アケチ探偵の憂い
アケチの采配は、見事なまでに正しかった。玉村邸の例の抜け穴を完全に閉鎖して、使用禁止にしてしまうと、それっきり、玉村邸の中には、鬼火も僅かな不審者も現われなくなってしまったのである。やはり、賊は、この抜け道を使って、邸内に忍び込んでいたらしいのだ。
そうして、もう5日ばかりが何事もなく過ぎた。
このまま、賊が諦めてくれれば、それに越した事はないのだが、相手は暗黒星である。この凶悪犯罪者集団が、この程度の対策で簡単に手を引くとは思えないのだ。
アケチは、助手であるコバヤシを自分のそばに呼び寄せて、一つ、仕事を任せる事にした。それは、玉村邸の見取り図の再調査であった。
「ここに、この玉村邸の全体の見取り図がある。残念ながら、隠し部屋や抜け道などの記載はない一般向けのものだ。コバヤシくん。君には、これをベースに使って、ちょっと手間のかかる事をやってもらいたいんだ」と、アケチは言った。
「どのような作業でしょう?」コバヤシは尋ねた。
「この見取り図には、屋敷にせよ、敷地内にせよ、全体の大まかな寸法しか書き込まれていない。そこで、君には、もっと細部まで寸法が分かる見取り図を作ってもらいたいんだ。実際に、現地に赴いて、部屋とか土地とかの長さや面積などを測ってみてね。これほど大きな屋敷だ。全てを測り終えるのは、かなり大変だとは思うのだが、探偵の任務の合間を見て、やってもらえるかな?」
「分かりました」コバヤシは、二つ返事で了解したのだった。偉大なる師のアケチコゴロウが命じた仕事なのだから、きっと、のちに役立つであろう作業に違いないのである。
「ところで、僕が時計塔で襲われた時だけではなく、庄太郎さんが殺された犯行現場でも、いつものカウントダウンは見つからなかったらしいね」アケチが、話を変えた。
「そのようですね」
「僕だけではなく、庄太郎さんについても、玉村家の人間ではないから、イレギュラー扱いって事か。そうなると、次のカウントダウンで、暗黒星の奴らが玉村家の人間にどんな事を仕掛けてくるのか、ますます、しっかりと警戒しなくちゃいけなさそうだな。なんたって、『4』のカウントで、早くも、人を殺そうとしたんだ。『3』以降のカウントも、それと同等か、それ以上の凶行を企んでいる可能性が考えられる」
「屋敷内だけではなく、玉村家の人間一人一人の警護の方を、もっと厳重にした方がいいのかもしれませんね」
「うん。そうだな」
「そう言えば、妙子さんなんですけど、恋人の庄太郎さんを失くしたと言うのに、心配していたほど、落胆はしていませんでしたね」
「確かに。最初こそ、ひどく沈み込んでいたが、この頃は、以前の元気さや明るさが戻ってきたようだ。それを、果たして、普通に、喜ばしいと考えていいのやら。あまりにサッパリした妙子さんの態度に、逆に、庄太郎さんが気の毒に思えてこなくもないのだが」
アケチとコバヤシが、影では、そんな事を考えていたのを、そのあと、ふと、二郎にも話してみると、二郎からは、驚きの答えが返ってきたのだった。
「ああ、それだったら、きっと、誕生日が近づいているからだよ。妹の妙子は、今度の11月20日で、21歳になるんだ。それで、このごろはウキウキしていたのさ」あっさりと、明朗に、二郎は言い放った。
「なんだって!11月20日って、もう1週間後じゃないか!なぜ、そんな大事な事を、皆、スルーしていたんだ?こんな記念日は、賊にとっては、絶好の犯行の決行日じゃないか!」
慌てたアケチは、その足で、急いで、善太郎に会いに行ったのだった。
「善太郎さん。来たる11月20日は、妙子さんの誕生日だそうですね?」と、アケチ。
「それがどうかしたかね?」善太郎が答えた。
「まさか、その日、豪勢なパーティとかを開くのではありませんよね?」
「祝ってやってはダメなのかね?」
「当たり前です!沢山の人を屋敷に招いての大誕生会など、もっての外です!賊に、わざと、屋敷内に侵入しやすくしてやるようなものではありませんか!いいですか。この一連の事件が一応の決着を見るまでは、屋敷での大げさな催しなどは、どうか、自重してください。あなたがた家族の命にだって関わってくるかもしれないんですよ!」
「そこまで言わなくたって、わしだって、そのぐらいの事は分かっておるよ。妙子は不平を漏らしておったが、今年のあの子の誕生パーティは、屋敷内でも、屋敷の外でも行なわない。いつも一緒にいる身内だけで、屋敷の中で、質素に、あの子の21歳の誕生日を祝福してあげるつもりだ。それでいいのだろう?」
「そうして頂ければ、とりあえず、一安心なのですが」
アケチは、表面上はホッとしてみせたのだが、でも、内心では、まだ、モヤモヤとした、言いようのない不安を抱いていたのであった。
花園洋子は、玉村二郎の恋人だった。ただの恋仲ではない。父の善太郎も承認した、正式な婚約者なのだ。妙子にとっての荒川庄太郎とは、全然、立場が違うのである。
洋子は、そこまで金持ちの家の人間ではなかったが、それでも、由緒ある家系の血を引いた婦女子だった。だからこそ、善太郎も、息子の二郎との交際を認めたのである。
そして、二郎と洋子の関係は、今のところ、とても良好なのであった。
そんな洋子は、家柄や恋人の経済力に甘える事もなく、しっかりと自立して、普段は、社会にと出て働いていた。雑誌のルポライターの仕事をしていたのである。特に、地方を見聞した旅行記事などを得意としていた。
彼女は、今日もまた、雑誌用の連載エッセイの題材を求めて、トーキョー・シティの人混みの中をぶらつき歩いていたのだ。
ふと、通りを行く彼女の目が、おしゃれなカフェの窓へと留まった。
大きな窓から見えるカフェの店内に、妙子の姿を発見したのだった。その特徴的な美しい顔は、恋人の二郎の妹である妙子に、まず間違いなかった。決して人違いではなかろう。
妙子は、カフェの窓際のテーブルについて、楽しそうに笑っていた。誰かと同席して、くつろいでいた最中みたいなのである。
洋子の立ち位置からは、妙子の同席者の姿も、それなりに観察できた。
若い女性なのだ。それでも、妙子や洋子よりは、少し年上だったみたいである。その女性は、非常に印象に残る黒い洋服を着ていた。顔の方も、なかなか端麗なのである。
ただし、洋子にしてみれば、妙子にこんな艶やかな女友達がいたとは、初めて知った事実なのであった。
妙子の方は、洋子がそばを通り掛かった事には気付いていなかったようだ。それなら、洋子の方も、無理にカフェの中に入っていって、わざわざ、挨拶とかはしない方がよさそうなのである。
洋子は、なんとなく、怪訝な表情を浮かべたのだった。
実際、ここ数日の妙子は、やたらと機嫌が良かったのである。
玉村家の屋敷内で彼女と出会ったアケチ探偵が、さりげなく、彼女に探りを入れてみても、
「ひどいわ。あたしだって、もう子供じゃないのよ。誕生日が近いぐらいで、浮かれたりしないわよ」と言い返されてしまったほどなのだった。
全く、年頃の乙女が相手では、名探偵も、さっぱり、いつもの調子が出ないみたいなのである。
アケチが、コバヤシ青年を連れて、さらに、屋敷内の巡回警備を続けていると、今度は、二郎の部屋のすぐ前で、二郎と花園洋子に出くわしてしまった。どうやら、洋子は二郎に会いに来ていたらしくて、今、帰るところだったみたいなのである。
二人で会っている姿をアケチたちに見られてしまっても、二郎たちは、さほど慌てていた様子でもなかった。それどころか、二郎は、あらためて、洋子のことを、正式にアケチたちにと紹介してくれたのである。洋子も、丁寧に挨拶したのだった。その印象は、アケチたちにとっても、決して悪いものではなかったのだ。
アケチら二人は、すでに、洋子が二郎の恋人である事を知っていたので、こちらの方も、特に狼狽とかはしていなかった。
だが、アケチは、洋子が、どうも、アケチにと何かを話したがっていた感じだったのに、目ざとく、気が付いたのである。
「どうしたのですか?」と、アケチの方から洋子にと尋ねてみた。
「いや。大した事じゃないんだ。でも、洋子が、ちょっと気になっているらしくてさ」二郎が、小さく笑いながら、代わりに答えた。
「どのような話でも構いませんよ。参考にしますので、教えていただけませんか」
アケチにそう言われて、決心がついたのか、洋子は、穏やかに喋り始めたのだった。
「実は、ついさっき、妙子さんが、街のカフェで、女の人と会っているところを見ちゃったんです。妙子さんのお友達を全て把握していた訳ではありませんが、少なくても、その女の人は、私も初めて見た方でした。今って、この屋敷でも、事件とかが起きていて、大変な時期だったのでしょう?そんな悠長に、屋敷の外で、友達と遊んだりしても大丈夫だったのかな、って疑念も感じたりして」
洋子の話を聞いているうちに、アケチの表情が、どんどん変わっていった。
「そうか!なるほど!そう言う事だったのか!」アケチは、閃いたように、大声を出したのだった。
二郎も洋子も、これには、驚いてしまったのである。
「花園さん。情報提供、ありがとうございました。おかげで、分からなかった疑問が一つ解けましたよ」
アケチは、洋子にお礼を言うと、まだピンと来てないコバヤシを連れて、さっさと、この場から駆け去ってしまったのだった。まるで、嵐のような人たちなのである。
さて、残された二郎と洋子だが、彼らは気持ちを切り替えて、あらためて、二人だけの別れの会話に戻る事にしたのだった。
「二郎さん、ごめんなさい。私、また、取材旅行に出かけなくちゃいけないのよ。少なくても、10日以上は会えなくなるだろうと思うわ」寂しそうに、洋子が告げた。
「それが、君が選んだ仕事なんだからね。俺のことは気にせず、安心して行ってこいよ」ここは、二郎も、男気を出したのだった。「で、今回も、旅行中は、いっさい、君とは連絡を取れなくなるんだね?」
「本当に、ごめんね。取材中は、仕事だけに完全に集中したいのよ。自分の日常のことで、心を乱したくないの。でも、トーキョーに戻って来たら、二郎さんに、真っ先に会いに来るわ!」
「分かった。その日を待ってるよ。ところで、今度は、どこへ取材に行くんだっけ?」
「国内よ。九州のS市について、探訪記を書かせてもらうの」
S市と聞いて、二郎は、ふと思い出したのだった。確か、暗黒星のカウントダウンの最初の「10」は、S市の消印がついた手紙だったはずである。それに気づいた途端、二郎の探偵魂が、ひょっこり再燃したのだった。
「ねえ、洋子さん。S市と言えば、どんな町なんだろう?何か、有名なものでも、あったっけ?」
「そのへんを調べる為に、これから、私が取材に行く訳なんだけど。そうねえ。観光場所としては、大牟田家の霊廟とかがあったかしら」
「その霊廟と言うのは?」
「大牟田家は、S市にいた古い豪族なのよ。彼らの一族は、ちょっと変わっていてね、山の中腹を掘り起こして、そこに大きな洞窟を作って、それを自分たちの霊廟にしていたの。大牟田家そのものは、今は廃れてしまい、この霊廟だけが残っているんだけれど、とても壮観な眺めの遺物なので、中に入るのは禁止されているものの、S市の名物にはなっているの。私も、今回、この霊廟を見てくるのを楽しみにしてるんだ」
「霊廟かあ。ねえ、他には?」
「あとは、海賊の朱凌谿の伝説かしら」
「え?朱凌谿って?」
「もう30年ぐらい昔に、アジアの海を中心に、派手に暴れていた大物の海賊よ。この朱凌谿の海賊船が、どうやら、S市の近くの海にまで遠征していたと言われているのよ。S市にはね、この朱凌谿が上陸したと言う伝説まで残っているわ。ねえ、なかなか、ロマンがある話でしょう」
「霊廟に、海賊か」
これだけでは、とても、暗黒星のカウントダウンと関係があるのかどうかも、分からないのである。
「洋子さん。帰ってきたら、S市で仕入れた話を、もっと聞かせておくれよ。それが、もしかすると、今、うちの家族を悩ましている事件を解決する重要なヒントになるかもしれないんだから」
「分かったわ。言われなくても、いっぱい、土産話を持って来るわ。期待して、待っていてね」
そして、二人は、微笑みながら、別れる前の優しい抱擁を交わしたのだった。




