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千秋 刻を憶う  作者: 朝日奈把瑠
Akt.1-1_石田紗良の場合
6/6

Szene3-3 その花、血を吸いて咲く

最初にお詫びを……

長らく更新せずにすみませんでした。

実はこの後の展開で行き詰まりプロット自体を書き直していました。

そのため、『Szene1-1 その女、黒のセーラー服を脱ぐ』から書き直しました。

ここまで読んでくださった方には申し訳ないのですが、そこから読み直していただくことを推奨します。

話の流れや、登場人物とか変わってしまっているので……。

面倒でしょうがお願いします(´д`、)


あと、当初は週2程度で更新すると言いましたが、不定期でいきます。

なるべく週に1度は更新したいと思いますが期待はしないでください……ポンコツですみません……


 

 パトカーのサイレン。

 飛び交う無線。

 姦しく噂する野次馬達。

 緑だった土手も、今やパトランプの赤い光に染められ闇夜に鈍く浮かび上がっていた。


 そんな光景を紗良は一人、喧騒から離れたところでぼんやりと眺めていた。

 蹲る紗良の手元には適当なコンビニのビニール袋がある。その中身については何も言いたくない。

 先程までは紗良の側に警官が一人いたはずなのだが、いつの間にか居なくなっていた。そのことにも気付けないほど自分の体調はよくないらしい。

 断続的に訪れる吐き気は、胃の中身がなくなってもまだ収まらない。そのことが、この体調の悪さは精神的疲労からくるものだと如実に示していた。

 

「どうですか、体調は」

「あ……ちとせさ……うっ」

「……だから帰ったほうがいいと」


 袋に口を当てて蹲る紗良はごめんとすら言えない。


「……今までにもっと酷い物だって見てるでしょうに」

「…………酷いもの……?」


 千歳に尋ねながら、またこみ上げてきた胃液を吐き出す。

 何しろ、紗良は死体というものを一度も見たことがない。今回が初めての経験だった。

 平常心でいろというには無理な話である。

 千歳はそんな有様の紗良を見て溜息をつくと、紗良の脇に座って蹲るその背中をさすり始めた。


「無理してまで話そうとしなくていいですよ」

「ごめ……うっ」

「言ったそばから……」


 無愛想な態度とは裏腹に、彼女の手つきはとても優しく紗良の背を撫でていく。

 それが数十と繰り返された頃、紗良の体調は全快とは言わずとも袋が要らなくなる程度には回復していた。

 もう大丈夫だから、と紗良は伝えようとする。

 しかしその声は、千歳の声に紛れて消えてしまった。


「……あの少年」

「え?」

「数年前にこの辺りで行方不明になった少年があの年ぐらいだったそうです」

「……そう、なんだ」

「あなたのおかげですよ」

「……え? 何、が?」


 戸惑いつつ彼女の顔を見上げた紗良は、彼女の顔を見て言葉を失った。

 それほど長いこと一緒にいるわけじゃない。むしろ本当に短い時間しか出会ってから経っていない。

 なのに、いつもと違うと言えるほど千歳は柔らかい表情をしていた。そんな彼女にどきりとする。


「これであの少年は家に帰ることができます」

「あ……そっか、帰れるんだ……よかった」


 安堵から胸にあったつかえもいくつか消えたようだ。

 心が軽くなるってこういうことを言うのだろうか。

 紗良は千歳に向かって微笑んだ。


「ありがとう、千歳さん」

「……私はお礼を言われるようなことはしていないと思いますが」

「助けてくれたでしょ、昨日。変な布団に追いかけられてた私のこと。ずっとお礼言いたかったんだ」

「別に大したことでは……」

「それに、今日だってあの子のことも見つけてくれたし……本当にありがとう。私だけじゃどうすればいいかわからなかったから」


 彼女は腑に落ちないと言わんばかりの顔で黙り込んでしまったが、少ししてから彼女は「あなたも早く帰りなさい」と何の感情もにじませない無機質な声で告げた。

 それがたまらなく残念だと思った。

 



◆◆◆




 一人の女子高生を見送る結花。

 遠くに見えるのはクラスメイトの石田紗良の背中だ。対岸に見えるマンションに家があると言っていたから送り届けるのはやめた。

 吐くほど体調の悪い人間を放っておくなんて流石に人でなしかとも思ったが、石田自身に断られてはどうしようもない。

 後ろ髪を引かれる思いがしたが、石田紗良の姿もすでに見えない。頭を横に数度振って意識を切り替えると背後に体を向けた。


「さて……あなたはどうする? あの少年は家へ帰ることを望んだけど」


 結花が見つめるのは暗闇に佇む一人の少女。ここ数日ずっと後をついてきていた、まだ年端も行かぬ小さな女の子。

 その子供はずっと結花の後ろにいたのだが、見鬼眼を持つ石田紗良でも見ることができないほど少女の姿は薄い。

 齢十にも満たないその子供は、結花に問われて胸に抱えていたものをぎゅっと握りなおした。


『……つれていって』

「あなたを殺した人の所に?」

『つれていって』

「……それが貴女の願い?」


 返事は無い。だが、その沈黙は肯定を表していた。


「……朱火(しゅか)


 独り言でも言うかのような小さな声で結花はとある名前を呼ぶ。

 

「いるわよ、ここに」


 寸秒も経たずに聞こえてきた、幼さを思わせる高い声。

 それを聞くと同時に、結花は足に軽い重みを覚えた。思いもよらぬ場所への負担に結花は呻く。


「……重い」

「レディにそれはないんじゃない?」


 結花が目線を下げると朱色の瞳と視線がかち合った。


「レディって歳じゃないくせに……」

「なにか言ったかしら?」

「いや、何も?」


 五歳そこらの少女は赤い巻き毛を揺らして結花の足から離れる。

 その頰に空気を溜め込んでいるのは不満を示すためだろう。

 しかし、残念ながら彼女の外見も相まって可愛いとしか思えない。

 結花は苦笑しつつ「ごめんごめん」と朱火の柔らかな頭を撫でた。


「朱火。美味しそうな人間を探して。それもとびきり美味しそうなのを」

「それならすぐ近くにいるわ。あそこにいる」


 幼女の小さな手が少し離れた所に立つ、とある男を指し示す。

 細身の中年の男。どちらかと言うと気の弱そうな。

 ジャージ姿のその男は額に大量の汗を滲ませて立っていた。

 大方土手の上を走っている最中、この騒ぎに気がついて足を止めたというところか。


「……間違いない?」

「この私を疑うの?」

「朱火は面倒くさがりだからなぁ」


 手短に済まそうとしている可能性があると告げると、幼女は「失礼ね!」と可愛らしく憤慨した。


「そんなことするわけないじゃない! 結花ってばヒドい!」

「冗談だよ」

「どうだか」


 やれやれと首を振る彼女は、幼女とは到底思えない大人びた物言いをする。

 暫くはぷりぷりと怒った様子だったが、不意に「あっ」と声を上げるとにんまりとした顔で結花を見上げた。

 

「そんなに疑うなら食べてもいいでしょ?」

「……許可を出すとでも?」


 この馬鹿猫は許可が出ないことを知っていながらそんなことを聞いてくる。

 これを馬鹿と言わずになんという。


「ちえー」


 舌打ちができない朱火は舌打ちをわざわざ口で言う。

 しかし、ダサく見えないのは彼女の外見の愛らしさ故か。

 朱火は結花の思考なんてまるで気にする風でもなく、ピョンと身軽に結花の肩に飛び乗る。

 そしてそこに腰掛けると、やっぱり重いと顔を顰める結花の耳元にそっと囁く。


「因みに六人は殺してるわよ? あの男」


 驚き見返した結花に、朱火は幼女とは思えないほど蠱惑的に笑ってみせたのだった。




◇◇◇




 誰もいない部屋——そこに明かりが灯る。

 部屋の主が帰ってきたのだ。


 部屋の中心に位置する黒皮のソファの前に佇むのは一人の男。

 彼は着ていたジャージを脱ぎ捨てると、額から滴る汗をそれで乱暴に拭い取った。

 それが、運動してかいた汗ではないことを彼自身が一番分かっていた。


「随分時間かかったよなぁ……。埋めたの何年前だと思ってんだ」


 昔、男は一人の少年を殺して土手に埋めた事がある。

 あの時の男は確か酷く苛立っていたはずだ。

 度重なるストレス。抑えようのない怒り。

 苛立ちの捌け口を探していた時、その少年を見つけたのだ。

 河川敷の木陰にひっそりと咲く白い花。

 それに向けて手を伸ばす少年を見かけた時、周りに誰も人間がいないことを確かめた男の体は勝手に動き出していた。


 男にとって初めて(・・・)である少年のことは特に印象深く、その時のことは今でも鮮明に思い出せた。


 えも言われぬ高揚感。

 人を殺した時の感情はそれに尽きた。


 少年はすぐには死ななかった。

 何せ人を殺すなんて初めてだったのだ。力の加減が分からず、殴りつけたり、首を絞めたりと試行錯誤した末での殺人だった。

 動かなくなった少年の首から手を離した男は一度その場を離れ、少年を埋めるための道具を持ってから再び河川敷へと戻り、殺す前に触れようとしていた白い花の下に少年を埋めた。

 人気の少ない場所だったのが幸いした。

 それら一連の行為を誰にも咎められることがないまま、男は初めての殺人を成し終えた。


 そのあとの男は常に晴れやかな気分だった。

 上司に叱られようが、仕事のミスを押し付けられようが、他人から無視されようが何も気にならなくなった。

 人を殺めたという罪悪感はあった。

 自身が犯罪者になってしまったことに対する焦燥感もあった。

 しかし、それを上回って有り余る快感が男の脳を麻痺させた。

 人にはできないことが自分はできたという優越感。それが、男の心に余裕を作る。

 無能な上司も、要領のいい同僚も、姦しい女社員も全員が自分より下だと分かれば腹立たしさも紛れる。

 少しでもその優越感が薄れようものなら男はまた少年少女を殺した。

 やがて自身の有能性が認められ、部長に昇進を果たした時。

 彼が殺した人間の数は六人になっていた。


 男は机の上のリモコンに手を伸ばすと、テレビの電源をつける。目当てのワイドショーでは思った通り、見つかった白骨死体がニュースになっていた。


「マスコミも仕事熱心なもんだ」


 一度リビングを離れビールを片手に戻ってきた男はそう一人ごちる。

 今回死体が見つかっても男は一向に焦っていなかった。

 何せ、男が少年を殺したのは五年も前のこと。

 証拠なんてものは徹底的に排除した。残っていたとしても五年も経っている。雨風にさらされて、とっくのとうに風化していることだろう。


「……にしても警察は無能だな。税金使っておいてこれか」


 当時この付近で行方不明や殺人が多発していたおかげか、自分が捕まることはなくこうして今ものうのうと暮らしているわけなのだが、六人もの人を殺した自分を捕まえられない警察に自尊心は更にくすぐられた。



「また誰か殺してみようか……」


 男は趣味に興じるかのような楽しげな顔で、そんなことを嘯く。

 殺人をしたことに後悔なんて全くない。そんな言い草だった。

 ——その時だ。

 誰もいないはずの彼の背後から声が響いたのは。


「……本当にあなただったんだ」

「ほら、言った通りだったでしょう?」

「っ……! 誰だ!?」


 瞬間的に振り向いた男は呆然と、そこに佇む……恐らく女のことを見た。

 逆光で顔は見えない。艶やかな黒い髪を持つ女、その彼女の肩に赤毛の幼女が乗っていることだけは分かった。


「気が弱そうで、そんな度胸もない人間に見えたのだけれど」

「あんた一体……それよりもどこから……っ」


 問い詰めようとした男は、粗雑に足元へ放られたものに気を取られ言葉を失う。

 フローリングにべちゃりと広がったのは泥、そしてその音に紛れて硬質な何かが床に当たって跳ねた音がした。


「これ。なんだか知ってるよね?」

「——! ……これっ、はっ!」

「あ、見覚えあるんだ」


 泥の中から姿を現したのは黄色い柄の包丁。

 思い出すのは数年前の記憶だ。

 男が殺した三人目の子供、少女を殺した包丁の柄がその色だったはずだ。

 頭の中を『何故』が巡る。

 何故、それが。

 何故、ここに。

 何故、分かった。

 何故、何故、何故——


 確かにそれは、廃棄したはずなのに。


「…………だよ」

「なに? 話したいことがあるなら大きな声で——」

「なんなんだよ、お前はぁっ!」


 女の言葉を遮って男は吠える。

 逆上したままに女に詰め寄り腕を振り上げる。その手に泥に塗れた包丁を持って。

 その瞬間も女は全く動じずに冷たい目で男のことを見ていた。深海の底のように冷たく昏い瞳。

 その時初めて背筋が冷えた。

 今自分はとんでもない相手に手を上げようとしているのでは——?

 そのわずかな逡巡の隙を女はついた。

 男の額に向かって手が伸びる。それを避けることなど到底できるはずもなく、ぱぁんと間抜けな音が鳴った。

 彼女に何かを貼られたらしい。額からぶら下がる紙か何かが視界を邪魔した。

 それがとても鬱陶しい。

 しかし、それを剥がす気にはなれなかった。


「私は願いを叶えるためにここに来た」

「……は……?」


 男の疑問は声にならない。

 侵入者であるその女が突然彼の口を塞いだからではない。

 彼の額に紙のようなものを貼ったからでもない。


 では何故か。

 ——答えは簡単。

 眼前に現れたそれ《・・》に呆気に取られていたからだ。


見える(・・・)でしょ?」


 ああ確かに見えている。

 髪が長くて、ピンクのワンピースを着た女の子。

 その姿に数年前の記憶が蘇る。

 確かあの日この子は黄色い帽子を被り、赤いランドセルをしょっていて、自分の前を歩いていた。

 小学校に上がったばかりなのか名札は大きくて、菓子を使って誘えば簡単に着いてきた。


その子(・・・)、あなたに殺されたって言ってるんだけど」


 ——覚え、あるよね?


 子供が迫る。

 泥に塗れた手を男に伸ばして。

 その子供は山の中に埋めたことを思い出せば、本能的な恐怖が腕を動かした。


「……っ、来るな! 来るんじゃねぇ!!」


 手で払いのけようとしても、少女の足は止まらない。

 少女の足が一歩進めば、男も一歩下がる。

 この時男は気付いていなかった。一向に壁に背がぶつからないことも。

 自分が窓の外につながるベランダまで出てきてしまっていることも。

 迫る恐怖に耐えきれず振り向いて走り出そうとした男は、目の前に空が広がっている事に気がつく。

 気付いても、もう遅い。

 体はとうにベランダの柵を乗り越えた。

 支えのない男の体は後は落ちるだけ——




 主人のいなくなった部屋で結花は一人佇む。

 開け放った窓から喧騒が入り込む。


「気は済んだ?」


 その問いにそばにいた少女は一度頷く。そして、ふっと姿を消した。

 まるで線香から揺蕩う煙のような儚さで。

 結花はそれを見届けてからやれやれと息をつく。


「じゃあ、私たちも帰ろうか」

「手伝ったんだから今日は魚にしてよね」

「そんなことは私じゃなくお母さんに言ってよ」


 侵入経路でもあったベランダへと出た結花は、柵へと飛び乗り一度眼下を見る。

 下に集まる人達の誰も結花と朱火の姿に気付かない。


「——朱火」

「なぁに、結花」


 結花は、隣で同じようにしていた朱火の柔らかな頭を撫でると、


「あれはまだ食べれないからね?」

「……ちえー」


 「美味しそうだったのに」と呟く朱火の頭を軽く小突き、それから結花はその場を後にする。

 結花達が去ったその部屋の床には、泥に塗れた包丁が一つ残されていた。




『昨夜、△□区内のマンションの駐車場で男性が意識不明で倒れているのが発見されました。男性は三十五歳の会社員。自室のあるマンションの十階から飛び降りたと見られています。目撃者の話では男性は何かから逃げるように飛び降りたとのこと。男性は奇跡的に軽傷ですみましたが、意識は未だ戻っていない状態です』


「おはよう結花。昨日のもうニュースになってるの?」

「朱火か。おはよ。そうみたい」


『……なんとも不思議な事件ですよね。目撃者の方は飛び降りた男性が何かから逃げるように、と言っていたのでしょう?』

『はいその通りです。またその男性の部屋には泥のついた刃物があったそうです。そのため警察は第三者の関与を疑いましたが、防犯カメラの映像に怪しい人物は映っていなかったそうです』


「……わざと置いてきたんでしょ?」

「当たり前。他の子の供養のためにもね……ほんとだったら死んでる所をわざわざ術使ってまで助けてあげたんだから感謝してほしいぐらいだよね」

「うわぁ、性格悪ー」

「失礼な」


『ホラーチックな話ですね。……男性は一体何から逃げようとしたのでしょうか』

『続いてのニュースは——』


「そういえばそろそろ行かなくていいの? 学校は?」

「あ、もうこんな時間かぁ……まだテレビ見る?」

「見ない」

「んじゃ消すね」


 ——プツリ。



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