Szene3-2 その花、血を吸いて咲く
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「お姉ちゃん〜もう一回!」
「またー!?」
もう勘弁してくれと答えながら紗良は、その場に座りこむ。
疲れた。非常に疲れた。
もう何時間ぶっ通しでかくれんぼし続けていると思っているんだ。
紗良は肩で息をしながら胡乱とした目つきで土手の向こう側に沈んでいく赤い夕日を見つめる。
帰りのチャイムは随分前に鳴った。
それなのに少年は一向に帰ろうとしてくれない。
少しのつもりが何故こんなことになったのか。
「遊んでくれるって言ったじゃん」
「今まで散々遊んだじゃん!?」
悲鳴染みた声が出る。
ほんの数回のつもりだったのだ。
誰が二人だけのかくれんぼを何十回もやることになると予想できるというのか。
これ以上遊んでくれと言われてもこちらの体力が持たない。
だから無理だと告げたのに、それを聞いた少年は態度を豹変させた。
「……へぇ、お姉ちゃん僕に嘘ついたんだ?」
背筋が凍る冷たい声と視線。
ただならぬ少年の気配に一歩後ずさる。
そろそろ何かがおかしいと紗良は気付き始めていた。
「……分かった。あと一回はやる。けどそしたら私帰るから」
「えー、しょうがないなぁ……じゃあね、僕のこと見つけられたらいいよ?」
少年は言うや否や何処かに走っていく。
それを引き留めることもできずに黙って見送った紗良は、やがて今までと同じように百数えてから少年を探すために歩き始めた。
どうせすぐに見つかるはずだ。今までとて見つけること自体は簡単だったのだから。
——しかし。
「嘘でしょ……何でこんなに見つからないの……?」
息も絶え絶えに呟く。
あと一回と言って始められたかくれんぼは、始めてから一時間経っても終わっていなかった。
いないのだ、少年が。
この河川敷のどこにも。
探してない場所はないと言い切れるぐらい探した。
なのに少年はどこにもいない。
降参するから出てきてと大声で言っても少年は姿を見せない。
「まさか、帰っちゃったとかないよね……?」
ヒクリと口端を引きつらせた紗良の脇を夜の冷え切った風が通り過ぎていく。
もう一度大声で少年のことを呼んだが、返ってくるものは何もなかった。
「……しっ、信じられない!!」
あんなに言うから渋々ながら遊んでいたのに、まさか自分に何も言わずに帰ってしまうなんて。
自分はどれだけの時間を無駄にしてしまったのだろうか。考えると眩暈がしてくるようだ。
紗良は「今度会ったらただじゃおかない!」と憤慨しながら土手を登る。
彼岸花の所に置いておいた自分の鞄の側に駆け寄ると中身を確認する。
木陰に置いておいたおかげか、盗られたものは何もない。
そのことに安堵しながら鞄を担ぐ。正直鞄ごとなくなっていることも覚悟していたので余計にだ。
立ち上がってからもう一度辺りを見渡す。木の後ろも確認する。
少年が着ていた赤色のTシャツは緑によく映えた。これでも紗良は視力に自信がある。少しでも赤があれば気付かないわけがない。
だが、紗良の視界の中に映る赤は、彼岸花の花弁の色だけだった。
肩を落とすと紗良は今一度叫び——返事がないことを悟ると諦めて足を踏み出した。
のだが。
「お姉ちゃん? 鞄持ってどこ行くの?」
土手に生えた葉を踏み潰す音と同時に聞こえた声は知ったものだ。
さっきまで散々遊んでいたのだ。分からないわけがない。
ゆっくりと背後を振り返ろうとする紗良は、背筋に何か冷たいものが伝うのを感じた。
いつからそこに少年が立っていたのか、紗良は知らない。先ほど見た時は確かにいなかった。見間違えなんかではない。
だが少年は、確かに今、風に揺れる彼岸花の前に立っていた。
「僕のこと見つけないままどこに行く気だったの?」
幼く間延びした声はだが、紗良に更なる恐怖を抱かせる。
これでは遊んでくれる人がいなくて当たり前だ。
他の人は少年のことが見えていないのだから。
迂闊だったとしか言いようがない。外見が綺麗だからと言って、それが人間とは限らないと紗良は誰よりも知っていたはずなのに。
紗良はじりじりと後ろに下がる。
そのことに気付いたのだろう。少年の瞳が俄かに翳った。
「……お姉ちゃん?」
少年が紗良に向かって手を伸ばす。
伸びてきた白い腕が透けていることに気がついた紗良は「ひっ」と息を飲んだ。
「来ないで……」
やっとの事で絞り出したその声はみっともなく震えていた。
拒否するもむなしく、少年の手が紗良に触れる——かと思われたその寸前、少年の白い腕がハッとしたように空中で止まった。
身構えていた紗良は、目の前で突然固まってしまった少年の手を見て、それから恐る恐る少年の顔を見た。
そのようにして見た少年の目は、紗良ではなくその後方にある何か他のものを見ているようだった。
何が少年をそうさせたのか。
それを確認しようとした紗良は振り返ろうとして、だが結局振り返ることはしなかった。
「何をやっているんですか」
自身のすぐ右から声が聞こえたからだ。
覚えのある声である。
顔を上げれば、そこには、紗良の命の恩人でありクラスメイトでもある千歳が立っていた。
「どうして——」
千歳はその問いを遮って紗良の前、いや、少年の前に立つ。
「誰?」
「誰でしょうね?」
「僕のこと見えるんだ?」
「見えますね」
紗良の立ち位置では千歳の顔が見えない。だから彼女が何を考えているのか余計にわからない。
対する少年は突然の介入者にも戸惑わず、むしろ嬉しそうな顔で千歳のことを見ている。
困惑しながら二人を見つめる紗良をよそに、二人は何やら話し始めた。
「こんな時間に何をしていたんですか?」
「かくれんぼ! そっちのお姉ちゃんが遊んでくれたの」
「そうですか。ですが、夜も遅いのでそろそろお姉ちゃんは帰らなければいけないんですよ」
「僕と遊んでくれるって言ったのに?」
もう散々遊んだでしょうが! と瞬間的に叫びそうになった口を千歳が乱暴に塞いだ。地味に痛い。
それでも黙っていろという指示であることは理解したので、素直にそれに従う。
紗良を見やる千歳に向かって首を振って見せると、拘束が若干緩んだ。それだけだ。
離すほどは紗良のことを信用していないということか。
さして問題もなかったのでそのまま黙って事の成り行きを、暫し傍観することを決める。
「ねぇ、何してるの? 僕まだお姉ちゃんと遊びたいんだけど」
「……お姉ちゃんは疲れたそうなので、私が代わりますよ」
「えっ!」
「えっ!?」
奇しくも少年と紗良の声がハモる。
外れかけていた千歳の手が先程よりも強く口を押さえる、というより叩く。
ばちん! と痛そうな音がした。実際痛い。見かけによらず結構手が早い。
痛みに悶絶する紗良を全く気にすることなく、少年は嬉しそうな声を上げる。
「今度はお姉ちゃんが遊んでくれるの?」
無邪気な顔が、無邪気に毒を吐く。
可愛らしいその笑顔にザワリと鳥肌が立った。
これに頷いてしまえば最後、どこかに連れて行かれるような、そんな気がしたのだ。
だが千歳は、全く躊躇せずに頷いた。
「はい、さっきまでと同じかくれんぼでいいですか?」
パアッと少年の顔が輝く。
「千歳さん!?」
あっさりとOKを出した千歳に咎める声を上げてから、しまったと口を押さえる。
しかし今度は眉を顰めて紗良を見るだけで、彼女は紗良の口を叩きはしなかった。
「じゃあ、僕が隠れるから百数えたら探し始めてね」
言ってから少年は掻き消えるようにその場から姿を消した。
紗良は目をパチパチと瞬かせて先程まで少年のいたところを見る。一秒もないぐらいの極僅かな時間で、一体どこに隠れるというのか。
少年が立っていたのは自分からほんの数メートルも離れていないような場所だ。
周りに隠れられそうな場所はない。もちろん穴もない。
しかし千歳は全く動じることなく目を閉じて数を数えだした。
それを呆然と見つめてい紗良は、騒いでももはやどうにもならないことに遅れて気がつくと、その場に腰を下ろして千歳のことを見つめながら膝を抱えた。
暫し待つ事数分、千歳は「百」と呟くと顔を覆っていた手を外しそれから静かに歩き出した。
迷いのない足取りは真っ直ぐに、傍らに彼岸花の咲く木の方へと向かっていく。かと思いきや、彼岸花の前に座り込んだ。
そして彼岸花の茎を掴むと、おもむろに地面から引き抜いた。
「なにしてるの!?」
「……見ればわかるでしょう……?」
心底馬鹿を見るような目が紗良を捉える。
「彼岸花を抜いています」
「そういうことじゃなく!」
正直腹も立ったが、それを言っている場合ではない。
「かくれんぼは!?」
「今しているじゃないですか」
「どこが!?」
彼女は花を抜いているだけで、少年を探す気なんて無さそうにしか見えない。
「彼女が今しているのは何?」と問われた時、十人中十人が正答できないだろう。確信できる。
彼女はその問いには答えなかった。代わりにこれ見よがしなため息が。
「……石田さんはもう帰っていいですよ」
言われてしまった。
そのうち言われるのではなかろうかと思ってはいたが、とうとう言われてしまった。
「…………この状態で帰れるわけないよ」
あの少年が人外であることを知ってしまった今、疑問は増えるばかりだ。幸い千歳は何かを知っているようであるし、ならばここに残る以外選択肢はない。
紗良の返答を聞いた千歳は至極嫌そうに顔を歪めたが、紗良の意思が固いと知れるとまた前を向いて彼岸花を抜く作業に戻った。
淡々と抜かれていく花々は球根と土がついたまま千歳の脇に積み上げられていく。
それがある程度の山になった時、彼女は素手のままで掘り起こされたばかりの柔らかな土をどけ始めた。
「なんで地面掘ってるの?」
「あの子を見つけるためにです」
「……そんなとこに隠れてるわけが……」
常識に則った批判。
千歳はだが、その手を止めることなく言う。
「聞いたことありませんか? 『彼岸花を摘むと死人が出る』と」
それは今日既に一度聞いている。
しかし、それをこの場面で尋ねる意味はあるのだろうか。
無いと普通ならそう思う。何の脈絡も無いと。
ここら一帯に墓場は無い。であれば死者が出てくることがあるはずないのだ。……普通なら。
だが、意味が『ある』からこそ彼女はそんなことを尋ねたのだ。
その瞬間頭の中でピンっと走る一本の線があった。
わななきだした紗良の唇は「まさか」と三文字だけを口にする。
背中を伝うゾッとするような冷気に体が震えた。
得体の知れない恐怖を持て余す紗良の足下で、千歳はまだなお地面を掘り続けている。
やめてと言ってしまいたかった。
そこから出てくるであろうものを見たくなかった。
だが、残ると決めたのは紗良だ。この結末を知りたいと願ったのは自分自身だった。
それからは二人とも無言だった。
彼女が土を掘る音だけが夜の闇の中で聞こえる。
そして。
程なくしてそこから出てきた、半ば予想できていたものを見た紗良は、うめき声を漏らさぬよう自身の両手で口を押さえた。
だから。
少年は帰れなかったのか。
「……『みぃつけた』」
そう言った千歳の白い手は、彼女よりも白く細く、そして固い手を握っていた。




