コゴロー参上!
ようやく、荒らされた玉村邸の中へと突入したナカムラ警部とコバヤシ青年は、そのまま、どんどん奥へと進んでいったのだが、やがて、ある一角にたどり着くと、がく然として、そこで立ち止まってしまったのだった。
そこは、長い廊下の横にずっと伸びた、白い壁であった。そこに、大きく、真紅の塗料で「0」の数字が描かれていたのである。紛れもなく、暗黒星のカウントダウンなのだ。ついに、彼らのカウントダウンは「0」になってしまったのである。毒々しい赤色は、まるで、鮮血のごとくにも見えた。
この玉村邸での大惨状が、この「0」に相当する犯行だったのであろうか。いや、それだけでは有るまい。賊の真の目的は、玉村家の一族の人間なのだ。
「おい。主人の善太郎氏やその他の家族の者は、まだ、誰も保護されていないのか?」ナカムラ警部が、そばを通りかかった警官に、強い口調で尋ねた。
「はあ。現在、屋敷の中をくまなく探しておりますが、玉村家の人間につきましては、まだ一人も発見できておりません」警官は、申し訳なさそうに答えたのだった。
ナカムラは、キッと、コバヤシの方に顔を向けた。
「コバヤシくん。君は、どう思うかね?」
「はい。ここに『0』の数字が描かれていると言う事は、この近くに何かがあって、玉村家の人々もそこに居そうな感じがします」と、コバヤシは言った。
「では、時計塔の時と同じで、隠し部屋があるかもしれないと考えているんだね」
「そうです」
「もしかすると、この『0』の描かれた壁が隠し扉になっていて、その奥に秘密の部屋があるんじゃ?」
「いえ、それは無いでしょう。この壁の真裏には、食堂があります。ほら、そこに、食堂の入り口があるでしょう。そこで確認すれば、分かりますが、この壁は、隠し部屋を設ける事ができないほど、ペラペラの薄さです」
「じゃあ、善太郎氏らは、どこに消えてしまったと言うのだ?」
ナカムラ警部は、かんしゃくを起こしながら、髪を掻きむしったのだった。
一方、謎のコンクリート部屋に閉じ込められていた善太郎たちは、天井の一端から、不気味な水が流れ込んできたものだから、すっかり動揺しまくっていた。
この水は、実は、そこの壁の中に埋め込まれていた水道管が破裂したから、噴き出してきたものだった。この屋敷の設計図を奪っていた魔術師は、そうした配管の位置すらも細かく掌握していて、この度、ちゃっかりと利用したのである。
魔術師のボイスレコーダーには細工がしてあり、この水道管に取り付けてあった爆弾と連動していた。ボイスレコーダーの音声再生が止まると、それが起爆スイッチとなって、水道管の爆弾の方も作動する仕掛けになっていたのだ。ただし、水道管が破損しただけでは収まらず、薄かった壁までもが崩れ落ちて、そこから、この部屋へと、漏れた水道水が溢れ出てしまったのであった。
つまりは、ボイスレコーダーを強制的に壊すような事をすれば、それだけ早く、このカラクリも発動する仕組みだった訳だ。善太郎は、激情したあまり、魔術師の思惑どおりに、ボイスレコーダーを叩き割って、自ら、自身のピンチを早めてしまったのである。
「一体、どうなっておるんだ?」
「ねえ!あの水、止まらないよ。この部屋は、一面コンクリートで、どこにも隙間がないから、どんどん床に水が溜まっていってしまうよ」
全く、二郎の言う通りなのであった。
部屋の中に流れ込んでくる水は、床にと溢れていく一方なのだ。この部屋は、密閉されたシェルターだったので、水がはけていくような穴が、床には、どこにも開いていなかったのである。このコンクリートの空間の中には、まるで、プールの内側のように、次第に水が蓄積されていったのだった。
それが、果たして、何を意味しているのか、善太郎たちも、すばやく察知したのである。
「ああ!このままじゃ、すぐに部屋のてっぺんまで満水してしまう!」
「じゃあ、助けが来るまで、何日も待っていられないじゃないか」
そうなのだ。この不測の放水が加わった事で、先ほどまでの、いっときの安心感も吹っ飛んでしまったのである。やはり、賊どもは、そこまで優しくもなかったのだ。
「おい、お前たち、泳げたよな?こっちに来い!水が、背よりも高くなってしまったら、皆で立ち泳ぎをしよう。互いに肩を貸しあえば、水面に浮かぶのも少しは楽になるはずだ」
「分かったよ、お父さん。ほら!兄さんも、こっちに来て!」
この事態になっても、まだ放心状態で、ボッとしていた一郎のことを、二郎は、慌てて、自分たちのそばへと引っ張り寄せたのだった。
足もとを見れば、水かさはグングン増えていっている。やがては、善太郎たちの身長をも、軽く追い越してしまうだろう。それでも、なおも浸水は終わらないはずだ。最初こそ、水面に浮かぶ事で耐え凌ぐ事もできるかもしれないが、完全に、室内が水で満たされてしまったら、一体、そのあとは、どうすればいいのだろうか。
二郎は、天井を見渡した。このまま、水が増えて、その表面に浮かべば、天井の扉や放水している穴にも、ラクに体が届くようにもなるかもしれない。だが、立ち泳ぎの状態では、ますます踏ん張りがきかなくて、重い扉など押し上げられないだろうし、また、水が流れ込んでくる穴にしても、その穴の裂け具合が広すぎて、とても手や胴体などで押さえ付けるだけは塞ぐ事はできなさそうだった。結局は、体が天井近くまで持ち上がったところで、事態は何も好転しそうになかったのである。
やっぱり、最悪の状況に陥る前に、少しでも早く、救助が来てくれる以外に、彼らが助かる道はなさそうなのだ。
善太郎たちは、恨めしげに、自分たちの真上にある出入り口の扉を見上げたのだった。
もっとも、進退きわまっていたのは、同時刻に屋敷の地上部にいたコバヤシ青年やナカムラ警部たちも同じだったのであり、彼らは、ほんとに、危機に晒されていた善太郎たちの間近にいたにも関わらず、それ以上はどうする事もできずに、その場に立ち尽くしていたのであった。
二人は、例の「0」の数字が書かれた廊下の壁の前で佇んでいた。
これまでのパターンから考えてみても、このカウントダウンの数字のすぐ近くに犯行現場があるのは間違いないのだ。すなわち、今回のケースならば、多分、この近辺に行方不明の玉村一家は居るはずなのである。
だが、何となく推察できたのはそこまでで、その先がどうしても進まなかったのだった。
ナカムラ警部は、イライラしながら、部下の警官たちに、玉村一家の救助を急がせていた。でも、部下から届くのは「まだ見つからない」と言う報告ばかりなのである。
「ああ。こんな時こそ、アケチ先生が居てくれたら!」ついつい、コバヤシ青年が叫んだ。「先生の頭脳だったら、こんな謎は簡単に解けてしまったはずなのに」
コバヤシにとって、アケチ探偵は、唯一無二の師匠であった。その恩師をいない事による落胆や絶望は、それこそ、並ならぬものだったようなのである。
しかし、その時、彼は、ハッと思い立ったのだった。
「待てよ。そう言えば、ぼくは、アケチ先生から、この屋敷の正確な寸法を測るように、指示をうけたまわっていた。もしかして、これは、このような事態も想定しての事だったのではないのだろうか」
コバヤシが奇妙な事を言い出したので、ナカムラも、つい注目したのである。
「コバヤシくん。何の話かね?」
「そうだ、そうに違いない!先生は、万が一、自分がこの事件を担当できなくなった場合の事も考えて、ぼくに、この任務を授けておいたんだ。そうだよ、絶対にそうだ!よおし、ぼくはやるぞ!ぼくだって、ずっと、先生の教えを学んできた名探偵の助手なんだ。ぼくも、立派に先生の代役を務めてみせるぞ!」
「コバヤシくん、一体、どうしたのだい?」
「ナカムラさん!もしかしたら、この屋敷にある隠し部屋の位置が分かるかもしれません」
「ほ、ほんとかね?」
すると、コバヤシは、服の内側にしまっていた屋敷の見取り図を引っ張り出したのだった。
この屋敷の、ざっと大まかな寸法だけが書き込まれた見取り図だ。でも、そこには、コバヤシ自身による手書きの詳しい寸法が、びっしりと書き足されていたのだった。その作業は、ほぼ完了していたらしかった。
「よし。ぼくの手で、この謎を解いてやる。ぼくにだって、出来るはずなんだ。ぼくは、日本一の名探偵に、ずっと従事して、いろんな事を教わってきたんだから」
そう呟きながら、コバヤシは、屋敷の見取り図を床の上にと押し広げて、その見取り図を相手に真剣ににらめっこを始めたのだった。どうやら、何かを計算しているようなのである。
そんなコバヤシの様子を、隣にいたナカムラは、不安そうに見守っていた。
「分かった!分かったぞ!こう言う事だったのか!」と、突然、コバヤシは声を張り上げた。「やっぱり、先生のおかげだ。先生は、この秘密を暴く為に、ぼくに、この詳しい見取り図を作らせたんだ」
「コバヤシくん。何が分かったのかね?」ナカムラが、コバヤシに、戸惑いながら、尋ねた。
「ナカムラさん、喜んでください。この屋敷には、やっぱり、隠しスペースがある事が判明しましたよ!」コバヤシは、突如として、急に、嬉しそうに、そう訴えた。「ぼくは、アケチ先生に頼まれて、この屋敷の寸法を、全て、測り直していたのです。元から分かっている屋敷の全体の寸法と、屋敷内の個々の部屋や壁の厚さなどの寸法を照合していく事で、この二つの寸法の間にある不一致を導き出せるのです」
「それは、どう言う事なのだね?」
「つまり、屋敷の全体の長さよりも、屋敷内の個々の寸法の合計数の方が、若干、短いのです。1メートルほど、足りていません。それは、どこかに、見取り図には描かれていない、隠れた空間がある事を示唆しているのです」
「その秘密部屋の場所も分かるのかね?」
「はい。屋敷内のそれぞれの寸法を照らし合わせていけば、自ずと、ズレがある地点が弾き出されてきます。そこに実際には1メートル幅の空間がないと、他の部屋や廊下などの繋がりが、現実の間取りと合致しなくなる場所があるのです」
「その場所とは?」
「ここです!」
コバヤシが指さしたのは、あの「0」が描かれていた壁の、廊下を挟んだ真向かいの壁だった。
なるほど、賊も、思いっきり分かりやすく、すぐ手前にヒントを残しておいてくれた訳である。ただし、こうして、謎解きされてからでないと、そこに秘密の空間があったのが分かりそうにないのも、事実なのであった。
「本当に、間違いないのだな?」ナカムラが念を押した。
「はい。ほぼ確実です。きっと、この隠し部屋に入る為の仕掛けもあるだろうとは思うのですが、さすがに、そのカラクリまでは調べる事はできませんでした」
その内側に隠し部屋があったらしい壁は、木製だった。道具を使って破壊すれば、すぐにでも、叩き破る事ができそうにも見えるのだ。
「よおし、分かった!おおい、誰か、壁を壊す為のハンマーか何かを持ってこい!」ナカムラは、そばで調査をしていた警官に向かって、力強く、命令を下したのだった。
「ナカムラさん!早く、早く!もしかすると、この部屋の中で、玉村さん達は、死にかけているかもしれません!急げば、無事に救い出せるかも!」
「もちろんだ!分かっておる!」
ナカムラもコバヤシも、焦ってはいるのだが、とにかく、素手では、何もできない状況なのである。
そんな時だ。
突如、二人の耳には、ものすごい爆音が聞こえてきた。バイクの走る音なのである。でも、こんな屋敷の中で、なぜ、バイクの音が?
彼らは、ハッとした。
長い廊下の向こうの方から、バイクが走って、こちらへと向かってきているのだ。屋敷の外から、そのまま、屋内にまで乗り込んできたらしい。全く、なんて、非常識な事をするのであろうか。
コバヤシもナカムラも、一瞬、身構えた。こんな乱暴な行為をする奴は、当然、賊の一味じゃないかと思ったからである。
バイクは、爆音をまき散らし、走行をヤメさせようとする警官たちも牽制して、あっと言う間に、コバヤシたちのそばにまで到着したのであった。小林たちの目の前で、バイクは急停止した。
「おい!あんたは、何者だ!家の中で、バイクを乗り回したりして、一体、何を考えておるのかね!」ナカムラは、おっかなびっくりに、そのバイクの主へと注意した。
バイクを運転していた人物は、バイクに乗るには似つかわしくないスーツ姿だった。それも、すっかり汚れて、ボロボロになったスーツなのである。その上で、頭をすっぽり隠すヘルメットを被っていたのだ。
「少しでも早く、ここに来たかったんだ。このぐらいの事、勘弁してくれよ。それに、どうせ、この屋敷の中は、すでにグチャグチャだったんだ。今さら、バイクで走ったところで、大して変わりはねえだろ」
そのような事をうそぶきながら、バイクにまたがっていた男は、ヘルメットを取ってみせた。
その顔を見て、コバヤシは、すぐに目を輝かせたのである。
「先生!アケチ先生じゃないですか!」彼は叫んだ。
そうなのである!この謎の人物は、アケチコゴロウだったのだ。その顔は、無精ヒゲに覆われていたが、その向こう側には、確かに、あのアケチの面影があったのである。
「アケチじゃない。コゴローと呼べ!」コゴローは、そう怒鳴って、ニヤリと笑ったのだった。




