マサオとルナ、トシヤとハルカ それそれの思い
ハルカを先頭にトシヤが二番目、マサオが後に続きルナが最後尾で前の三人の様子を見ながら走る。特にトシヤとマサオは既に一本上っているので疲れが取れていないかもしれない。ルナは三本、ハルカは二本ぐらいなら平気で上れるのだが、トシヤは一本上るのでいっぱいいっぱい。マサオは一本目でも途中で足を着いているのだ。特にトシヤはハルカが来たのだからと実力以上に頑張ってしまうかもしれない。その挙句、転倒でもしたら目も当てられない。年長者として、それだけは絶対に避けなければならない。
「マサオ君、本当に無理しないでね……」
後ろからマサオの走りを見守りながら呟いたルナ。だが、ルナの心配をよそにマサオはトシヤとハルカに離されること無く渋山峠のスタート地点に向かう緩やかな坂をひょいひょいと上って行く。
少しほっとしながらも不安を拭いきれず、ルナはまた呟いた。
「さすがは男の子、あれだけヘバッてたのに回復早いわね。でも、問題はこの調子がドコまで続くかなのよね……」
そして走ること数分、四人は渋山峠のスタート地点の交差点に到着した。
「よーし、このまま行っちゃうよー!」
いつもなら交差点の角のスペースで止まり、ひと息入れるところだ。しかし久しぶりのエモンダで渋山峠ヒルクライムだと言うことでテンションが上がっているのだろう、ハルカは信号が青なのを確認するとペダルを踏み込み、交差点を通過し、渋山峠ヒルクライムがスタートした。
スタートしたと言ってもヒルクライム中の走行スピードはゆっくりだ。もちろん『ガチ勢』には速い人も居る。渋山峠の序盤、勾配6%前後のエリアなら勾配を感じさせないスピードで上るのだから驚きだ。
だがハルカにはそんなパワーなど無い。だから速い人に対しては尊敬の念を抱きながら、自分は景色を楽しみながらゆっくりと山道を上る。それがハルカの、ひいてはトシヤ達ヒルクライムラバーズの基本的スタンスだ。もっともトシヤとマサオは景色を楽しむ余裕なんてあんまり無いくせに速い人に憧れ、自分も速く上れるようになりたいと思っているのだが。
スタートしてしばらくは緩やかな上りが続くとされている渋山峠。だが、『緩やか』と言ってもそれは『後半に比べたら』と言うだけのこと。普通の人からすれば『こんな所を自転車で上るなんてバカじゃねぇの?』と思ってしまうレベルの坂だ。
調子よくトシヤの後に着いて走っていたマサオだが、少しずつ距離が開き出し、遂にはトシヤはカーブの向こうに消えてしまった。と、同時にマサオの心が折れた。
「くそっ、やっぱダメだ」
呻くような声を吐きながら左のクリートをペダルから外し、足を着いたマサオ。ルナはマサオの前に出てエモンダを止め、優しく微笑んだ。
「ちゃんと自分の判断で止まったわね。うん、それで良いの」
「いや、そんな良いもんじゃ無いっす。恥ずかしながらトシヤの姿が見えなくなって力が抜けちゃっただけっすよ」
「無理して転んじゃったら私がマサオ君を怒らなきゃならないところだったわ」
「そーっすか。ま、怒られなくて良かったっす。ルナ先輩に嫌われたら辛いっすから」
「バカね。怒ったからって嫌いになったりしないわよ」
「えっ、それって俺のコト、好きってコトっすか?」
「まあ、嫌いな人とは一緒に走ったりしないよね」
「そっすか。まあ、嫌われてないってコトだけでも良しとしますか」
「何言ってるの。そんな事より早く水分補給しないと。熱中症で倒れちゃうわよ」
ルナはマサオが核心に迫る前に話をそらすように言うと自分もエモンダのボトルケージからボトルを取り、スポーツドリンクを口に含んだ。
*
マサオとルナの前を行くトシヤとハルカ。トシヤがふと振り返ると、後ろを走っている筈のマサオの姿が無かった。
「ハルカちゃん、マサオがチギれちまったよ」
「そうなんだ、それは残念」
トシヤの声に軽い口調で言うハルカ。トシヤは本当に残念そうに言った。
「思ったより早かったな。第一ヘアピンぐらいまでは着いてくるかって思ってたんだけど」
「まあ、二本目だから仕方ないよ。ところでトシヤ君」
「なんだよ、突然あらたまって」
引き続き軽い調子のハルカだったが、途中で急に口調を変えた。その変わりっぷりに驚きを隠せずに少したじろいだトシヤにハルカは尋ねた。
「今日、一本目は足、着かなかった?」
いきなり妙なことを聞いてきたハルカ。トシヤは誇らしげに答えた。
「おう、なんとか頑張ったせ。マサオは途中で足、着いてたみたいだけどな」
「ふーん。確かトシヤ君、夏休み初日、私が補習受けてる間にマサオ君と二人で上った時に初めて足着かずに上れたんだったよね?」
「ああ。あの時はマサオも足着き無しで上れたんだけどな。やっぱ毎回足着き無しってのはまだ難しいな。俺も今日、ギリギリだったし。次……って言うか、この二本目は正直言って足着かない自信はまったく無いわ」
「で、今日はルナ先輩と一緒に足着き無しで上ったんだよね?」
「ああ。って言ってもルナ先輩はマサオのお守りしてくれてたから、途中からは俺一人で上ってたようなもんだったけどな……今もそうだけど」
笑い声で言うトシヤにハルカは申し訳なさそうな声で言った。
「前に一緒に上った時、私がパンクしちゃったせいでトシヤ君、初めての足着き無し、逃しちゃったんだよね」
「あー、そんなコトもあったな」
それ以前にも足着き無しで上れていたのを『初めての足着き無しはハルカと一緒に』という思いから、トシヤ自らの意思で足を着いた事もあった。つまりトシヤはハルカ絡みの理由で二回足着き無し達成を見送っているのだ。
だが、夏休みの初日にテンションが上がってしまったのだろう、マサオと二人で初の足着き無しを達成してしまった。
そして今日はルナと二人で(トシヤが言った通りルナはマサオのお守りで一緒に走ってはいないのだが)足着き無しで上った。つまり、トシヤは初の渋山峠ヒルクライム足着き無し達成をハルカと一緒にするべく二度もチャンスを自ら放棄したのにも関わらず、未だハルカとは一緒には足着き無しで渋山峠を上りきってはいないのだ。
トシヤは嫌な予感がした。ハルカがとんでもないことを言い出すんじゃないかと。そしてその嫌な予感は的中した。
「じゃあ、今日の二本目は私と一緒に足着き無しだね」
やっぱりそう来たか。トシヤは思いながら抗議するように言った。
「ええっ!? さっき言ったろ、『足着かない自信まったく無い』って」
「えーーーっ、マサオ君とルナ先輩とは足着き無しで上ったのに?」
「いや、その時は一本しか上ってないから。今は二本目だから」
今のトシヤでは二本連続で足着き無しで上りきるのは難しい。なんとか今回は許してもらおうとするトシヤにハルカはねだるように言った。
「ここは男を見せて欲しいなー」
こんなコトを言われた日には頑張らないわけにはいかない。トシヤは半分ヤケっぱちで叫んだ。
「よし、わかった。やるよ、やってやるよ。二本目がなんぼのもんだってんだ!」
「うん! 頑張って上ろうね、でも、本当に無理だったら足、着かなきゃダメだよ」
ハルカはご機嫌な声を上げた後、気遣うようにも言った。だが、完全にやる気モードに入ったトシヤは意にも介さず言い返した。
「大丈夫、今日はハルカちゃんと一緒に初めて渋山峠を足着き無しで上った記念日にするんだからな」
よくもまあ、そんな恥ずかしいことを臆面もなく言えたものだ。
「マサオ君とルナ先輩に先越されちゃったけどね」
憎まれ口を叩きながらも嬉しそうなハルカ。トシヤは苦笑いしながら言った。
「そーゆーコトは言わないのがお約束ってもんだろ」