第二話
「今日から新しい子が入ってくるから」
部長の言葉はいつも唐突でした。この年代の公務員特有の適当さはどの世界でも同じなのでしょうか。呆気にとられている私を気にも留めずに言葉を続けます。
「教育係は茜音ちゃんね。まぁ適当に教えてあげてよ。どうせやることなんてないんだしさ」
私は少しイラっと来ましたが、それを表に出さないだけの社会性は持ち合わせてあります。しかしあまりにも唐突すぎます。
「もう少し詳しく説明してくださいよ。そもそも、なんで当日になってからいうんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ。おかしいなぁ」
部長はいつもこの調子です。私はもう慣れっこなので腹を立てても表には出さないのです。
「せめて情報を教えてくださいよ。名前とか、性別とか。心の準備がいるんですから」
「えーと、名前は何だったっけな。確か履歴書が送られてきてたけど、あれ、どこやったっけ」
私はもう大人なので苛立ちを表に出すようなことは決してありません。
「部長、その新人は何時ごろ来るんですか?」
「それはねぇ。確か午後からだった気がするけど、あれ、十時だったっけな」
この人は大丈夫なのでしょうか。
私があきれてものも言えないでいると、後ろから声をかけられました。
「遅れてすみません」
ゆったりとした足取りでやってきたのは、まだ十代であろうロングヘアの女の子でした。なんとなく静かな雰囲気の大人しそうな子です。
「おや、君が新人の?」
「はい。今日から配属となりました、カレンと申します。よろしくお願いいたします」
そう言ってカレンさんは深々と頭を下げました。
「うん、しっかりしていてよろしいですね。僕は市民相談部の部長です。彼女は茜音ちゃん。見ての通り、市民相談部は僕と茜音ちゃんしかいない小さな部署ですが人手が足りていないわけでもないし、仕事は特に忙しくもありません。まぁ詳しいことは彼女になんでも聞いてください」
何ですかその投げやりな説明は。
私の冷ややかな視線をものともせず、部長は私とカレンさんを残したまま自分の席に引っ込んでしまいました。
私はカレンさんと向き合います。部活動もサークル活動もアルバイト経験もなかった私は、日本にいたときは後輩という存在ができたことはありませんでした。
距離感に戸惑いながらも、とりあえず軽く挨拶をした後、今日の日程を説明します。
「そういうことで私が教育係に任命されたわけですが……。始業時間も近いですし、とりあえず今日は普段の仕事の様子を見学するということで、私についてきてもらえればと思います。
いいですか? カレンさん」
なにやら必死でノートを取っていたカレンさんは私の問いかけに目をあげると、新入職員らしいキラキラした目をこちらに向けてきました。
ああ、やめてください。社会に染まってしまった私にそんなに初々しい目を向けるのは。
浄化されてしまいます。
「はい。よろしくお願いします。茜音さん」
カレンさんは静かな声でそう言うと、にっこりとほほ笑みました。
もしかしたら、もしかしたらですが、後輩というものは可愛い存在なのかもしれません。
その日の業務もいつもと変わらないように思われました。そうです、市民相談課の窓口に来る市民を他の課へと移すだけのお仕事です。これではただの斡旋業者……。
いえ、これはそもそも市局のシステム自体に問題があるのです。
我が市の市局は市民部、福祉部などの主要部署から、私たちの市民相談部、家庭菜園支援部、余暇活動促進部などの存在価値すら疑われる末端部署まで系六十八個の部で成り立っているのです。
それらが混在し、迷路のように張り巡らされたこの混沌とした市局で、目的の部署までたどり着くのはまず不可能です。そのため、入口の前という一番良い場所を陣取っている我々市民相談部が部署案内の役目を担うのは当然の理であり、私たちの努力がなければ支局そのものが成立することはないのです。
いわば私たちは市民という名の赤血球を各部署という名の細胞へ送り届けるために指示を出す支局の司令塔、すなわち脳そのものなのです。
すこし熱く語りすぎたようです。私の演説を聞いて、カレンさんはものすごい勢いでノートを取りだしました。どれどれ、少しのぞき見を。
『市民=血 市民相談部=脳』
メモの内容はともかく、やる気があるのはいいことです。
こうして、いつも通りの午前中の業務を終え、昼休みの時間を迎えます。もちろん私たちが休んでいる間も窓口は開いているので、その間は部長が窓口業務にあたります。
部長はこんな時くらいしかまともに働かないので、是非とも真剣に他部所の案内をしていてくれると嬉しいのですが。
「カレンさん、昼食はどうしますか? 用意がないなら食堂も売店もあるので一緒に行きましょうか?」
すると彼女は机の引き出しにしまっていたポーチから水筒を取り出しました。
「いえ、持参しています」
「水筒の中にスープでも入っているんですか?」
私が尋ねると彼女はかぶりを振りました。続いてポーチからシリアルを取り出すと、水筒の中に勢いよく流し込みました。
「牛乳です」
彼女もやはり少し個性的なようです。
昼休みが終わり、部長と窓口業務の交代をすると、入口からすごい勢いでやってくる少年たちの姿が見えました。子供らは『市民相談課』のプレートを見ると、まっすぐ私たちの元まで走ってきました。何事でしょうか。
「すみません、相談したいことがあって。大変なんです。僕たちだけじゃどうしようもなくて」
少年らは息を切らしながらそう言いました。これほど急いでくるともなればきっとただ事ではないはずです。とてつもない事件が起きて藁にもすがる思いで来たのでしょう。私は覚悟を決めて、彼らの話の続きを促しました。
「友達が捕まったんです」
なんと、大事件ではありませんか。
「早く助けに行かないと友達は殺されちゃうんです」
「僕らの大事な友達なんだよ」
「おねがい、助けて!」
彼らは目に涙を潤ませながらそう懇願しています。平和なこの町でそんな凶悪事件が起きているのなら見過ごすことはできませんが、残念ながらこれはどう考えても私たちの手におえるものではありません。
私は後ろにいるカレンさんにアイコンタクトをすると、彼女はすぐに理解したようで固定電話を手に取りました。
そうです。これは間違いなく警察にお任せするべく事案です。
私が話を聞いてそれをカレンさんが警察に伝える。これぞ市民相談課もとい中継課の本望ではないでしょうか。
私は深刻な表情のまま、子供たちに尋ねます。
「それで、友達はいつどこで攫われたのですか?」
「ついさっきです。池の近くの公園にいきなり奴らが来て……」
事件が起こったばかりということですね。警察が尽力すればまだ間に合うかもしれません。
「誘拐されたときの状況を詳しく教えてください」
「僕らが一緒に遊んでいたら、奴らが突然現れたんだ。カイロスを網で捕まえた後、ロープでぐるぐるに縛って車に乗せて連れて行っちゃった」
「犯人は複数人なのですか?」
「五人くらいだったと思う」
何という事でしょう。事件は計画的に行われたもののようです。目的はいったいやはり金銭の要求とみるのが妥当でしょうか。
後ろでは私が書いたメモを読みながら、カレンさんが警察に事情を説明しています。
「その友達、カイロス君は親御さんがお金持ちなんですか?」
「カイロスに親なんていないよ」
「金なんて持ってるわけないよ」
「ずっと公園に住んでるもんな」
カイロス君は相当過酷な環境下で育っているようです。天涯孤独で一文無し、加えて住居不定。犯人がこんな哀れな子供を誘拐した理由とは如何に。
「犯人に心当たりはありますか? 先ほど、このままでは殺されてしまうといっていましたが」
「心当たりも何も犯人は魔獣管理センターのやつらだよ。あいつらカイロスを連れ去るときに制服を着てたもん」
おや。雲行きが怪しくなってきましたね。
「なぜ魔獣管理センターがカイロス君を誘拐するのでしょう」
「そんなの決まってるよ。カイロスが『魔獣ブラッドハウンド・ゴアクリーパー』だからだよ」
ああ、またこういう展開ですか。ええわかっていましたよ。最初からこんな予感はしていたのです。真剣に対応していた私が悪いんです。私は頭を抱えたくなりましたが、すんでのところで堪えました。
「あの、『魔獣ブラッドハウンド・ゴアクリーパー』っていうのはいったい何ですか」
「お姉さん知らないの? 一級危険指定魔獣の一種だよ」
「めちゃくちゃ強いんだぜ」
「カイロスは僕らで飼っていたんです」
「角が生えていて、牙がとがっていて」
ああ、もうわちゃわちゃと。
「つまり、危険な魔獣がいたから管理センターの人が捕獲に来たということですね。それは仕方がないことなのでは?」
「そんなことないよ! カイロスは穏やかで人を襲うことはなかったもん!」
「そうだよ! 僕らと友達だったんだ!」
「あいつらが連れ去る時だって、カイロスが僕らを穴に埋める遊びをしていた最中だったんだよ!」
ヒグマが食料を保存するときに穴に埋めるやつじゃないですか。
なんとか子供らをなだめて家に帰らせるのに三十分ほどの時間を要しました。男の子という生き物はどの世界でも危険な遊びをしてしまうものなのでしょうね。
何はともあれ、凶悪事件が起きたわけでなくてよかったです。危うく『魔獣ブラッドハウンド・ゴアクリーパー』による惨たらしい殺戮が行われていたところでしたが……。
そういえば何か忘れているような。
ええと、確か少年たちが相談を持ち掛けてきて、ええと。おや、人がこちらへ向かって歩いてきています。あれは警察の制服でしょうか。……あっ。
「先ほどは通報いただきありがとうございます。ただいま署員と市内の有志の計千人体制でカイロス君の捜索に当たっております。つきましては、カイロス君の特徴を詳しくお聞きしたく伺いました」
私はカレンさんを見ました。カレンさんの顔は青ざめています。
そうですね。通報を取り消すの忘れていましたね。奇遇ですね。私もです。
私は警察官の方と再び向き合います。
「カイロス君の特徴は……」
『魔獣ブラッドハウンド・ゴアクリーパー』なんて言えるわけありません。
こうしてカレンさんの初勤務日は私と二人で始末書と各方面への謝罪参りで終わったのでした。




