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千秋 刻を憶う  作者: 朝日奈把瑠
Akt.1-1_石田紗良の場合
4/6

Szene3-1 その花、血を吸いて咲く

全部書き直してます





 幼い頃のことは知らない。

 何も思い出せない。


 ただ——

 彼女がそこを振り返る時はいつも、

 闇をも塗りつくさんとする『赤』があるだけだ。




◆◆◆




 親の転勤が決まったのが突然だったのなら、紗良の転校が決まったのも突然だった。

 どこがいいだとかあそこは嫌だとかそんな我が儘を言っている余裕は勿論なく、転入を受け入れていてかつ家から一番近かった都立第一高等学校へ通うこととなった。

 しかしそこに転入する前日に出会った不思議な彼女が同じ高校に、しかも同じクラスにいるなんて誰が想像しただろうか。

 彼女も予想だにしていなかったに違いない。現に紗良を見つめる大きく見開かれた目がそう言っている。


「石田の席はあそこなー」


 そう言って担任が指差したのは昨夜出会った彼女が座る席とは真反対の、廊下側の一番後ろの席だった。

 今は空席の周りに座る人達が嬉しそうに手を振ってくれている。


「丁度いいな。佐々瀬ー、お前石田の面倒見てやってくれ」

「はーい」


 随分とs音の多い名前だなと思った私を他所に、元気のいい声を発したのは空席の前に座る生徒だった。

 栗色の髪をゆるく巻いている彼女は化粧も濃い目ではっきり言ってギャルギャルしい。

 しかし、目があった瞬間に見せてくれた笑顔を含め彼女はとても可愛い。見るからにモテると分かる。


「黒板見えなかったら席変えるから言ってくれ」

「分かりました」

「後は教科書なんだが……悪いが今日のところは周りのやつに見せてもらうか、佐々瀬とかに頼んで他クラスから借りてきてくれ」

「あ、はい。大丈夫で……」


 紗良が返事をするか否かぐらいのところでチャイムが鳴る。

 担任はやべと呟くと、慌ただしく挨拶をして出て行った。

 置いて行かれた紗良は一人呆然と担任の出て行った扉を見つめるしかない。

 こんな中途半端な状態でどうしろと放心しかけたその時。

 

「あの人基本適当なんだよねぇ」


 後ろから突然そんな風に声をかけられて、紗良は肩を盛大にビクつかせた。

 鞄を小脇に抱え、振り返った紗良は明るい色の瞳と目があって丸くする。

 

「さっきの……」

「驚かせてごめんね。初めまして石田さん」


 ニコリと笑う彼女は紗良の前の席に座っていたギャルだった。


「そ、この度石田さんのお世話係に任命された佐々瀬露葉(ささせつゆは)って言います。つゆって気軽に呼んでね」

「あ、じゃあ私のことも紗良で……」

「りょうかーい。早速じゃあ、紗良」


 露葉においでおいでと手招きされた紗良は、先ほど担任にも指示された席に連れて行かれる。


「筆箱だけ出したら行くよー。あ、ノートもあったらノートも」

「ええっと……どこに?」

「一限から移動教室なんだよねー、実は。慌ただしくて申し訳ないんだけど、案内するから一緒に行かない?」


 疑問符は付いているが、それを断ることはできなさそうだ。というよりする意味が見当たらない。


「じゃあ……お願いします」


 ぺこりと頭を下げた紗良に、露葉は「堅いなぁ」と言って笑った。

 その笑顔がやっぱり可愛くて、紗良はその笑顔を食い入るように見つめる。


「教科書も借りに行きたいし早めだけどもう行くよー……ってどうしたの? 大丈夫?」

「え!? あっいやっ、その……」

「なんかボーッとしてたからさ、準備はできた?」

「うん、大丈夫」

「よし、じゃあ行こうか」


 いつの間に用意したのか露葉の手にも筆箱と数冊の本があった。

 彼女は紗良の席のドアを開けるとさぁどうぞ? と微笑む。

 

「あ、ありがと!」


 ドアを開けて待ってくれている露葉にお礼を言いながら教室を出る。

 しかし。

 人を待たせているのだから早く出なければと焦ったのが悪かったのか、廊下に出た紗良の目の前には予期せぬ人物が立っていて、驚いた紗良は「あっ」と小さく声を上げた。

 咄嗟に回避を試みるも、その人との間がもうほとんどなかったために勢い余ってぶつかってしまった。


「ごっ、ごめっ!」


 咄嗟に謝って飛び退る。

 そこに立っていた彼女——昨日助けてくれた例の人——は両手を体の前に出した不思議なポーズで固まっていた。

 首を傾げたのもつかの間。

 

「どうしたのー?」


 背後からの間延びした声に気づいて首だけを後ろに向けて答える。


「ぶつかっちゃって……」

「何やってんのよ、もう」


 戸口に立つ露葉は呆れ気味にそう言った。

 それもそうだろう。紗良自身、自分に呆れている。


「ご、ごめんね? 大丈夫……って、あっ」


 謝罪をしようと彼女に向き直った紗良は、しかし、そこに誰もいないことを知ると「あれ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

 キョロキョロと辺りを見回して廊下の先に彼女の後ろ姿らしきものを見つけた時には既に、彼女は随分と離れてしまっていた。

 その背中を唖然と見送った紗良はぽつりと呟く。


「……怒らせちゃったかな?」


 それに対する露葉の返答は意外なものだった。


「平気よ。あいつ、いつもあんな感じだから」

「え? 『いつも』?」

「そ。いつでもどこでも誰にでもあんな感じ。ひたすらフルシカト。気にするだけ無駄よ」


 少し驚いた。

 なぜかと問われても明快な答えは出せそうにないが、意外だと思ったのは事実だった。


「名前……」

「ん? どうしたの?」

「いや……あの子なんていう名前なのかなって思って」

「ああ、そういうこと。……確か千歳結花(ちとせゆうか)、だったはず」

「千歳さん?」


 聞き返した紗良に紗良は頷く。


「そ、可愛い名前だよね。……本人には全く可愛げがないけれど」


 ぼそりと付け加えられた声は今までと比べようもないほど低く、この時はその差をやけに印象深く感じたのだった。




◆◆◆

 



「じゃあ、私こっちだから」


 放課後、校門を出たところで露葉が指差したのは最寄り駅のある方角だ。


「露葉は電車通学なんだ? 遠いの?」

「ん〜どうだろ。それなり」


 露葉の家の最寄駅も教えてもらったのだが、東京に越してきたばかりの紗良は全く聞いたことのない駅名に首をひねる。


「ここから大体四十分くらいの場所。紗良は徒歩みたいだけど、ここから近いの?」

「うん、十分かからないくらい」

「ちっか! なにそれいいなぁ……羨ましい」


 今度遊びに行きたいという露葉に「狭いよ」とだけ付け加えておく。


「狭くてもいいし、むしろそこに間借りしたいぐらい」

「もっと狭くなるじゃん……」

「うちなんかもっと狭いよ。それに朝のラッシュさえなければもうなんでもいい」

「あー……東京はすごいって聞いたなぁ、そういえば」

「一回経験させたいわ。後悔するよ、きっと」

「全力で遠慮します」

「いや決めた。絶対経験させる」

「ヤダこの人、強引すぎる」


 しかし、今日は彼女の強引さに助けられたことを自覚している分文句を言う気にはならない。

 他人だらけの場所で物怖じする紗良を、いろいろな理由をつけて沢山の人に関らさせたのは露葉だ。

 そんな露葉と何かとノリのいいクラスメート達のおかげで、紗良は時期外れの転校生であるにもかかわらず転校初日とは思えないほど楽しく過ごせた。

 クラス外にも教科書を借りたのをきっかけに数人の友人ができた。

 露葉の後ろの席を与えられたことを幸運だと思うほど紗良は露葉に深く感謝していた。


「あ、ごめん電車来ちゃうからそろそろ行くわ」


 露葉はガラケーの画面を見ながら言う。

 いかにも今風な高校生の彼女が、スマホを使っていないことを意外に思いながらも「引き止めてごめん」と謝る。

 それを聞いた露葉は一瞬驚いた顔をしてそれから思い切り笑う。


「何謝ってんの。謝る必要なんてどこにもないよ。じゃ、また明日ね」

「あ、うん。また明日」


 巻かれた栗毛の髪を跳ねさせながら遠ざかっていく露葉から目を離すと紗良も歩き出した。



 高校のそばを流れる川、そこにかかる橋を渡ってすぐの所に紗良の新しい家はある。

 橋を目指して土手の上を歩いていた紗良は、河川敷に朝には気付かなかった色彩を見つけて足を止めた。

 風に吹かれて揺れる赤い花に向かってポツリと呟く。


「ああ、そっか。もうそんな時期か……」


 人をどこか不安にさせるほど赤く染まった花はだが、この季節の代名詞と言っても過言ではないと紗良は思う。

 〈彼岸花〉、これを忌む人は多い。

 理由は墓の周りによく咲いているからなのだろう。血のようなその色も不吉さを思わせるのに一役買っている。そのためか彼岸花には迷信が多い。


「それだけで嫌うなんてもったいない気がするけどね」


 木の陰に身を寄せるようにして咲いている赤い花々に向かって手を伸ばす。

 家族や友人は不気味だというけれど紗良はこの赤い花が好きだ。

 触るのを躊躇うような美しい形の花弁も、墓の周りでひっそりと咲く姿も、全て全て綺麗だと思う。

 それは、紗良の記憶の底にある赤と同じ色をしているからかもしれない。

 指先が赤い花弁に触れようとした、まさにその瞬間。


「え……?」


 紗良より一回りは小さな腕が紗良の眼前で振られた。

 顔を上げた紗良は黒々とした瞳と視線がかち合う。


「ダメだよー、触っちゃ」


 瞬きする紗良にいつの間にか隣に立っていた少年はもう一度言う。


「触っちゃダメ」

「……どうして?」 

「それに触ると死んじゃうから」

「え……?」

「聞いたことないの? 『彼岸花を摘むと死人が出る』って」


 ——例えば摘むと手が腐るとか、家が火事になるだとか、そういう不吉な迷信が彼岸花にはある。そういう迷信のことを少年は言っているのだろうと紗良は思い当たった。

 『彼岸花を摘むと死人が出る』というのも確かに聞いたことがある。

 というのも、彼岸花の根には毒があるらしく昔の人はモグラ除けで彼岸花を墓の周りに植えたらしい。

 しかし、せっかく植えたその彼岸花を抜いてしまうとモグラはそのまま突き進むわけで。そうなるとお墓の中の人が「こんにちは」してしまうわけで。

 そんなところからこの迷信は来たらしい。

 つまり少年の言うように触れるだけで死ぬことはないはずなのだが、少年の顔は何やら真剣でそれを迷信だと笑いとばす気にはなれず素直に手を引く。


「……君は物知りなんだね」

「まぁね」


 少しだけ嬉しそうな顔を浮かべた少年はだが、七、八歳の子供が浮かべるには似つかわしくない含みのある目で紗良を見た。


「どうしたの?」


 その目が気になって問いかければ少年はすとんと腰を下ろした。

 紗良の顔を見上げて少年はにぱりと笑う。


「お姉ちゃんいい匂いするなあって思って」

「……そんなこと言われたの初めて」


 一瞬口説かれたのかと。

 錯覚しそうになったが相手は年端もいかない子供だということを思い出して冷静になる。


「本当だよー? すごくいい匂い」

 

 紗良の気持ちなんてまるで気にせずにそう言った少年は紗良にすがりつくようにして抱きつく。

 甘えているのかグリグリと頭をこすりつけてくる様はさながら仔犬のようだ。

 体が軽いのも相まって余計にそう感じた。


「……お母さんは?」


 その姿が愛情に飢えている捨て犬のように見えて、無意識にそのような問いを口にしていた。

 返ってきたものは半ば予想していた通り「会えなくなっちゃった」という寂しそうなものだった。

 大方、死別したか離婚したかのどちらかなのだろう。


「帰らないの?」

「帰りたいんだけどねー、帰れないんだぁ」


(やっぱ訳ありかぁ……)


 どうしたものかと頰をかく。

 ここで帰るのは忍びない。


「ずっと待ってたんだけど、誰も来ないし暇だし」


 隣に座る少年は器用にも、体育座りのまま足を浮かせて腰だけでバランスを取っている。


「もう退屈で退屈で」

「そっかぁ」

「一人じゃ遊べないしさー」

「……」


 これはつまりあれか。

 遊んでくれという催促なのか。

 今一度見た少年の顔に期待の色があることに気がつく。それと同時に諦めの色も。

 あざとい。が、的確な表情でもある。

 そんな顔をされて拒否できる人間は血も涙もないのだろう。


「……じゃあさ、一緒に遊ぶ?」


 寂しそうな顔に絆されて、結局自分から申し出た遊びの誘い。

 本当は帰って引っ越した荷物の片付けをするつもりだったため、言ってしまってから後悔する。

 しかし撤回しようにも、聞いた瞬間にぱあっと顔を輝かせる少年の顔を見たら何も言うことができなくなってしまった。


「遊んでくれるの?」

「……別にいいけど、二人だけで何する?」

「かくれんぼ!」

「それはまた難題な」


 開けた河原に隠れられそうな場所はほとんどない。

 それでもキラキラとした瞳を裏切れず、紗良は肩をすくめながらもいいよと頷いたのだ。


 数十分後には後悔するとも知らずに。




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