犯人
桜の家に着くと、俺はインターホンを押すなど考えず、すぐに玄関を開けようとした。
≪ガチャガチャガチャ!≫
だが、扉は開かなかった。普通に考えれば当然のことだが、桜の家に限っては例外。この辺りは決して犯罪0というわけではないのに、桜の母親は家にいるとき、鍵をかけない。勿論、家に誰もいないなら鍵をかけるだろうが、昨日今日と娘が学校を休んでいる中、娘を置いて出かけるだろうか?…………まさか、桜も母親も学校の事件に巻き込まれたのか!?
一瞬、俺の脳にこの中で血まみれになって倒れている桜と母親の映像が浮かんだが、すぐに冷静になり、事件が起こったのは学校だと自分に言い聞かせ落ち着かせた。
俺はもう一度ノブを捻り、開かないことを確認すると、インターホンを押した。漫画やアニメみたいに、植木鉢の下に鍵があるなんてことはないし、幼馴染ということで合鍵をもらってるなんてこともない。
1秒、2秒、3秒……。音が鳴り止んでから十数秒。俺はノブを掴み、足が動かないようにドアの横にセットして、思いっきり引いた。例え壊れても……というより、壊してでも中に入る!
「ぐっ……!くっ……!」
≪バキッ!≫
「ガッ!」
思いっきり引くと、ドアはいとも簡単に壊れた。その反動で仰向けに倒れてしまったが、すぐにドアを避けて起き上がり、中の様子を見てみた。
中に変わったところはなく、入る前に想像した様子の何百倍もいい状況に思えた。……だが、すぐにそうも考えていられなくなった。玄関に置いてある靴が2組。綺麗に揃えておいてあった。桜と母親の靴。母親の靴はあまり見たことがないが、桜の方は確実に断言できる。これは桜のだ。
俺は靴を揃えるのなんて気にせずに、急いで靴を脱ぎ捨て、家に入った
「桜!いるんだろ!?」
2階にある桜の部屋。その扉を開け叫んだ。そしてそこには、
予想外の光景と、願った光景があった
「やっぱり……快だったんだね。」
……快?桜の俺の呼び方に違和感を感じるが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。桜は部屋の隅にある机の近くに血まみれで立っていたのだ。
「桜!どうしたんだよ、その血は!?痛くないのか!?」
俺はそう聞くが、桜自身は全く痛くなさそうなうえに、凄く悲しそうな顔をしていた。
「…………」
だけど、桜は何も喋らない。……いや。というより、何を喋ればいいかが分からないかのような様子で黙って俺を見ていた。
「……どうしたんだよ……桜。」
俺は意味が分からずにゆっくり桜に近づき、桜の肩に手を置こうとしたが……
「……桜?」
なぜか桜は俺の手を腕で受け止め、唐突に隣にあったスポーツバッグを持ち上げ、歩き出した。
「おい!桜!どうしたんだよ!?」
明らかにいつもと様子が違う。さっきの俺の呼び方も含めて、まるで桜と同じ姿を別人のようだ。
「下で話そ?答えれることなら答えるから。」
桜は振り向くことなく、ドアの前で立ち止まって、そう言った。桜は俺の返事を待たずに歩き出したので、俺はそこで止められなかったが、とにかく、下に行けば聞きたいことを答えてくれるのだということを信じ、桜を追いかけた。
「コーヒー、お茶、水ぐらいしかできないけど、何か飲む?」
桜は台所に行くと、冷蔵庫を開け、そう聞いてきた
「いや、いらない。」
俺がそう答えると、桜は「そう」とだけ呟き、コップを1つ取り出し、それに水を入れて椅子に座った。俺はその対面に座り、何から聞こうかと迷った。聞きたいことはいくらでもある。まずは何から聞くか。今の桜は明らかにおかしい。
……迷っていても仕方がない。俺は質問を決め、さっそく聞いた。
「親は?」
普段は家にいる桜の親が、今はいない。けど、さっき見たときは確かに靴があった。桜は体調的には元気そうなので、家にいなくても買い物なのかもと思うが、靴があるのはおかしい。俺は初めは軽い質問をしたつもりだったけれど、予想外の返事が返ってきた。……考えもしなかった、最悪の返事が
「殺した。」
「なっ……!」
予想外過ぎて……いや、想像すらしなかった返事が返ってきた。
「なんで!」
俺は大声で叫び、机を叩いた。だが、桜はそんなこと気にせずに、水の入ったコップを持ち上げ、飲んだ。普段の桜なら、当然ビックリするような状況を、まるでなんでもない些細なことのような顔をして無視している。その態度が、余計にこの桜はいつもの桜と違うと、余計に思わせる。
「グラッジって、覚えてる?」
「え?」
桜は突然、聞いた質問と関係があるとは思えないような言葉を口にした。
「グラッジって、あの数日前に俺がメールを始めた、あのグラッジか?」
「そう。あれは……私。」
「な!」
この家に来たときから予想外の連続だが、今回のが一番予想外であり、意味が分からなかった。
「快のために、順序立てて教えてあげる」
「…………ああ」
俺は心を落ち着かせ、桜の言葉に耳を傾けた。
「グラッジは英語で『恨み』って意味」
「恨み?」
余計に頭が変になってくる。確かに、桜も人間だ。だけど、桜が人を恨むなんて考えられない。それも、本当にグラッジで、あのメールが本当なら、桜は今日までに11人殺していることになる。それほどまでの恨みがあるとは思えない。
「私は昔から最近までに、どうしても許せない人が14人いるの。まあ、最初は4人だったけど。残り10人は最近。」
「14人?……15じゃないのか?」
すぐにメールの内容を思い出す。細かいところは分からないが、確か、2回目以外は1人殺す内容で、4つ。10人が1つ。そして俺。合計15人のはずだ。
「快は少し違うの。」
「違う?」
「快の前で言うのはなんだけど、確かに最後には私、快を殺すつもり。」
もしこれが普段の桜の口調、雰囲気なら、『正面から殺人予告なんて始めての経験だな。』なんて笑って終わらせれただろうが、今の桜からはまるで冗談な気がしない。おそらく、順番が来れば本当に殺すのだろう
「なあ、なんで人を殺すんだ?それに母親まで殺して。」
「お母さんは例外。私も殺す気はなかったの。最後まで、気づかれずに14人殺して、最後に快に全部話して一緒に死ぬつもりだったから。」
「…………」
桜の言葉に何も返事ができなかったが、もう桜の言葉を疑うわけにはいかない。部屋で会ったときからずっと、悲しそうな目で俺を見ているのがその証拠に思えた。
「話を戻すね。次に、私は今の快が知ってる桜じゃないことは分かるよね?」
「やっぱり……違うのか」
思っていたけれど、たんなる気の迷いであったほしいと思っていた。でも、桜の言葉を聞いて、確信した。解離性同一性障害。簡単に言えば、多重人格という精神病を聞いたことがある。おそらくそれだろう。
「『天野桜』は3人いるの」
「3人?」
2人なら分かるけど、3人?
「今の快が知らない桜。今の快が知ってる桜。そして私。」
確かに3人だ。だけど、今の俺が知らない桜?ということは、出会う前の桜?それなら俺が知るはずもない。……だけど、それとどう関係があるんだ?
「まず、今の快が知ってる桜は、本当の桜じゃないの。」
それは、なんとなく分かる。今の俺が知らない桜がいるなら、それは出会う前の桜。つまり、俺が知っているのは偽者ということになる。
「私以外の桜のことは話せないけど、私の役目は話せるけど……聞く?」
「役目?」
「多重人格者になる人は、精神的に苦しんだ人。だから、生まれた人格は何かの役目があるの。」
「……そうか……。それじゃあ、お前の役目は?」
「恨み」
その答えは、なんとなく予想していた。わざわざ『私がグラッジ。グラッジは恨みという意味』と教えてくれていたのだから。
「私は他の私が持っているはずの恨みの全てを持ってるの。」
「……それが爆発して、恨みのある人を殺すって?」
「そう」
俺の言葉に、桜は迷いなく頷いた。
「……なあ、その恨みって、なんなんだ?最後に俺を殺すってことは、俺も何かしたってことだよな?」
「教えてもいいけど、それじゃあ意味ないの」
「意味ないって言ったって、分からないんじゃどうしようもないじゃないか!」
いい加減、桜の対応に腹が立ち、思いっきり机を叩いた。その振動で、今度は水の入ったコップは倒れ、水がこぼれたが、桜は驚きもせず、近くにある布巾で机を拭いた。
「まず、快はそのことを忘れてるだけ。」
「忘れてる?」
「よく思い出してみて。快が小学校の時。」
そう言われても、小学校の時の記憶なんてこの年じゃあ曖昧過ぎる、ちゃんと覚えてる奴なんていないだろ……
「別に小学校の時の記憶全部じゃなくていいの。不自然な記憶の繋がりがない?」
「不自然な繋がり?」
小学校は1年生から6年生まで。桜と出会ったのは小学校入学前だから、1年から6年までの間。その間、桜と同じクラスだったのは確か……1年、2年………4年、5年、6年だったか?確かそうだったはずだ。だけど、例え別のクラスだったとしても、桜とは一緒に遊んだりしたはず。
…………いや、まて。不自然な記憶を探すんだ。実際にあるはずのない記憶。前後の繋がらない記憶。
「………………」
「……やっぱり、分からない?」
黙っている俺に、桜は残念そうな、それでいて確信していたような声でそう言った。
「なあ。頼むから教えてくれよ。」
「それは死にたくないから?私に謝りたいから?」
2度目ということもあってか、桜は俺がそう聞くことが分かっていたかのように、俺の言葉のあとすぐにそう聞いた。
……だけど、どうなんだろう。死にたくないのは当然だ。何か悪いことをしたって言うなら、謝りたいって気持ちもある。……けど、今の俺の気持ちは死にたくないって理由が大きい気がする
「もしもね?快が思い出したとしても、私は快を殺すよ。」
俺が答えを出せないでいると、桜は小さくそう言った。
「例え頭を下げて謝ったとしても、私にしたことと同じこと……ううん、それ以上のことをしてもいいって言われても、たぶん殺すよ」
「…………そこまで酷いことを……俺はしたのか?」
俺はいったい、どんなことを桜にしてしまったんだろうか。
俺は自覚のない自分の過ちにだんだんと怖くなりながらそう言ったが、突然、桜はなぜか初めて呆れたような顔になりながら言った
「ううん。違うよ。私のこの恨みは、単に自分勝手なだけ。」
「自分勝手なだけ?」
「そう。今考えれば、とても些細な事。笑って許せること。……だけどね、快。子供の精神って、凄いんだよ?1度感じたことは、なかなか消えないの。消そうと周りの人も協力してくれれば消えるかもしれないけど、何もしなかったら、そのまま残るか、余計に強くなるの。」
「……つまり、初めはそこまで深刻じゃなかったけど、ほっといたから強くなったのか?」
「うん。だから私の身勝手。だから、快も私に反抗する権利はあるの。今ここで……私を殺す権利も」
桜の目は冗談を言っている雰囲気はなかったが、ここで殺される気もないと言っていた。
「……じゃあ、これから俺が選べるのは、俺と、あと数人が殺されるか、お前を殺すしかないのか?」
「…………うん」
桜自身も実際は辛いのか、顔は暗くなっていた。
「それで、どうする?私はこれから毎晩、順番に殺していく。それまでに快は私を殺す?なんなら、今すぐにでも。」
……どうしよう。これから殺される人、もう殺された人。桜は元は優しい人だから、罪のない人を殺すとは思えない。いくら身勝手だと言っても、絶対に殺される人は罪がある人だ。だから、それは俺も含めて償うべきだと思う。けど、問題は殺してまですることなのかだ。……なら、今ここで桜の骨を折ってでも止めるべきか?桜は片手な上に、身体能力は俺の方が上のはず。戦って勝てないことはない。
≪ガタン≫
力で押さえ込む案に決めようとした瞬間、向かい側の桜の席から音がした。見てみると、桜は立ち上がり、コップを流しに持っていき、コップを置くと、ポツリと呟いた。
「……やっぱり……そうするんだ」
「!」
具体的に桜は今、押さえ込むなんて言わなかったが、明らかに俺が考えていることが分かったようだった。
俺は反射的に立ち上がり、桜へと走った。空手の経験など、格闘技の経験はないが、それは相手も同じ。思いっきりお腹を殴れば、動けなくなるだろう。そう考え、一気に桜に近づき、お腹目掛けてパンチを打ち込んだ
「……ごめんね」
しかし、桜に避けられ、耳元でそう言われたかと思うと、逆に自分のお腹に殴られた感触と痛みが襲ってきた
「さく……ら……」
一瞬で痛さで立てなくなり、倒れたが、片目だけは開けて桜を見た。
「ごめんね」
桜は申し訳なさそうな顔をしながらもう一度そう言い、ついに歩いていってしまった。すぐに追いかけようかと思うのに、体は動かず、どんどん目の前が暗くなっていき、ついには気を失ってしまった。