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千秋 刻を憶う  作者: 朝日奈把瑠
Akt.1-1_石田紗良の場合
3/6

Szene2-1 その布団、空を舞う

全部書き直しています





 自分には悩みがある。

 そのせいで幼少期の思い出はどれも散々だ。





 人気のない住宅街、その道路を紗良(さら)は全力で走っていた。

 喉は吸いすぎた空気のせいでカラカラに乾燥して酷い痛みを訴え、心臓はとっくのとうに破裂していたっておかしくないぐらいに暴れている。

 しかし、それでも走り続けなければいけない理由が紗良にはあった。

 紗良は自分の肩越しに後ろを見やる。

 何度見てもそれが姿を変えることはない。


 ——そこには布団があった。


 もう一度言おう。

 真っ白でふかふかな『掛け布団』、それが紗良の後ろをずっと着いてきていた。

 何を言っているか分からないとは思うが、自分でも何を言っているのか分からない。誰か助けて。


 どうしてこんなことになったのか。

 いくら頭を捻れども答えは見つからない。

 ただきっかけは散歩の最中にそれ(・・)を見つけたことだったのだろうとは思う 。

 遡ること十数分前、この街に昨日越してきたばかりの紗良は散歩がてら近所の探検をしていた。

 その最中に紗良はそれ(・・)を見つけた。

 最初は風で飛ばされたビニール袋だと思って、道路のど真ん中に立ってそれを見上げていたのだ。





 夕陽で赤く染まった空の中に落ちた一点の白。

 それの不自然さに紗良は首を捻る。


『……風吹いてないよね』


 そう、無風も無風。空を流れる雲だって今日は動いていないのかと思うほどゆっくりと流れている。

 そんな中ビニール袋は随分と空高くを飛んでいるようだった。

 不審に思いじっとそれを見つめる。

 するとそれはこちらに向かって落下し始めた。

 ついさっきまで豆粒程度にしか見えなかったビニール袋、それが拳骨程になり頭ほどになり、人間ほどになり……今や手が届くぐらいのところにある。

 その段になって初めて気がつく。


『……お布団?』


 それはビニール袋ではないのだと。

 慌てて数歩後ろに下がる。

 下敷きにされてはかなわない、そう思っての行動だったが、布団は何故か地面には落ちなかった。

 数秒前まで紗良の顔のあった位置でふよふよと浮いている。

 新手の未確認飛行物体(UFO)だろうかとしばらく観察してみたが、それはどこからどう見ても布団でしかなかった。

 ついでに言えば干された後であるかのようにふかふかで、見るからに気持ちがよさそうな代物である。

 だが、ただの布団は宙に浮いたりなんかしない。

 流石に自分の目が信じられず紗良は目を両手で強く擦ったが、それが目の前から消えることはなかった。

 むしろ更に紗良に近付いてくる始末である。

 そしてそれ(・・)は急に飛び上がり——驚愕に目を見開く紗良の顔の前でぶわりと広がったのだ。


 食われる。


 何故そんなことを思いついたのかは分からない。

 しかし、紗良は気がつけば弾かれたようにその場から駆け出していた。

 馬鹿らしい行動。紗良はだが、走りながら背後を窺い見た時自分の判断が間違ってなかったことを知る。

 布団は宙に浮いたまま紗良の後を追ってきていたのだ。

 それで驚いて足を止めたりなんかしなかった。

 例えばあれが優しい布団の精霊だったとして、最近寝不足気味の紗良を眠りにつかそうとして追いかけてきていたのなら話は別だったかもしれないが、殺意を滲ませたあれが自分に睡眠を取らせるために追いかけてきているわけではないのは明らかだった。

 足を止めたら最後、


『眠るどころかっ、強制永眠に就かせられそうだよねっ!』


 ……自分で考えたとはいえちっとも面白くない冗談だった。



 それからも布団に追いかけられ続けることはや十分。

 その間すれ違う人間は皆が皆必死の形相で走る紗良を見るだけで、それを追いかける布団には関心すら見せなかった。

 いや、違う。他の人には見えていないのだ。この布団が。

 何故かなんて今更考えることでもない。

 何故なら紗良は、自分の異質さを十分に理解しているからだ。


 紗良の目には普通人に見えないもの——それは幽霊であったり、化け物であったり——そういうものが物心ついた時から映っていた。


 それが紗良の常であり、長いこと紗良を苦しめ続けた悩みだった。

 そして紗良を追いかけるこの布団もその類なのだろう。

 こんな存在感を醸し出しながら誰も気付かない布団なんてあるはずがない。というかただの布団が飛ぶわけがない。


 ——そんなことをごちゃごちゃと考えながら走っていたのが悪かったのか。


「あっ……!」


 足をもつれさせた紗良はバランスを崩し硬い道路に体を盛大にぶつけた。

 一瞬の出来事に、顔を庇うのが精一杯だった。


「いっ……たぁ……」


 擦り剥けたのか、ヒリヒリと痛む肘を庇いながらも体を起こした紗良が背に感じたのは柔らかな重み。

 しまったと思った時にはもう遅かった。

 振り向いた時、視界一杯に広がっていたのは白い布団だった。それが自身の背に覆いかぶさっている。

 普段なら眠気を誘うその感触は今は安らぎではなく、背筋を凍りつかせるような恐怖だけを与えた。


(私は死ぬの……?)


 考えもしなかった自分の最期。

 馬鹿みたいな人生の終わりに、涙なんかより先に笑いがこみ上げた。


「やだ……絶対死にたくない」


 そうだ。こんなことで死ぬわけにはいかない。

 今死ねば自分の死因は『布団に襲われた』になる。

 こんな空想じみたことで死んでたまるか。


(というか……字面が間抜けすぎて直視したくない!)


 それが正直なところだった。

 ガムシャラになって覆いかぶさってきていた布団を跳ね除ける。

 

「……こんなんで死ぬなんてやだ!」


 暴れに暴れ、布団の下から転がるようにして這い出たその時、紗良は自分のの前に一人の女が立っているのを見た。

 紅い棒を手にしてその女は立っていた。

 いつの間に日は沈んでいたのか、道路の先に浮かぶ月を背にして立つ女の顔は見えない。


「——助けて!」


 咄嗟に叫んだ。彼女にその布団が見えるはずもないのに。それが見えるのは自分だけなのに。

 手を伸ばして助けを求める。

 その隙にまた布団が自分を覆うために広がったのが分かったが、紗良は彼女に縋るだけで逃げない。いや、もう逃げられなかった。


「……その願い、」


 その声が彼女のものだと理解するまでに数秒を要した。

 そして理解するよりも早くに彼女は動いた。


「叶えてあげる」


 ハッとした。

 狭い道路で交錯する彼女と自分。

 すれ違う瞬間彼女の横顔を見た美波は、純粋に彼女の美しさに見惚れる。

 

 ——幻想的な光景だった。

 紗良が認知した時には既に、紗良のことをあんなにも執拗に追い回し続けた布団は一刀のもとに両断された後だった。

 月の下で浮かび上がる刃に目が吸い寄せられる。

 彼女が持っていた紅いそれは棒ではなかったのだ。

 物語の中でしか見たことのないそれは、一振りの日本刀。

 それは紅葉(もみじ)のような鮮烈な紅で染められていた。

 地面に力なく落ちる布団を見下ろす彼女は今いったい何を考えているのだろうか。

 月の光に照らされた彼女の長い黒髪が銀に輝く。


 それらは全て、声を上げる暇もない僅かな間に起こった事だった。




◆◆◆




「ここで少し待っててな」

「はい、わかりました」


 頷いた紗良を廊下に残して担任の男性教師が騒がしい教室の中に入っていく。

 残された紗良は、一人手持ち無沙汰で待つ。

 数日前にこの学校の生徒になっているとはいえ、登校するのは今日が初めてだった。

 緊張で強張る手をゆっくり閉じたり開いたり、それを繰り返す。

 騒がしい教室の中と打って変わってここは静かだ。

 初めての場所だからだろう。

 妙な居心地の悪さを感じながらそわそわと視線をあちこちに巡らせていた紗良は、視界の中に映ったネクタイに意識を奪われた。

 前の高校ではリボンを使っていたのでネクタイを巻くのはこれが人生初なのである。初めてにしては上手くまけたのではと自負するその赤いネクタイは、嫌が応にもあの日のことを思い起こす。

 そう、布団に追いかけ回された日のことを。

 あの日、紅い刀を持った女性に助け起こされた紗良は驚愕で目を瞠った。

 真正面から見た彼女の顔はことさらに綺麗だったからだ。

 透明感溢れる白い肌に、黒々とした大きな瞳。頰には睫毛の影。

 月の光を浴びて淡く光を放つ黒髪は、緩いウェーブを描いて彼女の背に落ちる。

 どこまでも静謐。

 思わず魅入ってしまうほどの美しさ。

 ずっと眺めていても飽きないであろうそんな美貌を持つ彼女のような存在を、昔は傾国の美女と呼んだのだろう。

 簡単に人を狂わせることのできる、魔性の女。

 そんな女が紗良の顔を超至近距離でまじまじと見てくるものだからおもわず赤面してしまう。

 何を思ったのか眉をひそめた彼女を見、紗良はやはり失礼だったかと頭を下げようとした。

 のだが。


『……視えるから、とあまり油断しすぎないように』

『……え?』


 紗良は中途半端に頭を下げた状態で聞き返す。

 聞こえなかったわけではない、理解が及ばなかっただけだ。

 だが彼女は言い直さない。

 代わりにさらにわけの分からない言葉を告げた。

 『でないといつかきっと後悔する』という、心に残る言葉を。

 その不吉な言葉は一晩経った今でも呪いであるかのように自身の中にこびりついて剥がれない。

 突然現れた彼女はいなくなる時も突然で、気付いたらいなくなっていた。

 真っ二つになっていたはずの布団もだ。

 その場に一人残された紗良は、自分が白昼夢を見たのではないだろうかと思わず疑った。

 空飛ぶ布団に、極めつけは日本刀を持った女。

 到底信じられるものではない。

 だが、膝に残された擦り傷があれは確かに現実だったと訴える。

 絆創膏の下にある傷が疼いた気がした。


「おーい、入ってきてくれ」


 いつの間にか静かになっていた教室の中からそんな声が聞こえてきて、紗良は少し慌てて扉に手をかける。

 教室内に入った紗良は担任に促されるままに教壇に上がって自己紹介をした。


「石田紗良です。よろしくお願いします」


 緊張しながらもそう言えば「よろしく」という声がクラスのあちこちから飛んできた。

 好感触にほっと一息ついて教室内を見渡す。

 引っ越したのが九月の後半と微妙な時期だったので溶けこめるのか不安だったのだ。

 これならうまくやっていけるかもともう一度思った時、見知った気配を感じて紗良は教室の隅を見る。

 窓際の一番後ろの席、そこに座る彼女も驚いたように紗良の顔を見つめていた。


 いくら長ったらしい前髪や、黒縁メガネで顔を隠そうとしても紗良の目はごまかせなかった。

 そこに座る彼女は昨日出会った——日本刀を持った女、その人だったのだ。




裏話



「…………何してんだ」

「見ればわかるでしょ」

「信じられないから聞いてるんだがな」

「布団だよ布団。斬っちゃったから縫ってんの」

「そんなのどこで拾ってきたんだ……。元の場所に返して来い」

「猫か」

「似たようなもんだろう。大体それ〈布団かぶせ〉だろ? そんなん縫ってどうする気だ」

「調教すんの。呼んだらいつでもどこでもやってくるようにすればどこでも寝放題だと思って。学校の屋上で布団にくるまって昼寝できるとか最高だと思わない?」

「…………それで死んだら百年は笑ってやる」

「でもなぁ、妖力大方喰らっちゃったからなぁ……もう一度飛べるようになるまでどれくらいかかるだろう」

「話を聞け」


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