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<番外>ランポ先生の休日

本作は、閑話の短編ストーリーであり、

「アケチ大戦争」本編とは、いっさい、直接的な関係はありません。

 ランポ氏は、原稿用紙の最後の部分に「完」の文字を記すと、ふうっと安堵の息を吐いた。これで、1年かけて大衆雑誌に掲載してきた長編小説も、ようやく完成したのだ。

 彼は、原稿用紙の束を抱えると、ぱんぱんと机の上に軽く落として、紙の角をきれいに揃えた。あとは、この原稿を担当者へと渡せば、全ての工程は終わりなのである。

 ああ。やっと、この長かった作業から解放されるのだ。思わず、喜びのため息が出てしまっても、当然だったと言えよう。

 次の原稿の締め切りまでは、まだ、だいぶ間がある。これならば、今日の残りの時間は、全て、プライベートにも注ぎ込めそうなのだ。ずっと待ち望んでいた肩休めの日である。これだけの長い、まとまった休みを取れるのは、果たして、何ヶ月ぶりの事であろうか。

 何しろ、作家になってからのランポ氏の生活は、とにかく忙しかった。日本の推理小説界の重鎮と呼ばれるようになって、彼は、自作の小説だけではなく、評論や邦訳などの分野でも引っ張りだことなっていた。推理小説に関わる仕事が、次々に回されてきたものだから、しばらくの間、ランポ氏は、ゆっくりと息抜きする事もできなかったのである。

 だからこそ、なおさら、今日のような一日は、よけいに、彼にとっても貴重だったのだ。無理をしてでも、やっと作った休日なのだから、今日は有意義に過ごそうと、ランポ氏は、ますます、心に決めたのだった。

 でも、まず最初は、いつもの日課で、朝の新聞にと目を通しておく事にしよう。

 書斎から立ち上がったランポ氏は、玄関の郵便受けへと向かった。そこには、今日の朝刊が刺さったままなのだ。早朝に起きてから、ぶっ通しで原稿を書いていた彼には、新聞を取りに行く暇すら無かったのである。

 こうして、新聞を手にしたランポ氏は、リビングへと移動し、のんびりと安楽椅子の上に腰掛けた。

 そのまま、ペラペラと新聞をめくっていく。そこに書かれている記事は、大体は、いつもと変わらないようなニュースばかりなのだ。ランポ氏としても、最低限のたしなみとして、最新の時事を確認しているだけなのである。

 だが、そんな記事の中に、一つだけ、ランポ氏もオヤッと思わされたものがあった。

 それは、青ひげ事件の犯人の公判が始まった、と言うニュースだった。この青ひげ事件は、非常に印象が強かったので、ランポ氏もよおく覚えていたのだ。

 それは今から数年前の話だが、都内で、陰惨な連続殺人事件が起きたのである。これが世に言う青ひげ事件だ。犯人の男は、地方から首都に家出してきた娘を、無差別に拉致して、自宅で殺害し続けていた。しかも、犠牲者のしかばねを解体して、いずれも樽詰めにしていたと言うのだから、全く、恐れ入るような猟奇事件なのである。青ひげなどに例えられたのも、確かに頷けるのだ。

 そして、実を言うと、ランポ氏は、この犯人の青ひげ男をモデルにして、クモ男なんてキャラを自作の中に登場させていたのだった。もちろん、生々しい実物の青ひげとは違って、殺人芸術を楽しむシャレた犯罪美学の持ち主と言うように、かなり設定は変えてはいたのだが。

 でも、そんな事情があったものだから、このように青ひげ事件の続報を見かけると、ランポ氏も、つい気に掛けてしまったのであった。

 さて、こうして、新聞を読み終えて、遅い朝食も済ませると、ランポ氏は、さっそく、街の中央へと乗り出した。せっかくの休みを有効利用して、屋外で出来る活動を優先しようと言う魂胆なのである。

 まず、ランポ氏が向かった先は、歓楽街にある大きな映画館だった。彼には、前から拝見したいと思っていた、封切りしたばかりの映画があったのだ。

 それが、個性派俳優クリークの最新の主演作である。ハミルトン・クリーク。またの名を、四十面相のクリークとも言う。この男優は、そのような通り名で呼ばれるほど、出る映画ごとに、見事に外見やキャラを変えてみせたのだった。その素晴らしい演技に感銘して、ランポ氏は、このクリークの熱烈なファンだったのである。

 のみならず、この通称からうっすらとお分かりいただけたと思うが、ランポ氏が創造した世紀の大怪盗、ニジュウ面相の名前も、そもそもは、このクリークの「四十面相」が由来となっていたのであった。

 ランポ氏は、映画館の窓口でチケットを買うと、モギリを済まして、館内へと入っていった。

 なかなか大きな劇場なのである。そして、建物の奥に進むほど、周囲には、ちょっとした異様さが漂い始めたのだった。

 と言うのも、他のお客たちの多数が、白いお面を被っていたからである。両目と口もとの三ヶ所だけに簡易な穴の空いた、質素な仮面だ。何となく、能面のようにも見えなくはない。あるいは、ニコニコマークのお面バージョンと言った感じである。

 この笑い仮面の群れは、上映会場の中に入ってみると、ほぼほぼ、観客席を埋め尽くしていたのだった。

 実を言えば、この仮面は、チケットを買った時に、ランポ氏も窓口で受け取っていたのである。彼は、まだ被っていなかっただけの話なのだ。

 この仮面を、一名、劇場レビュー仮面と言う。これは、今はやりの映画鑑賞アイテムだったのだ。

 この仮面さえ付けていれば、映画を見ている最中の表情を、周りの他のお客には見られずに済む。一人だけ、大声でバカ笑いしていようが、怖いシーンで情けない顔でビビっていようが、何一つ、他の観客にはバレたりはしないのだ。まさに、映画館の中でも、自分だけでビデオを観ているようなリラックスした環境を味わえるアイディア商品なのであった。

 元々は、ある映画の公開に当たって、映画配給会社がお遊びで始めてみたシステムだったらしいのだが、それが、なぜか大受けしてしまい、その結果、現在では、どの映画を観る場合でも、このレビュー仮面を被るのが一般的になってしまったようなのだった。

 それにしても、観客席のほとんどがレビュー仮面で溢れた様子は、いかにも奇異であり、圧巻なのである。

 こんな光景を目にしていると、ランポ氏の想像力にも、ひそかに火がつくのであった。

 これほど沢山のレビュー仮面がいる中、もし、一人でも色違いの仮面が混ざっていたら、果たして、それは、どう見えるであろうか。例えば、金色のレビュー仮面とかが。そのような仮面がこっそりと紛れ込んでいたとしたら、恐らくは、レビュー仮面の中においても、さらに異彩を放つに違いあるまい。

 そんな事を空想して、ランポ氏は、つい微笑んでしまうのであった。

 そして、この時のそんな思い付きが、のちのちのランポ氏の作品「黄金仮面」のアイディアにも繋がっていったのである。

 映画の方は、期待どおりの素晴らしい出来であった。

 ランポ氏は、非常にご満悦の気分で、劇場を後にしたのだった。

 時計を見ると、時刻はまだ午後の半ばぐらいである。まだまだ、すぐに帰宅しなくても大丈夫そうなのだ。ランポ氏は、映画の余韻に浸りながら、もう少し、街中をぶらついてみる事にしたのだった。

 昼間の都内は、人ゴミでごった返していた。それは、相変わらずの都会ならではの風景なのだ。だが、普段は書斎の中に閉じこもりっきりのランポ氏にしてみれば、このような混雑した空間もまた、ひどく味わい深いものに感じられたのであった。

 ふと、ランポ氏の目には、一人のピエロの姿が写った。歩道を行き来する沢山の人の波の中に、ポツンと、ピエロの格好をした人物が混ざっていたのだ。

 ランポ氏は、おやっと思った。

 今の時代、街中に堂々とピエロ姿の人物が歩いているなんて、とても珍しく感じたのである。

 ランポ氏の幼い頃は、まだ、チンドン屋という職種が存在していた。彼らがピエロやら旅役者などの格好になって、よく街中を闊歩していたものなのだった。しかし、時とともに、チンドン屋の業界も廃れていき、彼らの姿も、街中では、とんと見かけなくなっていたのだ。

 そのはずなのに、今どきになって、またもや、ピエロが街のど真ん中に佇んでいたのであり、のみならず、周囲の人々も、どうも、その事を特に気に掛けてもいないのが、少し不思議に感じられたのだった。

「あれ、見てごらん。コスプレイヤーだよ」道をゆく若い二人組が、ピエロの姿を指さしながら、笑って、そんな事を口にしていた。

 それを耳にして、ランポ氏も、ハハアと納得したのだった。

 時代は変わっていく。今の世の中は、確かに、チンドン屋こそ居なくなってしまったかもしれないが、代わりに、コスプレイヤーという人種が現われたのだ。今、そこを歩いていたピエロも、実は、そのコスプレイヤーの一人だったらしい。そう思って、あらためて観察すると、なるほど、このピエロは、ただの昔ながらのピエロではなく、化粧も道化服も今どきのオシャレなものに新調されていたのであった。

 ランポ氏が若かった時は、よく、サーカスも観に行ったものである。彼は、サーカスのあの華やかな空気が好きだった。だからこそ、自分の作品にも、卒中、サーカス会場のようなカラクリ屋敷だとか、ピエロの格好をした怪人などを登場させていたのだ。

 チンドン屋が廃業した事で、もはや、街中に怪しいピエロが横行するような話は書けなくなってしまったかとも思われたのだが、このようなコスプレイヤーの出現のおかげで、ピエロが都内に出没する物語も、どうやら、また執筆できるかもしれないな、とランポ氏はボンヤリと思ったのだった。

 せっかく、まだまだ時間がある事だし、ランポ氏は、ただ街の中をブラついて、残った時間を消化するのではなく、もう一ヶ所、ある場所へと立ち寄ってみる事にした。そこは、都心ではなく、郊外の方にあるのだ。

 ランポ氏は、ひとまず、路面電車に乗って、ここから移動する事にしたのであった。

 その際、電車の中での時間を退屈しないように、ランポ氏は、一冊の俗っぽい週刊誌を購入した。

 電車の中の座席にと腰掛け、彼は、真剣に読み入る訳でもなく、ペラペラと、その週刊誌のページをめくっていたのだった。ふと、ある記事が、ランポ氏の目を釘付けにした。

 それは、外国の三面ニュースで、フランス在住の発明家が、一人乗りの小型ヘリコプターを開発した、と言うものなのであった。なかなか、これは面白そうなトピックスなのだ。

 このヘリコプターは、背中に背負い、低空ならば、そこそこに持続的に飛び続ける事もできるのだと言う。

 さてはて、この小型ヘリコプターを使えば、誰でも、空を散歩できるようになるのだろうか。例えば、怪盗とかが、この新発明を手に入れたら、よけい上手に盗みを働けるようにもなるかもしれない。この道具を使わせるとすれば、一体、どの悪役が良いであろう?やはり、ニジュウ面相あたりが適任か?

 とまあ、わずかの間に、それだけの考えを巡らせて、ランポ氏はほくそ笑んだのであった。

 夕方近くになって、電車は、ようやく、目的地の近くへと到着した。外は暗くなり始めていたが、それでも、ランポ氏としては、お目当の場所に、少しだけでもいいから、顔を出しておきたかったのだ。

 行き慣れた所だったので、道順はすっかり頭に入っていた。

 間もなく、ランポ氏は、その一軒家へと、たどり着いたのだった。

 玄関の呼び鈴を鳴らす。すると、すぐにドアは開いて、中からは、ランポ氏よりも僅かに若い中年の男が、ヌッと顔を出したのだった。

「ああ。義兄にいさんでしたか。どうしたんです、こんな遅い時間に」と、その中年男は、穏やかな表情で、ランポ氏にと話し掛けてきた。

 そう。この家は、実は、ランポ氏の妹の嫁ぎ先だったのだ。

「今日は数ヶ月ぶりの休日だったんだ。そう思うと、急に、お前たちの顔が見たくなってきてね。どうだい、他の家族も元気にしているかい」ランポ氏も、にこやかに言った。

「ええ、おかげさまで」義弟は、自分の後ろの方を振り返った。そして、大きな声を出した。「おおい、芳雄。ランポおじさんが遊びに来てくれたぞ」

 その声を聞いて、さっそく、彼の家族の一人が、バタバタと廊下を駆けて、この玄関へやって来たのだった。

 リンゴのようなホッペタをした、目の大きな、12、3歳ぐらいの少年である。

「わあい。ランポおじさん。いらっしゃい」と、その少年は、声を弾ませ、瞳を輝かせて、たいへん嬉しそうに、ランポ氏のことを見上げたのだった。

 彼のこの明るい笑顔を拝む事ができて、ランポ氏の方も、はなはだ満足げなのである。何たって、この小さな甥っ子こそは、ランポ氏にとっての一番の癒しの存在であったのだから。

 この男の子こそは、名探偵アケチコゴロウが率いる少年探偵団の団長コバヤシヨシオのモデルとなった少年なのだ。


      完

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