メビウスの塀
翌日の昼間。とても天気の良い日であった。
この日、アケチ探偵とコバヤシ助手は、玉村邸の塀のすぐそばの一角にと佇んでいた。アケチは、頑丈なコンクリートの塀にと寄りかかって、涼しい表情を浮かべている。
「コバヤシくん。君は、メビウスの輪を知っているかい?」アケチは、楽しそうに、コバヤシに尋ねた。
「はい。何となくですが」と、コバヤシ。
「メビウスの輪とは、輪の表の面と裏の面が繋がっていて、裏表が一つになってしまった輪のことだ。例えばの話だよ。もし、この塀がメビウスの輪と同じ構造で出来ていたとしたら、どうなると思う?」
「え?まさか?」
「だから、例えばの話さ。もし、この塀がメビウスの輪だったら、こうやって、塀の横にピタリと寄り添って、そのまま、塀と並んで、歩いていけば、いつの間にか、塀の外にいたのが、塀の内側に移動してしまうって事もありうるんじゃないのかな」
「不審者は、そうやって、屋敷の敷地の内側に入ったとでも?いやあ、それは、さすがに発想が突飛すぎますよ」
「もちろん、確かに、そんな筈はないだろうね。でも、犯人が何らかの手段を使って、いつも、この屋敷に侵入しているのは事実だ。それは、あるいは、メビウスの輪よりも、もっと意外な方法なのかもしれない。要は、全ての可能性を疑え、と言う事さ」
コバヤシは、師の教えを真剣に聞き入っているのだ。
「だが、この遠大な塀を完全に調べ尽くすには、今はまだ、あまりにも手がかりが少なすぎる。いずれは、必要なだけの情報さえ揃えば、犯人の侵入経路だって、自ずと発見できるだろう。まあ、そんな訳だから、まずは、ある程度の目星がついた時計塔の方から、謎を明かしていく事にしようか」
「はい、先生」
二人は、こんな野外でくつろぐのは止めて、ゆっくりと時計塔の方むけて歩き出したのだった。
数十分後、アケチとコバヤシの二人は、時計塔の中にいた。
これまで、善太郎の思惑やナカムラ警部の独占などがあって、アケチたちは、なかなか、時計塔の調査ができなかったのだが、この度、二郎を時計の針の罠から救った功績もあって、ようやく、二人だけで存分に時計塔の内部を調べさせてもらえる事になったのである。
彼らが一番気にかけていた場所は、やはり、最上階の機械室だった。この部屋には、二人は、一度だけ入った事があったが、その時は、二郎の救済に夢中だった為、十分に部屋の中を観察する事ができなかったのである。
だからこそ、今回は、アケチとコバヤシは、一直線に、機械室へと向かったのだった。
その部屋は、以前に二郎を助けた後の、壊れたままの状態であった。電源が切られていて、外の大時計はすっかり停止している。丸窓や、外にある時計の長針だって、破損された状況で放置されていたのだ。そもそも、これらの派手な破壊は、アケチ探偵が行なったものだったのだが、人命救助という、やむを得ない事情があった訳だし、時計塔の持ち主である善太郎も、あえて、アケチを訴える事もなかったのだった。
そして、今、アケチは、この事件現場にと戻ってきたのである。
「さて、いよいよ、この問題の機械室を調べさせてもらうか。これまで収集した情報と照らし合わせてみても、この機械室が、もっとも怪しい。どうだい、コバヤシくん。君はどう思う?」アケチは、コバヤシに話しかけた。
「ぼくも同じ意見です。時計塔の頂上に現われた怪人たちは、皆が駆けつける前に、いつも、どこかで消えてしまいました。時計塔の外まで逃げるよりも、時計塔の中にいるうちに姿をくらました方が、はるかに他人には見つかりにくい感じがします」
「うん。いいぞ、いいぞ。確かに、そう考えるのが無難だ。で、次は、どう推理する?」
実は、アケチ自身は、ある程度、謎が解けていたらしいのだが、それでも、あえて、コバヤシの訓練の為に、わざと彼に推理させているようなのだった。
「ぼくたちは、以前、この塔へは、5階までは調査の為に上ってみました。しかし、その時は、怪しい部分は何一つ、見つかりませんでした。だとすれば、残るは、この機械室だけとなります」
「でも、僕たちは調べていなくても、ナカムラさんたちは、この機械室だって、何度も足を踏み入れて、隅々まで調査したはずだ。警察でも見つけ出せなかったのに、本当に、この機械室に、何かの秘密があるのかな?」
「だから、今度は、その一筋縄でいかない謎に、ぼくたちが挑戦してみるのです」
コバヤシの頼もしげな発言を、アケチは、ニコニコしながら、聞いていたのだった。
「では、調査を始めてごらん。僕は口を挟まないよ」アケチは言った。
言われるまでもなく、コバヤシは、この機械室の内部の観察を開始したのである。
「下の5階までと比べて、この機械室のスペースは、やや狭いような印象を受けます」と、コバヤシ。
「よく気付いたね。その通りだ。この機械室は、内部に、歯車や心棒などが、いっぱい散らばっている為、目の錯覚に過ぎないようにも勘違いしやすいが、ほんとは、実際に、下の階と比べて、一回り小さいようだ。その原因は、正面の壁には時計の文字盤が、奥の壁には、時計を動かす電動装置が内蔵されているからだ、と考えられる」
「なるほど。そうなのですね。え?でも、だとすれば、この部屋は、左右へと横方向に長い、長方形になるはずなのでは?しかし、目の錯覚なんかではなく、この部屋は正方形のように感じられます」
「その通りだ。この機械室は、確かに、正方形なのさ。それが何を意味しているのか、コバヤシくんも、探偵見習いなら、もちろん、すぐに分かるね?」
アケチの言葉と同時に、コバヤシは、すでに、部屋の横の壁の方へと向かっていたのだった。
「はじめから疑ってかからないと、こんな事実には絶対に気が付かないだろう。この機械室を調べた警察の調査班が、このカラクリを見落としたのは、その為さ。たとえ、オカシイと疑問を抱いても、警察としては、しっかりした根拠がなければ、壁を壊してまでして、調べるような事はできない。そして、この秘密は、思い切って、壁をぶち抜きでもしなければ、第三者には、とうてい見つけられないようなものだったんだ」
「まさに、そうみたいです。ここまで分かっていながら、この壁だけを調べても、やはり、何の不審点も見つかりません。必ず、ここに秘密があるに違いないはずなのに。悔しいなあ。一体、どうなってるんだろう」壁を丹念に調べ続けているコバヤシが、呟いた。
「恐らく、この秘密を知っている者にしか見分けられないような仕掛けがあるんだよ。あとは、この謎の細工を、なんとか自力で探し出すか、あるいは、秘密を知っている者から直に聞き出すまでだ」
だが、その時だった。
「アケチくん。さすがです。よく、そこまで見破りましたね」
コバヤシが調べていた側とは反対の壁の方から、そんな声が聞こえてきたのである。その声は、アケチやコバヤシにとっても、聞き慣れた男の声だった。
アケチとコバヤシは、すぐに、その声の方に振り返った。
そこには、一人の怪人物が佇んでいた。黒いマスクに、黒い服、黒いインバネスコートを羽織って、実に全身が黒ずくめと言う謎の男だ。
「ニジュウ面相!いつから、そこに居たんだ?」驚きをおさえながら、アケチは叫んだ。
「アケチくん。お久しぶりです。こうして、君と再会できて、私も大変に光栄です」黒いマスクの男、すなわち、ニジュウ面相も、あくまで丁寧に、しかし、ふてぶてしく、挨拶を返したのだった。
ここに、頂点に立つ二人のライバルが、いよいよ、宿命のご対面を果たしたのである。




