世界中の同性と同時にプロポーズする場合
忘年会や新年会では、好きな女性のタイプを聞かれることがある。
僕の答えは決まっている。
僕は、世界中の男性が同時にプロポーズをしたとき、僕を選んでくれる女性が好きだ。
逆に、世界中の女性が同時に僕にプロポーズしたとき、自分がきっと必ず選ばれると思っている女性が好きだ。
でも、僕はなぜ、そう思うのだろう?
一つには、妥協で自分を選ばれたくないのだろう。
あるいは、妥協されて選ばれることに満足できるような相手を選びたくないのだろう。
それは、状況が変われば自分が捨てられてしまうのではないかと怯える、一種の人間不信に由来するのかもしれない。
あるいは、心からの純粋な愛情というものが生得的にそんな形をしていると信じているのかもしれない。
僕には、世界中の男性と同時にプロポーズして、自分を選ばれる自信がある。
自分が一番魅力的だと思っているし、自分が一番美しいと思っている。
なぜなら僕は、内面的な美しさを美しさだと思っていて、善良に苦労を重ねて生きてきたと思うからだ。
でも現実には、世界中の男性と同時にプロポーズして僕が選ばれる可能性はない。
現実の女性は、外見と収入で男性の価値を計る。
そして、収入で世界一でいつづけられる人はいない。
外見の価値観は趣味によるし、老化で衰えるから、やはり一番ではいられない。
実際には、そこそこの外見や収入のある男性となら幸せに暮らせるから、女性はそこまで限りなく外見や収入にはこだわらない。
つまり、すべての男性がすべての女性にプロポーズしたとき、たまたま目の前にいた男性を夫として受け入れる女性は少なくない。
しかし、それはその男性を「選んでいる」ということではないと思う。
別に、他の男性が目の前にいてアプローチすればその人を夫にしたけど、そうでなかったというだけ。相手に固有の価値を見抜いているわけではないから、やはり外見や収入しか見ていないことと同じだ。
そして何より、世界中の女性が同時に僕にプロポーズしたとき、自分がきっと必ず選ばれると思っている女性は存在しない。
なぜなら女性こそは、女性としての価値にあまりに自覚的だから。
女性としての価値で女性を計って讃え利益をもたらす男性や情報が圧倒的な大多数だから、それがノイズになって、内面で自分を計る視点なんて女性の目には映らない。
そしてしばしば、若い頃に味わった特権意識を、老衰で死ぬまで抱きしめてる。
女性は、性的価値というコモディティに貶められているが、性的価値というコモディティに自ら収まろうとする意欲もそれに劣らず強い。
だから、若くて作りもののように均整がとれた顔立ちのグラマラスな女性だって、自分を世界一魅力的な女性の一人だと思うことはあっても、せいぜい同率一位であって一位だとは思わない。
顔の好みも千差万別だし、狙った男性を決して落とせないこともあると知っている。
だから存在しえないんだけど、もしも自分がきっと必ず選ばれると思う女性がいるなら、無限大に自信過剰の狂人か、普遍的な倫理的価値に殉じる倫理主義者だ。
そのように、愛を愛する人と愛を愛する人は、互いの内面を見て、恋をする。
それはつまり、互いの人格の形に対する尊敬の感情に立脚して恋をするということだ。
それが、若い肉体に反射的に欲情して手を伸ばし、金の匂いに合格点をつけて生活のために身体を許す恋と、どれほど異なることだろうか。
まるで、動物と人間の違いと言うべき差ではないか。
人間の男性は、若くて健康でも収入が低く将来性がなければ馬鹿にされる。いくら賢くても学歴がなければ馬鹿にされる。本人に実は何もなくても、地位と金の匂いさえ振りまけば、女性達の側から身体を寄せてくる。明らかに動物以下ではないのか。
女性は、若く健康で美しいことは、普遍的で絶対的な価値だと思っている。
しかし、倫理主義者の男性は、そんな身体ですり寄られたとき、知能に欠陥のある豚がすり寄ってきた以上には感じない。
いや違うな、そこまで世俗を超越した倫理主義的な視点に立っていることこそ、僕の側の、知能の欠陥なのだろう。
ともあれ、相互理解は成り立たない。そして、内面で恋をすべきことに意味がないわけではない。
女性は、世界中の女性と同時にプロポーズしたときに選ばれることを目標にすべきだと思う。
だって、男性の一人である僕は実際に、世界中の男性と同時にプロポーズしたときに選ばれることを目標にして生きてきた。
内面の美しさを毎日磨いて生きてきた人間と、お化粧のテクニックや服装のコーディネートばかり毎日磨いてきた人間が、戦えるわけもないし、釣り合うわけもない。
どんなに収入や外見のいい相手を選んだって、共感や思いやりの能力のない性格だったら、一生が地獄絵図になってしまうのに、みんな安易だなと思う。
まあ、そんなひどい人間は、実際にはあまりいないのかもしれない。やはり、そんな人と子供の頃に関わってしまったことのある、僕固有の人間不信なのだろう。
ともあれ、内面の優しさがもっと評価される世の中であってほしいと思う。男性と女性が互いに共感し心を通じ合わせる喜びが、広く楽しまれてほしいと思う。そうして、社会がより一層団結し、手助けしあう強さを備えていってほしいと思う。
男性が女性全体に、女性が男性全体に敬意を持てるこの国の形が、再び回復してほしいと思う。いや、そこまでは無理だろうから、そこまでは望まない。ただ単に、低級な恋愛と高級な恋愛の階層構造が広く理解されればと思う。
そしてもちろん、そのように内面の価値に注目して自分を磨けば、世界一にまでならずとも様々な好意を向けられるし、特別な相手とでなくてもきっと、十分な満足が得られる。
しかしだからといって、世界中の同性と同時にプロポーズする問題意識を忘れてしまったなら、そこに心の甘えは生じるだろう。昨日まで夫や妻でいてくれた人が、明日からもそうであると思う甘えは生じるだろう。恋人や異性全体から受けている恩義に対する敬意の不足は生じるだろう。
なので、一度きりの人生、世界一になることを勧める。