楽園の引金
こちらはレリィゼのイメージ画です。http://emanon98.es.land.to/index.html
楽園の引鉄
Emanon
1、荒野
耳をすませば、どこからか聞こえてくるのは、銃声と悲鳴。
それが、未開拓の大地、ルーザーズ・コンティネント。
その煉獄の地をさすらう女が、行き着いたのは小さな楽園だった。
血と硝煙の世界の真実。
そして今日も引金が引かれる。
昨日も、今日も、明日も、ルーザーズ・コンティネントの太陽は変わらない。
誰彼の区別なく、瞬きほどの躊躇なく、あらゆるものを焼き尽くす。
ただそれだけだ。
そんな独裁者が支配する荒野を一人の女性がズタ袋を担ぎ、黙々と歩いている。年齢は二十を少し超えたくらいだろうか。金色の長髪を高い位置で一つにまとめている。ほどけば腰まで届きそうだ。
デニム生地のパンツに、男物のシャツという出で立ち。それは動きやすさを重視した結果だろうか? 普通はその上から日よけの外套をはおるのが普通だ。彼女の服装は炎天下の中を歩くにはいささか軽装過ぎる。
可愛らしいというよりも凛々しい顔立ち、一切の無駄がない引き締まった肢体。それらは、一点の曇りなく研ぎ澄まされたサーベルのように美しい。
しかし、白いシャツから透けて見える左腕には、幾筋も走る、醜い傷痕があった。それは遠い異国に生息するという、虎という肉食獣の模様に似ている。これだけの傷だ。そのの根源にどれだけの死線をくぐったのだろうか。
女の歩みが不意に乱れた。身体がぐらりと揺れる。彼女は耐え切れず膝を付き、前のめりに倒れこむ。灼熱が皮膚を焦がす。しかし、立ち上がろうにも力がはいらない。
意識が薄れ、全てがどうでもよくなってくる。
視界がぼやけ、白霧がかかるように背景が徐々にホワイトアウトしていく。
――私はこんなところで死ぬのか……――
女の顔に自嘲の笑みが浮かんだ。――ふん、自分にふさわしい最期だ。女は思った。
今まで、数えきれぬほどの罪を犯してきた。神様というやつが本当にいるのなら、この灼熱の大地を、罪を清めるという「地獄の業火」というやつの代わりにしたいのかもしれない。もっとも、神様なんていないし、そんなもので、少しばかり焼かれたところで、罪が消えるはずもない。
ふと、視界の端に数人分の人影が見えた。
砂粒ほどの大きさだが、離れているとはいえ、遮るもの無い荒野。倒れている彼女に気づき、こちらに向かってくるようだ。死臭をかぎつけ、食い散らかすハイエナみたいなものだ。彼女が死んだ後で身包みを剥ぎ取ろうというのだろう。
――いいだろう、全てもっていけばいい――
もとより、人は他者から奪わねば生きてはいけない。その対象が植物であるか、動物であるか、はたまた人であるかの違いはあるが、奪うということには変わりが無い。今回は自分が奪われる側に回った。ただ、それだけの事。
そして、彼女の視界と意識は完全に途切れた。
2、違和
暖かさを感じた。「暑さ」ではない。安らぎを覚える「ぬくもり」だった。これをいつまでも感じていたいと思う。
自分は死んだのだろうか。
聖書はよく知らないが、ここは、「天の国」とやらだろうか。
瞬きをする間にはそんな仮説は否定した。この世界に楽園なんて無い。神様なんていない。もし、そんな都合のいいものがいるとすれば、彼女の左腕にある傷痕はいったなんだというのだ。
そこまで思考がたどり着いたとき、混濁していた意識が完全に元に戻る。
――ここはどこだ!?――
一息に身体を起こす。どうやらまだ生きているようだ。
レリィゼはベッドの上に寝かされていた。あまり質のいいものではないが、清潔なシーツとマットだった。思えばちゃんとベッドで眠るのは久しぶりだ。
あたりを見回す。小さく、質素な部屋だ。ベッドのほかには、机が一つ、椅子も一つ、壁に向かい合うように置いてあるだけ。
自身の身体を確認する。やけに風が通ると思ったら下着だけだった。ジーンズとシャツは脱がされてしまったようだ。
下着を着けたままだということは、助平心ではなく、治療のために脱がせたのだろうか。とりあえず、体は無事なようだ。ルーザーズ・コンティネントなどと呼ばれる掃き溜めに来たときにある程度の覚悟はしているが、それでも、下衆に抱かれるのは嫌に決まっている。
とりあえずは、自分がどういう状況にいるのかを知らなければならない。自分を介抱してくれたのだとしても、相手に何かの思惑があるだろう。もし、その思惑が自分の害になるようならば、早々に逃げ出さなければならない。
人の善意はまず疑う。それがこの最悪の土地で生きていくための秘訣だ。
レリィゼは服の変わりにシーツを身体に巻き、立ち上がった。少し眩暈がしたが、なんとか歩けそうだった。
窓から外を覗く。幾棟かの建物が見えた。木造で、粗末なものがほとんど。あまり発展していない集落と推測できる。
ふと、視界の端に動くものを見つけた。子供だった。子供だけで遊んでいる。無邪気な笑顔。
自然とレリィゼも顔がほころんだ。あんな、屈託の無い笑顔を見るのは久しぶりだ。
子供が遊んでいる姿も、本土ならともかく、ここ、ルーザーズ・コンティネントではめったに見ない。
子供は高く売れる商品だ。あんなに無防備な姿をさらしていれば、トーストがやけるよりも早く、売られてしまうだろう。それに加え「遊んでいられる子供」自体が少ない。ここで生まれる子供のほとんどは、娼婦が産む父親が不特定の子であり、6、7歳程になったら、娼婦宿か、小金持ちに売られてしまう。そして、自由を勝ち取らない限り――つまり、逃亡に成功しない限り自由はない。成人したとしても男は労働用、そして、女は欲望処理用に使われる。
ルーザーズ・コンティネントでは、弱者に人権は無いのだ。それに対し、この光景はおかしい。
レリィゼはそこで思考を切り上げ、窓の淵を離れると、先ほどまで眠っていたベッドに向かった。横になり、シーツを直す。
この際考えても仕方がない。殺す気ならば、こんなところに連れてくる前に殺しているはずだ。自分をベッドに寝かせた人物には少なくても殺意はないことが推測できる。それなら、とりあえず、成り行きに任せ、様子を見よう。と、レリィゼは腹を決め、瞼を閉じた。休むのも策のうちだ。
――コン、コン――
どのくらい瞼を閉じていただろうか。ドアがノックされる音が聞こえた。
「はい」
「あ! 目が覚めたの?」
「よかったじゃないか ――邪魔するぜ」
「ちょっと、レディの部屋に気軽に入らないの。ここで待ってて」
「まぁまぁ、いいじゃないか、役得、役得」
ベッドから身体を起こし、返事を返すと、元気な幼い声がした。続いて、成人の男の声、こちらも陽気な感じだった。
ドアが開き、トレーを持った少女と、軽薄そうな男が部屋に入ってくる。男はドアの近くで壁に寄りかかり、丸太のような腕を組む。少女を見守っているようだ。
少女はショートにした髪を揺らしながら、『とてとて』とレリィゼに近づく。反射的に身構えてしまったレリィゼであったが、無邪気な笑顔を見て緊張が緩む。
トレーの上にはカップに入れられたスープとトーストが乗っていた。
彼女は机の上にトレーを置いた。
「ねぇ、ちょっと」
「あ、そうそう。悪いけれど、服のほうはもうちょっと待ってて。今、破れたところとか繕ってるから」
「そうじゃなくて……」
「あ、じゃあ。自己紹介。あたし、マリエ。そっちのおじさんはジィス」
陽気な感じの男性――ジィスは軽快に笑いながら「おぅ」と手をあげた。短髪で、スウェットから筋肉質の胸元が覗く。かなりの荒事をくぐってきたようだ。これ見よがしにヒップホルスター、ショルダーホルスターに銃ををぶら下げていることからもそれがわかる。二挺拳銃を扱うには、相応の熟練が必要なはずだ。
「……私は、レリィゼ。ちょっと……」
レリィゼの顔に苦笑いが浮かぶ。
自分がここに寝かされている理由――わざわざ寝床を与え、介抱してくれ、食事や繕い物までやってくれる理由――を聞きたかったが、自己紹介を返さなければ、礼儀に反する。
「レリィゼさん……ね、うん、いい名前」
「おい、マリエ。レリィゼさんにも話をさせてやれよ。聞きたいことがありそうだぞ」
レリィゼの心情を察し、ジィスがやんわりとたしなめた。
「あぅ……ごめん」
「こちらこそごめんね。――それで、聞きたいんだけど、私は、どうしてここに寝ているの?貴方達が私を助けてくれたの? それから、その見返りに何を期待しているの? 最後に貴方達は何者?」
「ちょ、ちょっと、待ってよ。そんなに一度に答えられないよう」
マリエがしどろもどろになりながら言った。
「一つずつ、ゆっくりでいいから話してやれよ。――何をするにしても、まずは状況確認だものな」
ジィスが言った。後半はレリィゼに対しての言葉のようだ。『何を』の部分を意味ありげに強調していたが、今は気にしないことにした。
「じゃ、一番初めの。『どうしてココにいるのか』って質問から――えっと、仕事の帰り道で、レリィゼさんが原っぱの真ん中でいい感じにローストされていたのを見つけて、んでもって、手当てしようと思って町まで連れてきたの。あ、そうそう、どうして、あんなに軽装でいたの? そんなんじゃ倒れて当たり前じゃない」
「まったくだ。そんなにハゲタカの食卓に上りたかったのか。どうせなら、オレのベッドに上ってくれよ。ちゃんと味わって食べるからよ」
「あ、気にしないでね。この人、いつもこんなんだから」
二人でなかなか笑えない冗談を言ってくれる。そんなことよりもこちらの質問に答えて欲しいものだ。話が進まない。
「……まぁ、出発したときにはちゃんと外套を羽織っていたのだけれど、ちょっといろいろあってね」
レリィゼはそういってごまかした。別に説明することでもない。
そんなことはどうでもいい。最も重要なことを聞いていない。
「で、私に何をさせるつもり?」
「はい?」
マリエが不思議そうに瞬きをする。
――とぼけてもしょうがないでしょうに……
「貴方たちが見つけた私は無防備な状態だった。殺して死肉を食らうことが出来た。でも、今、私はこうして生きている。わざわざ手当てもされてね。見返りがなければ、労力を裂く理由がないじゃない」
「そんなの、倒れている人がいたら介抱するのは当たり前。お酒を飲むと酔っ払うくらいにね。自分がそうなったときに助けて欲しいから助ける。普通でしょ?」
言っている意味がわからない、というニュアンスを込め、マリエが言った。
――ありえない……
レリィゼは思考の中でマリエの言葉を否定する。そんな馬鹿な事はあるものか。子供の頃――父が生きていて本土で悠々と暮らしていたころにはよく教えられた事だ。しかし、そんな倫理はココでは馬糞にたかる蝿ほどの価値もない。そんな下らないお題目に従った日には、よってたかって身包みはがされ、裸のまま荒野のど真ん中に放り出されるのがオチだ。笑い話にもならない。
「って、外から来た人にとってはなかなかわからないよね。ま、そのうちわかるよ。ココは良い所だってね。そんなことよりも、持ってきたスープ食べてよ。あたしがつくったんだよ。ね、ね、お腹すいてるでしょ」
マリエがスープ皿を差し出して言った。裏表のない笑顔と善意。しかし、レリィゼは疑わないではいられない。
「食べてやってくれよ。心配なら、味見でも毒見でもしてやろうか?」
ジィスが言う。苦笑いを浮かべていた。
「ジィスにはあげないもん。味見、味見って言って全部たべちゃうんだから。味なら……」
スプーンに少し掬い、舐めた。
「ほら、味付け完璧」
再び、レリィゼに皿が差し出される。先ほど、マリエが舐めたのでおかしな薬が入っていることはないはずだ。傷がある左手でスープを、右手でスプーンを受け取ると、おそるおそる口に運んだ。
「……おいしい」
そのスープはとても温かく、優しかった。マリエの善意、レリィゼは疑った自分を恥じた。
「でしょ、でしょ。もっと食べてよ」
食べ始めたら止まらなかった。なにしろ、倒れるまで歩き、さらに、倒れてから何も食べていないのだ。
スープ皿はあっという間に空になった。
3、安らぎ
あれから、一週間程、レリィゼは未だここでの生活を続けていた。
確かに、ココは『いいところ』だった。楽園と言ってしまってもいいかもしれない。争いはなく、暖かい。人も死なない。盗みすらない。
ここは町というよりも、本土にある『孤児院』に近い。(もちろん、ルーザーズ・コンティネントではそんなものはないが)大人はジィスだけで、後は十歳から十五歳くらいの子供達が十人ほど。荒野で狩をしたり、皮革を加工し売りさばいたりして生計を立てている。それで生活が成り立っているのはわかったが、まじめに働いている子供を子供を尻目にジィスは毎日寝てばかりいるのが気になった。ただの怠け者ということか、それとも何か理由があるのか。
建物はこの人数で建てたとは考えにくい。おそらく、何らかの理由で人がいなくなった街を流用しているのだろう。使っている家屋よりも空き家のほうが多いのも、そう考えれば納得がいく。
それにしても、どうしてココはこんなにも平和なのだろうか。こんなに平和でよいのだろうか。ふと、そんなことを思ってしまう。
「レリィゼさん。さっさと捌いちゃってよ。今日はチキンのスープにするんだから」
「はいはい」
マリエがレリィゼに文句をつけた。彼女は最年長のようで、ジィスとともにリーダーシップを取っている。
そんな彼女はニワトリの羽をむしっている。むしり終わったら首を切り、逆さに吊るす。その血抜きまでの工程が彼女に割り振られた仕事だ。血を抜くわけだから辺りは血なまぐさい臭いで満ちている。本土ではグロテスクといわれるかもしれないが、ここでは誰でも当たり前に行う作業である。
吊るしてしばらく放置し、血が抜け切ったところでレリィゼの出番だ。丸焼きにするならともかく、干し肉にするにも、料理に使うにも解体しなければならない。
レリィゼは愛用のハンティングナイフを取り出し、筋肉、内臓、骨を分けていく。骨や腱の継ぎ目を正確に狙うのがコツだ。
レリィゼは見事なナイフ捌きで見る間に解体を終えていく。
「レリィゼさんって、ホント、ナイフ使うの上手だよね」
「そう? ありがとう」
「どこかで練習したの? 」
「以前、ちょっとね」
左腕の傷痕が疼いた。
「あ、いいたくなければいいよ。ココでは昔のことを聞くのはあまりいいことじゃないから。左腕の傷痕、みてるだけで痛々しいもの」
そういえば、ココに住んでいる子供達はどうしてここにいるのだろうか。まさか、全てジィスの子供というわけでもないだろう。みな、言いたくないような過去を持っているのかもしれない。
「まぁ、痛くないといえばウソになるわね」
レリィゼはそういってごまかした。
「私もね私もね。昔の大きな傷があるの」
マリエはそういうと、作業の手を止めた。
「そんな、別に言わなくていいわよ。それよりも、早く仕事を片さないといけなかったんじゃないの?」
「ほらほら、ココ、ココ」
マリエはレリィゼの言葉を例によって笑いながら聞き流すと、腕をまくった。レリィゼは仕方なしに露出した腕を見る。
「……」
レリィゼは息を飲んだ。それほど、無惨な傷痕だった。
か細い手首に紫色の蛇が巻き付いているかのように痣が出来ている。さらに、痣周辺の皮膚が奇妙に引きつれている。
「なかなか凄いでしょ? すっごく痛かったの、コレ」
笑いながら――まるで、子供が自分だけの宝物を見せるかのような笑みを浮かべるマリエ。レリィゼは愕然と言葉を失う。
そんなレリィゼをおもしろがるかのように、マリエは様々な角度から傷痕を見せつける。
「物心付いたときからね。ずっと、ずぅっとね。無理矢理働かされていたの。ここに住んでいた連中にね」
笑いながら過去を語るマリエ。レリィゼは戸惑いながらも、口を挟む間はなく、黙って聞いている他無かった。
「昼間は雑用。夜は『悪戯』。よくある話かな。あ、でも、こんな傷はそうそうないよ。鎖をね、手首に絡めて宙吊りにした後でね、鎖を火で炙るとこんなになるんだよ」
声のトーンは変わらない、しかし、笑みが徐々に崩れる。無理も無い。それでも、いかな理由からか、マリエは話すのをやめない。
「熱い鎖が体重で手首に食い込んで、火傷がグチャグチャになっちゃうの……痛くてね、まるで、トラップに脚を挟まれたウサギみたいに、びちびちってのたうつ私を見て、笑いながらお酒を飲むのね」
言葉に嗚咽が混じり、笑みは今にも崩れる直前。
「もう、いいよ。なんのつもりか、知らないけど。もう話すのやめてもらえない? こっちまで辛くなるじゃない……」
堪え切れず、強引に話を打ち切る。独白は途切れた。マリエは、声を上げ、しゃくりあげながら、泣きはじめる。
突然、生い立ちを語られ、さらに大泣きされたレリィゼはどうしていいかわからず、呆然とするほかなかった。
どうしていいかわからない数秒が経った後、とりあえず、マリエを落ち着かせようと考えたレリィゼは、彼女の肩を抱き、背中をさする。彼女も、赤ん坊のように無意識に手を伸ばし、レリィゼにしがみ付き、泣き声をあげ続けた。
どのくらいの時間、そうしていただろうか。
「ごめん。ありがと」
そういい、マリエはレリィゼから離れた。まくりあげた袖を戻し、乱暴に涙を拭うと「よしッ」と両手で自分の頬を叩いた。
「よくわからないけど、落ち着いたかしら?」
「うん、なんとかね。いきなりゴメン。でも、もうちょっと話をさせて。――そんな辛い毎日だったんだけどね、ある日、ジィスが連中をやっつけて、私を助けてくれて、今の私は、平和で幸せな日々をすごしています。これで、オシマイ」
彼女は、おどけるように過去の話を締めくくった。
「――それで、どうして、そんな話をわざわざ私に? それも、泣いてまで」
「ほんっと、ゴメン。練習に使わせてもらったの。クサい言葉で言うと、『過去の克服』ってヤツのね」
マリエは一旦言葉を切り、レリィゼに背中をむけ、歩きながら続きを話し始める。
「こういう過去って誰にでもあるじゃない。忘れたい過去。消し去ってしまいたい過去……。アタシ、そういうのから逃げちゃダメなんだと思うの。もちろん、逃げて、忘れて、消し去ってしまうほうが簡単だし、ラクだけど、それじゃダメなんだよ。なんか、負けた気がするもの。アタシ、結構負けず嫌いなの」
「そんな過去、忘れてしまえばいい。そうすれば痛みも感じないし、簡単だわ。つまらない意地や、自己満足で、古傷を引っ掻き回すことは無意味よ。そんなものはただの自己満足に過ぎない」
つぶやいたその言葉はマリエに向けてのものだろうか。それとも、己に対しての言い訳か。
レリィゼは、気がつけば、自身の――傷だらけの左腕を見ていた。
「そうかもね、でも、アタシは、イヤなの。なんか、ちゃんと決着をつけないと、寝覚めが悪いの。んで、さ、こういうことを、脈絡も無く、誰かに笑いながら、冗談みたいに話すことが出来たら、自分の中で決着が付く。そんな気がするの。それで、また、試してみたわけ……でも、まだまだだったみたい。ダメダメだね。アタシ」
「いいえ、そんなことはない、と思うわ。途中まではできたんだし。貴方がそう考えるなら、そうすればいい。でもね、マリエ、コレだけは言わせてもらうわ」
彼女は一度言葉を切ると
「いきなり、そんな痛い話を打ち明けられる身にもなりなさいっ! まったく……いきなり何を言い出すかと思えば……」
レリィゼは、言い終わるととナイフをにぎり、解体作業を再開した。
「あははは、やっぱりびっくりした? ゴメン」
ふと、レリィゼの手が止まる。
「ねぇ、マリエ」
「ん? なぁに?」
「自分の手にナイフがあって、目の前にその傷を作った連中が吊るされていたら……、貴方は復讐する?」
横縞に引かれた傷が疼く。
「復讐って、殺しちゃうかどうかってことでしょ? ――う〜ん、どうかなぁ。アタシ的には殺したくないな。それって、まだ過去を引きずってるってことじゃない? ま、実際になってみないとわからないけどね。顔を見た瞬間、飛びかかるかもしれない」
マリエはコロコロと笑った。
「そう……」
「ほらほら、そんなことよりも、早く仕上げて料理始めないとみんな帰ってきちゃうよ」
彼女はそういうと、先ほどのことなど無かったかのように作業を進めた。
「でね、聞いて、聞いて。レリィゼさんたらね」
「町」の全員がテーブルについている。子供たちが十人、それにジィスとレリィゼで十二人だ。四角のテーブルにの四辺に三人ずつ座る。レリィゼにとってこの人数で食事をするのは始めてだ。
中心にメインである肉料理の大皿と、小麦を練って焼いた主食。それからスープの寸胴があり、皆が我先にとフォークやスプーンを伸ばし、自分の皿の中に確保していく。
「ナイフを使うの、すっごく上手いの。でもね、料理は笑えるくらい下手なんだ。どれくらいかっていうとね、ね」
マリエの言葉に皆がそれぞれ相槌を打つ。この話のオチを待っているようだ。その他にも食器がぶつかる音、咀嚼する音。様々な音がする。賑やかで穏やかな食卓がそこに在った。
「スープ作るときに、『ダシをとって』っていったら、出し殻の腿を拾って、肝心のスープの方を捨てようとしたの。うん、あと声をかけるのが五秒遅かったら、スープの無いカラカラの夕食だったね」
「そりゃ、ファインプレイだったね」「あっははは」と、様々な反応が返ってくる。話題のメインは最近、町での生活を始めたレリィゼだ。はっきりいってオモチャのようにいじられている。
「ふ、ふん。料理なんて干し肉が出来ればいいのよ」
むくれるレリィゼだったが、目は笑っていた。
『いいところだな』
心から思った。荒野で独り水で干し肉を流しこむ食事を続け、忘れてしまった安らぎを思い出させてくれる。
笑顔で満たされる食卓。ふと、周りを見渡す。十二人分の笑顔がある。
昼間のマリエの言葉から考えると、皆、忘れたい、悲惨な過去を抱えながらも、寄り添い笑っているのだろうか。
『楽園というものがあるとしたら、それはこういうところなのかもしれない』
そんな風に思えた。
「あぁ、そうそう、レリィゼ」
ジィスが唐突に話題を変えた。
「飯が終わったら、ちょっと付き合え」
「おっ兄貴も隅に置けないね」「レリィゼお姉ちゃん気をつけてね、コイツただのエロオヤヂだから」
言い終わった直後、周りの子供達からいっせいに茶々が入る。それらを彼は笑ってごまかした。
「いいけど、何の用?」
「ちょっとばかしな、大事な話があるんだ。そう、大事な」
答えをはぐらかすジィス。軽い言葉と雰囲気、しかし、彼の瞳は真剣だった。
4、ジィス
昼間の暑さが嘘のように夜の荒野は冷たかった。太陽はいない。代わって月が静かに大地を照らしている。
ジィスの後ろ、四歩分ほどの距離を開け、黙々と付いていく。
彼はレリィゼに何の用があるのだろうか。子供たちが言うような事か。いや、おそらくは違う。
密かに腰に下げたナイフに手をやる。この距離、先に仕掛けられたとして、ジィスが銃を抜いてこちらを向くのが早いか、レリィゼが間合いをつめ、喉元を掻き切るのが早いか……。危害を与えるつもりならば容赦しない。
レリィゼは覚悟を決めた、殺す覚悟を。
どれほど歩いただろうか。 町が拳くらいの大きさくらいになった時、ジィスはおもむろに歩みを止めた。しかし、振り向きはしない。
「アンタ、マリエの過去について聞いたか?」
声のトーンは変わらない、しかし、どこかおかしい。
「えぇ、貴方が、奴隷のように扱われていたマリエを助けた、ってところまでね。大したヒーローね」
「まぁ、大筋は事実さ ――あの町はな、半分がマリエと同じ境遇、残りは町の噂を聞いてどこからか逃げてきた。まぁ、弱者の寄せ集めみたいなものさ」
「この世界でよくそんなことが出来たわね、ここでは弱者は常に強者の食料。いつ奪われてもおかしくないわ」
「……それはなッ!!」
刹那、ジィスの右腕がホルスターに伸びた。
反応し、レリィゼが奔る。
閃き。一瞬の攻防
二人は互いに腕が届く位置に静止していた。
レリィゼのナイフは手首ごとジィスに掴まれ、ジィスのリボルバーにはレリィゼの手が伸び、回転式の弾装が抑えられている。――リボルバーはこの部分を抑えられるとトリガーを引けなくなる。銃を相手にする、初歩の知識。
静寂。否、互いの筋肉が小刻みに震えている。。
それは拮抗状態だった。女性ゆえ、腕力に劣るレリィゼが不利にみえるが腕全体を押さえつけねばならないジィスに対し、彼女は弾装を回すメカニズムさえ抑えればいい。
筋肉の塊のようなジィスと華奢に見えるレリィゼの間でも、互角の勝負となる。
「くっ……なるほど、貴方がこうやって、町に近づく連中を消して、あの子達を守っているのね……」
「アンタが寝てる時に殺ってもよかったんだがな、あんたを介抱したマリエに悪くてな……ッ」
会話を交わす間にも双方ともに、力を緩めない。
「なかなかやるじゃないか……左腕の傷を見たとき、ヤバい予感がしたんだ。やっぱり、寝てるときに殺っとくんだったぜ……」
肉、骨が軋む。
「勘違いしないで、別に貴方達に危害を加える気なんてこれっぽっちもないわ」
「そんなのは関係ないね」
馬鹿にしたような口調。
「先手必勝。やられてからじゃ遅いんだ。自分に近づく暴力はだれかれ構わず消すに限るッ」
ジィスは右腕のリボルバーを離し、もう一挺のリボルバーを引き抜く。
しかし、レリィゼの方が速かった。
彼の動きが終わるまでに体重の乗った回し蹴りがジィスの右腕を捕らえた。体勢を崩すジィスに首筋に冷たい刃があてられる。
「これで、チェックメイト、ね」
ジィスは言葉を失い、膠着する。
――カタ、カタカタ。カタカタカタカタカタ――。
何かが震える音。震えているのはジィスだった。
「こ、殺さないでくれ。頼む」
「貴方……?」
先ほどのやり取りとは別人のように、歯を鳴らし、恐怖に憑かれる。
「言ってるでしょ。私は私に敵意を持たない限り、危害を加えない。貴方が先に抜いたのよ」
レリィゼは彼の首筋からナイフをはずした。ジィスは安堵から地面にへたり込み、何度か深呼吸を繰り返した。
「さっきまでの迫力はどこへ行ったの? 貴方だって、今まで何回も命のやり取りをしてきたんでしょう? 情けないヒーローね」
「そんなこと言ってもな、怖いものは怖いんだよ。自分の周りにいる暴力が怖いんだ。いつ自分が死んでもおかしくない。だったら、殺さないといけないだろう」
「ふん、今さらかっこつけてもしかたないわよ。ほら」
レリィゼは手を貸してやる。ジィスは少し躊躇したが、その手を取り、立ち上がった。
「……ダサいとこ、見られちまったな」
「別に、そんなことない」
そう、誰だって怖い。死ぬのは怖い。別にジィスが特別臆病というわけではない。一部の例外を除いて。
気がつけば左腕の傷痕をなぞっていた。
「さてと、話は終わりかしら?」
「ああ。悪かったな。オレもアンタくらいの度胸があれば、こんなことしなくてよかったんだが……」
「もう、いいわよ。――それより早く帰りましょう」
レリィゼは自然にその言葉を使った。全くの無意識だった。
「そうだな、帰るか」
少々、荒れたが話は付いた。皆のいるところへ戻ろう。そう思い、歩を町へ向けた。
――おかしい、明りが付いていない!?
「ねぇ! あれって」
「あぁ! 走るぞ。畜生ッ! 迂闊だった」
眠るにはまだ早い、いつもなら、生業の軽作業をやっている時刻だ。今日に限って、眠くなって消灯してしまったのか? いや、ここではそんな可能性よりも別の可能性のほうが高い。それは……考えたくは無い、考えたくは無いが。
何者かの襲撃を受けている可能性だ。
5、襲撃
俺は町のそばで馬を降りた。後ろを走っていた相棒もそれに倣った。
「なぁ」
「あぁ、わかってる」
この町はしばらく前にゴーストタウンになったと聞いた、しかし、遠めに見たとき明かりはついていた。町全体ではなく、一軒、二軒程度の明かりだった。おそらく、行き場の無い流れ者が勝手に泊まっているのだろう。よくあることだ。
しかし、その明かりは今は消えていた。そう、気づかれているのだ。俺たちが近づいてくるのを知り、明かりを消した。この町にいる連中は俺たちの存在を知っている。逃げ出したのか、それともどこかに隠れて攻撃の機会を狙っているのか。
前者ならばいい。しかし後者であれば……。
町のほうを見る、暗闇。真っ暗だ。恐怖を覚える。
「ここはやばいんじゃないか?」
俺は駄目で元々の提案をしてみた。
「馬鹿野郎、干からびてぇのか」
そうなのだ。強引な手段でも金と食料を得ない限り、干からびるしか道はない。
俺は、自分の不運を呪った。
『負け犬の大陸』まで流れてきても、他人からかすめ取るしか方法を知らない。強いものの下に付くことしか知らない。
――いや、違うな
運が悪いんじゃない。自分が悪い。何の能力も無いのが悪いのだ。
――くそったれめ
結局のところは一本道。行くしかないのだ。俺は頭を振り、恐れを振り払った。流れ者が居たとしてもこっちは二人。殺れない人数じゃないはずだ。
俺はヒップホルスターからリボルバーを引き抜いた。ヘタクソだが、一メートルくらいなら動いていても当てられるし、脅しや牽制くらいにはなる。
相棒のほうを見る。同じく銃を抜いていた。眼で合図を送り、俺が先行し、相棒がバックアップに付いた。
全身を神経にし、進んでいく。金目のものを、ほんの少しでいい。それでボスには言い訳ができる。
幸い、月がでているので明かりが無くてもなんとか見える。明かりをつけなくていいのはありがたい。そんなことをすれば格好の的になるからだ。
とりあえず、目に付いた家屋に近づく。ドアノブに手をかけた。後ろに居る相棒に合図を送ると、『一、二の三』でドアを開ける。
内部に向かって銃を構える。相棒もそれに倣う。
誰もいない。
危険がないことを確認し、一息つく。
しかし、俺の行動はあまりに迂闊だった。
不意に痛みが走り、意識が飛びかける。
後ろから殴られた。と理解したのは、床に頭を打ち付けてからだった。
――バックアップはどうしたっ!!――
と思ったら、再び殴られる。痛ぇッ 無意識に頭を守るようにうずくまる。ドカドカと足音がした。
「逃げたほうは放っておいてッ! こいつを逃がさないで!」
子供の、女の声。そうか、相棒は逃げたか。所詮、そんな関係だ。
再び、打撃。打撃。打撃。
角材のようなもので滅多打ちにされる。――クソッ。ひでぇ女だ。
頭にヌルリとした感触。――畜生! もうやめてくれ。
痛すぎて、何がなんだかわからない。――やめてくれ、頼むから。やめてくれ。やめてくれやめてくれやめてくれ……。
レリィゼとジィスが帰ってきた時には、全ては終わっていた。
どうやら、こういうことは今までに何度かあり、何らかの策を講じていたようだ。
子供らがうずくまる男を囲んでいる。手には血が付着し、所々がひしゃげた角材。男を見る、うずくまったまま動かない。気絶しているのだろうか。破れた服からは青く変色したな内出血部が見え、頭から出血している。まるで銃のメンテナンスに使うボロ布のようだ。
「どう? アタシたちだけでやったんだよっ」
マリエがガッツポーズを作った。満面の笑みだ。しかし、頬に返り血を浴び、笑うマリエにレリィゼはやりきれなさを感じた。
いや、レリィゼもわかっている。彼女達は自分に害をなす『敵』を退けた。ただ、それだけのことだ。手加減など出来ない。いや、手加減など意味が無い。結局のところ、人は金と食料が無ければ生きてゆけない。その二つに限りがある以上、自分を生かそうと思えば殺すしかないのだ。そう、この子供たちも、この町に来るまではその理屈で奪われ、虐げられてきたのだ。因果応報、当たり前のこと。
――そう、わかってはいる。しかし、いつまで経っても慣れることは出来ない。
「ね、ね。レリィゼさん、ちょっとコイツ縛るの手伝って」
マリエは昼間の笑顔のまま、ロープを取り出し、レリィゼに渡した。
6、腰抜け
ランプの炎が男の皮膚を焼いた。
月夜の静寂を打ち破る男の悲鳴。酷く耳障りだ。
闇に沈んだ意識が無理矢理引き起こされる。肉の焦げる嫌なにおい。
「よぉ……眼が覚めたかい?」
ジィスが言った。
部屋の真ん中にロープでがんじがらめにされた男が転がっている。先ほど捕らえられた男だ。レリィゼは少し離れた場所に立っている。
「起きがけに悪いんだが、ちょいと聞きたいことがあってな。悪いが、ちょっと付き合ってもらうぜ。潔く答えればよし、答えなければ……まぁ、わかるよな?」
そう、言うまでもなく、答えるまで、拷問が続く。
カタカタと音がする。それは男の奥歯が鳴る音だ。竦み上がり、怯える男とは対照的に、ジィスはレリィゼや子供達と話すような口調でにこやかに話しかける。
「手近なところからいこうか――名前は?」
「レ、レイブ」
男――レイブは震えながらも何とか声を発した。
「なかなか、素直でいいな。この調子で頼むぜ。目的は?」
「……金、だ」
「まぁ、そうだろうな。じゃあ。本題だ。お前と、あの逃げたやつの他にチームは居るのか?」
もし、チームだとすれば、逃げた男がこの町の情報――捕らえやすく、金になる子供が多く居ることや少しなりとも蓄えがあることをボスに知らせるだろう。そうなれば、再び狙われる公算が高くなる。おそらくそれを確かめるための問であろう。レリイゼはそう推測した。
「い、い、居ねぇよ!」
裏返った声だった。
「そうか、そうか……」
ジィスの腕がそばに立てかけてあった角材に伸びる。
こういう場合、『居ない』と答えるに決まっている。もし、チームが居るとしても、素直に『居る』と答えれば、構成員、ネグラなどを聞かれ、再び答えるまで拷問が行われる。そして、それに答えれば、裏切り者だ。ここから無事に逃げおおせたとしても死ぬよりつらいめに合わされ、惨たらしく殺される。
つまり、どのように答えようが、拷問は行われる。『居る』と答えるか、継続不能になるまで。そして、彼に残る生き残りの芽は砂粒よりも小さい。
「困るな。正直に答えてくれねぇとよぉっ!」
ジィスが角材を力任せに振り下ろす。
「ぐぅッ! ギャぅッ!」
レイブはたまらず、悲鳴を漏らした。皮膚が破れ、真皮がむき出しになる。
「レリィゼ、ちょっと塩とってきてくれよ。ありったけ、な」
それがどのようなことに使われるのか、レリィゼは知っている。しかし、それはこの町を守るために必要なことだ。
レリィゼは顔をしかめながら「ええ」とうなずき、部屋を出た。
後ろからは骨に響く打撃音と、男のうめき声、悲鳴が途切れること無しに聞こえていた。
使っているキッチンがある家屋――子供たちが眠っている家屋に入り、塩の塊、岩塩(海がないため、ここでは岩塩が主流だ)を手に取る。
壁と距離を置いても悲鳴は聞こえてくる。だというのに、子供たちが眼を覚ます様子はない。もう、慣れてしまっているのだろう。
抱えられるだけ抱え、拷問部屋に戻る。
床は血に染まっている。凶器もだ。ジィスの息が荒い。よほど殴ったらしい。
縛られたまま、なすすべもなく呻くレイブ。まるで、蛇に丸呑みにされている最中のネズミのようだ。
「ご苦労」
ジィスは言いながら、塩の塊を受け取り、躊躇なくレイブのむき出しの真皮に擦り付ける。
「GYAAAOOOOOOOOAOA!!」
レイブのめちゃくちゃな悲鳴があがった。喉が潰れるほどの悲鳴だ。瀕死の芋虫のように無様にのたうつ。
レリィゼの形のいい眉が歪む。とても正視できるようなものではない。
男の声が割れ、枯れ果てたころ。男はチームであることを認めた。
「ようやく、次の質問だな。じゃあ、ボスの名前をしゃべってもらおうか」
ジィスの口調は相変わらずだ。
――もしかすると、拷問を楽しんでいるの?
思ったが、口には出さない。
レイブはひゅうひゅうと荒い息を吐きながらもすぐに口を開いた。チームであることを認めてしまったのだ、いまさらシラを切っても仕方がない。
「ギィル、だ」
ジィスの様子が変わる。その名を聞いた刹那、彼の表情が崩れた。
「ギィル、だと」
「それって、何者なの?」
ジィスの様子にただならぬものを感じ、問うレリィゼ。しかし、彼はその問に
答えない。代わりに、床に突っ伏しているレイブの胸倉を掴む。レリィゼの腰ほどもある上腕が隆起し、レイブの身体が持ち上がる。
「テメェっ! アイツは今何してる!? アイツはいつ来るんだ? どっちから来るんだッ? ヤサは? オイッ! 答えろぉッ!」
レイブが床に叩きつけられる。頭からだ。
「おらっ! 答えろッつてんだよっ! あぁ!?」
怒りに取り付かれた表情で、倒れている彼をところかまわず踏みつける。頭、首、ボディ。何度も、何度も、まるで何かに取り付かれたように。
「ちょっとッ! 待ちなさいッ!」
慌ててレリィゼが凶行をとめようと、後ろからを羽交い絞めにした。しかし、力、体重ともにジィスが圧倒的に勝っている。レリィゼの華奢な身体では押さえきれるものではない。力任せに引き剥がされ、吹っ飛ばされる。
ジィスはなおも狂ったようにストンピングをやめない。
「クソッ、クソッ、答えろよ! おい、答えろぉッ!」
レリィゼは悟った。コレは怒りではない。恐怖だ。ジィスは『ギィルに』への恐怖に取り付かれている。怖いから、『ギィル』に対して少しでも有利になる情報を求めている。
レイブの肉がぶつかる、骨がきしむ。血を吐く。内臓までいっているかもしれない。
彼は既に白眼を向き、気を失っている。いや、下手をすれば……。
「待てって言ってるッ!」
ジィスに向かい、加速、体重を乗せ容赦のないハイキックを放つ。頭部にクリーンヒットし、今度はジィスが吹っ飛んだ。いかに、レリィゼが軽くても、スピードを乗せれば、大の男でもこうなる。
倒れたジィスがギクシャクと身体を起こす。狂気は既に去っていた、しかし、代わりに絶対的な恐怖が彼を支配していた。手足は振るえ、顔は青ざめている。
――パァン!――
思い切り腕を引き、バックハンドの平手で頬を打った。
「しっかりしなさい。アンタは子供たちのヒーローでしょう? アンタが、あの子達と助けたんでしょう? アンタがしっかりしなくてどうするのよ」
「そんなの、知ったことじゃない」
レリィゼの頭に疑問符が浮かぶ。
「第一、俺はヒーローなんかじゃない」
「……どういうこと?」
「オレも以前、この町に居た連中の一味だ」
「それって」
「あぁ。裏切ったんだ。使役されていた奴らに声をかけ、利益をむさぼっていた連中を殺し、追い出し、利益を独占しただけだ。ただ、頭の首がすげ変わっただけなんだよ。ギィルはそのときに追い出した当時のボスだ。オレがこの町に居ることを知ったら必ず復讐にくる……」
「それでも、あの子達は、貴方を頼りにしている。だから、貴方はヒーローよ。今までもずっとこの町を守ってきたんでしょう? あの時に私に向けた銃口はなんだったのよ」
しかし、ジィスはあざ笑うように答えた。
「そんなもん、自分の身を守るために決まってる。そうさ、ガキのために命張っても仕方ねぇ。全部、自分が生きるためにやってんだよッ! ガキ共が死のうが生きようが知ったことか。ボディーガード気取りも終わりだ」
「そんな……じゃあ、貴方は、あの子達を残して逃げるっていうの?」
「あぁ、そうだ。ギィルに睨まれたら生きていけねぇ。アイツは裏切り者を許すようなやつじゃねぇし、金になるのならすぐに行動を起こす。アイツの気性なら、もう、こっちに向かってるかも知れねぇ。だったら攻めてくる前にとっととトンズラするに限る。ガキ共を残していけば時間稼ぎくらいにはなるしな」
そう言い、ジィスはレリィゼに背を向ける。
「……見損なったわ」
「……買いかぶり過ぎだ。それに、自分の身を守ろうとするのが、なぜいけない? 大体、ここじゃ、当たり前だろうが。ヒーロー気取りは長生きできねぇよ」
ジィスはそうはき捨て、部屋を出る。おそらく、すぐに荷造りをし、夜明けまでに出て行くつもりなのだろう。
そして、拷問部屋には血まみれのレイブと立ち尽くすレリィゼが残された。
7、臨戦
レリィゼはレイブのそばに近寄り、いつも携帯しているハンティングナイフでロープを切った。ついで傷の具合を確認する。
「うぅぅ……」
肋骨が折れているのを確認した時、うめき声がした。何とか生きているようだ。
「ねぇ、生きてる?」
「……あぁ」
レイブが弱弱しく答えた。だが、なんとかしゃべれるのなら、命に関わる傷はないだろう。
「よかった……、立てる?」
倒れている男に手を貸す。レイブは戸惑いながらもその手を取り、何とか立ち上がった。
「さっきから、どういう、風の吹き回しだ、よ?」
レイブが言った。かろうじて聞き取れるかどうかの声。発声するのも辛いのだろうが、それでも尋ねずにはいられないようだ。
「別に、貴方を殺しても何の特にもならない。それだけ」
「……アンタ、優しいんだな」
「ただの自己満足よ。――それよりも、さっさと逃げたほうがいいんじゃない? 貴方はもう裏切り者、逃げた男の報告でギィルって奴が来るんじゃないの?」
「そうか、そうだな。すまねぇ」
男は、よろけながらも部屋を出て行った。
これで、後に残るのはレリィゼだけだ。
「逃げるのが、当たり前、か」
左袖をまくる。そこには美しい肌には不似合いな、醜い傷痕がある。
その傷は、レリィゼの罪の証だった。自らの罪を、自分でナイフで刻む。それを罰とすることでレリィゼは罪の意識と折り合いをつけてきた。
傷を見れば思い出す。この傷を継いだときのこと。その相手は父の仇、そいつを自らの手で殺した。
軽い引き金、今でも忘れない。
傷を見れば思い出す。初めて虎縞の傷を見たときのことを。父が殺された時のことを。
そして、最後に思い出したのは、マリエの腕、皮膚が焼け、引きつれた、無残な傷痕。
彼女の笑顔を想う。彼女は今まで辛い思いをしてきた。それが、やっと終わったのだ。この楽園を、あたたかい楽園を守りたい。
あのスープは美味しかった。あの食卓は暖かかった。久しぶりに温もりを感じた。
自分のしようとしていること、それはただの偽善、わかっている。なぜなら、マリエが生きているのと同じように、これから、町を襲いに来る連中も生きているからだ。限られた条件で生きられるのは強い方、それならば、マリエ達が死ぬのが道理。しかし、やらせない。自分がこの町を守るからだ。それは不自然な行為、不平等な行為、アンフェアな行為。
極論すれば自己のため、エゴのために他人を殺すということ。それは罪だ。
レリィゼは、ロープを切ったナイフを左腕にあて、ゆっくりと引く。紅い線が流れ、鮮血が垂れる。罪の烙印だ。
――罪でもいい、私は彼女を守りたい。この生活を守りたい――
自分のために戦ってくれた父も、こんな気持ちだったのだろうか。父の死はすべての始まり。父が殺され、私は仇となったティグレという男を殺した。
私の罪、それは、父を見殺しにしてしまった罪、そして、その罪から逃れたいというエゴのためにティグレを殺した罪。
――父の死の再現。今度は私が父の役だ。私が死んだら、マリエ達は仇を取ってくれるだろうか。
――酒はストレートに限る。水割りやロックなんてのは酒の味のわからねぇ阿呆のやることだ。
黄ばんだシーツ、薄汚いアジト。ギィルはベッドに腰掛け、角瓶を煽った。高純度のアルコールが喉を焼く。これで多少は気分が紛れる。
――まさか、あの裏切り者の糞野郎が生きていたとはな。
あの腰抜けの事だ。自分を裏切った後、取るものを盗ってさっさと逃げたと思っていたが、ふてぶてしくもあの町に居座っていたのはまったくの盲点だった。もしも、自分が同じ立場なら、自分の『お気に入り』だけを残してガキ共などさっさと売り払って金に代え、さっさと高飛びを決めこむ。大人数を管理するのは手間がかかるし、餌代も馬鹿にならない。
――まったく、大間抜けだ。クソッタレめ
再び瓶を煽った。中身はもうない。壁に投げつける。
ガラスの砕ける音。耳障りだ。
まぁ、いい。今、取り巻き共――強者にとりつき、おこぼれを狙うちんけな小判鮫だ――に襲撃の準備をさせている。夜明けとともに襲撃するのだ。
そうだ。家畜を取り戻し、あの屑野郎を血祭りにあげるのだ。
着慣れたジーンズとシャツを身に着ける。豊かな金髪は邪魔にならないように後ろで束ねる。いつもの格好。そういえばティグレを殺したときもこの服装だった。
腰には手垢がつくほど馴染んだハンティングナイフ。足首には護身用の銃――ダブルバレルのデリンジャー――をくくりつける。小口径で、気休めにしかならないが、無いよりはましだ。
銃はサブウェポン。メインはナイフだ。
夜明けまで後二時間といったところだろうか。
子供達の寝ている部屋。片端からたたき起こしていく。不満げな視線を送るものもいたがかまわない。永遠に眠る羽目になるよりはましだろう。
皆が覚醒したのを確認し、状況を説明する。昨日捕らえた男が喋ったこと。ギィルという男が近くここを襲うであろうこと。――ギィルについては不確実な情報だが、あのときのジィスの様子からすれば、おそらく、間違いないだろう。
ギィルが以前この町を支配していた男、ということは伏せておいた。皆が動揺するのを防ぐためだ。冷静さを欠いてはことを仕損じる。
「わかったよ。レリィゼさん」
話を終えた時、マリエが言った。瞳はすでに指揮を取る者のそれだった。
「みんな、よく聞いて、サムとミリィ、ミックとフェイでチームを組んで、基本は待ち伏せ。足の速い男共は、囮。たぶん、子供だと思って舐めてるはずだから。姿を見せればすぐに追いかけてくるはず。サム、ミックで、相手を分断して。狭いところに誘い出せば地の利が活かせる」
「あぁ!」「任せとけ」
マリエの言葉に、力強い返事が返ってくる。こういう荒事はいままでにもあったのだろう。
「女性陣は油断して追いかけてきたところを各個撃破。相手に体制を立て直す暇を与えないようにね。私とレリィゼはそのギィルってやつをピンポイントで狙う。――いいよね」
レリィゼに問う。無言のままうなずいた。
「銃は二挺あるから、ミリィとフェイがもって。囮は危ないかもしれないけど、おそらく、生け捕りにしようとしてるから、つかまらない限り大丈夫、――それから、みんな、無理はしないで。こっちがギィルをやれれば、崩れてくれるから。時間を稼ぐだけでもいいよ。以上、質問がないなら、ミーティングは終わり。各自、持ち場について」
各々のチームが散っていく。下手な軍隊よりも統率が取れているようだ。マリエもレリィゼと持ち場――こういうときのために、あらかじめ決められているのだそうだ――に向かう。マリエに案内され、ついたところは入り口付近の家屋だった。二人は中に入り、壁を背に座る。
「ねぇ、マリエ」
「なぁに?」
「ジィスのことは聞かないの?」
気づいているはずだ、ジィスが姿を見せない事に。
「え? 別働隊の偵察でしょう? いつもそうだもの、後は私達の仕事」
さも当然という口ぶり。信用しているのだろう。
「……そう」
レリィゼは、曖昧な返事を返すことしかできなかった。
8、笑顔の銃弾
夜が明ける。
地平線が白み始める。紫色の黎明。
『町』は静寂に包まれている。しかし、それは研ぎ澄まされた緊張を含む。嵐の前の静けさ。
皆、息を殺し、感覚を研ぎ澄ます。それは、狩られる草食獣よりも今まさに飛び掛らんとする肉食獣を思わせる。
マリエ、レリィゼは入り口付近の家屋に潜んでいた。
他の皆が囮となり、相手を誘い込み、分断、および霍乱する。ついで、レリィゼがリーダー格となる者を狙う。それが、マリエの立てた作戦だった。
二人、ならんで壁に背を預け、目を閉じている。無論、体を休めているだけで。眠っているわけではない。意識は覚醒している……。
―― ガチャ ――
『ッ!?』
ドアに手をかける音。いつの間に? 考えるのは後だ。
瞬間的にレリィゼの体は動いていた。
ドアノブがひねられ、開くまでに距離を詰める。その勢いのまま、ドアごと侵入者を蹴り飛ばした。
なすすべもなく倒れる人影。そいつが体制を立て直す前に馬乗りになり動きを封じる。
そのまま、ナイフを振るい、頚動脈を……
「レリィゼさん、ダメッ!!」
マリエの声に反射的に腕を止める。白刃と皮膚とは小指ほどの空間しかない。彼女の声がなければ血の雨が降っていただろう。ジィスの太い首であっても、レリィゼのナイフは容易く断ち切る。
「よぉ、ずいぶんと情熱的な挨拶だな」
「ジィス!?」
罰が悪そうに苦笑いをするジィス。
レリィゼは拘束を解き、立ち上がった。彼ものそりと立ち上がり、わざとらしく埃を払う。
「あなた、どういう――」
「静かに!」
物言いたげなレリィゼをジィスが黙らせる。
「今、見てきた、やつらこっちに向かっている。戦力は十五人、馬も十五頭だ。――マリエ、俺が代わる。お前はみんなの所に行ってやれ」
といい、自分の持つ銃の片方を彼女に渡した。
マリエは、グリップを握るや、弾装部を開き、残弾を確認する。銃を使うものの癖。彼女も相当に手馴れているようだ。
「うん、ジィス、死なないでね」
「あぁ。お前こそ」
がっしりした腕と、か細い腕が組合い、離れた。彼らの挨拶だろうか。マリエは背を向けると他の仲間のもとへと走った。
マリエの姿が見えなくなるのを確認し、ジィスは床に座った。レリィゼもそれに習う。先ほどと同じように壁に背を預ける。
「あんた、どういうつもり? 逃げるんじゃなかったの? この腰抜け」
真剣に問うレリィゼ。それに対し、ジィスは苦笑いでごまかすように答える。
「逃げるより、戦ったほうが生き残れると思っただけさ。逃げ回るのも疲れるし、あんた、結構使えるみたいだからな。俺ぁアンタみたいなお人よしでも偽善者でもねぇ、自分のために戦うだけだ」
「そう、まぁ、いいわ」
「あっさりしてるんだな」
「別に、戦ってくれれば助かる、それだけよ。理由なんてこの際どうでもいいわ。裏切る理由がないのならね」
「そうか……、そうだな」
音が聞こえてくる。蹄の音、嘶き、喧騒。
そう、殺し合いが始まるのだ。
生きるという目的ために。
ギィル率いるグループが町へと入っていく。見たところ、あまり統率は取れていないようだ。
レリィゼは窓のふちから、そっと様子を窺う。
一番後ろにいる男がギィルだろう。背丈はジィスより低いようだが、その分横に広い。その体を構成するのは、脂肪ではない、筋肉である。昔、この町を支配していた過去は伊達ではないようだ。
囮役の男共を見つけると、そいつはわめき散らすように支持を出すと、何人かが二グループに分かれ、追撃を始める。
人徳などではない、暴力による統率。周りにいる連中からは恐怖の感情が読み取れる。反乱や失敗には制裁が加えられるのだろうか。
いいように扱われ、生殺与奪を握られても、強い者、能力のあるものに付き従わねば生きる術を知らない。哀れな下僕。
当の本人は、酒瓶を取り出すと、グビグビと煽り始めた。周りのチンピラに任せ、自分は高見の見物を決め込むらしい。周りに何人か残してある。ボディガード、というよりも弾丸よけと言ったほうが正しいだろう。
それはエゴイスティックな恐怖政治をしく暴君そのものだった。
――やってられんねぇ……
つくづくそう思う。誰だってそう思うはずだ。エゴイストで強欲なリーダー。そんな屑についていかなければ生活できなければならない状況。泣きたくなる。
今日も土ぼこりに紛れ、凌いでいかなければならない。
馬を降り、銃を抜く。目の前にはゴーストタウン。ここにガキだけで住んでいるとギィルは言っていた。ガキはいい金になる。少なくとも、しばらく、ベッドで眠れる程度の贅沢ができるくらいには。まして、今回は邪魔をする者は少ない。ローリスク、ハイリターン、絶好のカモだ。嫌でも気合が入る。ガキなんて銃で脅せばすぐに言うことを聞くだろう。ちょろい獲物だ。
息を殺し、歩みを進める。張り詰める空気。
それはあっけなかった。
入ってすぐの広場で坊主が遊んでいるのが見えた。カモだ。
さすがに俺と眼が合うと走り、路地へと逃げ込んだが、所詮は子供、速度はたかが知れている。追いつくのは簡単なはずだ。
ふと後ろを振り返る。ギィルの野郎が酒を飲みながら、顎で『行けよ』と示すのが見える。クソッタレめ。いちいち腹が立つ。
俺は無言で向き直ると、路地へと走った。他の連中も何人か着いてくる。
小僧が消えた路地を曲がり、銃口をそこへいるはずの標的に向ける。
「いない!?」
不意の轟音。悲鳴。はめられた!?
狭い通路で身動きができず、片端から狙い撃ちにされていく。
飛び散る脳漿。
充満する血の匂い。
中身をぶちまけられた、無様な骸。
気がつけば、俺は一人だった。
「作戦大っ成っ功〜」
己の勝利を確信し、狙撃手が姿を現した。十五歳くらいの女の子、右手に握られたリボルバーがひどく不似合いだ。
「ってわけだから、貴方も死んでね」
黒い銃口が向けられる。死を告げる俺の死神。
――やめろ、死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない……
トリガーが引かれ、ハンマーが落ちる。瞬くマズルフラッシュ。弾丸が俺の頭蓋骨を直撃し、脳をぐちゃぐちゃにかき回す。
俺の下らない生涯はこうして終わった。
9、炎
壁の向こうから銃声が聞こえる。どうやら始まったようだ。ギィルの周りには取り巻きガ何人か残っているが、こいつらは離れてくれそうに無い。仕掛けるころあいのようだ。
レリィゼは意を決し、ナイフを抜いた。銃は苦手、まして、足首にくくりつけられているデリンジャーでは小口径過ぎて狙撃など不可能だ。確実にしとめるには接近戦で首を掻き切るしかない。
ふと、肩に温かい感触。
その主はジィスだった。
彼はレリィゼを押しのけると、ゆっくりと自身のリボルバーを抜いた。
『俺が殺る』
鋭い瞳はそう語っていた。過去の因縁は自分で決着をつける。そういうことだろうか。
手首を返し、スイングアウト式の弾装を開く。六発。各々の薬室にきっちりとつまっている。それを確認し、弾装を戻した。
親指で静かにハンマーを起こす。キリキリと弾装が回転する音がやけにうるさく感じる。
――カチリ――
ハンマーが完全に起きた。後はトリガーを引き絞るだけだ。
肘を窓枠に当て、固定する。奴は……気づいていない。
ゆっくりと拳銃を降ろしていく。
照星が照門と合う瞬間。ジィスはトリガーを引き絞った。
ハンマーが弾丸のプライマーをたたき、火薬が爆発した。純戦闘用の大口径弾が空の薬莢を残し、ギィルに向かって猛進する。
弾丸が肉に食い込む音、悲鳴。
しかし、ジィスがもらしたのは「畜生ッ」という悪態の言葉だった。
ギィルはジィスの方を向き、不敵な笑みを浮かべていた。血を流し、弱弱しく痙攣する男の影から。
文字通り、ジィスは取り巻きを弾除けにつかったのだ。
ジィスはそのまま何発もトリガーを引いた。しかし、ギィルは人を盾にこれを凌ぐ。着弾するためにうめき声が聞こえ、それは男がまだ生きていることを示す。
彼は用無しとばかりに絶命寸前の男を蹴り飛ばし、銃を抜き応戦する。周りの連中も続く。今度はジィスが窓の下へ伏せなければならなかった。
奇襲は完全に失敗した。
「すまん!」
弾雨にさらされながらジィスはレリィゼに詫びた。そうしている間にも窓枠は弾丸に抉られ、破片が舞い散る。
「別にいいわよッ! 死ぬときはアンタも死ぬんだから!」
レリィゼが窓枠から手だけを出し、デリンジャーを撃つ。気休め程度の牽制だ。
ジィスはそれを見、足首をめくると、くくってあるリボルバーをはずし、レリィゼに投げて渡した。
「下手糞でも牽制くらいはしてくれよ」
「あなた、何挺持ってるのよ?」
「俺は臆病なんでな」
呼吸を合わせ、二人で何発か連射する。一瞬、相手の銃撃が止んだ。
その一瞬で窓から外を覗いた。向かいの家屋へ入り込む姿が見える。撃ち返されないうちに首を引っ込める。
障害物に隠れての撃ちあいでは、双方ともに身を守るのが容易い。つまり、決定打を与えにくくなる。
――持久戦……か。相手のほうが頭数が多い分有利……。何とかしないと……
レリィゼはジィスの拳銃を握り締めた。
ギィルはイラついていた。よりにもよってあの裏切り者に命を狙われるとは……。あんな屑野郎なんざ、さっさと片付けてしまいたいが、この状況ではそう簡単に事は進まない。
どうしてこんな屑のような町一つ満足に制圧できないのか。この、役立たず共め。
先に到着したやつらも応援に来ない。ガキ共に殺られたのか。能無しはこれだから使えない。まともにできる仕事は弾除けくらいだ。
「……くそったれめ……」
酒を一口煽り、あたりを見渡す。特に武器になりそうなものはない。
いや。
ギィルの眼が留まった。
壁の棚にならんだ高純度の酒。昔、自分が集めたものだ。思わず口元が歪む。
――ツイてるぜ。まだ、運が残っていやがる。――
「お前ら、手伝え!」
窓越しに応戦している連中を怒鳴りつけるや否や、ギィルは自身の服を引き裂き、酒瓶の口に押し込み始めた。
酒は燃える。そして炎は武器になる。
「妙だな……」
「そうね……」
レリィゼ、ジィス共に違和感を感じていた。先ほどまでと比べ、応戦が散発的になったようだ。弾薬が切れたのだろうか? いや、時間の感覚はわからないが、切れるなら人数が少ないこちらが先だ。とすれば、なにかの策だろうか。
わずかな思考。攻めるか、守るかの一瞬の逡巡。その間に勝負は決まる。
窓から相手を窺う。不意に弾丸以外の物が飛んで来る。それは炎の固まりに見えた。放物線を描き、レリィゼ達が隠れている家屋の周りに当たる。それは外れたというよりもわざと外したようだ。
着弾したところから火の手が上がる。――まずい……
「火炎瓶、だな。火責めにしていぶりだすつもりか……」
ジィスが苦々しげにつぶやく。火の回りが早い。相当数が投げ込まれている。
この家屋は未だ無事だ。しかし、それが奴等の狙いなのだろう。まず、逃げ場を無くすと同時に、逃げる獲物を追い込み。時期が来たところでここに火をつける。炎に巻かれて焼け死ぬか、逃げ出したところを待ち伏せに会い、蜂の巣になるか……。それが連中の書いた筋書きだろう。
何かが崩れる音。どこかの建物が燃え落ちたようだ。額に流れる汗は炎の熱によるものだけではない。
不意に裏口の扉が開く。
二人は反射的に銃口を向ける。
「あたし達だよ、お二人さん」
入ってきたのはマリエをはじめとする。子供たちだった。幸いにも全員、無事だ。
「よぉ、お前ら。生きていたか」
ジィスが言った。皮肉じみた言い方。ふざけ半分。
「ジィスの兄貴こそ」「悪い奴程長生きするんだぜ?」
子供たちが口々に言い返す。こちらも、冗談を言うような口調だ。笑いたくなる程、絶望できな状況という事。
「ほら、挨拶はそのくらいにして、この状況を何とかすること考えましょ」
マリエの言葉で皆の瞳が真剣に戻った。どんな状況であっても、最善の手を尽くす。絶望など無意味だ。そうやって今まで生きてきたのだろう。タフな子供たちだ、と思う。
「……そうだな、お前ら、銃は?」
ジィスに言われ、狙撃役を受け持った者が各々銃を差し出す。レリィゼもそれにならう。
全部で、五挺しかない。正面突破はまず無理だろう。むこうの火力は圧倒的に多い。ジィスの溜息が漏れる。そんなジィスをレリィゼが睨み付ける。
「……畜生め……、なんか……なんかねぇのか?」
炎の中に活路を見出す。という手もないわけではない。しかし、炎は町のほとんどの建物を飲み込んでいる。おそらく、あの中は有毒ガスが充満しているはずだ。火災で最も怖いのは炎ではない、それによって発生する気体だ。致死量は要らない。ほんの少し、行動不能になったら最期だ。意識が途切れた後、炎で死ぬか、ガスで死ぬか。どちらにしろ行き着く先は一緒だ。
また、子供らがここにいるということはすでに退路は断たれているということだ。そうでなければ、わざわざ、危険な場所にとどまる理由はない。
そんな八方塞りの状況。
しかもジリジリと状況は悪化していく。
救いの手は意外なところから差し伸べられた。
「困ってんなら、助けてやろうかぃ?」
嘲りの混じった提案。
声の主は、ギィルだった。
9、ケジメ
声は続く。
「俺はなァ。別にお前らを殺すのが目的ってわけじゃない」
君の悪い猫なで声。
「そこのジィスって薄汚ぇ裏切り者の頭ぶち抜け。そうすれば助けてやるよ」
「裏……切り……者?」
マリエの呟き。
「言うな! ギィル」
「その声……マリエか。まさか、ジィスと一緒だったとはな。懐かしいなァ。ちょうど、おめェの悲鳴がききてェと思ってたんだよ」
銃声。
マリエが撃った銃弾がギィルの家屋にめり込んだ。
「五月蝿いッ!」
「そう、カッカするなよ――おめェがどういうつもりかは知らねェが、ジィスはもともとは俺んトコの下っ端だ」
「嘘よ。だってジィスは私を助けてくれたよね。ね、そうだよね? ジィス」
マリエの問いにジィスは黙したまま答えない。
「まぁ、そいつみてェな下っ端にゃ、女抱いてる余裕なかっただろうからな、おめェが知らねぇのも無理はねぇ――そいつぁな。散々悪どい事をやったあげく、善人ぶってのうのうとお前らと生活してたんだよ」
「やめろ!」
ジィスが叫んだ。しかし、その叫び声はどこか弱弱しい。
「やっぱり、そんな裏切り者は生かしておけねぇよなぁ。だから、そいつを、俺に見えるようにぶち殺せ。そうすりゃ全員助けてやるよ。考えるまでもねェ話だろう」
マリエの右腕がゆっくりと動く。
「本当? ジィス?」
彼は黙ったままだ。真剣なマリエに、誰も口を挟む余地はなかった。
「そう……」
マリエはその沈黙を肯定と受け取ったのだろうか、弾装を振り出し、残弾を確認すると、ジィスの額に銃口を向ける。
「どちらにしろ、ジィスだけで済んだら安いもんだよね」
「待てよ、マリエ! やめてくれ。撃つな」
ジィスの歯がカタカタと成り始める。
「ねぇ、本当なの? 正直に答えてよ」
マリエは改めてジィスに問うた。無表情のマリエ、対照的に、ジィスの怯えた顔。
「あぁ、そうだ! 本当だよ。俺はあの日、ギィルを裏切り、この町を奪った!」
自暴自棄気味な独白。
「そうだ、あんな奴に俺の命を握られるのが嫌になったんだ。騙したつもりは無かった。いまさら、のうのうと暮らせる身分じゃないのかもしれない……。だが、俺はもっといい生活をしたかった。もっと安定した生活をしたかった。そう思うのがそんなにいけないことなのか?」
「それで、全部?」
マリエの親指が動く。ゆっくりと、しかし、確実にコッキングする。
――カチリ――
ハンマーが起きる音。
「マリエ、ダメ!」
レリィゼがマリエを止めようする。しかし、マリエの人差し指が引き金を引くほうが早かった。
蘇る腕の痛み。熱さ。
自身の悲鳴
男たちの笑い声
死にたい
そう思ったことは何度もあった。
死にたくなるほど痛くて
死にたくなるほど辛くて
でも、そう思うたび、想いを振り払った。
死んででたまるか
あたしは生きるんだ
生きて、自由を手に入れるんだ。
そのためにはなんだってやってやる。
たとえ、
汚辱にまみれ
泥水をすすり
小石を食らおうとも
あたしは絶対に幸せを手に入れるんだ。
虚しい音が響いた。
カチン、という乾いた音。ハンマーが空の弾装を叩いた音だ。残弾を確認した際、抜いたのだろう。
「なんてね」
ジィスは腰を抜かしへたりこんだ。
「今、ジィスを殺しても何にもならないものね。大体、ジィスを殺しても、どうせあたし達捕まって、こき使われるんでしょう。だったら、徹底抗戦しかないよ」
過去の因縁を挟まない。クールな思考。
「ということで、交渉決裂。――ほら、ジィス。さっさと立ってよ。情けないよ」
「あ、あぁ」
そう言い、ジィスに手を貸すマリエ。
「ガキ共は傷物にしたくなかったんだが……。そういうことならしかたねェやな」
ギィルがそう告げるや否や、火炎瓶が雨のように投げ込まれた。床に当たり、瓶が割れるとともに、酒が飛び散り、火が回る。
さほど大きくも無い建物だ。瞬きほどの間に炎は天井までを飲み込む。消火は絶望的だ。
熱い。焼かれた空気が皮膚をじりじりと焦がす。そのうちに柱が焼け、建物が倒壊するだろう。そうなれば、終わりだ。
生きたまま丸焼きにされる豚の心境。このままでは確実に焼け死ぬ。
それなら、打って出る、か。
ふと、左腕の傷が目に入る。
すべての始まりは、父の死だった。父は自分のために死んだ。
そのとき、レリィゼは罪を負い、購いの生を歩み始めた。父は私のために死んだ。なら、私も……
「私が、出るわ」
こんな状況で打って出ること、それは死を意味する。
――そうだ。死ねばいい。死ねば、罪も罰も何も無い。
「そんな、自殺行為だよ」
マリエが言った。もっともだ。
ここにいたって同じでしょう? 私、脚の速さには自信があるの。だから、今から、向こうに走りこんでギィルの首を取ってくる」
「そんなの、できるわけ……」
「ギィルを殺るのは無理でも、奴らの注意を引き付ける事くらいはできる。その隙に脱出して、多少は逃げやすくなるはず」
レリィゼは笑みを作ってみせた。もう、覚悟は決まっている。
「これが一番マシな方法だと思うの。だから」
レリィゼはもう一度、笑みを作った。それで、マリエは何かの意味を汲み取ったようだ。
「わかった。行こう。みんな」
他の皆も反論があるようだが、マリエに従う。
「ちょっとまてよ」
ジィスだった。
「俺も行く。ギィルの野郎をこのままのさばらせて置けるかよ。せっかくだ、ここでケジメをつける」
「わかった。気をつけて」
マリエが言った。レリィゼとは違い、反論はしない。それだけ信用があるのだろう。
「おぅ。そっちこそな」
他の子供達も口々に無事を祈る言葉をかける。ジィス、レリィゼ共に笑って言葉を返した。
「じゃあ、行くわ」
レリィゼは愛用のハンティングナイフを引き抜く。
「おぅ」
ジィスは短く答え、二挺のリボルバーを引き抜いた。
二人は、マリエ達に背を向け、建物の正面玄関へと歩き出した。
ジィスはリボルバーの弾装を開き、弾丸を押し込む。右と左に合計十二発。
「ねぇ、あなた。なんでこんな役を買って出たの? あの子達と一緒に逃げても良かったのに」
「ふん、あんなダサいトコみられたんだ。ちょっとはカッコつけさせろ」
「格好付けて死ぬつもり? 本当の事言いなさいよ」
「だから、言っただろう。ギィルだよ。この先、あんたみてぇなのと組めるチャンスは無いかもしれないからな、今のうちにアイツにとどめを刺しておいたほうが安心できるってもんだ」
「ふぅん。まぁ、そういうことにしておこうかしら」
「あんたこそ、どうなんだよ。ごまかすな。わけわかんねぇよ」
「別に、ただの罪滅ぼしよ」
「はッ、死んで購うってか? 死体はなんにも言わねぇ。生きてる奴が勝ちだぜ?」
ジィスは嘲るように笑った。それが、ここでは普通なのだろうか。
「あんたにはわかんないでしょうね。いいのよ。私が死ねばそれが『ケジメ』になる。私のね。――もう一つ質問、いいかしら?」
「あぁ」
「あんた、ホントに何挺持ってるの? 重くない?」
「企業秘密だ……」
ジィスの手がドアノブにかかった。互いに顔を見あい、呼吸を合わせる。
そして、ジィスが扉をけり開けた。
同時に彼が弾をばら撒く。もとより、命中精度など必要ない。ただの乱射でいい。少しでも牽制になればいい。
相手が怯んだ刹那、レリィゼが奔り出る。
左腕を前にかざし、急所のみを守る。後のことなど知らない。ギィルのところまで行き着ければそれでいい。
ターゲットを視界の中心に捕らえ、疾駆する。
弾雨が途切れたのはわずか一瞬。前方から銃弾が撃ち返される。ジィスも撃ち帰すが、抑えきれるものではない。
レリィゼは銃弾など気にも留めない。
左腕に食い込む熱い感触。貫通し、骨ごと抉られる。続いて腹部。鉄の味がこみ上げる。
しかし、彼女は止まらない。
奥歯が割れるほどかみ締め、耐える。ただひたすらに前へ。
どこに何発当たったのか
体が痛いのか熱いのか
もう、何がなんだかわからない。
――身体のことなど知らない、知ったことじゃない。
重要なのはターゲットの間合い。
ギィルの首が射程内に入ったことを確認し、跳ぶ。
奴が銃を構える。
遅い。
すでに間合いはナイフ。銃弾はレリィゼの髪を掠めただけだ。
そしてナイフが首筋へ……
ふと、視界にギィルの瞳が入った。
最期の瞬間。暴君は、微かに笑ったように思えた。
それは、因果応報の諦めの笑みか、それとも、開放の喜びの笑みか
そして
鮮血の花が咲いた。
床、体、視界。全てが紅に染まる。血の雨。
ギィルの首が舞い、残された身体は糸の切れた人形のように、ゆっくりと崩れ落ちた。
それと同時に、レリィゼの身体が揺らいだ。深紅に染まった身体は返り血か、自らの血か。
ゴボリと彼女の口から血が吹き出る。口の端から血が流れ落ちるが、ぬぐいもしない。
次の標的へ向かい、地を蹴る。
だが、脚に力は入らず、血溜りの中に無様に崩れ落ちた。
身体に力が入らない。痛い? 熱い? 苦しい? よくわからない。
意識が紅に呑まれていく。死へと墜ちていく。
意識の欠片が最期に想ったのは
マリエの悲しむ顔だった。
10、答え
いつかのベッド、レリィゼは痛みに眼を覚ました。
死んでもいい、いや、死ぬべきだと思っていた。しかし、死ぬわけには行かなかった。
――そうだ、マリエは私だ――
自分が死ねば、マリエに自分と同じ罪を着せることになる。それはしてはならないことだ。
それは、死にたくないという自分のエゴを裏返したものでしかないのかもしれない。結局のところ、罪だの、罰だのと自分だけの言い訳に過ぎないのかもしれない。
『ねぇ、あなたも、こんな気持ちだったの?』
自分の手で殺した。左腕の傷を受け継いだ相手に対しての言葉。言ってから馬鹿なことを言ったと思った。その男は、もうこの世界にいないのだ。それこそ、自己満足に過ぎない。
身体を起こす。全身の痛みに身を竦める。この間と同じように、やっぱり裸だった。ただし、今回は体中に服を着なくてもいいくらいの包帯が巻かれている。
左腕を、痛みをこらえて持ち上げてみる。やはり、白い包帯で隠されている。その下にあるはずの傷は今は見えない。
――コツ、コツ――
ドアがノックされる。
「どうぞ」
声を出すのが予想以上に大変だった。おまけに、自分の声とは思えないほどしゃがれた声だ。
スープをトレーにのせ、入ってきたのはマリエだった。
「レリィゼ、眼が覚めたの?」
マリエは起きているレリィゼを見るなり、ぱたぱたと走りよってきた。スープをそばに置くと、そのまま抱きつく。無論、傷だらけのレリィゼはたまったものではない。悲鳴が出るほどの痛み。だが、悲鳴は堪え、「ちょっと、痛いわよ」とだけ言葉にした。
「心配したんだよ。みんな、心配したんだよ。銃声が途絶えた後、倒れてるところを見つけて、無事な所見つけるくらいボロボロだったんだから」
マリエは泣いていた。
「そう……」
「『そう』じゃないよ! まったく無茶なことして……」
マリエは自分のことのように泣きじゃくる。やっぱり、暖かいな。とレリィゼは思った。
「そういえば、ジィスは大丈夫?」
「うん、生きてるよ。レリィゼと違って、脂肪、筋肉たっぷりだから、全然、軽症」
確かに、身体だけは立派な男だ。やってることは貧相であるが。
だが、それを責める事はしない。生きるためにしていることだ。
「そういえば、なんであの時、ジィスを撃たなかったの? なにか、納得できないんだけど」
なんとなく、聞かなければいけない気がして、レリィゼは改めて聞いてみた。
「裏なんてないよ。『殺しても意味が無い』ホント、それだけ、あたし、殺さなきゃいけない人は絶対に殺すけど、どうでもいい人は殺さないの」
マリエはそんな台詞をあっけらかんと言った。
「でも、ジィスは、以前貴方を……」
「そんな昔のこと、別に関係ないよ。実際の主犯はギィルって奴みたいだし、復讐なんてやったって意味無いじゃない? そんなことより、自分の命や幸せの方が大切だよ。あたしは、自分が生きるためにはなんだってやる。……って、当たり前じゃない?」
「そう……かもね。」
――強い子だな――
以前、マリエが自身の醜い傷跡を見せ、過去を語ったことを思い出した。
自分は、過去の罪を贖うというエゴのため、ティグレを殺した。そう、ティグレは無意味に死んだのだ。
挙句、死という逃げ道を選ぼうとした。そう、死は逃避でしかない。
マリエも何人も殺している。しかし、それは『生きる』という目的のためだ。
そして、同じ目的のため、ジィスを殺さなかった。過去の殺意を振り切ったのだ。生きるために。
生きるために殺し、生きるために食らう。生きるために、生きる。
――それが私が求めていた答えなのかもしれない――
ふと、窓の外へ眼をやった。
すでに町の再建が始まっていた。燃え落ちた建物が撤去され、新しい柱が子供たちの手で建てられる。ジィスも作業をしていた。やはり、包帯に巻かれ、顔をしかめている。
レリィゼの顔に思わず笑みがこぼれた。
「ほらほら、せっかくスープ作ったんだから、冷めないうちに食べてよ」
窓の外から視界を戻す。マリエがスープとスプーンを手にスタンバイしている。そのまま、『あーん』とやりたいらしい。
「はい、あ〜ん」
レリィゼは赤面しながらスプーンを差し出されるまま口を開けた。