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鱶澤くんのトランス!  作者: とびらの


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ウサギの庭のモモチ

 靴を手に持ち、廊下を進む。


 モモチはペンションの裏口、スタッフ専用出口の扉をそうっと開いた。

 ここからは屋外である。モモチは一度、俺を振り向き、しーっ、と人差し指を立てた。どうやら女将達にも内緒らしい。一体どこへ行くんだろう。


 目的地は、最初に言われたとおりペンションのすぐそばだった。

 機材や食材の段ボール箱、自家製の野菜や花の畑。薪割り作業が途中で放置された、広場である。奥に金網で囲まれた敷地があった。作業場から漏れた照明しかなく、奥の方は真っ暗。建物らしいものもないし、海の方向でもない……しかしモモチの目的地はそこらしい。


「入り口、カギはかかってないから、入ろう」


 普通の音量で、モモチ。ここまでくればペンションまで声は届かないということだろう。しかし俺は無言で頷き、モモチに続いた。


 なんということはない、広場である。まばらな芝と雑草の他は、黒っぽくデコボコした土があるだけ。ここが一体なに――と、尋ねようとしたそのとき。


 土の中から、白い物体が飛び出した。


「んっ?」


 目を見開いた先から、またもヒョコリ。今度はさっきよりも暗い色、茶色のまだらがあるようだ。


 暗い場所で黒い土、ほとんど闇の中で、それがなんなのか判別できないが……今の俺なら予測が立つ。

 なにせこの島は、ウサギ島。

 ウサギだらけのパラダイスなんだから!


「ぷっ――ぷれみあむまいるどもっふーーーーっぱらだいす!!」

「こら。静かにしなさい」


 こつん、と頭を叩かれた。


「普通の音量なら平気だけども、そんなに叫ぶのはだめ。ていうかウサギがビビるよ。この子達は観光客絡む機会が無くて、人に慣れてないんだから」


 そう言って、モモチは広場の奥、闇の中へと姿を消した。すぐに戻って来たとき、両手に袋を抱えている。瞬間、さらにポコポコポコポコと大量のウサギが現れて、モモチの足下へ寄っていく。どうやらアレはエサらしい。

 うらやましそうに見ている俺に、モモチはあっさり、袋をくれた。覗き込むと乾燥ドッグフードのような粒が山盛り。俺は試しに手にとって、しゃがみこんでみる。


「みんなおいで、ごはんだぴょ……んぉおおっ?」


 またも、大声を上げてしまった。エサを持った俺の手に、ウサギのモフ部が乗っかったのだ! そのままモガモガしているぞ! さらに二羽が同時に寄ってきて、我先にと鼻を突っ込んでくる。


 ふあああああ……モ、モフい……俺の手のひらがモフいよぅ……


 一羽が離れたらすぐ別の一羽。待機しているウサギがさらに十羽。俺の周りを取り囲み、こっち見てーこっちもちょうだーいと、耳をくるくるして催促してくる。


「あっあっあっやばい、やばいぃ……」

「楽しい?」

「たのしいいぃ……なにここ天国……?」


 震えながら言う俺に、モモチは声を上げて笑った。


「ウサギの療養所。ペンションの業務の合間で、ケガをしたり群れから追い出されたり、自活できなくなった子を保護してるんだ。この島のウサギはみんな野生だけども、ほったらかしってわけにはいかない。観光客からケガしてる子がいました保護してくださいッて、毎日のように持ち込まれちゃうんだよね」


 たしかに、道中でケガや病気らしい子、あるいは死骸を見かけることはなかった。なるほど、無人島だ野生だといってても、ある程度ヒトの手は入ってるんだな。動物園のような悪臭もほとんどなかったし、かなりの人数が毎日島を巡回しているんだろう。

 考えてる間に、手の上のエサは無くなっていた。あわてて補充してやると、すぐに再開されるモフタイム。あああん至福じゃー。


「……すごい、よく食べる。こんな夜に、みんなずいぶん元気だな」

「ウサギはもともと夜行性だよ。外の子はさんざん観光客からもらって、おなかいっぱいだしね」


 へえ、そうだったのか。どうりでフェリー降り場では食いつきが悪く、眠そうにじっとしていたわけだ。


 モモチは立ち上がると、奥の倉庫から掃除道具を出してきた。楽しいエサやりを俺に任せて、自分は雑草やフンを処理していく。

 どうやらペンションの手伝いらしい。

 手伝おうとした俺に、モモチは「いいから」と拒否をした。 


「夕方は、あんまりウサギを触らせてあげられなかったからさ。ホントは従業員以外立ち入り禁止だけど、まあ、特別に。アユムちゃんなら、ウサギに変なイタズラしないだろ?」

「しないしない、絶対しない。連れてきてくれてありがとうモモチ」


 クスクス、モモチの笑い声。


「……アユムちゃん、ほんとにウサギが好きなんだね」

「だいすきだっ! ていうか動物全般好きだ。小さくてふわふわしてたらフィーバーだ」

「ははは、そう。意外だったな。生物委員のクジを引いたとき、死にそうな顔してたじゃないか。おれはてっきり大嫌いなのかと思ってたよ」


 ギクリと、俺の表情が強ばる。……な、なんだと……?


 ……そういえば……昔、家族旅行で動物園にいきたいとねだる俺に、人格否定を含めた罵詈雑言でもって阻止したのはシノブであった。理由は臭いとか汚いとか、他愛ないものだったと思う。

 結局、親が俺だけを連れ出してくれたため支障は無く、すっかり忘れていたのだが。


 た、確かに、シノブは動物が大嫌いだった……。


「そ……の……じ、実は――あたし……アレルギーなんだけど今日は薬を飲んできたから。ホントは好きなの、昔から」

「ふうん、そうだったんだ」


 適当な、しかしこれ以上無い嘘に、モモチは納得してくれたらしい。ザッザッと竹箒を動かしている。

 とりあえず、ホッ。あとでつじつま合わせ頼むぞシノブ。お土産奮発するからな。


「――それにしても、ふぃーばー! だなんて。クールでドライな君らしくない。夏休みのキャラ変にしても、すごいギャップだよね。まるで違うヒトみたいだ」


 うがっ。


「ていうかむしろ、お兄さんの鱶澤さんみたいだよね。団長も、見かけによらず明るいし、テンション高いし。――あははっ、誘ったときもさぁ、モッフーなんて叫んだあと急にクールぶって、訳わかんない言い訳してたけどバレバレなの! おれもう笑いこらえるの必死でさ! ほんと、嘘つけないヒトだよね。君に全然似てないの!」


 うぎぎっ。


「……そういえば、歩って、ワタルからさんずいへん抜いただけだな。赤い髪といい話し方といい……今日の君は、まるで団長が女の子になったみたいだよ」


 うぐぅっ?


「不思議だよね。団長、風邪ひいたのは仕方ないけど、代わりに妹をよこすって。……ていうか、それで君が来たのもラシクくないよね。――なんで来たの?」


 うげ! 質問がきてしまった。俺はパタパタ手を振って、なんとか、答えを絞り出す。


「だっ、だからっ――お兄ちゃん……ウサギ島をほんとに楽しみにしてて……だからあたしに、写真を撮ってくるようにって。せめてお土産と土産話ぐらいは欲しいんだって……」

「ほう?」

「旅費は全額お兄ちゃん持ちだし。恩まで着せて、一石二鳥でしょ。賢いあたしとしては乗らない手はないじゃない。モモチだっているしさぁ」


 よし、我ながら完璧。言い訳としても成立してるし、いかにもシノブらしくも言えた。よし、よしと胸中でガッツポーズ。それで機嫌を良くした俺は、ニコニコ顔でモフタイムを再開した。


 モモチは箒の手を休め、トンと柄の方を地に着けた。

 片手を腰に当て、フフンと笑う。


「なるほど。つじつまは合ってるね」


 あー食べてる食べてる。ウサギさん可愛いわー癒やされるわー。

 ……ウサギよ、癒やしてくれたのむ。背中が冷や汗でびしょびしょだ。

 掃除道具を片付けながらも、モモチは俺から視線を外さない。恋人の熱い視線――なのかこれ、なんか尋問している検察官の視線な気がしてしょうがないんだけども、怖くて合わせられないので確認不可能だ。

 怖いよーモモチ怖いよー。


 …………まさか…………ばれてるってことは、ないよな? 俺が鱶澤ワタルだって……。


 ぬぅと、目の前を横切るモモチの腕。俺が抱えていた袋から、エサを掴んで、抜き出す。

 どうやら掃除は完了し、彼もウサギにエサをやるらしい。

 ……琥珀色の目が、ウサギを見つめる。俺はホッと弛緩した。

 こいつの目は心臓に悪いわ。


 俺は今度こそモフタイムを満喫しようと意識を切り替える。

 俺の隣にしゃがみこみ、俺と同じ姿勢で、モモチは言った。


「でも君には感謝してるんだよ。おれに、『青鮫団』に入るよう勧めてくれたのは君だったもんね。おかげで毎日楽しいや」


 ……。


「なっ――なんだとぉおっ!?」


 俺は立ち上がって絶叫した。モモチは座ったまま、目をぱちぱちさせた。俺を見上げ、首を傾げる。


「大声出すなよ。どうしたの」

「シノブが彼氏に勧めた? アホザメ団ってめちゃくちゃ馬鹿にしてたのに! んなわけねーだろありえない!」

「……。あり得ないって言われても。ほんの二ヶ月前のことじゃないか。おれの転校先が、霞ケ浦北高校だって話したときに。お兄ちゃんを頼れ、絶対守ってくれるからって」

「えっ!?」


 さらなる新情報に、俺は本気で驚愕の声を上げた。


「モモチ、転校生だったのか!」


 なるほど納得! と手を打つ。モモチが『青鮫団』に入ったのは二年生になってから。この四月が俺たちの初対面だ。たしかに、それまで彼が北高にいたかどうかなど知らないし、考えたこともなかった。転校生なら納得だよ。妹はそれほど社交的じゃないし、馬鹿が嫌いである。北高の男と出会う機会もなく、まして付き合うとは思えなかったのだ。


 モモチがなぜ、進学校から転入してきたかはわからない。『青鮫団』を勧めた妹の心境も謎だ。だが二人が元同級生というのはとても自然だし、納得できるものだった。


 そうかそうかなるほどなー。そういうつながりだったんだな。

 ひとつ謎が解け、俺は嬉しくなって笑っていた。


 その視界が――琥珀色で埋まる。

 モモチの目。甘く垂れた造作の、鋭い検察官の目が、俺の顔面に迫っていたのだ。


「な……な、に……」

「……おれのこと、忘れてたの? たったの二ヶ月会ってなかっただけなのに」


 うごっ!?


 俺は慌てて首を振った。冷や汗が回りに飛び散る勢いで、ぶんぶんぶんぶん振りまくる。これはやばい。俺はモモチの手を握った。


「何言ってるの、わ――忘れるわけないじゃない。モモチは、あっ、あたしの彼氏なんだから!」


 モモチは沈黙した。俺の手を見下ろし、もう一度、俺の顔を見る。

 ウサギのエサが地面に散らばっていた。そうなればウサギは俺たちに興味をなくし、静かに伏していた。

 ……モモチの沈黙は、短かった。

 自分の手を握る、恋人の手――俺の指の股に、自分の指をさしこむ。

 薄い皮膚の上を、驚くほど堅い、男の指が摩擦した。

 びくりと身が震えた。

 モモチはそうして、俺の手を握りこんだ。


「……そうだよね。良かった」


 そこで、ぎゅっと握力を強める。

 俺の体温が上がった。


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