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あまーいあまい、ちょっとほろ苦な焦げ茶色の魔法。後編

 休日の後、急いで共同浴場を後にしたシンシアは、アマンダの部屋でチョコレートを受け取った。

「材料とチョコレートの型よ」

「わ、かわいい」

 買い物袋から出された型を見て、シンシアは顔を輝かせる。薄い金属で丸いものとハートのものがある。色もピンクや水色などでかわいい。


「ありがとう、アマンダ」

「ふっふっふ。一週間、魔法販売機で一個おごりね」

「わっかりましたっ!」

 シンシアは少し真面目くさった顔をして、元気よく上げた右手をビシッとおでこにかざした。

「よろしい」

 アマンダがえへんと胸を反らすと、どちらからともなくプッと吹きだし、あははと笑い合う。シンシアはもう一度アマンダに礼を言い、自分の部屋に戻った。



 ライに見つからないようにするには、入浴時間をさっさと切り上げて短時間で作るしかない。翌日の入浴時間に食堂のミシェルさんに話を通し、調理場の隅っことボールを二つ、へらを一つ借りた。

 食堂の厨房は今日の役目を終えていて、全ての調理器具が片付けられ人影もない。

 顔も体も丸っこくて気のいいミシェルさんは、残って教えてあげようかと言ってくれたけれど帰ってもらった。奥さんとまだ小さな子供のいるミシェルさんに、シンシアのために残業をさせるわけにはいかない。


「よし!」

 気合をひとつ入れて、シンシアは買い物袋から紙を取り出した。アマンダがお店で配布されていた作り方の紙を入れてくれていたのだ。

「ええと、50度の湯煎にかけて溶かし、型に流し込むのね。簡単、簡単」

 鍋に水を入れて火にかける。包み紙をむいたチョコレートをボールの中に入れた。あとはお湯が沸くのを待つ。

「うう、早く沸いてぇ」

 じっと待っていると長く感じてイライラしてきた。あまり長い時間をかけてはライに怪しまれてしまう。シンシアは焦った。


「沸いたっ」

 湯が沸くやいなや、シンシアは鍋を掴み、勢いよくボールの中へ注ぎ込んだ。あんまり勢いがよすぎたものだから、お湯が鍋のふちでボコボコとはねた。

「熱っ! きゃああああっ」

 びっくりした拍子に鍋から手が滑り、ひっくり返ってしまった。

「ど、どうしよう」

 調理場は水浸し、というかぶちまけられたお湯から湯気がたっている。はねて熱湯がかかった手や、濡れたローブはシンシアの頭から消えていた。

 それよりも、この大惨事をなんとかしなくては。その一念だった。


「それよりもチョコレートを溶かす? そうよ、冷やして固めている間に片付ければいいもの」

 わたわたとお湯が入ったボールに水を混ぜて、温度を50度くらいに調節する。といっても50度がどれくらいか分からないから適当だ。お湯を張ったボールに、チョコレートを入れたボールを入れて溶かす。溶けていくチョコレートをヘラでかき混ぜていった。


「うそ、なんで」

 かき混ぜている手を止めて、シンシアは絶望的な声を出した。

 最初は順調に溶けたチョコレートだったが、ボソボソと固まってしまったのだ。どうしてこうなってしまったのか分からなくて、シンシアはパニックになった。

 ボールを抱えて意味もなく右往左往、やり方の紙を見ても分からない。試しにもう一度溶かそうとお湯で温めてみても、チョコレートは溶ける様子もなかった。



 失敗したチョコレートを袋に入れてから入浴セットの中に隠し、シンシアはとぼとぼと自分の部屋へ帰った。

 大惨事の厨房を片付けるのに手間取って、すっかり遅くなってしまった。ライは心配していることだろう。

 ぐすぐすと鳴る鼻をずずーっとすすってから、目尻に溜まった涙を拭く。少し笑顔の練習をして、えいっとドアを開けた。


「ただいま! 遅くなってごめんね、ちょっと長風呂しちゃった」

 にこにこと笑顔を作り、ちゃんと明るい声が出たことに安堵する。

「おかえり!」

 ソファーの上で本を読んでいたライが、ぱっと顔を輝かせた。しかしシンシアを見るなり、尻尾でも振ってそうだった少年の顔が険しくなる。本を伏せて置きシンシアに駆け寄ると、シンシアの腕を取った。


「どうしたの、これ」

「なんでもないよ」

 笑ってやんわりとライの手をどけようとしたが、強く握られたままだ。

「うそ。どう見ても火傷だろ、これ」

 ギクリとシンシアの体が強張ると、ライの端整な顔が鋭くなった。

「なんでもないったら。放して」

 ついさっき失敗をしてしまったことも、シンシアの心をささくれ立たせていた。いつになく怖い顔をしているライの手を振り払う。

「シンシア!」

 ライの言葉が強くなる。シンシアはなんだか自分が怒られているような気になった。妙に悔しい気分が湧きおこる。

 そもそも四六時中一緒だからチョコレートを買いに行けなかったし、焦って作らなくちゃならなかった。それなのに、どうしてとがめられなくてはならないのだろう。


「なんでもないから放っておいてっ!」

 入浴セットを床に投げるように置き、シンシアはベッドに潜り込んだ。

「シンシア、せめて火傷をみせて」

「やだ!」

 ライがかけてくる声を無視して布団にくるまる。しばらくシンシアに話しかけていたライだが、やがて諦めたのか静かになった。


 しんと静まった布団の中でじっとしていると頭が冷えてくる。


 最低だ。ライは何にも悪くないのに、八つ当たりするなんてどうかしている。

 溶かして型に流すだけ。たったそれだけのことを失敗した自分が情けなくてたまらなかった。なによりライに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 火傷がヒリヒリと痛んだ。濡れたままのローブが冷たい。


 謝らなくちゃ。


 どう考えても自分が悪い。心配してくれただけのライに謝らなくてはいけないと思う。けれど、謝った先が思い浮かばない。チョコレートのことを伏せて、火傷をどう説明したものだろう。


 布団の中で悶々と悩んでいたら、ガサゴソと物音がした。

「?」

 そっと布団の隙間から音の方向をうかがう。狭い視界に飛び込んできたのは銀髪の後ろ姿と、床に投げ出され、入れ口の開いた入浴セット。そして、失敗したチョコレートを入れていた袋。


「ライ!?」

 ガバッと布団をはねのけると、正座していたライが振り向いた。

「シンシア、ごめん。勝手に食べちゃった」

 乱暴に置いたから、入浴セットの口が開いて、隠していたチョコレートが出てしまっていたらしい。ライはもろもろと、不格好に固まっていたチョコレートを全部平らげていた。一つ残らず。


「シンシア。ほら、鉄槌」

 ライが指で彼自身の頭をちょいちょいと指し、にーっと笑った。

「へっ?」

 間抜けな返事が出る。鉄槌って何のことなのか、意味が分からない。

「男神ティアンと同じだろ? 女神ウァレンナは怒って鉄槌を下さないと」

 どうやら鉄槌とは、ウァレンティンの日の逸話のことだったらしい。女神ウァレンナの用意していたチョコレートを食べてしまった男神ティアンは、女神ウァレンナに怒りの鉄槌を食らったのだ。


 ライはその逸話になぞらえて、悪いのは自分だと慰めてくれている。


「ライッ……」

 シンシアの紫の瞳にじわじわと涙が溜まる。何か言いたいのに唇が震え、熱くて形にならない言葉が喉につっかえた。

 言葉の代わりに少年に歩み寄り、作ったげんこつでぽこんと彼の頭を叩いた。


「ご、ごめんなさいは私なのにっ」

 なんとか言葉を捻り出したシンシアの瞳からボロボロと涙がこぼれる。そんなシンシアに、ライがおいでと手を広げた。座ったまま手を広げるライの胸にぽすんと飛び込む。


「そうだね。でも嬉しい」

 精霊といっても人と変わらずその体は温かい。ぽんぽんと背中を叩く手が優しくて、涙が止まらなくなった。

「一生懸命作ってくれてありがとう。美味しかった」

「うそ。ボソボソしてて最悪の出来だよ」

「うん。確かにボロボロしてて見た目と口当たりは悪いね。けど、味はチョコレートだし」

 くすくすと笑われて、指で涙を拭われた。

「シンシアの気持ちが入ってる。だから世界一美味しいかった」

「ラいぃーーーーーっ」

 さらに涙が出てきて、シンシアは子供のようにわんわんと泣いた。うんうんと相槌を打つライが、シンシアを膝の上に乗せたまま、手の火傷にいつの間にか用意していた軟膏を塗った。


「一生懸命なのはシンシアのいい所だけど、悪い所でもあるよね。何かに集中すると周りが見えなくなるし、危なっかしい」

 軟膏の上からガーゼを当ててテープで止めたライが苦笑した。

「チョコレートよりシンシアの方が大事なんだから、火傷の心配の方が先だろ」

「ごめんなさい」

 こつんとおでこを指で弾かれ、シンシアはしゅんとうなだれる。火傷をした手は赤くなっていて、水ぶくれが出来ていたのだが、軟膏を塗ると嘘のように水ぶくれがひいた。ライいわく、魔界から取り寄せた軟膏なのだという。


「嫌いになった?」

「なんで嫌うのさ。君の全部をもらうって言ったろ? 失敗も欠点も全部俺のものだよ」

 シンシアを抱く腕にぎゅっと力がこもる。怖いくらい優しい、シンシアが自ら囚われた金色の檻。


「ライヴォルト……」

 胸がじんとして、シンシアは少年の姿をした精霊の背中に腕を回した。もっとくっついていたくて、固い胸板に頬を擦り付ける。

「今はひとまず着替えようか。濡れたまんまの服で風邪でも引いたらどうするの」

「あっ、そうだった」

 はっと身をよじるシンシアのローブの前ボタンには既にライの手がかかっていた。

「しょうがないなあ。脱がしてあげる」

 にっこりとした笑顔だったが、金の瞳が光っている。

「えっ、いいよ。一人で脱げるからっ」

 慌てて腕の中から抜け出ようとしたが、がっちりと捕まえられていて逃げられない。

「だーめ。シンシア」

 覗き込んでくる金の瞳に射すくめられた。いつも思う。この瞳はずるい。何も言えなくなってしまう。シンシアの体から勝手に力が抜けて自然とまぶたが落ち、唇が重なった。


 互いが溶け合うようなキスは、甘くて、甘くて、ちょっぴりほろ苦いチョコレートの味がした。



 後日、買い直したチョコレートで今度こそ失敗せずに型に流した。ライに時々一人や友達との時間も欲しいと正直に言った。あっさりとうなずいたライに拍子抜けしてしまった。

 どんな風に失敗したかをミシェルさんに話すと、チョコレートは温度と水に弱く、おそらくそのどちらかで変に固まってしまったのだろうとのことだった。

 最初から色々と話せば良かった。ライの言う通り、シンシアは周りが見えていない。


 綺麗にラッピングしたチョコレートをライにプレゼントする。

「好きです。ライヴォルト。私、こんなだからまた失敗したりしちゃうけど、これからもいっぱい喧嘩したり、仲直りしてね」

「ありがとう!シンシア」

 無邪気な満面の笑みにシンシアもつられる。二人の時間が何よりも甘く感じる。


 ウァレンティンの日。

 それは、あまーいあまい、ちょっとほろ苦な焦げ茶色の魔法がかかる日。

こっそり、「キスで結ぶ冬の恋」になってたりして。

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