消えた令嬢(その1)
玉村邸の11月19日。その日は、何のおかしな点もなく、始まった。
ただし、早朝から、妙子が体調の不良を訴えて、自分の部屋の奥にと閉じ篭もってしまったのであった。と言っても、彼女は、完全に、皆の前から姿を消してしまった訳ではない。誰かが彼女の部屋まで面会に行くと、彼女はきちんと部屋の入り口まで出てきてくれたし、そこに現われた人物は、顔も挙動も、確かに妙子だったのである。
それでも、具合が悪いと言う妙子は、必要以上には、部屋の外には出向かなかったし、食事も部屋まで運ばせたのだった。明日は彼女が主役なのに、すっかり病人状態なのである。
心配した善太郎などは、本人の意向も無視して、強引に医者を呼ぼうとしたが、古株の女の使用人に強くたしなめられたのだった。妙子の症状は、大げさに医者に診てもらうようなものではない、と教えられたのだ。
なるほど、お局の使用人の意見の方が正しかったみたいなのだった。そもそも、女性は、月に一回、体調に異変があるものなのである。それは、いちいち、医者に掛かるような病状なのではなく、むしろ、その症状のたびに、医者に相談していたら、逆に笑われてしまう類のものなのだ。
まあ、妙子も、ここ最近のひと月ぐらいの間は、いろいろな事が起き続けていたし、神経をすり減らして、生理に影響があったとしても、全然おかしい話ではなかったのだった。全く、タイミングは悪かったかもしれないが、これだけは、どうしようもないのである。
善太郎は、せめて、妙子の部屋に、妙子の世話をする女の使用人をずっと待機させておく事も提案したのだが、これも、妙子が却下したのだった。自由が好きな妙子が、自分の部屋の中にまで、目付役のような使用人を置く事を認めるはずがないのである。
そして、今日予定していたピアノの取り換えの方なのだが、こちらについては、妙子がこんな状態ではあっても、当初の計画どおり、実施される事になったのだった。妙子自身が、キャンセルしないでほしいと、希望してきたのである。ピアノの交換中、中央の部屋の方はうるさくなるかもしれないが、妙子は、寝室の方に隠れて、ずっと休んでいるから、ぜんぜん構わない、と言うのであった。
そんな次第で、その日の午後は、妙子の部屋で、ピアノの取り換えが実施されたのだ。
ピアノを配送する業者の人々は、新しいピアノを積んだトラックを、妙子の部屋の窓のそばにまで乗り込ませた。前にも説明したが、妙子の部屋の窓は、その壁と一体化した掃き出し窓であり、この窓から、丸ごと、ピアノの出し入れができたのだ。妙子の使っているピアノは、最大クラスのグランドピアノであったが、この窓を搬入ルートに使えば、中へと運び入れるのも、全く容易かったのである。
ピアノは、すでに部屋にあった古いピアノも、トラックで持ってきた新しいピアノも、どちらも、業者の数人以上の手によって、持ち上げられて、動かす事となった。この業者の人々も、この玉村邸の敷地内に入る際は、門前にて、きちんとチェックを受けていた。だから、変装した賊が紛れ込んでいる恐れはないはずなのであった。
しかし、もし、この業者そのものが、事前に、賊によって乗っ取られていて、作業員が皆すり替えられていたのだとしたら?あるいは、入室する際は、厳密な身元確認が行なわれたが、外へと出て行く時は、あまり丁寧なチェックは行なわれていなかった。だから、来た時よりも、帰りの時の方が、作業員の人数が一人増えていた、などと言う、まるで、座敷童子のような現象が起きていた事については、結局、誰も気付いてはいなかったのである。
とにかく、こうして、一見、何事も起きなかったかのように、このピアノの交換作業も完了したのであった。そして、この日は、それ以外の目立った出来事は、何もなかったのである。
相変わらず、妙子は、奥の寝室に閉じ籠ったままだった。でも、時々、外へと顔を出していたので、そこに居るのは間違いなかったようなのであった。さらに、ピアノの取り換え中だって、部屋の入り口と窓の外にいた護衛は、一歩たりとも動かなかった。彼らは、賊の侵入を防いだだけではなく、見張りの役も果たして、妙子が勝手に内緒で脱出してしまうのも、絶対に見逃してはいなかったのである。
そんな訳で、この日は、賊の襲撃も無かったかもしれないが、妙子が部屋から居なくなってしまうような事も起きなかったのだった。かくて、無事に一日は過ぎていったのである。




