道化師の悲しみ
警察本署の AI解析班では、今、魔術師の前身である奥村源造の顔写真の加工が進められていた。
CG の機能によって、その写真の顔は、どんどん、老化していくのだ。ついには、その顔には、30年もの齢が加算されてしまったのである。
その出来上がった写真を見て、パソコンをいじっていた技師は、あっと驚いた。なぜなら、30歳老いた奥村源造の顔は、手元にあったサーカスのチラシ内のZ曲馬団の団長の顔と、ほぼ完全に一致してしまったからである。
その頃、Z曲馬団のテント会場の裏側では、開演直前の最後の追い込みが行なわれていた。
この大サーカス団の団長は、確かに、奥村源造こと凶賊の魔術師で間違いなかった。彼は、ここでは、Z曲馬団の団長・大山ヘンリーを名乗っていたのだ。そして、彼のことは、サーカスの従業員たちすらも、本気で、大山ヘンリーなる人物だと思い込んでいたのだった。
魔術師の方も、すっかり、大山ヘンリーに成りきっていて、久しぶりのサーカス公演の切り盛りに、腕をふるっていたのである。彼は、もともと、裏の顔は犯罪王でも、表の職業は本物のサーカス主催者でもあったからだ。
このサーカスのテント内で、彼の本性を知る者は、暗黒星のメンバーのみであった。しかし、奇抜な容姿をしていた暗黒星の犯罪者たちも、この夢のようなサーカス空間の中に紛れ込んでしまうと、不思議と、その正体を誰にも悟られはしなかったのだった。
座長の部屋で、最後の確認を行なっていた魔術師のもとに、ジゴクの道化師が訪れた。彼女の方は、普段のピエロの化粧と衣装のままなのである。
「父上。フミヨの方の準備も整ったわ」彼女は報告した。
「娘よ。ご苦労だった」魔術師も、満足げに、言葉を返したのだった。
ジゴクの道化師は、すぐには立ち去ろうとはしなかった。
「いよいよ、フミヨの血祭りが始まるのね」ソワソワしながら、彼女は言った。
「その通りだ。このサーカスは、まさに、あの子の為だけの公演なのだよ」
魔術師のこの一言に、ジゴクの道化師は、少し不服げな表情を浮かべたのだった。
「違うわ。このサーカスは、あたし達のサーカスよ。あたしがあの女を捕まえて来て、父上が取り仕切る、最高のショータイムでしょう?」
「うんうん。おぬしの言う通りだ」
魔術師に同意されて、ジゴクの道化師の表情もやや和らいだのだった。
「おお、そうだ。娘よ、おぬしも、今日だけは、そのピエロの化粧を拭い落とすがよい」突然、魔術師は言った。
「え?どうして?」
「素顔になって、私の助手を務め、私の横に立つのだ。フミヨの最後の瞬間も、特等席で見る事ができるぞ」
「でも、あたしは、父上のもとに戻った時に、過去を捨てたのよ。これからは、このピエロの顔で生涯を過ごそうと、心に誓ったのに」
「まあ、良いではないか。今日は、私のかつての娘のフミヨの晴れ舞台なのだ。彼女の為に用意した特別なステージだ。彼女の素晴らしい死を、皆で、大いに祝ってあげようではないか。私も、公演中におぬしに横にいてもらえたら、フミヨとともにサーカス公演していた頃を思い出せて、ワクワクしそうなのだよ」
魔術師が饒舌に喋っているのを聞いていて、ジゴクの道化師は、次第に不機嫌になりだしたのだった。
「あたし、もう行くわ!」
キツい口調で、そう言い捨てると、彼女は、魔術師に背を向けて、一方的に部屋を出ていった。
魔術師のもとを去り、サーカスの舞台裏を歩いていた途中も、ジゴクの道化師は、やたらと、ご機嫌ななめな様子なのだった。
「何よ、フミヨ、フミヨって!もう、父上ったら、どうかしてるわ。主役はあたし達なのよ。なぜ、あの女の話ばかりをするのよ。あの女は、ただのイケニエでしょ」
彼女は、うつむいて、そんな事をブツブツと呟き続けていたのである。その彼女は、突如、ハッとして、立ち止まった。
と言うのも、彼女の進行方向に、一人の男が立ち塞がっていたからである。背の高い、ケダモノのような顔をしたそいつは、人間ヒョウであった。彼もまた、このサーカスの空間に紛れ込んでしまえば、ただの獣人の扮装をした役者にしか見られなかったのだ。
もっとも、こいつの正体を知っているジゴクの道化師は、少しビビった反応を取ってしまったのである。
「おい、何だよ。オレ達は仲間だろう?そんな怖がるなよ」ジゴクの道化師を見ながら、人間ヒョウは、イヤらしく笑った。
「あんたとの同盟関係は、もう終わったはずよ」と、ジゴクの道化師。
「そうかも知れねえ。でも、オレ様の方は、十分に満足してねえんだよ。やい、てめえ。最後の最後まで、捕まえたフミヨを、オレ様の前から隠していやがったな」
「だから、どうしたのよ。フミヨは、間もなく死ぬわ。最高にブザマで、惨めな方法でね。あんたの出番は、もう無いのよ」
「うるせえ。オレ様だって、殺しちまう前に、フミヨと遊びたかったんだよ。オレ様の悔しい気持ちが、てめえに分かるかよ」
人間ヒョウと喋っているうちに、ジゴクの道化師は、またもや、カチンとぶち切れたのだった。
「もう!どうして、皆、フミヨの事ばっかり話すの!あんな女のどこがいいのよ!いい加減にしてよ!」彼女は、ヒステリックにわめいた。
そんな彼女の方に、人間ヒョウはぬうっと体を突き出したのである。
「オレ様は、別に、てめえと寝てもいいんだぜ。同じ顔をしていても、フミヨと比べたら、格段と落ちそうだがな。どうだ、フミヨの代わりに、付き合うか?」
どんなに強がっていても、ジゴクの道化師も、根はか弱い娘には違いないのである。こんな風に、人間ヒョウに本気で迫られると、さすがに、うろたえた表情になったのだった。
その時、二人の間に、割って入る者が現われた。小さな怪人・一寸法師である。彼は、ナイフを片手に構え、ジゴクの道化師をかばうように、その盾となったのだ。
「やい、人間ヒョウ!ねーちゃんが嫌がってるだろ!やめろよ!やめないなら、おいらが相手になってやるぜ!」
見たところ、一寸法師は、ただ、ジゴクの道化師を守ろうとしていたのではなく、殺し合いをすること自体を自ら望み、面白がっているような雰囲気なのである。彼は、口の中で、「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時」と、何やら、般若心経らしき念仏を唱え始めていた。そう、これこそは、一寸法師が相手に襲いかかる際の合図でもあったのだ。
そして、これには、さしもの人間ヒョウもたじろいで、つい後退したのだった。
「人殺しをむしろ快楽とする、無邪気な怪物って訳か。ふん、ジゴクの道化師め、てめえ、いい用心棒を手なづけたものだな」人間ヒョウが、吐き捨てるように言った。
「進一は、そんなものじゃないわ!」
ジゴクの道化師も、怒りながら、そう捨てゼリフを吐くと、素早く、人間ヒョウに背を向けて、別の方角に歩き出したのだった。その後ろ姿を、一寸法師も、慌てて、追い掛けたのである。
そのあと、ジゴクの道化師はと言えば、実は、M町にある小高い丘の上にやって来ていた。丘の眼下には、あのZ曲馬団のテントも見えるのだ。
ジゴクの道化師は、悲しそうに、草むらの上に座り込んでいた。そのそばでは、一寸法師が、不思議そうに、チョロチョロとしていたのだった。
「ねーちゃん。もうすぐ、サーカスが始まるよ。見に行かないのかい?ねーちゃんが、一番、楽しみにしてたんじゃなかったのかい?」オロオロしながら、一寸法師は、ジゴクの道化師にと聞いていた。
しかし、ジゴクの道化師は、どこかボッとしていて、一寸法師の声も届いていないようなのだった。それどころか、彼女は、涙も流していたのである。そのピエロの顔の頬に、不釣合いの涙が落ちていった。
ジゴクの道化師は、いつしか、童謡の「赤とんぼ」を歌い始めた。その物悲しい歌声は、彼女の今の心情を代弁するように、周囲の澄んだ空気にと広がったのだった。