1節 王国地下スラム ⑤
本当に、今度こそミラの家のようだ。途中、カヤの手を引いてはあっちこっちに行ったりして、大分時間を食ったが。
「おばあちゃん、ただいま!」
「ミラ……おかえり……ゴホッ、ゴホッ……」
入ってすぐの居間に、ベッドに臥せた老婆がいた。病気のせいだろうか、酷く窶れており、自力で立つことさえ難しいようだ。
「待ってておばあちゃん! すぐ薬を作るからね!」
薬草を持って奥へ駆け込んでいくミラ。こちらもやることがないので、勝手に上がらせてもらう。
「どうもー、お邪魔しまーす」
石造の家が目立つ中、この家は木造だ。それ故に所々腐ったり、カビたりしていて不衛生。相当古いらしく、いつ倒壊するかもわからない。
「………どなたでしょうか?」
ゆっくりとした動きで老婆は起き上がる。その目を見たエイジはすぐに察したが、どうやら目もよく見えていないようだ。
「私は通りすがりの旅人。この辺りには詳しくないので、あの子に道案内をしてもらっていたのですよ。この子は、その道中、彼女が私にねだって買った、元奴隷のアヤです」
「それはそれは……ご迷惑をおかけしました。優しそうな人で良かったです。どうか、何もないところですがゆっくりしていってください……ゲホッ、ゲホッ……でも、奴隷だなんて……」
「きっと彼女は、自分と同じくらいの年齢の子が、奴隷として扱われているのを見過ごせなかったのでしょう。彼女の方こそ、この薄汚いスラムに似合わない、優しい子ですよ」
部屋の中央、もう然程使われていないだろう椅子に座って話を続ける。カヤはそんな彼の隣で、身の置き所に困っている。
「はい、おばあちゃん! お薬だよ!」
「悪いねぇ、ミラ。私の体が、弱いばかりに……」
「ううん、いいの。おばあちゃんがわたしを育ててくれた恩返しだよ!」
水を取りにミラが離れた隙に、問いかける。
「…………不躾なことを聞きますが、彼女のご両親は?」
「……母は私の娘です。父親は、わかりません。娘は、娼館で働いていましたから。この子を産むと言って聞かなかったのですが、出産の際に命を落としてしまって……なんとかここまでは、育てられたのですが……」
「そうですか……」
__娼館、か。やはりあるのだな。奴隷がいる治安なんだから、当然といえば当然か……__
「おばあちゃん、お水! それでねそれでね、今日はすごかったの! お兄さんが__」
ミラが祖母にマシンガントークを始めたので、席を外すことにする。水入らずの方がいいだろう。
一つ隣の部屋で待機すること十分弱。椅子に座って寛いでいると、ある気配を感じ取った。さっきの部屋に入ると、ミラはまだおしゃべりをしていたが、中断してもらわざるを得ない。
「おい、君達。奥の部屋に隠れなさい。急いで!」
「え⁉︎ でも、おばあちゃんは……」
「私はいいのです。あの方に従いなさい」
「おばあちゃん……」
心配そうに何度も振り返りながらも、カヤを連れて奥の部屋に隠れた。そして次の瞬間、ドアが蹴破られる。古く腐食していたドアは、その拍子に壊れてしまった。
「邪魔するぜ」
まず現れたのは、女性だった。そして、何人か見るからにチンピラな奴らが侵入してくる。その女性が恐らく、チンピラ達の頭だろう。
まず目を惹くのは、この辺りでは珍しい褐色の肌。アクアマリンを思わせる淡い水色の瞳、そして、赤茶に見える髪。明るいところなら橙にも見えるだろうその髪は、ボサボサのザシザシ。頭頂部あたりで無造作に結えられていた。
そこから下に目を下せば、目に留まるのは、頬に首、胸元に腕、脇腹や太もも身体中あらゆるところに刻まれた痛ましい傷跡。左目には眼帯を、左手と右足には包帯のように布が巻き付けられ、両手の指は幾つか足りなかった。装いはサラシに腰巻き、そしてなんとか毛皮と分かるようなボロボロの上着。腰には武器と思われる、棒らしきものを差している。
その姿からは、過酷で非情な地下街で生き抜いてきた、力強さと哀しさが感じ取れる。
「ん? 何の用かな? ここには老婆と、何の特異さもない青年しかいませんが」
「しらばっくれるつもりか? テメェだな? アタシの可愛い子分をぶちのめしてくれたのは!」
「ヘエ! 間違いねぇですぜ、姐さん!」
「だからどうしたと言うのかな? 悪いのは、人の荷物をスった君達だろうに」
「あん? どういうことだよ」
女性はエイジの証言から、子分に疑うような視線を投げかける。鋭い野獣の如き視線、子分は縮み上がる。
「言った通りさ。私の連れが、荷物を引ったくられたから取り返しただけなんだが」
「フン、アタシが部下のことより、アンタの言葉を信じるとでも?」
「だよねぇ……知ってた」
因みにエイジは先ほどからずっと殺気を向けられていた。だが、尚も余裕を崩さぬ彼の態度から、警戒するような視線へと変わる。
「ヘンッ、アンタ知らねぇんだな? ウチらは地下最大最強のギャング、ガデッサ組なんだぜ⁉︎ 逆らったらどうなるか、教え込んでやらぁ!」
ガデッサ。それが恐らく彼女の名なのだろう。
「待て、ここはまずい。暴れたら崩れて怪我すっぞ。拠点に連れてく」
ガサツな見た目とは裏腹に、どこか冷静さも持っているようだ。生き抜くために必要な強かさということか。
「ほう。私が大人しくついて行くとでも?」
「はっ、そういうと思ってたさ」
頭領が指を鳴らすと、隣の部屋から悲鳴が聞こえた。ミラのだ。
「人質としてもらってくぞ」
「ふむ、人質というのは、その人に価値がないと成立しないものだ。つまり、無意味だよ。その幼女は私の身内じゃないんでね」
__やっべ、しまった…__
正直だいぶ焦っている。この場で動きがないから油断していたが、まさか裏から回り込まれているとは。千里眼を使う余裕もあったし、警戒しておくべきだったと反省する。
「そうかよ、この冷血野郎。ともかく、ガキは連れて行く。来なければ、あのガキがどうなるか、分かんだろ? 野郎ども、引き上げるぞ!」
そうしてゾロゾロと退出して行った。隣を見ると、ベッドの上で、老婆が真っ青になって震えていた。暫くすると、隣の部屋から、誰か出てきた。カヤだ。
「……ごしゅじんさま、ミラが……ミラさまが……わたしを、かばって……」
気が動転しているようだ。落ち着くのを待って状況を聞くと、ミラは一人だけ隠れられるスペースにカヤを押し込み、自分だけが犠牲になったという。
「おねがいします、ごしゅじんさま……ミラさまを、助けて下さい……!」
驚いた。ほんのさっきまで奴隷として言われるがままだった少女が、自分の意思で懇願するとは。
「旅人さん……どうかミラを……」
老婆も震える声で、こちらを今にも泣き出さんばかりの目で見てくる。
「報酬は?」
「えっ………」
「ははっ、流石に冗談ですよ。私の持ち込んだ厄介ごとなんだ。自分のことは自分で解決するし、巻き込んで申し訳ないから。キミもここで待ってろ。すぐ終わるさ」
まだ姿ぐらい見えるだろ、そう思ってすぐ出たが、姿は無い。チンピラ達はどこに行くか伝えてくれなかったから、自分で奴等がどこにいるか探し出さねばならないだろう。全くもってめんどくさい。
「……おっ?」
通りを見渡すと、紫の結晶が。
「冷たい…」
しかも、転々とどこかに向かうように在る。
「ふっ、流石の気転だ我が秘書」
辿ればいいだけ。手間が省けた。チンピラ達の侵入を遮らなかったあたり、少し存在を忘れかけていたが、きっと必要な出来事だと考えてくれたのだろう。感謝しつつ、彼女の痕跡を追い始めた。




