サーカスの怪人
ガイコツ男は、明らかに、コバヤシのことを意識していたらしかった。彼は、席を立って、歩き出しても、チラチラとコバヤシたちの方に振り返っていた。そして、コバヤシの方も立ち上がったのを、露骨な態度で確認していたようなのであった。
ガイコツ男は、観客たちの間をかい潜って、大きな通路の方に向かっていた。コバヤシもまた、そんなガイコツ男のあとを追うように、観客席の間を移動したのだ。奇術ショーの開演直前だと言うのに、こんな風に退席した二人のことを、他の観客は誰も気に掛けていなかったようだった。片方は、ガイコツ姿の目立つ怪人だったのに。
席を立ち、動いてみせた事で、このガイコツ男が、ただのコスチュームだった事は、よりハッキリしたのだった。このガイコツの骨格は、黒い全身スーツの表面に、白い塗料で描かれただけのものだったのである。だから、見る角度によっては、きちんとしたガイコツには、表示されなかったりもしたのだった。
とにかく、普通に人間による扮装に過ぎなかったと分かれば、もう、お化けに抱くような怖さは無くなったし、ますます、賊が化けていた可能性も高まってきたのである。
観客席を横切って、とうとう、大きな通路へと飛び出したガイコツ男は、そのまま、テントの奥の方へと歩き出したのだった。観客の入り口とは反対側にある通路なので、どうやら、ステージの舞台裏や団員の控え室にと向かったらしいのだ。と言う事は、このガイコツ男はサーカス団員の一人だとも考えられそうなのだが、一方で、これまでの挙動不審さからは、本物のサーカス団員ではない見込みも、完全には捨てきれなかったのだった。
そんな訳で、今のコバヤシとしては、ひたすら、このガイコツ男を尾けてみて、その正体をあばく以外にはなかったのである。
だいぶ回り道をして、コバヤシも、ようやく、ガイコツ男が去っていった通路にとたどり着いた。彼も、通路の奥の方へと歩き出したのである。途中で、係員に呼び止められて、制止されるような事もなかった。
こうして、コバヤシがやって来た場所は、やっぱり、会場の舞台裏なのだった。大きなテントの片隅にと作られた、いわば、物置場なのだ。思った以上にガランとしていて、他のサーカス団員の姿も見かけないのである。そして、表舞台じゃないものだから、かなり薄暗いのだった。
こんな場所で、コバヤシは、ひどく用心しながら、キョロキョロと、例のガイコツ男を探してみたのである。
コバヤシの目は、よく目立つ支柱にと、嫌でも、引きつけられた。それは、丸くて太い、大きな支柱だった。きっと、この大テントを支えている大事な柱の一つなのだ。それだけではなく、この支柱の側面には、等間隔で横木まで刺さっており、多分、この横木をハシゴの横さん代わりに使う事で、てっぺんまで上る事もできるのである。頂上には、中央のステージの方まで続く天井板や木組みが配置されていたので、ショーのアクロバットなどで、天井も利用したい時などに、この柱から上ったのであろう。
ここで、コバヤシは、ハッとしたのだった。
この支柱の根もとの辺りに、何やら、マークが描かれていたのだ。黒い放射状の線である。言うまでもなく、暗黒星を意味するロゴだ。なぜ、この図形が、こんな場所に、堂々と記されているのであろうか。やはり、このサーカスは、暗黒星と何らかの関係があったのでは?
その時、頭上から、不気味な笑い声が聞こえてきたのであった。
コバヤシは、おののいて、支柱の上方を見た。
すると、そこには、はるか高い位置で、あのガイコツ男が、ちょうど、支柱のハシゴを上っていた最中なのであった。笑い声も、こいつが発したのだ。すでに、かなりの高度まで上っているようなので、ガイコツ男は、間もなく、天井に到着するのではないかとも思われたのだった。
コバヤシは、ちょっと躊躇した。
明らかに、ガイコツ男の罠みたいな感じもするのである。このまま、奴を追いかけて、柱を上れば、何かヒドい目に合いそうな悪い予感がした。しかし、実際のところは、ガイコツ男は、コバヤシに見つかって、追われたものだから、ただ、やみくもに天井へと逃走しただけだったのかもしれない。その場合は、ここで追跡をやめたら、まんまと奴に逃げられてしまう事になるだろう。
中央の会場の方からは、いよいよ、奇術ショーの方が始まったらしくて、拍手や観客のどよめきなどが聞こえてきた。その事が、ますます、コバヤシを、急き立てるような気持ちにさせたのだった。
彼は、ついに決心した。
罠がある危険性も承知の上で、冒険してみる事にしたのだ。つまり、ガイコツ男を追って、支柱を上ってみる事にしたのである。
コバヤシは、柱に自分の体を寄りかからせて、十分に注意した上で、一歩ずつ、柱についた横さんを上り始めた。
彼は、基本的には、頭脳労働の人間で、外見も弱々しくも見えたのだが、ほんとは、文武両道で、そこそこに体力や運動にも自信のある青年なのだった。だが、そうじゃなきゃ、アケチのような大探偵の助手など、務まるはずもないのである。
だから、今回のような柱を上る冒険だって、決して苦手な訳ではなかったのだ。むしろ、師のアケチがいない今こそ、なおさら自分が頑張らなくちゃいけないと、彼は、よけい気張っていたのである。
特に露骨な妨害や障害物のようなものもなく、コバヤシは、順調に、じょじょに、柱を上っていった。上でガイコツ男がどのような状態でいたのかは分からなかったが、とにかく、すぐ捕まえられる範囲まで近づいてみるしかないのだ。仮にガイコツ男が全くシロであったとしても、それを確認するだけでも十分に意義はあるのである。
表舞台の方からは、時々、大きな歓声やどよめきが聞こえてきた。きっと、奇術ショーの方も佳境に入っており、大いに盛り上がっているのであろう。しかし、今のコバヤシにとっては、とりあえず、それは関係のない話なのだ。
いっこうに、コバヤシは、ガイコツ男には追いつかなかった。追いついたならば、追いついたで、ガイコツ男の少し下の位置で待機して、相手の反応を伺うつもりだったのだが、その必要もなかったようだ。
とうとう、コバヤシは、柱の頂上にまで到着してしまったのだった。そこには、1メートル四方の板が平たく張られていて、その上に立つ事ができたのだが、その終着点の板の上にもガイコツ男はいなかったのである。
と言っても、柱を上ったガイコツ男が忽然と消えてしまったと言う事なのでもない。
この柱の上の足場の板には、さらに、中央の方に伸びている細長い板が繋がっていたのである。この細長い板は、そうとう奥まで伸びていて、向こう側は暗い闇の中にと消えていた。
そして、この細長い板の奥の方に、ぼんやりと白いものがチラチラ動いているのが、目視できたのだった。そう、柱を上りきったガイコツ男は、そのあと、この板の上を移動したみたいなのである。
「コバヤシくん。ご苦労、ご苦労。よく、怖がらずに、柱の上まで上ってきましたね」
細長い板の向こう側から、そんな男の声が響いてきた。コバヤシも聞いた事のある声である。
「貴様。さては、ニジュウ面相か!」コバヤシは怒鳴った。
「そう思いますか?でしたら、そう信じても構いませんよ」
「一体、こんなところで何をやってるんだ!何が目的なんだ?」
「いいえ。私は何もしていません。君が勝手に私のことを疑って、勝手に追ってきただけなのです。ふふふ。違いますか?」
そう言われたら、コバヤシとしても、何も言い返す事ができないのだ。しかし、こんな変わった挑発を仕掛けてくる人物は、やはり、ニジュウ面相としか考えられないのであった。
「よく、こんな人が大勢いるサーカス会場の中に忍び込む事ができたな?ここに来ているのは、貴様一人か?それとも、もっと沢山の仲間も、会場に紛れ込んでいるのか?」
「それも私の口から答える気はありません。君自身の手で、調べてごらんなさい」ガイコツ男の回答は、実にのらりくらりとしているのであった。
その時、中央の会場の方からは、大きな拍手の音が聞こてきたのだった。
「どうやら、奇術ショーも終わったみたいですね。君も、急いで、会場の方にお帰りなさい。連れが待っていますよ。私の方も、役目が全うできて、十分に満足してます」
「さては、貴様の目的は、ぼくを奇術ショーに立ち合わせない事だったのか?」
「まあね。他のヤツならともかく、アケチくんの弟子である君には、奇術ショーのトリックが見破られる恐れがありましたからね。それだけは、どうしても避けたかったもので」
「くそっ。まんまと、貴様らの計略に引っ掛かったか」コバヤシは、顔をしかめた。
「ふふふ。いいですか、お聞きなさい。今のところ、このサーカス会場には、何の犯罪の兆しもないのです。私も、その正体ははっきりとは明かしていませんですしね。だから、すぐに、警察を総動員して、会場を捜索するようなマネもできないでしょう。まずは、いったん引き返して、ガッチリと証拠固めを行ないなさい。それから、あらためて、このサーカスにと家探しに訪れるのです」
悔しいが、全てはガイコツ男の言う通りなのだった。むしろ、現時点では、コバヤシの方が、不法侵入の罪で訴えられかねないのである。
ガイコツ男は、コバヤシに話し掛けてくるのをヤメたようだった。だけではなく、細長い板の奥の方でチラチラ動いていた白いものも、すっかり見えなくなったのである。この細い板の向こう側は、きっと、さらに幾つものの天井の板や柱にと連結しているのだ。ガイコツ男は、それらの板の方へと移動していって、今度こそ、完全に逃げてしまったのかもしれない。
もちろん、コバヤシとしては、まだガイコツ男を追い掛ける事もできたのである。でも、その行動による成果は、あまり期待できなかった。コバヤシには、ガイコツ男が賊であると断言する決め手がなかったし、追えば、絶対にガイコツ男を捕まえられると言う保証もなかった。ましてや、このまんま、ガイコツ男に逃げ切られてしまうようならば、それこそ、全てがムダ足に終わるのである。
それよりも、ガイコツ男だって、奇術ショーで何かがあったかのような含みを持たせた発言をしていた。あるいは、今すぐ中央のステージへと向かえば、ひょっとすると、そっちの方でこそ、何かの重要な手掛かりが掴めるかもしれない。
コバヤシは、やむなく、ここで引き返して、会場の方へと戻ってみる事にしたのだった。




