死への巨塔
「まだ、11歳だってよ。」
薄暗く湿った階段を降りながらもう1人の看守が呟いた。
一歩、もう一歩と進むたびに銀色の鎧が軋む。
「仕方ないだろう、敵国の第1王女だぞ。長き戦いに勝利した我らが王の裁きだ。仕方がない。」
松明の明かりを頼りに、牢屋の扉の鍵穴へそっと鍵を通す。
「それでも、殺すのはないだろう…!」
一瞬、手が止まった。
しかし俺は何も考えずに鍵を回した。
解錠の音が響く。
蝶番がぎぎぎと犇めき、扉は放たれる。
「おい、起きろ。時間だ。」
俺は扉の先に広がる暗闇に向かって話しかけた。
呼びかけは本来は彼の仕事だったが、彼の気持ちを察して代わりに取り繕ってやるのが俺のせめてもの優しさだった。
「はい」
暗闇の奥で清らかな、凛とした返事が聞こえた。
松明の明かりを持っていくと、そこには例の王女の姿があった。
「我らが国王の名により、ここに参上した。只今を以って貴様の死刑を執行する。付いて来い。」
「はい」
王女が足かせを引きずらせ、こちらへ近づいて来た。
その身体が赤色の灯火に照らされる。
彼女の姿を間近で視認した瞬間、俺は言葉を失った。
俺は衝撃を受けた。
白いボロボロの布切れ一枚羽織っていることがそうさせたのかも知れないが、彼女はどこにでも居るただの11才の少女という印象だった。
目鼻口はおろか、身長や体格もそこそこ発育の良い少女というだけで他は変わりは無かった。
これが一国の王女だったと言われないと、誰も彼女がそうだったとは思わないだろう。
両手を後ろ手に縄で何十にも縛ってある。
「おい、行くぞ。」
彼のその一言で俺は正気に戻った。
「…ああ。」
彼女は無言で俺たちの後を追った。
また深い深い地下牢の階段を登る。
「ありがとうな。」
彼が彼女に聞かれぬように、小声で呟いた。
最初は意味が分からなかったが、少しして彼の言葉の意味を理解し何も言わなかった。
「あの…、」
後ろからだ。
俺たちは振り返った。
「足かせを取り外してもよろしくて? このままでは歩みが遅れてお二人にご迷惑をおかけして
しまいそうで…。」
一瞬バカらしい提案だとは思った。
しかし彼女の目は、真剣だ。
看守2人で顔を合わせる。
少し話し合った結果、彼が先導して俺が後ろから奴を監視することになった。
その代わり王女の足かせは取り外した。
両足が自由になった奴ははしゃぐことも喜ぶこともせず、
「よかった、これでお二人にご迷惑をかけなくて済むわ。」
と言って自分から俺の前、彼の後ろについた。
再び足が動き出す。
俺は後ろだったので、奴の物腰や仕草が良く見て取れた。
その後ろ姿は死刑台に向かう罪人ではなく、群衆の前に姿を現さんとする立派な女王だった。
物腰は柔らかく派手な装飾で飾られていないにも関わらず、王女本来の力強さがあり、威厳があった。
長い長い苔の生えた暗い石畳の階段は終わりを告げ、俺達は光輝く地上が俺達を手招いた。
そこで待っていたのは残酷な光景だった。
溢れんばかりの人だかりが広場を埋め尽くし、中央にあったのは
……絞首台。
「悪魔の娘」「嘘つき」「売国奴」
様々な怒声と罵声が王女に向けられる。
しかし王女は表情を全く曇らせず、その凛とした姿勢を曲げずにゆっくりと歩き続けた。
広場中央に佇む、高い高い木製の絞首台に向かって。
四方から石が投げられる。
俺たちに何発か流れ弾が飛んできた。
しかし、王女は冷静なままでただ一国の王女としての威厳はブレなかった。
とても11歳には見えなかった。
だんだんと絞首台が近づいて来る。
それは近くで見たほうが、遠くから見るよりずっと大きく思えた。
そのとき、王女の足が止まった。
彼女の頬に一粒の汗が伝う。
見ると、脚が震えていた。
「…どうした、進め。」
王女へ語りかける。
先導していた看守が足を止め、こちらへと振り返った。
無言で王女の顔を見つめている。
しかし、反応がない。
「進め。」
もう一度言う。
反応がない。
と思ったその瞬間、王女が小さく何か呟いた。
「死にたく…ない……」
よく聞こえなかったが、俺にはそう聞こえた。
ただ一つ言えるのは、彼女の声が震えていたというくらいだ。
「進めぇ!」
広場のヤジを掻き分ける程に大きい怒声。
放ったのは以外にも、王女に一番同情を寄せていた彼だった。
王女の重たい足が再び一歩また一歩と絞首台に向かって進み始める。
絞首台の階段をゆっくり、確実に一歩ずつ。
しかしその足取りに優雅さはなく、死の恐怖へと向かう本来の人間の足へと成り下がっていた。
天辺に立ち、輪縄とくっきりと真下に刻まれた落とし戸の隙間の筋を目にすると、王女の顔色はみるみる変わっていった。
それはまさしく、死を覚悟した11歳の少女の姿だった。
「ごめん……なさい」
彼女がそう呟いた瞬間、俺達の背筋に寒気が走った。
「ごめんなさいもうしませんごめんなさいもうお父様の子供になんてなりませんごめんなさいなんでもしますから本当にごめんなさい許してください」
いつ息継ぎをしているのか分からないくらいに物凄く早口で命乞いを口走り始めた。
顔には大粒の汗が吹き出ている。
しかし、死刑は定刻通りに執り行なわなければならない。
俺が彼女を落とし戸の上に立たせようと軽く触れた瞬間、
「助けてお父様! お母様! 兄上! 助けて! 助けて!」
金切り声をあげて振りほどいてきた。
命の限りを尽くしたその抵抗は、とても少女の力とは思えなかった。
王女が俺を睨みつける。
その目は涙で溢れていたが、獣のように激しかった。
そのとき、彼が後ろから王女の幼い身体をを抑えつけた。
「おい! 何突っ立ってる! ここから先はお前の仕事だろう!」
彼の言葉で俺は覚悟を決めた。
そして全ての感情を押し殺した。
ぎゃんぎゃんと叫ぶ彼女の目に、さっと純白の目隠しをかける。
抵抗が一層激しくなったが、力で勝る彼が彼女の首に縄を通す。
「誰か! なんでもします! 死にたくない! 死にたくない!」
遥か遠くで玉座に座る我らが王を見る。
手を真っ直ぐに前に倒している。
死刑執行の合図だ。
死刑台の床に立てかけてあるレバーを俺はめいいっぱいひいた。
がたん、という痛々しい音と共に彼女は絞首台の底へと落ちていった。
その途端、1人の少女の叫び声はぴたりと止んだ。
広場にはただ歓声と罵倒が残響するのみだった。
三日間の監禁の間に我慢したのだろうか。
宙に吊られた少女の股間から糞尿が滴り落ち、凄まじい悪臭を放っていた。
下着さえも剥かれ、丸裸で数日間にわたり街の中央広場に晒されたその幼い死体を、俺は忘れられない。