど覚えている訳が無い。
「いや~、驚いたな。二人共、この坂を上って来たんだ」
誤魔化すかの様にマサオが言うと、ハルカは冷たい目で突き放す様に言った。
「『この坂』って……私達、二本目なんだけど、どこかですれ違ったっけ? すれ違って無いわよね。って事は、あなた達、裏から上ったんでしょ?」
ハルカの言う『裏』とはこの峠道『渋山峠』の東側ルートの事で、トシヤ達の住む町から上る東側よりも距離が短く、勾配も緩やかなルートだ。しかし考えてみれば『同じ標高の場所に行くのに距離が短く、勾配が緩い』という事はスタート地点の標高が高いという事で、そのスタート地点にたどり着くまでにトシヤとマサオが『フローラルロード』を走ってきた事などハルカは全く考えていない。するとルナがそれを見透かした様に言った。
「ねえトシヤ君、今日はどんなルートで走ってたの?」
ルナの質問にトシヤは今日走ったコースを飾ること無く話した。
「ふーん、フローラルロード、結構キツかったでしょ?」
ルナが言うとマサオがドヤ顔で横から割り込んできた。
「ええ。今回のルートは俺が考えたんですけど、まあ少し疲れましたね」
「何が『少し疲れた』よ。どうせ途中で悲愴な顔してたんじゃないの?」
ドヤ顔のマサオにハルカがまるで見ていたかの様な突っ込みを入れた。当たっているだけに反論出来ずにいるマサオにルナが話題を変えるかの様に声をかけた。
「君、この間トシヤ君と一緒に居た子よね。確か、あの日納車だって言ってたっけ」
その瞬間、マサオの目がキラリと輝いた。
「ああ、コレっすよ」
マサオは駐車スペースの隅に寝かせておいたプリンスを引き起こし、ルナとハルカの前に差し出した。
「うわっ、ピナレロじゃない! しかもプリンス!?」
まさか同学年の男子がこんな高いロードバイクに乗ってるなんて! さすがに毒舌のハルカも驚きを隠せずに思わず声を上げた。
「まったく金持ちは羨ましいぜ」
トシヤがハルカに同調すると、ルナは心配そうにマサオに尋ねた。
「トシヤ君の影響でロードバイク買ったって言ってたわよね。いきなりこんな高いの買って大丈夫なの? 飽きて乗らなくなっちゃったらもったいないわよ」
だが、マサオは胸を張って言い切った。
「いや、ロードバイク、面白いっすわ。こんな面白いモノならもっと早くから乗れば良かったっすよ」
果たしてそれは本音なのだろうか? ただ、マサオが「俺ん家、金持ちっすから」などというふざけた事を言わなかっただけ良かったと思うトシヤだった。