1章の1-女子高生の閑雅な放課後-
第一章:あらすじ
舞台は平成18年、春。 とある理由から大金が必要となった少女、「岡嶋すみれ」は、バイト先の先輩「沙葺玖朗」にとあるバイトを紹介される……
つい、ため息が口をついて出る。
ロングホームルームも終わり、斜陽の差し込む教室は、放課後特有の緩やかな喧騒に包まれていた。
陽気な喧騒をBGMに窓際の席で頬杖をついて、すっかり茜色に染まってしまった空を眺めていたら、ふと。
これで私がもう少し美人だったら、アンニュイな雰囲気をかもし出せたかな、深窓の令嬢みたいに。なんて。
益体もなく思ってみたところで、平凡を地でいく私じゃあ、どうあがいたって不景気窮まる現代社会の縮図だ。ため息の原因だって至極現金な問題だし、まったくもって、世知辛い。
「なーにシケた面してんのよ、アンタらしい」
「そこは普通、アンタらしくない、じゃないの?」
そんな具合にどうでもいい物思いにふけっていたら、軽い調子で声をかけられた。
伊東衣子――キヌちゃんだ。振り返らずともわかる。
そもそもこの学科に女子は私含め2人しかいないわけだから間違えようはずもないし、それが友人という間柄ならば、なおさらだ。
「だってあんた、最近いっつもムスッとしながらボケーっとしてるじゃん。もうね、名物ですよ」
わはは、と豪快にキヌちゃんは笑いながら、私の背中をばしばし叩いた。キヌちゃん流のスキンシップだ。痛い。
「私だって思春期の女の子なんだからさ、物思いにふけることだってあるよ」
「まあ、別に物思いにふけるのを悪いとは言わないけど、さすがに心配になっちゃうじゃん?」
あんまり頻繁なのはねえ、と苦笑を交えてキヌちゃん。
「……ごもっともデス」
ぐうの音も出ないので、ここはひとつ素直に頭を下げる。そんでため息。
あ、しまった。
「もう、言ってるそばから。……なんか悩み事あるんだったらさ、乗るよ? 相談くらい」
どうやら心配かけてるみたいだなあ、とは、思う。
豪胆を地で行くキヌちゃんを、すこしばかり神妙な口調させてしまうほどには。
「や、そんな深刻なこっちゃないよ。……ありがと。これからは気をつける」
こういうのを、気の置けない友人っていうのかな。
なんて思いながら、私はつとめて笑顔を作って答える。
よき友を得た、という自覚はあった。親友と言っていい。
だからこのどこか嘘くさい笑みは、その友にこれ以上は心配をかけまいという気持ちからの行動だ。
とはいえ、それが功を奏するとは限らないのもまた事実ではあった。
「気を付けるって……うーん、まあ、それならそれでいいけどさ」
キヌちゃんはどこか釈然としないというふうではあったが、どうやらそれ以上の追及は差し控えてくれたようだった。正直助かる。
少なくともこの悩みについては、教室で話していい類のものではないからだ。
「……あ、そうだ。駅南においしいクレープ屋ができたって建築科の良子が言ってんだけどさ、帰りよってかない? あたし、今日部活休みだし」
キヌちゃんは、思い出したかのように明るくなってそんな提案をしてきた。仕切り直しのつもりだろう。
しかし、クレープ屋。
確かに魅力的な話だ。甘味はすなわち神味。うっかり世界を救ってしまってもおかしくない代物だ。
言うまでもないことだけど、私は甘党である。
「あれ、どしたん?」
確かに、確かに魅力的な話である。
ただし、今日の場合は頭に「時と場合によって」が付く。付いてしまうのである。
おそらく今、私の顔面は恐ろしい勢いで引きつった笑いを繰り出しているのだろう。キヌちゃんの不思議そうな表情を見ればわかる。
「う、ううーん。今日はその、おなかいっぱいカナ。いやあのネ、クレープはね、好きなんだけどネ?」
「イヤイヤ、それはちょっとそれ怪しすぎるっしょ。ン?」
キヌちゃんに言われるまでもない。さすがに怪しすぎる。自分でも若干引く。目線は明後日を向いてるし、胸の前で手をもじもじさせながらのひどく上ずった棒読みである。
さすがにステレオタイプすぎるだろ、自分!
と、何とか冷静を保ってる部分がセルフ突っ込みを決めたが、ンな冷静に突っ込みいれてる暇があるのかと思わずにはいられない。以下、セルフ突込みのループである。
ようするに、冷静な部分なんて残っていやしない。
「そ、そういえば部活休みって、県大会近いんじゃなかったっけ? 自主練とかさ、しなくていいの?」
キヌちゃんは、わたしよりもふたまわりは背が低いってのに、女子柔道部期待の新星だ。こんな華奢な体で、入部早々|自分の背丈の倍くらいあるような《(誇大表現)》主将を軽々投げ飛ばしちゃったらしい。
んで、付いたあだ名が「小さな巨人」。
最初に聞いたときは、ミクロマンかよ! と名付け親に突っ込みを入れたくなった。
さておき、そんなわけで先週の市大会を余裕でパスしたキヌちゃんだから、こう、もっとなんていうか練習に余念のない感じじゃないの、と聞いてみたのだが、
「近いったって、あとひと月は先だよ。根を詰めるより、適度に休息を入れるのがウチのスタイルなの」
と、いともあっさり返されてしまった。部の方針というなら、部外者の私に言えることはない。退路は絶たれた。
「ていうかさ、もしかしてすみれ、あたしと遊ぶのがイヤなわけ? あー、ひっどいなー。友達だと思ってたんだけどなー」
なんて。わざとらしくキヌちゃんがジト目で迫ってくる。不審そうな顔を作ってるくせに我慢できずに口の端がぴくぴくしてるから、絶対この状況楽しんでるなあ、これ。
「そんなことはないけどさあ……」
「もうっ、とっとと吐いて、楽になっちまいな!!」
私がばつの悪そうに言葉尻を濁して見せると、キヌちゃんは表情一転。ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべたかと思えば、目にもとまらぬ速さでポケットから何かを取り出した。
コンパクトだ、というのは、辛うじてわかった。乙女の身だしなみに必須ともいえる小さな化粧道具(※校則により持ち込み禁止)である。
「うっわ、眩しぃっ! ちょ、わかった! わかったからそれはヤメテ!!」
一見何の変哲もないそのコンパクトは、赤々と燃える夕日の力を得て恐るべき光線兵器へと姿を変えた! 眩しい!
セリフから察するに、刑事ドラマでよくある取調べのアレを意識しているのだろう。これは効く。あまりにも暴力的だ。
刑事さんの使う白熱電球だって、もっと人体にやさしいぞ! と胸中で叫ぶ。食らったことはないけど!
ちなみに背後で不幸にも誤射を受けた男子が、某天空の城の名セリフを叫びながらじたばたしていた。すまん、渡辺君。
「んふふ、よろしい。それじゃあいこっか」
「うぃ~……」
キヌちゃんは、何事もなかったかのようにコンパクトをしまって、にっこりと微笑んだのだった。
そんなわけで学校を出た私とキヌちゃんは、自転車のチェーンを軋ませながら夕闇迫る県道沿いを並走してるところだ。右手の古城公園のお堀から漂ってくる水の腐ったような臭いに、忍び寄る梅雨を感じずにはいられない。
ひとまずの目的地は、件のクレープ屋さんだ。
とにかくそこまで行けばすべて白状しますと誓約して、私はキヌちゃん捜査官の元から保釈されたわけが、いやはや高い保釈金である。
高校から駅までは1キロ程度しか離れていないから、自転車なら5分とかからない。程なくして、われらはクレープ屋に到着した。
元大手スーパー、現パチンコ屋の裏手にひっそり佇むそのクレープ屋は、プレファブの一戸建てである。一見すると、駐車場の古ぼけた管理棟に見える程度には地味だ。同じクレープ屋でも、これなら某忍者の移動拠点のほうが随分オシャレである。
これでほんとに女子高生メインターゲットに狙ってんの? 正気なの? って言いたくなる程度にはパッとしない。店の前にテーブルと椅子を並べてオープンテラスを演出しているが、まったくもって焼け石に水だ。女子高生の歓談場というよりも、近所のおばちゃんたちの休憩所といった趣がある。
「これはまた、想像してたより野趣あふれるというかなんというか……」
キヌちゃんですら言葉尻を濁すありさまである。まあ、最初はそういう反応だよね、みんな。私もそうだったもん。
「でも、味はいいんだよ」
私は、そのまま引き返しかねないキヌちゃんにすかさずフォローを入れた。するとキヌちゃん、怪訝な顔をこちらに向けてくる。
「すみれってここ食べ来たことあるの? なんかずいぶん訳知りだけど」
「まあ、ね。それも含めて、中で話すよ」
ここまで来てしまったのだから、私はすっかり観念している。隠し通せないなら、いっそ全部明かしてしまおう。キヌちゃんには、共犯者になってもらう。
「え、なんでそんな積極的になってんの?」
「んー、毒を食らわば皿までってやつだよ」
「なんだそりゃ」
「いいから、いいから」となだめすかし、キヌちゃんの背を押して、クレープ屋のドアノブに手をかけた。
「へい、ぃらっしゃい!」
敷居をまたいだ瞬間、ドアベルの音量を余裕でかき消すほどのバカでかい声が襲い掛かってきた。
出迎えたのは、体長……じゃなかった身長190センチはあろうかという大男だ。縦に長いが、横にも長い。肩幅だけで2メートルくらいあるんじゃなかろうか、というのは流石にオードバスだけど、とにかくでかい。
そんな大男が、相応にでかい手で器用に生クリームの絞り機を操り、ちびちびとクレープをデコレートしている姿は、実に倒錯的といえるだろう。微塵も似合ってない。
横をちらり見れば、キヌちゃんが絶句していた。復活にたっぷり1秒はかかったかな。写メり損ねたのが悔やまれる。
「え、ちょっとナニナニ、あの人なに?」
「ここの店長さんだよ」
復活して即座に私に聞いてくるキヌちゃんに苦笑しながら、こともなげに答える。あ、またキヌちゃん驚いてる。「あの人が!?」って感じだ。だよね。私もそう思う。
というかあの馬鹿でかい挨拶はやめた方がいいと思うんだよなあ、八百屋じゃないんだから。
当の店長は驚かれ慣れてるのか、その様子をニコニコスマイルで見守ってる。おい接客しろよ。
「んっ? 岡嶋っちじゃん。どしたん、今日はシフト入ってないでしょ」
厨房からひょっこりと、これまた長身の男が現れた。長身って言っても、熊みたいな店長とは全く異なるひょろっとしたイケメンだ。APP17くらいの。邪神ではないと思う。
「ねえねえ、あの人誰? 超イケメンじゃん! すみれの知り合い?」
キヌちゃん、いきなりテンションあがりすぎである。
キヌちゃんも年頃の女の子だよなあと思いつつも、どうどうと制する私。さながらマタドールだ。
……って、マタドールってさんざん牛を煽って避けまくる職業だから、あんまし適切じゃないな。ここはこう、なんというか暴れ牛をなだめるが如くってニュアンスで、そうなるとカウボーイ? 女だからカウガールになるのかな?
あ、いや、別にキヌちゃんが猛牛みたいだって言ってるワケじゃないからね。もののたとえだから。小柄なのに体格がっしりしてるってのは一切関係ないから。他意はないから。
「落ち着いて、落ち着いて。えとね、この人は沙葺さん。先輩だよ」
「ども~、沙葺です。今日はゆっくりしていってね」
イケメン――沙葺さんを紹介すると、彼はキヌちゃんに軽く片手をあげて挨拶して微笑んだ。
はにかんだ拍子に白い歯がきらりと光る。イケメンか! いやまあ実際人好きのする笑顔の眩しいイケメンである。短めに切りそろえた髪は不自然じゃない程度に茶色に染色してあって、シンプルな黒フレームの眼鏡なんかが真面目っぽさを演出している。真面目系イケメンだ。眼鏡をかけてるのに野暮ったさを微塵も感じないのは、やはり沙葺さんがイケメンであるが故なのだろう。
……そろそろイケメンを連呼していたら作者がきつくなってくるだろうから、この辺にしとく。
「すみれちゃん、沙葺クンばかりじゃなくて、俺のことも紹介しなさいよ」
そんなやり取りを見て、熊……失礼、店長がまぜて! まぜて! とばかりに口を挟んできた。子供か。
子供にしちゃデカすぎるな。大人にしたってデカいってのに。
「もー、わかりましたよ。このく……人は、店長の緒方さん」
「わはは、腕によりをかけて作るから、じゃんじゃん注文ヨロシクぅ! ……それといま熊って言いかけたでしょ。すみれちゃん減俸ね」
「横暴だ!! ただでさえ安月給なのに!」
「時給制だけどな」
がははと店長が笑ったので、私も負けじとわははと笑い返す。勝手に繰り広げられるさして面白くもない漫才に、キヌちゃんは曖昧な笑顔で固まっていた。
どうもテンションがついていけてないらしい。そらそうだ。いけないいけない。
「あーっと、とりあえずさ、詳しい話は食べながらにしよっか」
「あー、そうね。それがいいわ」
とりあえずは大事だ。二人して手近な席に腰かける。注文を取りに来た沙葺さんにカスタードバナナ、照り焼きチキンをそれぞれ注文した。沙葺さんが厨房に消えたのを見計らって、さて、と居住まいを正す。
「ええと、まあ大体わかってるとは思うんだけど、私、ここでバイトしてるの」
「あー、シフトとか減俸とか、そういうことね。ついでに来たがらなかったワケもわかったわ。納得」
キヌちゃんは、なるほどと頷く。
「うちらの学校、バイト禁止だってのは知ってるのよね? 入学2ヶ月で堂々と校則違反とは、なかなかやりますなあ」
「堂々とはやってないから。さすがにそんな図太くないよ。ここのバイトだって、基本キッチンだもん。ホールはめったにやらないもん」
我ながら、なんて言い訳がましい。
「そういうのさ、五十歩百歩ってやつじゃん? ってかクレープ屋さんってそんなキッチンの仕事あるの?」
「や、意外とキッチンもすることあるんだよ。果物切ったりとか、生クリームホイップしたりとかさ。忙しいときはそれこそ休む暇なくクレープ生地焼かなきゃならないし」
「へえ、見た目は怪しいのに、結構繁盛してんだねぇ」
キヌちゃんは狭い店内を見回しながらいう。今のところ、お客は私らのほかに初老のおばさんが一人いるだけだ。ちなみに常連さんである。
「うん、休日とかね。平日も、もうちょっとしたら忙しくなるよ。ほら、部活帰りでさ。メインはテイクアウトだし」
幸いキヌちゃんは柔道部が休みだったし、私はそもそも帰宅部だから放課後直帰だしで、一番込み合う時間よりも少し早い。おかげで落ち着いて話もできようというものだ。
「でも、キッチンって言ったってカウンターからばっちり背中が見える感じじゃん。顔見知りが来たら、結構やばくない?」
「んー、まあキッチンに立つときはマスクと三角巾つけてるし、擬装用の伊達眼鏡もかけるから」
「隠蔽工作、やけに気合い入ってるじゃん」
「そりゃあねえ」
言いながら私も苦笑である。けれども、これも必要な措置なのだ。
「何でうちの学校、あそこまでバイトに厳しいのかねえ」
キヌちゃんはそんな私の(無駄な)努力を感じ取ってくれたのか、やれやれとぼやく。そうなのだ。私たちが通っている県立高岡工業高校は、やたらめったらバイトに厳しいのである。
高校生は学業が本分っていう学校側の主張はもっともだとは思うけどさ。大学に進むよりも就職する生徒のほうが多いような工業高校なんだから、卒業後に向けて職業経験積むためにバイト推奨してもおかしくないと思わない?
インターンシップ? あんなのただの社会科見学じゃん。
「風の噂じゃ、2年の先輩がこの間バイトしてるのがばれて停学くらったらしいしさ。もう、戦々恐々ですよ」
言いながら身震いする。まあ、いろいろ尾ひれがつきまくってる気はしないで無いけど、火のないところに煙はたたぬっていうしさ。
「てか、戦々恐々と毎日を過ごすくらいならさ、辞めちゃえばいいじゃん。あ、学校じゃないよ、バイトのほうね。一体全体、何があんたを突き動かしてるワケ?」
キヌちゃんの言葉はもっともだ。けど、こっちだって何の目的もなくバイトをしているわけではないのである。
静かにグラスを傾けながら、キヌちゃんは私の弁明を待ってくれているようだった。私は口先を少しだけ湿らせてから、キヌちゃんの目をしっかと見据えて、言い放つ。
「遊ぶ金ほしさです」
岡嶋すみれ、15歳。女子高校生兼アルバイター。これが私の、偽らざる戦う理由だ。
「お前はアホか」
「真顔で返さないでよ」
ピクリと笑いもせず、キヌちゃんは辛らつに切って捨てた。
いや、まあ、わからなくもないよ。その気持ち。ちょっと冗談かますタイミングを外したなっていうのは、自分が一番痛感してるから。
「や、でもね。なんだかんだ言っても、最後はそこに行きついちゃうんだよ。まあ、当面の目標は国立大の入学金を稼ぐことだけど」
「へぇ、それはご立派なことで」
「あれ、信じてない?」
「いやいや、そんなことはないけどさ。意外っていうか。うちの学校って、ほとんど職業訓練所みたいなもんじゃん」
「それは言い過ぎだと思うけど……」
「そりゃさ、デザイン科とか工芸科を混ぜれば進学も多いけど、うちらの科なんて90%が就職じゃない?」
「まあね~……」
グラスの水を半分ほどあけて、はあっと軽いため息を吐く。
「うちの父さんがさ、高卒至上主義っていうか、大卒嫌いなんだよね」
「え、なにそれ」
「ほら、ウチって工務店やってるでしょ? 現場じゃ大卒なんかより、高卒で早々に社会に出たほうが絶対に使える人間になるなんて言ってさ。アホらしくない? 一生現場でドカタやれってかって話だよ。だいたい自分は高専卒で、しかも3回も留年してるくせにさ。ひどいと思わない? しかも高校だって、工業高校しか許さん、普通科高校に行くくらいなら中卒で働けって。もう、ほんとやンなっちゃう」
ああ、思い出すだけで腹が立つ。
「やだね~、そういう価値観の押しつけ? ってやつ。うちの父ちゃんはそこんとこ寛容でよかったよ」
「あー、いいねえ寛容な父親。うらやましいなあ」
自分の父も悪人ではないと思うのだが、いかんせん頑固に過ぎると思わざるを得ない。自分の価値観を目下の人間に壊されたくないタイプなんだよね。
「まあそんな調子でさ。『大学に行きたきゃ自分でカネ貯めて行け!俺はびた一文出さんからな』なんて言うもんだから、私も買い言葉で『わかったよこんちくしょうカネくらい貯めてやるわい!』ってわけで、今バイトしてるってわけよ」
「あんたはそういうとこ頑張るよね。中学ん時からそうだった。頑固は親譲り?」
「遺伝するのかもね」
自嘲気味に冗談めかして言って、グラスに残っていた水を干す。キヌちゃんを見ると、どうやらまだ何か聞きたそうだった。いいよ、聞きなよ、と目線で促す。
「ま、あんたがここに来たがらなかったのはこれで分かったんだけど、毎日毎日溜息ついてるのもコレに絡んだ問題?」
キヌちゃんは右手の親指と人差し指でわっかを作って見せた。
「ご明察。まあ、バイトの話なんだけどさ」
「ほうほう」
「クレープお待たせしましたー」
ちょうど話し始めようかというタイミングで、トレイにクレープ二つと紙コップ二つを乗っけた沙葺さんが現れた。相変わらずのイケメンである。ばっちり話の腰を折られたが、イケメンなので許す。
てきぱきと給仕されたところで、ふと気がついた。
「あれ、私たちドリンクは頼んでないですよ」
沙葺さんは「いいからいいから」と笑った。
「これは店長からのサービス。なんでも来週から店に出すオリジナルドリンクなんだってさ。試しにどうぞ」
「へー、また新しいのが出るんですか。これ何種類目ですか?」
「13種類目だって」
店長のオリジナルドリンクは、この店の売りのひとつだ。
これが結構当たり外れが大きいんだよね。私的には1番と6番は大当たりだけど3番と7番はダメだった。
ちなみに配合は完全企業秘密ということで、バイトの私たちにも教えてくれない。
「えっと、なにこれ?」
事情を知らないキヌちゃんは、カップの中身をのぞいて困惑顔である。私も視線をカップの中に落とすと、なるほどキヌちゃんが困るのもわかる風体だった。
一言でいえば、マーブル模様である。コーヒーにミルクを入れてかき混ぜなかったらこんな感じになるかな、って感じだ。においもひどく甘ったるい。
確かにこれは初見で口をつけるのは躊躇するわ。
「店長が己の直感のみで配合したスペシャルドリンク。これ結構当たり外れがあるんだよねー。まあ、タダらしいし一口だけでも……あ、沙葺さんお冷二つ追加。大っ至急」
「はいはい。全速力ね」
私が保険を頼んだのを見て、キヌちゃんは完全に腰が引けている。カップの中の謎の液体とにらめっこをしているが、旗色は悪そうだ。
「じゃあ、一応乾杯ってことで」
「……かんぱーい」
声にいつもの覇気がないぞキヌちゃん。とはいえ、覚悟を決めたようにカップを口に運んでいたので、私も遅れまいと自分のカップに口をつける。
一口すする。
「……!?」
「これは……ッ」
まず初めに口の中を突き抜けて行ったのは、衝撃的な甘さだった。確かにあんな甘ったるい香りだったのだ。無論、それ自体は不思議ではない。
ただ、この甘さは白砂糖のそれではない。もっと濃厚で、原始的なワイルドさを持つ……黒砂糖! だと思う!
黒砂糖っぽい爆発的な甘さと、ほのかな苦さ。しかしこれだけでは、水に黒砂糖を溶いただけの代物になってしまう。最初は良くても後味が最悪だ。そこに追いかけるようにしてやってきたのが、程よい酸味。おそらく柑橘系だろうか。それが口の中に残った余分な甘さを洗い流して、程よい後味に整えている。
つまり何と言いたいかというと……
「うまい!」
私とキヌちゃんは、一言一句たがわず唱和していた。二人同時にもう一口含んで、飲み下し、しっかと頷きあう。
そこで、キヌちゃんが何かに気づいたようにハッとした顔をした。彼女は即座に己のクレープの包みを開けると、一口頬張る。数回咀嚼して、そしてドリンクを飲む。
これだ! キヌちゃんの表情が、言葉を必要としないほどに語っていた。
そこで私も気が付く。
キヌちゃんが注文したのは照り焼きチキン。ほんのり甘いクレープ生地にしゃきしゃきのレタスを乗せ、マヨネーズを敷き、甘辛しょっぱいタレの照り焼きチキンがくるまった一品である。
そこに甘いドリンク。常にリセットされ、更新される味覚。塩分+糖分の組み合わせ。これは卑怯だ。まずいはずがない。
しかし、デメリットも歴然としていた。カロリーだ。計上するのも背筋が震えるほどの膨大なカロリーが、十代花盛りの乙女に襲い掛かる。
思春期の女子にとって、カロリーは不倶戴天の敵であるはずだ。が、この旨さの絨毯爆撃の前には些事でしかなかった。
摂取したカロリーなど、すぐに燃焼させてしまえばいいのだ。その点キヌちゃんなどは柔道部として日々厳しい練習に汗を流しているわけだから、もはや何の問題もない。完璧な組み合わせである。
負けじと私も包みを開ける。私が注文したカスタードバナナは、クレープ生地に築かれたカスタードクリームの玉座に、大きく切られたバナナが鎮座まします王道的一品である。デザート・クレープのオーソドックス・オブ・オーソドックスだ。
クレープにかぶりつく。甘い! もはや暴力。圧倒的なまでの甘味の暴力が口腔内を蹂躙しつくす。
ただでさえ糖度の高い果物であるバナナに、濃厚なカスタードクリームがプラスされているのだ。甘さ二倍なんてもんじゃない。もはや甘さの二乗倍だ。それにドリンクが加わるとなれば、甘さの三乗倍。
しかしそれだけでは胸焼けものだ。過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉もある。しかしそれは、あのドリンクの後味、ほのかな酸味によって芸術に昇華される。すべてが計算された、完璧な調和である。
「すみれ……」
「ン?」
お手拭でそっと口許を拭ったキヌちゃんが、私を見据えた。私も口を拭い、居住まいを正す。
キヌちゃんはしばし瞑目して、数秒の後にぐっと腕を突き出し、親指を立てた。満面の笑みをたたえて。
もはや、言葉は必要なかった。
結局、私たち二人はひたすら無言でクレープを貪った。それは正しく、至高の瞬間だったといえるだろう。
目の前のトレイには、いまやすっかり空になったカップと包み紙があるだけだ。
食後の余韻を楽しんでいると、キヌちゃんが思い出したかのように言った。
「すっかり聞きそびれちゃった。あんたの溜息の理由」
「あー」
そういえばそんな話だったか。なんか甘いものに夢中になりすぎて直近の記憶が飛んでたわ。
「まあ、バイトの話よ。今はここで平日週三の3時間プラス土日が半日ずつってシフトで入ってるんだけど、時給が700円だから週に13,300円、月だと5週あるとして66,500円。そっから携帯料金とか最低限の趣味に使うおカネを引いて50,000円、1年で60万円、3年で180万円。どんだけ都合よく皮算用しても、これだけしか貯まらないのよね。だから、追加で新しいバイト探そうと思って」
「うぇ、十分じゃない?」
「いやいや、甘いよキヌちゃん。国公立大に受かれればまだ良いけど、私大だったら初年度で吹っ飛んでいく額だよ。それにこの試算、あくまで完璧に、都合よく貯まった場合の話だもん。風邪ひいたり怪我したりしてバイト出られなかったり、そもそもここが潰れちゃったりしたら終わりだかんね」
私がそういうと、キヌちゃんもふむふむと納得したようだった。カウンターのほうから「勝手に潰すな!」という店長の声が聞こえたけど、無視する。
「ってか、すみれはそこまでして大学行きたいんだ?」
「そりゃあねえ。モラトリアムの延長ってやつですよ。私だって人並みに遊びたい!」
「動機不純だねえ……ってか高校時代働きづめにするような計画立ててるような娘が、モラトリアムも何もないと思うんだけど」
「それを言われると、痛い」
ぐぬぬ、とばかりに私は何も言えなくなってしまった。
キヌちゃんの言うとおり、自分はなんだかすごい倒錯的なことをやってるんじゃないかと思うときもなくはない。だけど、それは考えたら負けってやつだ。
私は、ただひたすらに素敵なキャンパスライフをエンジョイしたいのだ。私だって、いまどきの若者なのだから。
「それにほら、さっきの試算じゃ趣味にかける金額を最低限で算出してたけど、できるなら趣味にもお金を使いたいじゃない? 心にゆとりを持たせるためにもさあ」
これもまた、偽らざる本音である。
「あー、あんたの趣味って確か……」
「そ、これよ!」
若干呆れ気味のキヌちゃんに向けて、私が満面の笑みでカバンから取り出したのは、その手の趣味を持つ者で知らない人はいない二大雑誌、ホビージャパンと電撃ホビーマガジンの今月号である。
「あんた、やっぱ生まれてくる性別間違ったんじゃない? 女の子でロボット好きって、あんまりいないでしょ」
そう、私の数ある趣味の中でも一番大きく心を占めているのが、「ロボット」なのである。世間一般の女の子がイケメンにキャーキャー言ってるように、私はカッコいいロボットにキャーキャー言ってるクチだ。
とはいえ私も世間一般の女の子であるから、イケメンにだってキャーキャー言うのではあるが。
「そりゃ少ないけど、皆無ってわけじゃないよ。ロボットはいいよぉ~。うまく言えないけど、こう、心躍る。やめらんないね」
「ま、人の趣味にはとやかく言うつもりはないけど……そんなにお金かかるもんなの?」
「まあ、かけようと思ったらいくらでもかけられるジャンルではあるよね。もうしばらくしたらスパロボの新作も出るし、Gジェネもそろそろ来そうだし、関連書籍は月に山ほど刊行されてる。アニメのブルーレイなんて集めようもんなら、お金はいくらあっても足りないよ」
ちなみに現在、先述のHJ、電ホに加えモデルグラフィックスとガンダムエースを定期購読してるから、それだけで月5千円近くとんでっちゃうんだよね。
そのことをキヌちゃんに言ったら、なんか溜息つかれて盛大に呆れられた。まあ、自覚はしてるし、むべなるかなって感じ。
「それに、月末にはブキヤから1/144戦術機の新作でるし、バンダイからは気になってる新作ガンプラが3つほど出るでしょ。ダン戦は普段買わないんだけど、すごく琴線にクるのがあってさあ、それの購入も……」
「あー、わかったわかった。何にもわかんないのと、バカみたいにお金が飛んでくってのだけはよくわかった。あんたがバカなのも知ってる。落ち着きなって」
どうどう、とばかりに今度は私がキヌちゃんに制された。ちなみにキヌちゃんはロボットとかそういうのに一切興味がないので、そっち系統の話題で盛り上がれる友達がいないのがさびしいところである。フルメタ(ふもっふ)あたりのロボ要素少なめロボモノから布教していってみようかと画策していたりいなかったり。
「……まあ、すみれがやるってんなら止めないけどさ。バイト。学校にも黙っててあげる」
私のバイトにかける熱意に気圧されたか、それとも純粋な呆れからか、キヌちゃんが盛大なため息交じりに言った。
私は少しばかり感極まって、がっしとキヌちゃんの手を取る。キヌちゃんは少し困ったような笑みを浮かべた後、「でも」と表情を引き締めて言った。
「でも、気を付けてよね。入学早々バイトが原因で親友が退学して男子校に一人ぼっち状態とか、ホント嫌だからね」
「わかった。ありがと、キヌちゃん」
「ま、私もできるだけ協力するから。アリバイ作りが必要になったら、遠慮なく言って?」
「あ、ありがとぉ~!」
私は、本当にいい友達を持ったと思う。
それからしばらく、私とキヌちゃんは手を取り合ったまま笑い合ったのだった。