魔人のさいご
コゴローが破れた壁から隣の建物の屋根を見下ろしてみると、青銅の魔人は死んではいなかった。いや、失神もしていなかったのだ。
魔人は、かなりのダメージを受けていたようだが、すぐに、ヨロヨロと、屋根の上で立ち上がったのである。それから、彼は、屋根のはしまで慎重に歩くと、そこから、ゆっくりと地面へと下り始めたのだ。その高さからだったら、安全に地上にまで下りられそうなのだった。
とてもコゴローには敵わないと判断した青銅の魔人は、計画を変更して、さっさと逃げ始めたのだ。
「この野郎!逃がさねえぞ!」
怒鳴りながら、コゴローも、隣の建物の屋根の上に飛び下りようとした。
しかし、瞬時の判断で、彼は、それは止めたのであった。よく見ると、隣の建物の屋根には、青銅の魔人が落ちた時の衝撃で、大きな裂け目ができていたからである。もし、この上に飛び下りようものならば、コゴローの体は、屋根を完全にぶち破いてしまい、建物の中にまで落下していたかもしれない。そんな事になったら、青銅の魔人の追跡どころではないのである。
よって、コゴローは、やむを得ず、きちんと、時計塔内の階段を、1階まで駆け下りたのだった。それは、けっこうな時間のロスにもなったのである。
しかし、それでも、時計塔の1階まで下りて、外に出てみると、ちょうど、援軍を連れたコバヤシ青年とも合流する事ができたのだ。
「コゴローさん!ニジュウ面相は、どうなりました?」コバヤシは、嬉しそうに、コゴローに尋ねた。
「あの野郎は逃げやがった。でも、まだ、そう遠くまでは行ってないはずだ。早く捕まえようぜ!」コゴローは、元気に答えたのである。
コゴローとコバヤシの追跡軍は、さっそく、逃げたニジュウ面相を探す事になった。
相手は、たった今、地上に下りたばかりなのだ。青銅の魔人の扮装ぐらいは脱いでいるかもしれないが、まだ、この屋敷の敷地の外までは逃走できないはずなのである。しかし、相手は、20の顔を持つという変装の名人なのだ。今はどんな姿に化けて、巧みに逃げているかまでは、分からないのであった。
だが、間もなく、どこかから「いたぞー!」と言う声が聞こえてきた。今や、屋敷の警備員が総動員して、ニジュウ面相の行方を追っていたのである。
「見ろ!あの野郎、塀を上って、逃げようとしているぞ!」さらに、そんな怒鳴り声も響き渡った。
コゴローもコバヤシも、声がした方角へと走り出したのだった。
すると、そちらの側にある塀がじょじょに見えてきたのだが、そこには、確かに、青銅の魔人の姿が確認できたのである。
「ほんとだ!あいつ、引き摺り下ろしてくれようか!」コゴローが怒鳴った。
「いや。それ以前に、あの塀のてっぺんには高圧の電気が流れているんです。とても、乗り越える事はできません」コバヤシは言った。
追跡者たちに見られている中、なるほど、青銅の魔人は、塀の一角を懸命によじ上っていたのだった。どうやら、塀の上にと縄でも引っ掛けていたらしく、それを足がかりに、塀を上っているみたいなのだ。
まだまだ、追跡者たちは、魔人の姿を見つけただけで、魔人の足もとにまでは、たどり着いていなかった。コゴローとコバヤシも、急いで走って、向かっている最中なのだ。
そのうち、青銅の魔人の方が、先に、塀の上にまで上り切ってしまったのであった。
「あいつ。この後、どうするつもりなんだろう?」コバヤシが呟いた。
すると、青銅の魔人は、無謀にも、そのままの姿で、塀の上にまで、体を横たわらせたのだった。当然、凄まじい電流が、魔人の体を襲っていた。青銅は、電気を通しやすいのである。
「あああ!何をやってるんだ。そんな強引に突破しようとしたら、感電死しちゃうぞ!」コバヤシが悲鳴をあげた。
「さては、ニジュウ面相め!逃げられないと思って、ついに、ヤケを起こしたか!」コゴローは、おののく様子もなく、豪胆に、そう口にした。
そして、なるようになってしまったのだった。
強力な電流に阻まれて、塀の上ですっかり動けなくなっていた青銅の魔人は、そのまま、高電流を浴び続けたのが良くなかったのか、突然、激しい音を立てて、爆発してしまったのである。
その体は、いくつかの大きなかたまりに分かれ、それらは、塀の内外へと、ボトボトと飛び落ちていった。それは、何とも言えない、青銅の魔人の無残な最後なのであった。
「へっ。ニジュウ面相の断末魔か。どうやら、俺の出番は、これで終わったみたいだな」コゴローは、ニヤリと笑うと、その走る動作も、急に鈍り出したのだった。
「あ!コゴローさん!待ってくださいよ。まだ、これで解決したとは言い切れませんよ。きちんと青銅の魔人の残骸を確認してみなくちゃ!そんなあ、こんなところで休まないでくださいよ!」コバヤシが、慌てて、言った。
だが、どうやら、もう間に合わなかったようなのであった。
安心したらしきコゴローは、走るのが遅くなっただけではなく、その場にと立ち止まった。どうも、気が抜けてしまったらしく、彼は目をつぶっているのである。そればかりか、本気で眠ってしまったみたいなのだ。
コゴローの体が、だらしなく、地面に横たわった。もはや、テコでも動きそうにはないのである。コゴローは、あるいは、アケチ探偵は、すっかり、安堵の表情になって、そこで眠っていたのだった。
「もう!コゴローさんだったら、いつも、こうなんだから!」コバヤシは、そうグチりながら、大きく顔をしかめたのであった。
同じ頃、青銅の魔人が爆発した塀ののちょうど外側の路上にも、一人の人物が立っていた。道化師の格好をした魔術師である。
ほんのすぐ近くの地面に、青銅の魔人の亡骸の一部である左腕がポトリと落ちると、魔術師は、ニンマリと、いやらしく微笑んだ。
「ニジュウ面相よ。おぬしの華麗なる脱出ショー、しかと拝見させてもらったぞ。おぬしこそは、暗黒星で一番のエンターテイナーだ」魔術師は呟いたのだった。
そう。やはり、ニジュウ面相は、こんな事では死んではいなかったのだ。
たった今、大爆発を起こした青銅の魔人は、中にガラクタを詰め込んだだけのオトリの人形だった。ニジュウ面相は、事前に、こんなものまで用意して、今回の犯行に臨んでいたのである。そして、この人形を、ずっと、ここの塀のそばにと置いて、待機させていたのだ。
なぜ、玉村邸内の警備員たちに、この人形が見つからなかったのかと言うと、屋敷内の警備配置が変わって、別の場所の警備の人数を増やした反面、逆に、電流でがっちり守られた塀のそばは要注意の警戒区域からは外されて、近くに全く見張りがいなかったからだった。玉村邸の警備チームは、完全に裏をかかれた訳である。
同じように、塀の外にも、番兵は、ほとんど立っていなかった。だから、魔術師も、こうやって、堂々と、塀のすぐそばの道路に構えていられたのである。
魔術師も、ニジュウ面相から、ある手伝いを頼まれていた。オトリの人形は、絶縁体でできたロープと結び付けられていて、そのロープは、塀の頂上を超えて、塀の外まで伸びていたのだが、そのロープを魔術師は引っ張ったのだった。すると、地面に置かれていたオトリ人形は、自然と、塀を上りだすと言う寸法だったのだ。このオトリの青銅の魔人は、自力で、塀をよじ上っていたのではなかったのである。そして、塀のてっぺんで、オトリ人形が電気で爆発してしまうと、証拠隠滅とばかりに、ロープだけを引き寄せて、魔術師が回収してしまったのだった。
こうやって、玉村邸の連中が、ハデに動いているオトリ人形にと目を奪われているうちに、本物のニジュウ面相は、まんまと、別のルートから、屋敷の外へと逃走してしまったのである。
この余りに見事な脱出劇に、魔術師はすっかり感無量になってしまったのか、どうしても、その感動を体で表現したくなったらしくて、彼は、その場で、突然、脈絡もなく、舞い始めた。
それは、サーカスの演目の一つであるピエロのダンスだった。滑稽な振り付けだが、たいへん軽やかで、美しく、優雅な踊りなのだ。その舞踏を、誰も見ている者はいないと言うのに、魔術師は、アスファルトの広い道路の上で、静かに、鮮やかに披露し続けたのだった。
最後まで踊り終えると、魔術師は、ニヤリと笑って、大げさなポーズとともに、一礼をしてみせた。礼を捧げる観客などは、そこには、一人もいなかったのに。
それは、本当に、まさに奇妙な光景でもあった。




