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千秋 刻を憶う  作者: 朝日奈把瑠
Öffnen des Theatervorhangs
1/6

prolog_落ちた少女は狭間で揺蕩う

以前他サイトで連載していたもののリメイク版です


もし見たことがある気がするという方は(恐らくいないだろうけど)お久しぶりで早々申し訳ないのですが、追いつくまでもう暫くお待ちください _:(´ཀ`」 ∠):_

二幕に入った時点で活動報告にてお知らせします



 私は短い夢を見ている。

 繰り返し、何度も。





 だから、これもきっと夢なのだろう。










 涙を流す誰か。

 その声は何かを呼んでいる。


『──ヴィー、ヴィー……』


 震えが時折混じるそれは、聞き覚えがない。

 鈴の音のように透き通る音は、いつまでも耳を傾けていたいほど美しい。それを聞く誰もがその女に魅了されるのだろう。

 事実、一筋の光も差さない暗闇の中、女の声を聞くためだけに耳をすましていた。



『……大切で、大切で、誰よりも幸せになって欲しくて──なのに、』



 哀愁の篭ったその声は聞いているだけで涙を誘う悲痛なものだった。

 一体何が起これば、そんな声を出せるのか。

 『ヴィー』の身に一体何が起こったというのか。

 そう、不思議に思った時。

 ──ふと、視界が開けた。



「……どうして、貴方は……死んでしまうの……?」



 急激に明るくなった視界に、真っ先に飛び込んできたのは、艶やかな黒髪を持つ男の(こうべ)だった。

 胴も、血の気もないそれから命が失われているのは誰の目からも明らかで、女は血に汚れるのも構わず彼の頭を掻き抱く。



「ヴィー……ヴィー、ヴィー、ヴィー」



 青白い頬に自らの頬を寄せ、縋るように名を呼ぶ。

 その頭が『ヴィー』なのだろうか。

 男の目が二度と開くことはないと知りながら、それでも名を呼ぶ女。名しか呼べない女。

 その姿をもどかしく思う。


 どうして女はその(・・)言葉を告げないのだろう──?


 心が軋むほど欲しているのに。しかし、女は決してその言葉を口にしない。何度も言いそうになっては口を閉ざし、代わりに男の名だけを呼ぶ。



『  』とぐらい、言えばいいのに──



 心の内でそう毒づけば、女の肩が小さく揺れた。

 まさか聞こえたのだろうかと肩を竦めて息を潜めたのも束の間、女は消えるような声で「……もう時間」と呟いた。

 女が見ていたのは今にも世界を包みこまんとする闇だった。

 知らずのうちに女が座る場所を残して世界は消えていたのだ。

 しかし、残された世界をも消さんとするかのように、じわりじわりと迫る闇に、女は一切抗わない。

 恐怖を感じる様子もない。


「……もっと貴方と一緒にいたかったけれど、」


 言いながら女は立ち上がる。


「それは貴方のためにならないものね……?」


 小さく息を吐き、足を踏み出した女は、自ら暗闇へと身を落とした。

 両手が強張るほど長い時間抱き締めていた男の(こうべ)に、ほんの一瞬、唇を触れさせる。


「…………祈ってる。心の底から」


 それは女なりの祝福だった。

 口付けた男の額が淡い熱を帯びる。

 顔が歪みそうになるのを無理して微笑んで、女は大事に抱えていたそれを手放した。


 遠ざかる黒髪がふわりと揺れる。

 掴みたくとも掴めない。掴むことは許されない。

 それでも最後にもう一度。

 堪えきれなかった願いが女に手を伸ばさせる。

 指先が彼の柔らかな髪を掠めたのが最後。

 手放した男の頭は真っ直ぐに暗い穴の中に落ちていって────






 繰り返す夢。

 何度も見た夢。

 この時になって私はようやく思い出す。

 そしてこの夢は暗闇の中、また始まるのだと。

 ……少なくとも私はそう信じていた。




 突如感じた圧迫感。


 弾けるような衝撃と痛み。



 胸が、熱い。




 ハッと気付いた時、私は光に包まれていた。

 体を襲う浮遊感に変わりはない。

 ここはどこかと視線を彷徨わせれば、一人の女が視界に映った。

 長い黒髪が風に吹かれて揺れている。女の手には、まるで似つかわしくない、無骨で、黒くて、鈍い光を反射するものがある。それを握った女の手は突き出すように私の胸元へと伸びていた。

 女の悪意に気付いても、もう遅い。

 私の足は、とうに地面から離れていたのだから。


 落ちたくないと手を伸ばせども、指先は女の髪を掠めるだけにとどまった。

 手触りの良い黒い髪、それが指の間をすり抜けていく。


 ああ、また。


 思う間も無く私の体は崖下へと落ちて行く。

 その最中、私の耳が捉えたのは二文字の言葉。

 


『  』



『だから、死んで』



 聞こえたものに、愕然と目を見張るその先で、女の夜の闇よりも黒い(・・)唇が笑みを浮かべ────





ぱちん。



 シャボン玉がはじけた。









 間抜けな音を聞いたその瞬間、少女は現実に戻った。


 少女が伸ばした手の先には白が広がっていて。

 少女の前には黒いものなど何もなくて。

 少女の体は落ちてなんていなくて。

 




 長いことそのままでいたような気がする。

 少女は天井に向かって伸ばされたままの自分の腕を視界から外してゆっくりと下ろした。

 少女の視界に映るのは潔癖なまでの白で、そんな彼女は蝉の鳴き声だけを聞いていた。

 少女が緩慢な動作で起き上がろうとすると、不意に全身を痛みが襲った。

 体を保っていれらないほどの痛みに呻いて体を硬いベッドの上に戻す。パイプベッドが軋んで小さな音を立てた。

 仕方なしに顔だけ動かして窓の方を眺めれば遠くの空に積乱雲が見えた。くっきりとした青と白。

 このあとは雷雨になりそうだと、そのコントラストを見て思う。

 体に走った痛みのせいで、一度は消えた夏の風物詩の鳴き声が、思考の合間を縫って再び少女の体に忍び寄ってきた。

 無意識のうちに眉根が寄っていた。硝子越しの蝉の声はどうしてここまで鬱陶しく思うのか。彼らの声は耳に障る。

 頭が痛くなりそうな大合唱は途切れない。しかし、その音に紛れて規則正しい機械音がすると気付くのに、そう大した時間は要らなかった。


 自分の胸から伸びる管、その先に機械はあった。

 等間隔でその音は積み上げられていく。機械の画面に刻まれる波形も一定。その線が描く波は、機械音と共に永遠に続く。

 腕からも管は伸びていた。それはベッドの横にある点滴へと繋がっていた。

 自分の腕をそっと上に持ち上げる。何をしたかったわけでもないが、その動作だけでもひどく疲れた。

 腕が重い。

 皮と骨だけのその見た目では軽そうに見えるにも関わらず。


 自分の体は一体どうしたというのだろう。

 気怠さに細めた視界に映るのは、波を生み続ける機械のみ。しかし、その暗い画面の奥に女が写っていたことに不意に気が付いた。


 見知らぬ少女。


 持ち上げていた腕を今度はその画面に向けて伸ばす。

 画面に写る少女も手を伸ばし、お互いの指先が触れあった。しかし、指先からは硬質でいて、ひんやりとした感触のみが返る。それは、まるで画面のような。




 ──その画面の奥に写った、頬がこけ包帯を巻いた痛々しい少女が自分なのだと気が付いたのは、それから少し後のこと。

 乱れなく同じ波形を刻み続けていた白の線が一瞬だけ跳ね上がる。






 分からないのだ。

 自分のことが。

 何一つとして分からない。









 ──どれだけの時をそうしていたのか。

 足音が聞こえた。引き戸の向こう側だ。とろとろとした動作でそちらへ頭を向ける。

 足音は急速にこの部屋へと近付いていた。そしてそのまま遠ざかるだろうと思っていたそれは、少女が見ていた戸の向こう側で立ち止まったようだった。

 数拍の間を空けて軽やかなノックの音が耳に届く。


「……どうぞ」


 嗄れた弱々しい声。

 だが、少女の答えを待たずして扉は開かれた。そこから顔を覗かせた看護士は、少女と目があった事に驚いたように目を丸くする。


 俄かに騒がしくなった病室に少女の溜息が落ちた。





 ──これはとある少女の記憶。

 これから幾度も思い出すこととなる、少女の最初の記憶。






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