奇妙な決闘
首都トーキョーより北に位置する温泉地ニッコウ。その老舗旅館の一つである湖畔亭の客室の一間では、今、息詰まる出来事が起こっていた。
部屋の中央には、小さなテーブルが一つ、置かれている。そのテーブルを挟んだ形で、左右に、それぞれ、男がつっ立っていた。片方に居たのは、30代のガタイのいい中年男。もう片方に立っていたのは、20代半ばと思われる、実に美しい青年である。この二人が、真剣な表情で、相手の顔を睨んでいたのだ。
そして、テーブルの上には、ガラスのコップが二つ、乗っていた。その透明のコップの中には、どちらにも水のような液体が入っており、見た目には、何の違いもないのだ。
「岡田さん。これで準備は整いました。始めてもよろしいですね?」と、美青年の方が言った。
岡田と呼ばれた中年男が頷く。
「もはや、僕たちの間では、このような方法でしか、決着をつける手段がないのです。このコップのうち、片方には毒が入っています。岡田さん、あなたが用意してくれた猛毒です。即効性の猛毒ジァール。一口飲んでも、または、わずかに皮膚に染み込んだだけでも、その犠牲者を殺してしまう、恐ろしい毒液です」美青年が、さらに説明した。
「そして、オレと君、三谷は、それぞれに2回ずつ、相手が見ていない状態で、この二つのコップをシャッフルした。つまり、我々自身にも、もう、このコップのどちらが毒入りなのかが分からなくなったのだ」岡田は、美青年・三谷の言葉を継いだ。
「僕たちは、これから、それぞれが、このコップのうちのどちらかを選び、『せえの』の掛け声で同時に飲みます。すると、運の悪かった方が負けて、即死してしまう訳です。このルールに、もはや、異議はありませんね?」
三谷が力強く念を押すと、岡田も真剣な表情で再び頷いたのだった。
そう。今、この二人は、自分の命を賭けた勝負を行なっていたのである。決闘と言い直してもいい。彼らには、それをするだけの理由と目的があった。実は、この二人は、一人の女性を取り合っていたのである。
ただし、泥沼にはまった三角関係だった訳なのでもなかった。二人とも、まだ相手の女性には告白もしていなかったからだ。その女性とは、この二人は、この旅館に来てから出会ったのだった。そして、まるで一目惚れのように、二人とも、その女性に惹かれて、恋してしまうほど、仲良くなったのである。
その女性の意思は無視して、いつしか、三谷と岡田は、お互いを憎むぐらいに、張り合うようになっていた。その結果が、こんな決闘のようなゲームにまで発展してしまったのだ。二人は、この毒薬版ロシアンルーレットに挑戦して、生き残った方が、件の女性に告白すると言う事で、ようやく意見がまとまったのだった。
彼らは、よおく考え抜いた末に、それぞれが、自分のコップを選んだ。それから、そのコップを持ち上げて、自分の唇の前にまで近付けたのである。
だが、それからが、なかなか先に進まなかった。当たり前だ。この選択で負けた方が、すぐに死んでしまうのだから。それゆえに、二人とも、これ以上は、なかなか、手が動かなかったのである。
その時だった。
「お二人とも、何をしているのですか!」
突如、そんな女の声が聞こえてきた。何者かが、この決闘の部屋に入ってきたのである。わざとなのか、忘れていたのか、この部屋の入り口に、鍵はかかっていなかったのだ。
現われた人物とは、20代後半の美しい女性だった。ハッとするほどの美人なのである。
「しず子さん!」彼女の姿を見て、三谷と岡田が同時に叫んだ。
この女性こそは、彼ら二人が奪い合っていた、問題の女性だったのである。
彼女、しず子は、慌てて、テーブルのそばにいる三谷と岡田のもとに歩み寄った。
「この旅館の使用人から、お二人の態度がヘンだと聞いたのです。ほんとに、お二人で何をなさっていたのですか!」しず子は、たしなめるような口調で、二人に尋ねた。
「とめないでくれ、しず子くん。オレたちは、もう決めたのだ」岡田が怒鳴った。
「そうです。これは、現代の決闘なのです。僕たちのどちらかが、毒入りの水を飲みます。そして、生き延びた方が、愛しいあなたに正式に結婚を申し込むのです」三谷も訴えた。
「何を馬鹿な事を言っているのですか!私はどちらの妻にもなれません!だから、こんな事はやめてください!」
「いいえ、やめません!この決闘こそが、僕たちの、あなたへの忠誠の証なのです!」
激しく興奮した三谷は、とうとう、自分が手にしていたコップのふちを、グイッと自分の口もとへと傾けてしまったのだった。そのまま、彼はゴクッと飲み干したのだ。
岡田もしず子も、一瞬、時間が止まったかのように、三谷の姿に見入った。もし、三谷が毒を飲んだのならば、たちまち、彼は血を吐いて、倒れたはずである。
しかし、そうはならなかった。しばらく待ってみても、三谷の様子は、何も変わらなかったのである。
ようやく、三谷は、余裕のある態度を取り戻した。
「どうやら、僕が飲んだのは毒入りの水ではなかったようですね。だとすれば、毒が入っているのは、岡田さん、あなたのコップだと言う事になります」岡田を睨みつけながら、三谷は、落ち着いた口調で言った。
一方の岡田は、コップを持ったまま、ブルブル震えているのである。まあ、仕方のない話だろう。自分のコップこそ毒入りだと分かってしまった以上、今の彼には絶望しか残っていないのだ。
「さて、岡田さん。これで、すでに決闘の勝敗はついてしまった事になります。この決闘を最後まで完遂するのも、もう無意味だとも言えるでしょう。そこで、いかがでしょうか。あなたは、そのコップの水を飲む代わりに、自分の口で、しず子さんから手を引く事を宣言するのです。それで、この決闘もおしまいと言う事にいたしませんか」勝者のゆとりなのか、三谷は、急にそんな事を提案してきたのだった。
だが、この三谷の善意も、敗者の岡田にとっては、とんだ屈辱だったらしいのだ。
「ふざけるな!」と、岡田は、鬼の形相で叫んだ。
のみならず、彼は、持っていたコップを床へと力一杯に投げつけたのだった。
「今の決闘は無効だ!コップの水を飲むのは、二人同時だと言ったではないか!ルールを守らなかった貴様こそ、本当は敗者なのだ!それが嫌ならば、もう一度、決闘をやり直せ!」
岡田の呆れた主張なのである。
でも、そのように思ったのは、三谷だけではなく、肝心のしず子も同じみたいなのであった。彼女は、速やかに、三谷のそばに寄り添った。
「岡田さん!あなたは卑怯者です!三谷さんは、きちんと自分の命を張ったのに、なぜ、彼の方を敗者呼ばわりするのですか!あなたのような人には、たとえプロポーズされようとも、私は絶対になびきません」しず子は、怒りの視線とともに、岡田へ言い放ったのだった。
岡田はと言えば、ワナワナと震えて、たじたじとなっていた。愛していた相手に、まさか、こんな事まで言われてしまうとは、もはや、恥の上塗りなのである。
「畜生、畜生!」
岡田は、激しく悪態をつきながら、この部屋から勢いよく飛び出していったのだった。




