深窓の美姫と噂されておりますが、私は美形一家唯一の超絶地味顔
〈お父様、お母様、並びにお兄様、お姉様。本日までお育てくださり、また惜しみなく慈しんでくださいましたことに心より感謝申し上げます。私のことは本日を以って死んだものとして婚約は何卒白紙にお戻しください。勝手をして最後までご迷惑をおかけしてしまう不肖の娘で申し訳ありません。私のことなどお忘れになって、どうか皆さまお元気で エルシー〉
伝えたい感謝も謝罪もこんな手紙一つには到底収まりきらないけれど、書き直している暇はありません。
手紙を自室の文机に置いて、私はそっと窓から部屋を抜け出しました。
今夜は雲が多く月明かりに乏しいけれど、辛うじて物の形は判別出来るし、こっそりと屋敷を去る身にとっては暗闇は歓迎すべきものですね。
私は夜陰に紛れて庭を突っ切るとピタリと閉じた門をよじ登りました。
伯爵家の末娘としてこんなはしたない真似許されないけれど、今はそんなこと言っていられません。このまま去れずに明日になってしまったら、我が伯爵家が世紀の大嘘つき呼ばわりされてしまうのですもの。
私のせいで伯爵家の名に傷をつけるわけには参りません——こうして黙って去ることも、それはそれで多大な迷惑をかけることになるのだけれど。
それでも愛する家族が詐欺師の謗りを受けるよりは、不出来な娘が自分勝手に失踪したと言い訳が立った方が数万倍いいと思うのです。
誰にも悪意がなかった、むしろ愛しかなかったとわかっていても、ここまで話が大きくなってしまってはこうする以外にありませんもの。
わかっています、悪いのは全て私です。そう、全ての元凶は私です。
美形揃いの一家の中で唯一地味顔に生まれてしまった、この私のせいなのです。
♢
私がこうして皆が寝静まった夜半にひっそりと、しかし慌ただしく家を飛び出したのは、今朝がた両親から告げられた急な婚約話に端を発します。
「エルシー、おめでとう。貴女の婚約が決まったわ。明日、顔合わせを兼ねて正式に書面を交わしに伺いますからね」
え、と驚く間も無く、食堂に集まり朝食を取っていた家族の面々、果ては使用人たちからも示し合わせたようにお祝いの言葉が飛んできて、私はポカンとしたものでした。
「おめでとう! 流石は自慢の我が妹」
「姉として鼻が高いわ。貴女の可愛さがついに国中に知れ渡るわね」
「お前ほどの器量だ、当然のことだがね。しかし他にも候補がいたから一時はどうなるかと思ったよ。無事に選ばれてよかった」
皆一様にニコニコとしてお祝いを述べる姿に、どことなく薄ら寒いものを覚えて私は嫌な予感がしました。
婚約自体に関しては、私も十六ともなる貴族の端くれですから受け入れる所存でした。
しかし家族のこの異様とも言える誉めそやし方はなんでしょう、と私は恐るおそる尋ねました。
「こ、婚約って……誰とです?」
「決まっているでしょ、国一番、いいえこの世で一番可愛い貴女を娶るのだから、同格のあの方をおいて他にいないわ」
「ですから、誰と?」
「愛らしく美しい可憐な花のようなお前を任せられるのは、身を挺してもお前を護る勇敢さと屈強さを備えた精悍な男でないといけないからな」
「だから誰です⁈」
「一人しかいないでしょ? 英雄の再来と叫ばれて久しい、武芸に秀で智勇を備えた我が国の王太子様よ」
「王太子様ぁっ⁈」
ついにやってしまった、と私は椅子から立ち上がりました。なにせ、いつかこうなるのではと危惧していた遥か上を行く最悪の頂でしたから。
「な、何を言ってますの、私のような人間が、中身も外見も完璧と称される方と婚約なんて——」
「精巧な人形のように美しい貴女にぴったりの方よね」
「安心して、美丈夫ってお噂よ。きっと誰もが羨むお似合いの二人になるわ」
「寂しくはなるが、ゆくゆくは我らが王妃だものな」
「城のバルコニーから手を振るお前の美しい姿が今から想像できるよ」
ワッハッハと笑いあう家族を前に私は悲鳴に近い声をあげました。
「できませんよ! 見てください私を! のっぺりさっぱりして特徴のない薄いこの顔を! 目は豆粒、鼻は低い以前に見当たらず、ただ切り込みを入れただけのような口! こんな地味顔で国民から敬愛されますか? ただでさえ誰にも求愛されそうにないのに、ハンサムと謳われる殿下が私を望むとお思いですか? 王太子妃なんてありえませんよ!」
何が悲しくて自らこんなことを言わなければならないのでしょう。
私の悲痛な訴えに一応は笑みを消した一同でしたが、すぐさま理解できないといったキョトンとした顔を向けてきました。
長いまつ毛を瞬かせるキラキラした大きな瞳が一、二、三、四対……。
揃いも揃って美形な家族は私を見つめ、声まで揃えてなんとも純真に、そして至極不思議そうに言いました。
「エルシーはこの世で一番可愛いのに?」
そうなのです。家族は私のことを、少し正気に戻ったほうがいいと思うくらいに溺愛狂愛してくれているのです。
私は代々目鼻立ちのくっきりとした長身美形が生まれる家系の中で、あらぬ疑惑が持ち上がるレベルで突然変異的に生まれた唯一の地味顔だというのに、家族は猫可愛がりが過ぎるくらいに愛してくれるのです。
ですからこの不釣り合い過ぎる婚約も彼らは至極当然と思っているし、良かれと思った究極の形なのでした。
私は実際にはパーツも小さく余白の多い薄い顔をしています。
しかし家族には私が絶世の美少女に見えているようで、父母は夜会などの集まりに行っては私が如何に美しく優れているかを多大なる誇張を重ねて吹聴して回るのです。
お兄様においても、並の画家では私の美しさを表せない(もちろん、はっきりばっちり真実の姿が写しとられています)といって自ら筆を取り、モデルの私とはかけ離れた実在しない天使のような美少女を描くようになりました。
今では界隈で一目置かれる腕前で個展まで開いております。
お姉様に至っては、私を表すに相応しい言葉を探すことに日々余念が無く、毎日毎日素敵な詩を生み出しています。
ついには精華なるエルシーと題して詩集まで出版してしまいました。高貴な美女として羨望の的である姉のネームバリューもあって中々に売れたそうです。
そうやって各々の手法で、現実の私とは乖離した娘の出来を、妹の姿を、家族は巷に次々と流布していったのです——しかし才能に溢れすぎですよ、兄様、姉様。
とはいえ、私はこんな愛されぬくぬく環境にいましたが、運良く継ぐことが出来た一族の冷静さでもって、己を俯瞰することを忘れませんでした。
ですから言葉を理解できるようになった頃には気づいていたのです。
あれ、家族と私、容姿レベル違うくね? と。
そしてお父様に連れられて行った集まりで顔を合わせた他人の、あれ? と家族と私を見比べる表情で確信を持っていたのです。
あ、これは完全に違うな、と。
家族の認知は歪みまくっているのです。
当然是正を試みましたがエスカレートしていく一方で、家族の中では私はもはや天上の存在とまでなり、そのイメージをどんどん外へ発信したのでした。
天使のように美しく、花のように愛らしい末娘だと。
真実との乖離が恐ろしくなった私はなるべく人目を避けて閉じこもるようになりました。
私自身にがっかりした目を向けられるのは構いませんでしたが、家族に嘘吐きを見る目を向けられたくはありませんでしたから。
けれどそれがいけなかったのです。
姿を現さないことが虚飾に満ちた噂を更に加熱させ想像を余計に掻き立ててしまうことになると、人心を理解していなかった私の未熟さ故の悪手でした。
伯爵家のミステリアスな深窓の美姫。
気づけばそれが私ということになっていました。そして噂は回りに回って、ついに王太子妃候補という最悪の帰結を見てしまったのでした。
♢
「相手は英雄の再来と称えられるハンサムタフガイですよ。色を好みまくりなはずですよ。そこへ私のような薄いのを絶世の美少女だと嘯いてあてがわれたらどうなると? 一家一纏めにして片手で頭をグシャされても文句は言えませんよ。婚約が決まったと言っても正式な書面を交わす前ならまだ間に合うはずです」
ちょっとばかり迷惑をかけることになるけれど、詐欺師として取り潰されるよりはましでしょう。
私は心の中で家族に謝りながら夜の帳の下りた街中を走ります。
誰もいない場所へと走って走って、やがて郊外の森の中へ足を踏み入れました。
日中でも薄暗い鬱蒼とした森は、乏しい月明かりの下では深淵への入口のように思えます。
けれどこの暗さのおかげで不用意に人は近づかないでしょうし、しばらく身を隠せる場所があるのを知っているので私は迷わず進みました。
「ほら、ありました」
下草に足を取られつつ進むと、少しばかり開けたところに朽ちかけた石造の建物が現れました。かつての砦跡です。
「小さな頃に兄様と探検に来たことがありましたからね。ここに一先ず身を隠してそれから——」
砦を飲み込もうとする草木をガサガサと掻き分けて入り口に近づくと、ポタリ、顔の真横にあった蔦の葉に何かが落ちてきました。
雨、と思い目を向けましたが、葉に落ちた滴の黒さと微かな月明かりの中でてらてら光るその様子に直感させられます。
雨ではない、この滴はもしや。
「——血ぃぃぃっ⁈」
「ぎゃあぁああぁぁあっっっ!」
思わず叫んでしまった直後、私の叫びよりも遥かに大きい断末魔のような声が頭上から降ってきました。
驚いて見上げると「あ」という短い声の後にゴンという物凄く鈍い音が響きました。
確実に何かをぶつけた音ですし、人の叫び声であったことも確かです。
怖くはありましたが葉に落ちてきた血も気になって、私は迷いに迷ってから砦へ上ってみました。
謎は謎のままにはしておきたくない探偵気質な面があるのです。
「……こんばんは……ど、どなたかいらっしゃいますか?」
しんとした砦の中からは返事がありません。覗き込んでみると倒れる人影が見えました。
意を決し近づくと、頭に大きなコブを作って伸びているヒョロガリ青年が一人。腕からは枝でも引っ掛けたのでしょうか血が流れています。
「まぁ、大変」
失礼ながら、万が一襲いかかってきてもギリ勝てると思えたほど貧弱に見えたこともあって、私は手当てをしてあげました。
とはいえ取るものも取り敢えず飛び出てきましたので、腰の佩剣を拝借してスカートの裾を裂き、包帯がわりに巻くことしか出来ませんが。
「……う、うぅ……」
ギュッと包帯(臨時)の端を結び終えると、男性が呻きながら目を開けました。
「良かった、お気づきに——」
「ぎいやぁっ! おばけぇっ! いやぁっ!」
爆音の叫び声にこちらも驚いてしまいます。
けれど恐怖に慄いた様子の男性が、シャカシャカと床を手足で掻いているのに腰が抜けているのか一向に逃げられない姿が滑稽で、思わず笑ってしまいました。
「オバケではありませんよ、ご安心ください人間です」
「来ないで! いや——え? にんげん?」
男性はようやく正気を取り戻したようにこちらをまじまじと見て、私のほっぺたをツンッとつついて実体を確かめてから、ほぉっと安堵のため息を吐きました。
「あ、ああ……良かったオバケじゃなかった。こんな真夜中に外から近づいてくる音と奇声がしたから、てっきり」
「驚かせてしまってすみません。先客がいらっしゃるとは思いませんでしたの。よほどオバケが苦手なのですね」
「ええ、お恥ずかしい……自分でも嫌になるほど臆病で」
「それですのに、こんな真夜中に森の中の廃墟に?」
「その……訳あって自宅を飛び出してきたもので、ここに一旦身を隠そうと思ったのですが寝過ごしてしまい、日が暮れて動けなく……外、暗くて怖くて」
「まぁ! あなたも?」
「も、って……貴女も?」
自宅を飛び出すのがトレンドなのでしょうか、奇遇ですね。
私が乖離した噂のせいで大犯罪一家となりかけている件を素性を伏せて話すと、彼もまた事情を明かしてくれました。
「なるほど、かけ離れた噂のせいで組織的詐欺犯になりかけてやむなく家出ですか……僕も似たような事情です。見てください、僕は体質なのか食べても鍛えても身体に肉が付かなくて。それでも狩りは得意ですし剣術も馬術もそれなりに自信があるんですよ。だけどその情報だけが独り歩きして、いつのまにか屈強な肉体を持った美丈夫だと噂されるように……まぁ、童顔ですが母譲りで可愛いんで半分はあってるんですけどね」
ご自分の容姿に自覚があってかつ無駄な謙遜はなさらない様は、私のよく知った人達に似ていてなんだか親近感を持ちますね。
目が慣れているからか意識の外でしたが、乏しい明かりの中でも確かにお可愛らしいと分かる顔立ちをした男性はため息を吐きつつ続けます。
「なお悪いのが先祖に何をも恐れぬ勇敢な戦士がいたもので、その人と重ねられてしまって……本当はいい年をしてオバケを怖がる臆病者だというのに虚像は広まるばかりで。噂と真逆の実態が知れた時にどんな揺り戻しがくるか考えると恐ろしく、あまり人前に出ないようにしていたのですが、ついにそうもしていられない事情ができまして……貴女と同じで自分のせいで家名に傷が付くくらいならと、飛び出てきた次第です」
「そうでしたか、お互い難儀ですね」
「ええ、まったく。行く当てもありませんし」
「私もです。勢いに任せてここまで来ましたが、この先のことは何も考えていませんでした」
困りましたね、と同じ境遇の私たちは膝を突き合わせてしばし唸ります。
「んー……何にしても、ひとまずお金を手に入れる必要があるかと」
「そうですね、でも換金できるものなんて……あ! 私、少しばかり植物に詳しいんですの」
なにせ引きこもって図鑑ばかり読んでいましたからね。菌糸類と蘚苔類にも詳しいんですよ。
「薬や香料に出来る草木を集めたら街で買い取っていただけないかしら」
「いいですね。それなら僕は何か狩って売りましょう。暫くここを拠点に街とを行き来して、ある程度お金が貯まったら船に乗り遠くの街へ行くんです」
「船で? 素敵!」
「着いた先で仕事を見つけて、またお金が貯まったら次の街へ。そうして噂の届かない場所までいけたら」
「私たちやっと、ありのままに生きられる!」
誰も噂を知らない新天地での生活に思い馳せ、私たちは思わず手を取り合いました。
すぐに、はしたなかったと気づいてお互い手を離したのですが、なんだかこそばゆい感情に胸がくすぐられます。
「よ、夜が明けましたらさっそく行動開始ですね」
「え、ええ、ここがバレる前に発たなければいけませんから。大丈夫、僕たちなら上手くできる気がします」
「必要なものを揃えませんと。水と食糧に最低限の日用品……それから、ランプ。これは一番に手に入れなきゃいけませんね」
オバケは明るいところには現れませんからね。私が笑いかけると、彼も微笑み返してから、スッと腕を持ち上げました。
「いえ、まずは貴女のスカートを。お礼が遅くなりました。大切なお召し物を裂いてまで、手当てをしてくれてありがとう」
「構いませんの、お気になさらないで。私には華やか過ぎたから、あなたの役に立てて服もきっと喜んでますもの」
「お優しく謙虚な方だ」
「地味なだけですわ」
この人と一緒ならきっと上手くやって行ける。
お互いにそんな気がしたのでしょう、ふふっと笑い合った時、ガサガサッと外から何かが近づいてくるような物音がしました。
オバケよりも人心の方が怖いと思っている私でも、流石に暗がりの中、得体の知れない音がすれば怯え驚きます。
けれどそれよりも驚いたのは、臆病者のはずの彼が私を背に庇ってくれたことでした。
「僕の背から離れないでください」
私を背に隠し抜剣する彼の姿は、さながら姫を守る騎士のようです。
思いがけない出来事に胸が高鳴ってしまいます。臆病者なんて謙遜だったようですね。謙虚なのはどちらでしょう。
そんな場合でないのに胸の奥がキュンと——
「背後に空間があると怖いんですよ! 振り向いたら真後ろにオバケがいるんじゃないかと思えて! お願い埋めて空間を! くっついて! 隙間なくピッタリとぉ!」
「えぇ⁈ 盾にされてます⁈」
なんてガッカリな発言でしょう。ときめきを返してほしいです。
「早く、くっついてってばぁ! オバケだったらどうするのぉ!」
はいはい、わかりましたと仕方なく彼の背にくっつくと、恐怖が和らいだのか構えていた剣先の震えが止まりました。
部屋の入り口に向けてピタリと剣を構える姿はなかなか堂に入っていて、腕に自信があるのは本当のようです。
恐ろしいほど着痩せするのでしょう、薄っぺたに見えた背中もくっついてみれば想像よりは筋肉があり、後ろから覗き見た表情も恐怖に強ばったおかげで精悍さが増しています。
頼りになる背中と横顔に、こうなると先ほどのときめきも戻ってくるというものです。
ぶつぶつ呟いている「オバケじゃありませんように」がなければお噂どおり完璧だったかも知れませんが、その情けなさもどこか可愛らしく思えて恐怖も和らぎます。
「安心してください、オ、オバケじゃなかったら何であっても仕留められますから、ええ」
「安心してください、オバケだったら私が大笑いして追い払ってさしあげますよ」
お互いの存在に安堵を覚え、ぴったりくっついた私達が入り口の暗がりに目を凝らしていると、闇の奥で何かが動きました。
オバケであれ何であれ、一層の緊張を以て身構えると、二対の塊が勢いよく部屋に飛び込んできました。
「エルシー!」
「殿下ぁっ!」
斬り下ろしかけた剣をすんでのところで止めて、喧しく転がり込んできた物を見た彼と私は同時に声を上げました。
「お兄様⁈」
「爺⁈」
見ればそれはお兄様と老紳士でした。
「何故ここに居るってお分かりに?」
「どうやって居場所を?」
驚く私達に、二人は声を揃えて愚問だとばかりに言いました。
「私はお前の兄だぞ? 愛しい妹の芳しき残り香を追えぬとでも思ったのか?」
「私めは殿下に長年仕えております執事でございます。何処にいたとて主の悲鳴を聞き漏らしませんし、駆けつけるのが常でございます」
「いやだ……なんか怖い」
常人離れした五感を持つ二人に私達が慄いて身を寄せ合うと、ようやく周囲のものが目に入ったのでしょう、お兄様と執事さんが声を荒げ始めました。
「おい! なんだそこのヒョロガリ! なんで妹にひっついてる! さっさと離れろ!」
「なんですか貴女は! この方がどなたかご存知ですか⁈ 離れなさい地味顔の女狐!」
「……地味顔の女狐? 誰のことを言っている?」
「殿下に引っ付いているそこの地味でのっぺりした顔の娘のことですよ。あなたこそ、ヒョロガリとはよもや殿下のことでは——」
「見たままを言ったんだ、他に誰がいる。まぁ、傾国の美少女を見逃す節穴ではどう見えているか知らんが」
「美少女? 節穴はどちらですか。あんな、丸めたパン生地に切り込み入れて豆を置いただけのような顔した娘の何処が美少女ですか!」
「あのつぶらな瞳の愛らしさが理解できないというのか⁈ 我がベレッツァ家のエルシーが美少女でなければ誰が美少女を名乗れると言うのだ!」
「は⁈ これがベレッツァ伯爵家の深窓の美姫だと⁈ 大嘘にも程がある! 事実なら王家を謀ろうとするとんだ詐欺ではないか!」
大変です、私が地味顔なばかりに罵り合いが始まってしまいました。赦しを請うて今すぐ命を断つべきかもしれません。
私があわあわしていると、それまでポカンと口論を眺めていた同志たる彼が、くるりと振り向きました。
「貴女がベレッツァ伯爵家のエルシー嬢?」
「え? あ、はい……そうです」
噂と乖離しすぎてお恥ずかしいと目を伏せると、彼は快哉を叫ぶように言いました。
「貴女が僕の婚約者だったとは!」
「僕のって……あなたはもしかして王太子様⁈」
私が聞き返すと彼は大きく頷いて満面の笑みを浮かべました。こんな偶然がと驚きますが、こうして正体が明かされてみれば実態と噂の乖離具合もはっきりします。
「……お噂とは、かなり」
「ええ……お互いに」
思わず吹き出しつつ私達は手を取り合いました。
「こらぁっ! 妹から離れろ詐欺師王子め! 何が屈強な英雄だ、貧弱も貧弱じゃないか」
「詐欺師はどちらだ! どこが美少女か! 殿下、こんな大嘘つきとの婚約は無効です。破棄致しますから、どうぞお戻りに」
「それはこちらのセリフだ! エルシー、お前は真実を知っていたんだな。だから婚約が嫌で家を抜け出したんだな? 安心しろこんな貧弱な嘘吐きの元へ行かなくていい、婚約は破棄する。だから——」
外野が詐欺だ嘘つきだとうるさく喚いているけれど、そんなもの耳に入りません。私と殿下は手を握り合ったまま見つめ合います。
「見ての通り、噂とはかけ離れて貧弱で臆病者です」
「ええ本当、失礼ながら私でも勝てると思ったほど。女性を盾にするくらいオバケを怖がるところもお噂と大違い。だけど、怖がりながらも戦おうとしてくれたお姿はお噂以上に精悍で頼もしくて、可愛らしかったです。私の方こそ噂と違いすぎる地味顔なのですけど」
「確かに、失礼ながら稀代の美少女というお噂には掠りもしていませんね。けれど、油断しているウーパールーパーみたいな愛嬌のあるお顔立ちは、見ていると癒されます。貴女のお噂以上に奥ゆかしくお優しい人柄が滲んだ微笑みに、一人でいた時は怖くて堪らなかった心も安らいだんです」
私達は微笑みあってもう一度手を握り直します。
「貴女となら」
「きっと上手くやっていける」
「こんな僕ですが、婚約していただけますか」
「ええ、こんな私でよろしければ」
もちろんです、と私達は身を寄せ合いました。
互いに非をなすりつけ合っていた兄様と執事さんも、当人同士が認め合っていては黙るしかありません。
空がようやく白んできた廃墟の中、かけ離れた噂に振り回された私達は、こうして実態を知っても噂以上に素敵だと思える伴侶に巡り会えました。
周囲からは詐欺だという声もありましたが、恐れることはもう何もありません。ありのままを認めてくれる最愛の人がいるのですから。
その後、引きこもりをやめた私達は、事あるごとにイメージしてたんと違うと言われつつも、支え合う仲睦まじい様子を微笑ましく見守られ、慕われる王族となりました。
お読みくださってありがとうございました。
またどこかでお目に留めていただけたら嬉しいです。