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狩人の少年

先の大戦後。


その谷は国に

魔法の実験場として接収された。


以来魔法の霧で隠されたそこに、

近付く者はない。

……

口笛が、響いた。


祖父の、アイルの合図だ。

犬達のほえ声も近付いてくる。


セアルはいばらの茂みの前で、

改めて槍を構え直した。


ここは北の辺境。イオルの森。

セアルは18才。狩人だった。


この地方では珍しくないが、

淡い金髪と青い瞳に、

引き締まった体付きをした

背の高い少年だ。


と。


激しい葉擦れの音と共に茂みから

1頭の猪が飛び出してきた。

ひと抱え以上はある大物だ。


肩口が血で濡れているのは、

そこにアイルが

槍を打ち込んだからだろう。


猪はセアルを見て、

怒りの咆哮(ほうこう)を上げた。

向かってくる。


セアルはそれに(おく)すること

なく槍を突き出した。


槍は狙いを違わず

猪の胸を貫いた。

猪は悲鳴を上げ、

もんどり打って倒れ込む。


セアルもそのまま体をひねると、

止めを刺すため突き立てた槍に

全体重をかけようとした。


が。


猪は泡を吹きながら

再び咆哮を上げた。

そして。

セアルの足元をすくいながら

立ち上がると、

向きを変えて逃げ出した。


弾むようにはね、

近くの沢に飛び込み下っていく。

思いの外しぶとい。


「ち。」


倒されたセアルは舌打ちすると、

素早く体を起こした。

すぐ後を追おうとする。

と。


「駄目だセアル。」


猪が飛び出した茂みから、

槍を携えた

銀髪の50代後半とおぼしき男が、

2頭の犬を

連れて飛び出してきた。


セアルの祖父のアイルだ。

アイルは汗を拭いながら続けた。


「すまん、一番槍をしくじった。

奴の力を十分そげなかった。」


そして猪が下っていった沢に

目を向けた。


「奴は霧の谷に向かった。

ここまでだ。」

と。


「いいや、まだだ。」


セアルはそれに首を振り、

そして続けた。


「谷の手前で仕留めてみせる。」

と。

そして。


「よせ、セアル。」


アイルの制止する声を後に、

猪の下っていった沢を横切ると、

目前に現れた崖を飛び降りた。


2頭の犬達は崖から後を追えず、

わんわんとほえ立てた。

……

(霧の谷、か。)


セアルは斜面を滑るように下り、

木々の枝に頬や腕を切られながら

思い起こした。


そう。

このイオルの森の北の外れ。

手負いの猪が

駆け下っていった沢の先。


今では霧の谷と呼ばれるその谷は

50年前に大陸全土を巻き込んだ

大戦後、

国に魔法の実験場として

接収された。


以来そこは、

戦争で使用される魔術の研究や

魔物を飼育する危険な場所として

知られるようになり、


元々触れれば肌に激痛をおぼえる

という、

分厚く白い有害な魔法の霧が

結界として谷全体を覆い、

内外の接触をはばむ仕組みが

取られていたが、

今では中を探ろうとする者は

おろか、

うとむべき呪われた場所

だからと、

周囲に住む人も減り、

近付く者すらいなくなっていた。


(でも。

だからと言ってせっかくの獲物を

あきらめられない。)


セアルはそう思い、進んだ。

……

と。


急に視界が開け、

セアルは崖の斜面からちょうど

沢に、

逃げる猪の前に飛び出した。


「大当たりだ。」


セアルの言葉に応えるように

猪はほえた。

血の混じる泡を吹き、

怒りのままにセアルに牙を向け、

突っ込んでくる。


セアルは槍を構えた。

そして。

押し倒されながらも

のしかかってくる猪の心臓に、

今度こそ

こん身の力で槍を叩き込んだ。

……

鮮血が雨のように降りそそいだ。


猪はしばらく痙攣(けいれん)

した後、

動かなくなった。


「ぎりぎり間に合ったな。」

セアルは息を吐くと、

猪の血と沢の水にぐっしょりと

濡れながら、

その体の下から槍と両足を

引き抜いた。

そして。


違和感をおぼえた。


セアルは沢の下方に目を向けた。そして判った、

違和感の理由が。


いつもなら山あいのそこは

見渡す限り

白一色に塗りつぶされた場所の

はずだった。


例えるならまるで白い湖が

広がっているような。


そこが霧の谷。

白く有害な魔法の霧が絶え間なく

内外を遮断している場所。

が。

今、その魔法の霧は消えていた。

初めて見た谷は

全てが黒ずんでいた。

セアルは目をこらした。


遠くに固まって見える

四角い建物はもしかしたら崩れ、

焼け落ちてしまっているのでは

ないだろうか、と。


「!」


更に視線を移したセアルは

谷の入口付近で幾人もの人が

倒れているのに気付いた。


その数は十数人あまり。

皆、全て

黒いローブに身を包んでいる。


「おい!大丈夫か!」


セアルは

人々に駆け寄って様子を見た。

そして。

はっと息を飲んだ。


死んでいる。

そのほとんどの体には

引き裂かれた跡のような、

ひどい損傷が見受けられた。


と。


「う……」


背後でかすかなうめき声がした。


「しっかりしろ。」


セアルは声の主に駆け寄ると、

その小柄な体を抱き起こして

声をかけた。


やはり腕や足に

傷を負ってはいたが、

致命傷ではないようだった。

手には30cm程の棒状の何かを

しっかりとつかんでいる。

杖だろうか。


フードを外し、

顔を見たセアルははっとした。


それは少女だった。

年は15、16才。

肌が抜けるように白い

黒髪の美少女。


と。


不意に咆哮が上がった。

金属をこすり合わせたような

それは、

猪のものとは比べ物にならない

くらい、

耳をつんざくような大音量で

長々と谷全体に響き渡った。


思わず耳をふさいだ

セアルの近くに、

どん!と、

何かが落ちてきた。


そちらに目を向けると、

黒いかたまりが見えた。


「う!」


セアルは息を飲んだ。

それは猪の頭だった。

おそらくは

先ほどセアルが狩った猪。


と。

耳元でひゅうと風が鳴った。


「セアル!」


同時にアイルの声が聞こえ、

体をつき倒された。

2頭の犬達のほえ声もした。


「じいさん?」


「し!」


アイルはセアルと少女に

覆い被さりながら、

セアルの口を手でふさいだ。

そして。


「これでその子を背負え。」

と、

小声でセアルに縄を渡した。


セアルは動揺を隠せないながらも

体を低くしたまま

言われた通りに縄をおぶい紐

(ひも)のように使い、

少女を背負った。

そして。


「沢を戻れ!」


アイルの声に、

セアルは言われた通り少女を背に

沢をかけ上がった。

と。

犬達のほえ声が不意に止んだ。

鈍い音と共に

ぎゃん。

と悲鳴が聞こえた。


「アギル?スグルハ?!」


セアルは振り返って

2頭の犬達の名を呼んだ。

と。

その目に黒い何かが映った。

首が長く、

どこかは虫類じみた何か。

ぼりぼりと何かを咀嚼(そしゃく)しているその口元からは

犬の前足と、

したたる血が見えた。

が。


「見るな!走れ!」


アイルに肩をつかまれ、

セアルは再び沢の砂利に

足を取られながらも走った。

……

再び咆哮が聞こえた。


「走れ。セアル、走れ!」


そのまま

祖父の声に圧されるようにして、セアルはもう

後ろを振り返ることなく、

走り続けた。


そして。

……

「何なんだ、あれは!」


沢を登りきり、

森の中に戻ったセアルはやっと

後ろを振り返ると、

そう言って吐き捨てた。


「霧が、晴れていたな。」


祖父のアイルも息を切らしながら

うなずき、

後ろを見やりながら続けた。


「おそらく実験場で何か

トラブルがあったんだろう。

あそこでは、

兵器開発に異界の魔物が使われていると聞いている。

あの『竜』はそのたぐいだ。」


と。

がくりとアイルは膝をついた。


「じいさん!」


セアルはあわててアイルの体を

支えた。

見ると鹿皮の胴着で覆われたその背中が大きく切れて、

血がにじんでいるのが判った。


「俺をかばってやられたのか。」


セアルは沢の下で

アイルに突き倒された時の様子を

思い返して、

端正な顔をくもらせた。

アイルは苦笑した。


「大丈夫だ、

そんなに深い傷じゃない。

心配するな。」


と。

森のあちこちから同時に

複数の叫び声が聞こえた。


「!」


見るとこちらの体のすぐ側を、

子を連れた

雌鹿がはね飛んでいく。

続けてキツネやウサギ達が。


そして更に多くの動物達が

我先にと森の奥から

こちらに向かって駆けてくるのが

見えた。

まるで何かに追われるように。

そして。


咆哮が聞こえた。


それは先ほど沢で見かけた、

アイルが「竜」と

形容した化け物のものだった。

と。


木々が揺れ、

その姿が見えた。


黒いうろこに覆われた長い首。

長い尻尾。

は虫類のつぶれた黒い顔。


ひと抱えはあるイノシシの、

3倍はあるだろう大きさ。

体のわりに小さい前足、

それを補うかのようにがっしりと

太い後足。


それが体をうねらし、

二足歩行で茂みを踏み倒しながら

こちらに向かってくる。


「ち!」


セアルは背負っていた少女を

下ろすと木陰に隠した。

そして。


「何をする!」


ふらつきながらやっと

立ち上がった(てい)のアイルが

そう呼びかけるのを後に、

竜に向かって駆け出した。


竜のあの速度では、

このまま逃げ続けても程なく

追い付かれるだろうから。

でも。

どちらにせよ只ではやられない。


対峙すると竜は吠え、

鎌首をもたげた。


「来い化け物!

アギルとスグルハの仇だ!」


セアルは槍を構えた。


と。

不意に澄んだ声が響いた。

聞くと雷神トアンを(たた)え、

その加護を望む言葉。

すると。


「!」


セアルの槍が輝いた。

鋭い光の奔流(ほんりゅう)

槍を包む。


と。

再び澄んだ声が響いた。


「討って下さい、その雷の槍で、

竜を!」


セアルは声に従った。

雷をまとった槍を竜に向かって

突き出す。


槍は竜の、

セアルを引き裂こうと

かっと開かれた口内から入り、

上あごまで貫いた。


瞬間。

竜は炸裂し、四散した。

……

セアルは息を吐いた。

そして。

後ろを振り返った。


見ると先程の澄んだ声の主だろう

黒いローブの少女が、

杖を持った両手を突き出す格好で

肩で息をしていた。


濡れたような黒い瞳が、

こちらを見つめている。

セアルは思わず、

そこに引き込まれるような感覚を覚えた。


と。

不意に少女は目を閉じた。

ぷつりと糸の切れた人形のように

その場にくずおれる。


「おい!」


セアルはあわてて駆け寄ると、

その体を抱き起こした。

少女は再び気を失っていた。


「ひとまず家に戻ろう。」


アイルの言葉にセアルはうなずき

改めて少女を背負い直した。

……

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