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シノブとアユム

 俺たちの宿となるペンションは、フェリー発着場から二十分ばかり、山道を歩いた先にあるらしい。


 途中、やはり野ウサギがひょこひょこ顔を出し、俺は飛びつこうとするたびモモチに襟首をつかまれた。何しやがんだこの野郎と胸ぐらを掴みあげたいところだが、その瞬間に足がもつれる。ウサギを追ったり、モモチを殴る体力があるなら、前に進まないといけない。理解して、俺は素直に従った。

 ……荷物もってもらってるしな。


 ウサギをモフるのは明日、明日と自分に言い聞かせ、俺は足を前へ出し続ける。


「ふう。ふう……ふう……」


「おーい、妹ちゃん、だいじょぶかーい」


 と、だいぶ先から、『青鮫団』の声。


 げっ、あいつらみんな平気なツラして、俺がいちばんうしろかよ。


 あいつら基本的に歩くのが早いんだよな。歩幅の狭い俺は、ずーっと駆け足気味で追いかけていた。勝手気ままに寄り道しては、ヤベぇバスの時間だ走ろう! とかもしょっちゅうで。毎度滑り込みで、一回も座席に座れなかったし、昼飯以外は歩きっぱなし。そりゃ疲れるわ!


 まあ、男友達同士ならそれでいいだろうよ。でも俺っていま、女の身体してんだぞ。事情を知らないあいつらにとっては純粋に100%、美少女であるはずなんだ。

 もうちょっと気遣いっていうかさぁ……

 女の子の歩幅ペースに合わせてくれてもよくない!?

 そんなだからみんな彼女できないんだぞ。俺もだけど!!


 疲れ果てた俺のそばに、モモチだけがずっとついててくれた。

 俺の荷物を持ち、足下になにかがあれば警告し、背中に手を当てて支えてくれる。


「がんばって。しんどいだろうけど、足を止めたら一気に疲れが来るよ。どんどん前に行くんだ」


 モモチの言葉は甘くはないけど、いちいち正論だし、優しさだ。

 俺は自分の足で、一歩一歩、歩いて行く。


「ふう……はあ。はあ。足が痛い。なにこれ」

「何って……そんな靴はいてくるほうが悪いよ。山道を移動するってお兄さんから聞いてなかったの?」


 モモチは眉を寄せ、ちょっとした非難の声を出す。

 俺は自分の足下を見た。……うわ。サンダルの紐がむくんだ足に食い込んで、赤くなってる。むき出しの腕や腿は擦り傷だらけだし、白のデニムスカートは、土や葉っぱの汁で薄汚れていた。

 あちゃあ、コレ洗って落ちるのかな。シノブのやつきっと怒るぞ。


「ていうか団長も止めてやってよね……しんどい思いするのは妹さんなんだから」


 不機嫌まるだしのモモチ。怒りは場違いな格好できた俺より、鱶澤ワタルの方に向いたらしい。俺は慌てて、首を振った。


「い、いや俺は……じゃなくて、お兄ちゃんは、俺に、じゃなくてあたしに」

「うん?」

「だからその――旅行のことはわかってたけど。お兄ちゃんは男だし、あたしも普段長ズボンでスニーカーばっかりで、よくわからなかったんだ。……女らしい格好っていうのが、こんなに動きにくいものだなんて。……考え足らずだった。足手まといになって、ごめん」


 団体行動、集団旅行でのマナー、ペケ二つ目だ。

 ……日常のデートなら、女に合わせるというのはいいだろう。しかし無断で飛び入り参加した俺にみんなが合わせろは間違ってる。歩幅や体力差はいかんともしがたいが、せめてふさわしい服装という、努力とも言えない配慮はするべきだったんだ。


 モモチは目を丸くした。数秒間、俺の顔をまじまじと見つめる。

 また怒られるかな。しょうがない。俺が悪いもの。

 俺はうつむき、視線だけでモモチを見上げた。


 彼は、笑っていた。

 端正な顔をくしゃりと崩し、天を仰ぐ。


「あっははは! なにそれ、この旅行のためにオシャレしてきたってこと? ばっかじゃん!」


 俺は驚き、きょとんとした。

 自分の言葉に対し意外な反応をされたことと、モモチの笑い声と、二つの驚き。


 ……モモチって……意外と、でっかい声で笑うんだな。

 「鱶澤ワタル」の前でのモモチは大人しくて、団員たちがゲラゲラ笑う後ろで、小さく微笑んでいるような少年だった。


 もしかしてコイツ、結構、明るいやつなんじゃ……。


 立ち止まってしまった俺に、モモチはクックッと笑ったままどやしつける。


「笑わせんなよ。ほら行くぞ。あともうちょっとだから、がんばれ、がんばれ。ベッドとお風呂、あったかいごはんが待ってるぞ!」


 そして俺の手首を掴み、ぐいぐい、坂道を引っ張っていく。

 その手は力強くて、明るくて、とても楽しそうだった。




 ペンション「しろくろ」。


 それは、純和風旅館かビルディングホテルをイメージしていた俺としては、びっくりするほど小さく、可愛らしい、一般家庭のような建物だった。

 二階建ての一軒家風。もちろん普通より遙かに大きいけども、えっこんなとこに二十人近くも泊まれるのというかんじ。


 しかし、


「おおーりっぱじゃねえか。豪邸だ」

「タダで泊まれるっていうから、もっとボロボロの廃屋みたいなの想像してたぜ」


 ……と、団員たちの反応は上々だ。


 先に入っていったモモチが顔を出し、手招きする。導かれるまま、ゾロゾロと中へ入ると、外観イメージ通りのこぢんまりしたロビーがあった。

 受付カウンターの手前で、五十前後のおばさんがニコニコ笑って待っている。


「いらっしゃい。遠いところからようこそ。どうぞおくつろぎになって。いま、お夕食の支度をしておりますからね」


 夕食、の言葉に歓声を上げる男衆。

 俺は何も言わず、手近な椅子に座り込んだ。

 男の時なら、食欲はなにより優先される。大山なんぞ飯を食いながら「あー腹減った」と呟いたことがある。男子高校生というものは、いついかなるときも空腹なのだ。

 ……しかし、今は、とにかく足が痛い。身体が重い。疲れた。休みたい。それだけで頭の中がいっぱいだった。

 ぐったりしている俺を見て、女将さんは気を遣ったらしい。

 俺の元までやってきて、屈んでくれた。


「お疲れさん。女の子にはちょっと長旅だったろうね」

「ア……は、はい。……あの……今日は突然おじゃまして、あたし……」

「大丈夫大丈夫。お部屋もちゃんと支度しておきましたからね。さ、この宿帳にサインだけちょうだい。そうだ、食事の前にお風呂に案内しましょうか」

「お風呂? やった! 行く行く!」


 俺は顔を輝かせ、ペンを受け取る。やったぁお風呂。ええと名前を書くんだな。名前、名前。これだけ書けばお風呂。それは何より甘美な響きだった。疲れを癒やしたいのはもちろんだけど、夏に山道を歩いてきたのだ。俺は無性に、この汗をなんとかしたくてたまらない。名前、名前。

 ハイ出来ました、と渡したサインを見て、女将さんは首を傾げた。


「……鱶澤、ワタル? 男の子みたいな名前ねえ」


 と、こぼしてから、アラ失礼と口をつぐむ。俺は一気に目が覚めて、青くなった。


 うわ、やばっ! ぼんやりして、思わず『俺』の名前を書いちゃった!!

 女将さんは、『俺』のことを知らないからその反応で済んだけど、団員に見られたら……! やばいやばいやばい。なんとかしなきゃ。どうにかしなきゃ!!


 俺は大慌てで、再びペンを走らせた。

 渉という字の、さんずいへんを、ぐちゃぐちゃに塗りつぶして。



「か、書き間違えただけです。ワタルじゃなくて、アユム――あたしの名前は、鱶澤歩ふかざわあゆむっていいます。あははっ!」



「ああ、なんだ、そうなのね。アユムちゃん。可愛い名前だわ」


 女将さんはコロコロ笑った。俺も引きつった笑みを浮かべる。


 ……よ、よかった。ごまかせた。俺ってばとっさにナイス機転。珍しく冴えてたぜ……!

 と、思ったところで今更、シノブと書き直すべきだったと気がついた。

 俺は「ワタルとは別人の女」ではなく、妹のシノブとしてここに来ているんだから。


 ……やばいか? ……でも、団員達は、もともとシノブのことを知らない。ここに至るまで、俺はシノブという名を名乗ってないし、彼らも「妹ちゃん」とかで呼んでいた。今でもきっと、奴らはシノブの名を知らないはずなのだ。


 ……だったら、アユムでいいか。

 俺はあっさり、そう決断した。


 実は、最初から抵抗あったんだよな。「あたしはシノブ」と名乗り、そう呼ばれることがなんか違和感というか、嫌だった。うまくいえないけど……実在する人間の名を騙る心地悪さ、不快感に耐えきれず、それで名乗ることも出来なかったんだ。

 シノブの影武者をやるよりも、存在しない誰かに……いや、今ここにいる「あたし」という人間に、新たな名前をつけたほうがずっといい。


 うん、アユムって、なんかシックリ馴染むかんじ。子供の頃は、同級生に「これアユムって読むの?」とよく言われたしな。偽名という気はせず、アダナというほど軽くもなく……なんだか生まれ変わったような気分である。


 うん、アユムなら、そう呼ばれても反射的に振り向ける。

 アユム、アユム。今日一日、「あたし」の名前はアユム……。


「――えっ? 何言ってんのシノブちゃん」


 ……と、いう声は、すぐそばから降ってきた。

 血の気を引かせて振り向く――後ろに、モモチがいた。

 たぶん、また俺を気遣い、近くにいてくれたのだろう。宿帳を不思議そうに覗き込みながら、叔母に向かって言う。


「この人の名前、シノブだよ。忍者のニンって書いて、鱶澤忍。アユムなんて一文字も合ってないから」

「な……っ……あ……ぇっ!?」

「団長の妹はただひとり、シノブちゃんだけ。アユムってどこから出てきたんだよ」


 普通にペラペラ真実を話すモモチと、絶句している俺。女将さんは、扱いに困って首を傾げた。


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