消えた令嬢(その2)
そして、いよいよ、11月20日がやって来たのだった。
本日は、夕方に、食堂にて、妙子の21歳の誕生パーティを予定していた。来賓はいっさい招かず、この屋敷内にいる家族や身内だけによる、ささやか夕食会なのだが、体調不良でずっと部屋に引き篭もっていた妙子も、このパーティにだけは、きちんと出席すると約束していたのだった。
何事もなく、そのパーティの時間は、刻一刻と迫っていた。
それでも、今日は問題のXデーだった事に変わりはなく、コバヤシ青年もナカムラ警部も、いきなり事件が起きる可能性をずっと心配していたのだった。だから、彼らは、パーティが始まる前から、度々、妙子の部屋に、彼女の様子を探りにいったのであった。
でも、取り越し苦労だったのか、コバヤシらが会いに行くと、その度に、妙子は、いちいち、部屋の入り口にまで顔を出してくれたのだった。生理痛のせいで、多少は心も弱っていたのか、いつもの妙子と違って、今の彼女の対応は、妙に穏やかでもあった。とは言うものの、どう観察しても、彼女は、顔も声質も明らかに妙子であり、別人ではなかったはずなのである。
ところが、ここで、珍しい事に、ナカムラ警部が、ちょっと、はたと閃いた。念には念をである。何度めかでの妙子との面会の時に、ナカムラは、ひょっこり、妙子に、左手も見せてくれるように頼んだのだった。部屋の中にいた妙子は、おとなしく、ナカムラの指示に従ってくれた。
こうして、拝見した妙子の左手の、それも、人さし指の先に、ナカムラ警部は、はっきりと、あの三重渦状紋を確認したのであった。例の、妙子しか持ってないはずの特殊な指紋である。その独特な指紋は、鑑識じゃないナカムラがチラッと目にしただけでも、決して見間違えはしなかったのだ。
かくて、ナカムラは、本物の妙子が、何の異常もなく、ちゃんと、この部屋の中にいると確信しきって、すっかり安心して、その場より引き下がったのであった。
だが、事件は、それから間もなく、急に起こったのだ。
部屋の中で、突然、妙子が小さな悲鳴をあげた。その声は、部屋の入り口で番兵をしていた警備員の耳にも聞こえたのだが、間をおかず、部屋の中からは、おびえた様子の妙子が出てきて、その警備員にすがってきたのだった。
妙子の話によると、自分の寝室のベッドの下から、ガサガサと怪しい音がするのだと言う。もしかすると、部屋の中に忍び込んだ小動物や虫の仕業だったのかもしれないが、とにかく、まずは原因を調べておくべきなのである。
番兵の警備員は、妙子に連れられて、大胆にも、一人で、妙子の寝室へと入っていった。万一、本当に不審者でも潜んでいたとしたら危険だったかもしれないが、周囲には、他にも沢山の警備員が配置されていたのだ。叫んだり、騒ぎになれば、すぐ彼らが飛んできてくれるだろうし、とりあえずは、自分だけで、寝室の調査をしてみようと、その警備員は考えたのだった。もし、前述したように、たわいもない動物や虫が原因だったとしたら、むしろ、今から騒ぎ過ぎたら、恥をかいてしまうのだ。
そんな訳で、その警備員は、一人で、妙子の寝室の中へと足を踏み入れた。その部屋は、窓もついていない密室で、灯りを消してしまうと、そうとう暗く、確かに、うすら怖くもあったのである。
妙子は、寝室の中にまでは入って来ず、その外で、警備員の報告を待っていた。妙子を危険に晒す訳には行かない以上、それは正しい判断であった。警備員の方も、こうなったら、度胸を据えて、一人で謎の音の正体を解明してやるしかないのである。
そして、確かに、妙子のベッドの下からは、何か、ガサガサと音が聞こえてきたのであった。
寝室の灯りを最大限に明るくして、警備員は、ベッドの下を懐中電灯で照らしてみた。
何か、グニャグニャとした細いものの姿が見える。それは蛇であった。小さな、小豆色の蛇が、ベッドの下の片隅で佇んでいたのだ。
警備員はギョッとしたが、すぐに落ち着きを取り戻した。見たところ、毒ヘビではなさそうなのである。駆除はそれほど難しくはなさそうだった。とは言え、それにしても、この蛇は、どこから、この部屋に紛れ込んできたのだろうか。こんな立派な屋敷の、壁の破損もない一室だったと言うのに。
とりあえず、蛇の捕獲は後回しにして、妙子を安心させる為に、警備員は、真相を彼女に伝えようとした。
ところが、この時、この警備員も、はじめて、妙子がいない事に気が付いたのだった。彼が、ベッドの下に夢中になっていた僅かな時間に、彼女は消えてしまったのである。
うろたえた警備員は、すぐに、妙子の部屋のあちこちを探してみた。でも、どこにも妙子は見当たらなかった。ここで、一人で部屋の中を探し回ったのは、やや、致命的な時間のロスにも繋がっただろう。
ようやく、妙子が蒸発した事を素直に認めた警備員は、部屋の外へと飛び出し、大声を出して、他の警備員を呼び集めたのだった。
妙子が行方不明になった事は、たちまち、屋敷の全体へと広まった。だが、この時には、完全に後の祭りであり、ナカムラ警部やコバヤシ青年、玉村家の家族も、全員、捜索に乗り出したにも関わらず、ついに玉村邸の敷地内からは、妙子を見つけ出す事はできなかったのである。
彼女は、いなくなってしまったのだ。どんな方法が用いられたのかは分からない。しかし、この11月20日と言う要注意だった日に、皆が恐れていた通りの事態になってしまったのである。
のちに、詳しい聞き込みをしたら、妙子が蒸発した時分、彼女の姿を廊下で見かけたと言う使用人も、何人か、いたのであった。でも、部屋に閉じ籠ったままだった妙子だって、トイレに行くなどの理由で、一人で廊下を歩く事もあり得ただろう。だから、使用人たちは、妙子の姿を見かけても、まるで気にしなかったのだった。そうやって、彼女は、誰にも悟られる事もなく、まんまと、どこかに姿をくらましてしまったようなのである。




