二つの茶碗
やっとだ。
やっと終わった。
しおらしい顔の裏で私は、これからの生活に思いをはせていた。
毎日の食事。ぶっすりとした顔で食べるうちの旦那。
食べてくれる時はまだいい。大抵残す。そしてこう言う。
「出かけてくるわ。こんなまずい飯食えるか」
ゴメンナサイと言うも、何も返事せず。
あちこちアタリ散らして出かけていく。
そんな状況を見て育ったうちの子は、幸いにも私の味方だった。
お父さん、何でそんなこと言うのよって。
ほかにも、アイロン当て方がなってない。ハンカチ逆だろてめえ馬鹿じゃねえのとか。
そんなに言うんなら自分ですればいいのに。
そのくせ、機嫌がいい時は私にあれこれ話しかけてくる。
頼むからその口閉じて黙っててよ。声聞いてるだけで吐き気がしそう。
でもその時に不愛想にしたらあとが大変だから、こっちも愛想笑い。
ただし、少しでも向こうの意に沿わないことを言うと怒る。
そのたびに、見えないところでため息。
何時まで続くんだろう。
何度も思った。離婚したい。
でも、子供のことを思うと無理だった。
子供のためにも、と私は辛抱した。子供さえ育ってくれたら。あとは……。
いや、でも、いくら何でもこの人だっていいところがある。離婚なんて……。
「子供が大きくなったらお前と別れて若い女でも探すかな」
冗談だよと笑ったのを見て、私の中で何かが切れた。
そんな横暴なあの人も。
老化には勝てなかったらしい。
若いころやらかしたいろんな無理や女遊び。その他もろもろがたたって、あの人はあっと言う間に寝たきりになった。
まだそんな年齢じゃないのにと周りが言うので、私は心の中でひそかに思ったもんだ。天罰だと。
三下り半叩きつけて出ていってやってもよかった。
何でそうしなかったんだろう。
なんで。
介護は誠心誠意したよ。
意地悪をしてやろうと思ったけど、それをするだけの知恵が私には無かった。
人を苛めるって、知恵がいるんだな。私には無理だった。
誠心誠意する以外、私はやりようを知らなかった。
たとえ、やり方が気に入らないと言ってモノを投げつけられたとしても。
それも今日で終わる。やっと。
弔問客の相手に疲れた私は、台所に座り込んでいた。居間の方からは、親戚たちの声や、酒とたばこの臭いが流れてくる。
「……」
なんだか、喉が渇いた。そうだ。お茶でも入れよう。
よろけた足で、私は流しの前に立つ。やかんに水を入れて火をつける。その間に引き戸から茶を出し、茶こしを用意し、茶碗を二つ出して……。
途端に私はむせんだ。
私は震える手で茶碗を一つ引き戸に戻した。
多過ぎるやかんの水を、流しに捨てた。




