暗黒サーカス開幕!
探偵事務所の前でタクシーを拾ったアケチ探偵とコバヤシ助手は、そのタクシーに乗り込み、急いで、M町へと向かっていた。
アケチは、その身分をタクシー運転手にも明かして、多少のムチャをしても構わないから、全速力で目的地に向かうようにと、運転手へ促したのである。この運転手の方も、話の分かる人物であり、二つ返事で、アケチの要求に応じたのだった。
最初こそ、タクシーは順調に進んでいた。若干は法定速度もオーバーして、ぐんぐん前進していたのである。この調子ならば、Z曲馬団の開演前にはギリギリ到着しそうな希望も湧いてきた。
ところが、そこで、運命のいたずらが起きたのだった。タクシーは、ちょうど、都内のど真ん中あたりで、渋滞に巻き込まれてしまったのである。普通の渋滞ならば、ノロノロとでも少しずつ先へと進めて、いつかは、その渋滞からも抜け出す事ができたであろう。だが、この時の渋滞は、完全に車が止まってしまったのだった。
「何をしているんだい、運転手さん。もう、1時5分前だ。サーカスが始まっちゃうじゃないか!この渋滞は、一体、どうなっているんだ」アケチが、イラつきながら、運転手に文句を言った。
運転手は、タクシー無線で、なにか連絡を受け取ったようだった。
「仕方ありませんよ、お客さん。普段は、この道は、ここまで混むはずはないんです。でも、今確認したら、少し先の地点で交通事故が起きたらしいです。こりゃあ、道路が閉鎖されて、しばらくは動けないかも知れませんよ」運転手は、落ち着いて、そう答えたのだった。
「待ってくれよ。横道から抜け出す事もできないのかい?」アケチが、慌てて、聞いた。
「見てごらんなさい。前も後ろも車でビッシリです。申し訳ないですが、どうしようもないですね」運転手がお手上げしてみせたのだった。
全く、なんてタイミングの悪さなのであろうか。こんな時に、交通事故の現場に巻き込まれるなんて、まるで、天までもが、暗黒星の味方をしているみたいなのだ。
「どうしましょう、先生」オロオロしながら、コバヤシ青年がアケチに尋ねた。
「まだ、望みが無いわけでもないさ」と、アケチ。
「と言いますと?」
「あれだ」
アケチ探偵は、タクシーの窓から見える、歩道の端にあったものを指さした。それは、貸し出し用の電動キックボードのコーナーだった。まだ使用可能なキックボードがいっぱい並んでいたのである。
「あれを使うと言うのですか」コバヤシは言った。
「そうだ。ここでジッと待っているよりは、マシだろう?」
「でも、M町までは、まだ5キロ以上ありますよ」
「たとえ、何キロあろうと、今は前に進むしかない。僕は先に行くよ」そう言って、アケチ探偵は、さっさと、このタクシーから飛び降りたのだった。
彼は、残りの道のりを、本気で、こんなキックボードで移動しようと考えているらしいのである。確かに、これならば、渋滞を避けて、移動も可能だろうし、自分の足で走るよりも、はるかに早くて、疲れないには違いないのだ。
「ああ。待ってくださいよ!」コバヤシ青年も、慌てて、運転手にこれまでの料金を支払うと、すぐにタクシーから降車したのだった。
Z曲馬団の会場では、着々と、開演の準備が進んでいた。
中央の丸いステージを取り囲む、大きな円形の客席も、すでに、全席が満員になっているのだ。この客席を埋め尽くしていた大勢の客人たちは、実は、全てが本物のただの観客だった。彼らは、Z曲馬団の宣伝ビラを見て、事前に予約をして、このサーカスを観にきた正真正銘の一般人だったのである。
だから、彼らは、このサーカスが、悪人たちが主催していたものだったとは、つゆとも知らなかった。これから、どんな恐ろしい事が起きるのかも、全く分かっていなかったのである。ゆえにこそ、彼らは、ただ普通に、面白いサーカスが始まる事だけを楽しみにして、大いにどよめいていたのだった。
中央のステージでは、最初のショーを始める段取りが、じょじょに整いつつあった。
最初に披露されるショーとは、もちろん、オープニング企画の「猛獣大格闘」だ。その為の準備として、ついに、大きな檻が二つ、ステージの方に運搬されて、観客たちの前にお披露目されたのである。
どちらの檻の上にも、大きな幕がかけられており、中が見えないようになっていた。この二つの檻は、きちんと対峙するように、ステージのちょうど端と端とに置かれたのである。
この檻の中に、それぞれ、虎と熊が入っているのに違いあるまい。説明では、この二匹の猛獣は、ただのアニマトロニクス(動物型ロボット)に過ぎないはずなのに、まるで、本物の野獣でも扱っているかのような演出なのである。しかし、それが、観客たちの気持ちを、さらにワクワクさせ、興奮させたのも事実なのであった。
ついに、開幕の時間の午後1時がやって来た。
舞台裏に続く入り口からは、サーカス団長の大山ヘンリーが現われて、ステージの中央へ向かって、さっそうと歩いていった。周囲の客席は、割れんばかりの拍手喝采となったのである。大山ヘンリーの方も、その拍手に気を良くして、手を振りながら、ステージの中央にと到着したのだ。
そこで彼は立ち止まった。そして、威厳に満ちた態度で、グルリと全方向を見渡したのである。
「観客の皆さん!ようこそ、我がZ曲馬団の公演へ!団長である私、大山ヘンリーをはじめ、サーカス団員一同で、皆さんを大いに歓迎いたします」彼は、大声で言い放った。
いよいよ、このZ曲馬団も幕開きとなったのだ。団長による開演宣言が始まったのである。
次の瞬間、この会場テントの上の方で、ばあっと何かが広がった。
見上げてみると、天井から、大きな垂れ幕が下りてきたのである。それは旗だった。恐らくは、Z曲馬団のシンボルの旗が、はるか頭上にと掲げられたのだ。
その旗に描かれたマークは、たいへん奇妙なものであった。黒い放射状の線が、中心から何十筋も周囲にと広がっているのである。まるで、黒い太陽が輝いているかのような図案なのだ。
きっと、読者の皆さんは、このマークのことを、まだ覚えておられるであろう。そうなのだ。このマークこそは、悪の結社・暗黒星の組織マークだったのである。
ところが、この会場に集まっていた観客たちは、ほぼ誰も、その事に気付いていなかったのだった。暗黒星が世を騒がせてから、すでに半年近くが立っている。多くの人は、もう、彼らの事など、忘れ掛けていたのだ。それに、まさか、こんな楽しいサーカスの会場で、悪の暗黒星にお目にかかるとは思ってもいなかったので、何となく思い出した人も、あえて、その連想を拒絶してしまったようなのだった。
「さあ、皆さん。これより、このステージにて、Z曲馬団最初にして最大の見世物を披露したいと思います。その名も、『猛獣大格闘』!どう猛な虎と巨大な熊が、どちらかが死ぬまで殺し合うのです!まさに、喰うか喰われるかの大血戦です!これを直に目にする事ができる皆さんは、本当に幸せ者だと言えるでしょう。これこそは、世界でも、もはや、一度っきりの凄まじいイベントなのであります。皆さんにとっても、必ずや、一生涯、忘れる事のない経験となる事でありましょう!それでは、いざ、ショータイム!」
大山ヘンリーは、実は悪意に満ちていた目をギラギラと光らせながら、宣言したのだった。