限界を超えた妻の願望
10月某日。
妻は再び危篤状態になりました。
幸いにも意識があったので、酸素吸入量を増やし、妻の手を握り、肩を叩きながら呼吸を促すように声を掛け続けました。
「吸って…吐いて…、吸って…吐いて…」
声を掛け続け、30分後には妻の呼吸は安定し、血中酸素濃度も90%台まで回復しました。
妻は意識がはっきりしたのち、
「もう苦しくて楽になろうと思ったのに
耳元で『吸って吐いて』とうるさいし
せっかく声掛けてるのに呼吸止めたら
悪いと思ったから頑張って呼吸した。
次に同じ状態になったら放置して。」
と言われました。
この日以降、ほぼ寝たきりとなりました。
おそらく慢性的な酸素欠乏で意識が朦朧としていたのだと思います。
そんな重篤な状態にも関わらず、妻は長男の弁当と夕食の支度にキッチンに立ち続けました。
妻にとってキッチンは自分の聖域であり、食事作りは自分が家族にできる精一杯の役割…と決意していたからだと思います。
【12月10日の夜】
夕食後にワタシが後片付けしていると、妻が神妙な面持ちで宣言しました。
「もう私の体力は限界です。
明日から長男の弁当と
夕飯の支度をお願いします。」
妻の遅すぎるギブアップ宣言に、
ワタシは即座に「任せて」と答えました。
翌日から、妻は一日一食の食事と、トイレとシャワー以外には寝たきりになりました。
ほぼ寝たきり状態までに衰弱しているはずなのに、トイレとシャワーのサポートは完全に断られました。
シャワーの時は
「十分後に出てこなければ様子を確認して」
と頼んでくるだけでした。
酸素欠乏で意識が朦朧としても、呼吸困難による体中の痛みで強制的に覚醒されるという想像を絶する苦しさが一日中続くことになり、寝れない、食べれない状態で体重は30キロまで減少しました。
痛み止め(医療用麻薬)も効果が弱まり、食べたい物を聞いても
「トースト半分とフルーツ缶半分で大丈夫。」
と言い、その少量ですら食べきれない状況でした。
【12月20日の夜】
翌日は往診治療の日。
妻は息苦しさに耐えながらワタシに頼み事をしてきました。
「私はもう限界です。
この痛みと苦しさに耐えられません。
死なせて下さい。
明日、先生に死ぬ薬を貰って下さい。
お願いします。」
2006年6月に初めて会ってから、
我儘を一つも言わずにワタシや子供たちを支えてくれた妻の
最初で最後のお願いが…
「死なせて下さい。」
ショックで思考が停止しました。




