黄金豹
こんな単純な落とし穴にハマってしまうなんて、アケチらしからぬ失態であった。
しかし、今のアケチは、かなり焦っていて、切羽詰まっていた。そこに、突然の黒トカゲの出現というサプライズがあったものだから、ますます、用心が欠けてしまったようなのであった。
地下へと消えていったアケチの姿を見送りながら、部屋の奥にいた黒トカゲとネコむすめの二人は、楽しそうに、微笑んでいた。
「ねえ!言われたように、やったよ!どうだった?」ネコむすめは、目をクリクリさせながら、黒トカゲへと返事を求めた。
「お見事よ!よく、この初仕事をこなしたわね。素晴らしいわ」と、黒トカゲも、ニコニコしながら、ネコむすめの事を褒めて、その頭を撫でたのだった。
アケチは、まんまと、彼女たちのトラップに引っ掛かってしまったのである。先に、ネコむすめが、何事もなく、床の上を渡ったものだから、ますます、アケチは、この落とし穴の罠を見落としてしまったのだろう。しかし、この落とし穴の入り口は、一定の重さ以上になると反応する仕掛けだったのだ。ネコむすめの体重ならば開かないが、アケチの重さだと発動するような仕組みになっていたのである。
「あのおじさん、どうなるの?ねえ、どうなるの?」さらに、ネコむすめは、がっつくように、黒トカゲへと尋ね続けた。
「ボクたちの仕事は、これでおしまいよ。すみやかに立ち去る事にしましょう。あとは、地下にいる”彼”にと、全て、お任せするわ。これからは、男二人だけで楽しむ、大人の時間よ」黒トカゲは、妖しく笑ったのだった。
さて、他方のアケチ探偵は、4メートル近い高さを一気に落ちてしまった訳なのだが、その着地点には、都合よく、マットレスが敷いてあったので、大したダメージも受けずに済んだのであった。せいぜい、激しく、尻もちをついた程度なのだ。
彼が落ちた場所は、暗い地下室の中だった。いや、けっこう広い空間だったので、倉庫と呼んだ方がよかったかも知れない。そこには、家具らしいものが見当たらない代わりに、いかにも倉庫っぽく、大きな木箱が縦積みにされて、室内の各所にとそびえていたのだ。
とりあえず、立ち上がったアケチ探偵は、たった今の自分のヘマを苦笑しつつも、それでも、すぐに気を引き締めて、自分の周囲を見渡したのだった。
やや暗過ぎるらしくて、この状態では、ボッとしか、周りの様子を確認できなかった。彼は、機敏に判断して、携帯していた懐中電灯をつけてみる事にしたのである。
アケチは、背広のポケットに手を突っ込んでみたが、その時、ハッとしたのだった。
無いのだ。ペンライトは見つかったものの、一緒にポケットに入れてあったはずの拳銃が見当たらないのである。見つからなかったものは、それだけではなかった。携帯電話も、いつの間にか、ポケットの中からは消えてしまっていたのである。
アケチは、自分の体のあちこちを探してみたが、やはり、拳銃とスマホだけが発見できなかった。そこで、彼もピンときたのだ。
「そうか、あの時か!しまった、やられたな」彼は舌打ちした。
拳銃とスマホは、明らかに、誰かに取られたのだ。洋館に入る前には確実にあったので、盗まれたとすれば、洋館に来た後、落とし穴にハマるまでの時間、という事になるだろう。とすれば、考えられる盗人は、あのネコむすめしか居ないのだ。彼女は、スリの名人の黒トカゲのことを「ママ」などと呼んでいた。だったら、娘のネコむすめも、当然、スリの技術を持っていてもオカシクはないのである。
アケチとしては、これは、ちょっとマズい状態になってきた。拳銃なしでは、現状のままで敵と戦うのは大変に不利だし、スマホが無ければ、外部に自分の居場所を知らせる事もできないのである。ちなみに、アケチは、GPS のついた機器はスマホしか所持していなかった。
ともあれ、反省するのは後回しだ。ひとまず、アケチはペンライトをつけて、周囲を照らそうとした。
すると、それを制止する声が聞こえて来たのであった。
「光を灯すのはおヤメなさい。せっかくのムードが壊れてしまいます」
それは、若い男の声だった。アケチ探偵も、聞き馴染みのある声なのだ。
彼は、サッと、声がした方に目を向けた。そこには、案の定、縦積みの木箱に寄っかかって、一人の男が佇んでいたのだった。そいつは、鳥打帽に黒マントという、すっかり恒例となった扮装をしていた。ただし、背はそこまで高くもないのだ。
「ほう。お前は、ニジュウ面相だな。このアジトのボスは、てっきり、人間ヒョウかと思っていたよ」アケチは、挑発的な態度で、相手に言い放った。
「人間ヒョウくんの方が良かったですか?」鳥打帽の人物、すなわち、ニジュウ面相も、飄々とした態度で、言い返したのだった。
「まあ、どっちでも変わらないよ。黒トカゲの奴も潜んでいたし、この館は、ネコやしきかと思っていたけど、実は、とんだ伏魔殿だった訳だな」
「アケチくんらしい発言ですね。どうやら、このピンチの状態でも、あまり慌ててはいませんね?いつ頃から、これが罠だと気が付きましたか?」
「まあ、思い返せば、最初の情報源の主婦から、おかしいと言えば、おかしかったんだけどね。あの主婦たちも、本当は、お前らが用意したサクラだったんだろう?」
「その通りです。こうも簡単に、引っ掛かってくれるとは思いませんでしたけどね」
「こんな罠を張っていたと言う事は、さては、僕の捜索の方も、だいぶイイ線を行っていて、今のうちに妨害しておこうって話になったのかな」
アケチのさりげない言葉を聞いて、ニジュウ面相も、急に、ムッとした態度にと変わったのだった。
「どうやら、君をここにおびき寄せる策略は、正解だったらしいですね」
「おや、図星か。だったら、僕も、あっさり、お前らに屈したりはしないよ。むしろ、ニジュウ面相、お前をとっ捕まえて、逆にフミヨの居場所を吐かせてやる!だって、フミヨが居なくなったのも、どうせ、お前らの仕業だったんだろうからな」
アケチ探偵とニジュウ面相は、どちらも一歩も譲らず、鋭く睨み合った。そして、ここに、二人の宿敵が、再び相見え、正面から衝突する事になったのである。
「さあ、どうする、ニジュウ面相。また何かに化けて、僕に襲い掛かってくるつもりかい?」アケチが怒鳴った。
「もちろんです。先ほど、君は、人間ヒョウくんの事を口にしましたね。でしたら、彼に会わせてあげましょう。もっとも、私が変身する、特別な人間豹ですけどね」
そう言いながら、ニジュウ面相は、身につけていた鳥打帽と黒マントを、バッと取り払ったのだった。
その中から出てきた、ニジュウ面相の第二の姿を見て、アケチはウッと身構えたのである。
と言うのも、ニジュウ面相は、一瞬にして、本物そっくりの野獣に早変わりしてしまったからだ。それも、大人の豹なのである。確かに、彼の申告どおり、これは人間豹なのだ。しかも、ただの豹ではなかった。その全身は、金色に光っていたのである。恐らくは、豹の変身スーツの表面に夜光塗料でも塗っていたのだろうが、とにかく、その事によって、この地下の暗闇の中で、ニジュウ面相の人間豹だけが、明るく目立ち、存在感を出していたのだった。
「いかがです!私は、リアルな猛獣にだって変身できるのですよ。しかし、ただの野獣では面白くありません。そこで、私は、千年を生きた魔性の豹、黄金豹にと変わったのです!ふふふ。人間ヒョウくんなんかよりも、ずっと手強い相手だとは思いませんか」
豹の姿になったニジュウ面相は、得意げに笑ったのだった。全く、人語を喋る豹なんて、まさに、魔性の化け物に違いないのである。
「さあ、アケチくん。これぞ、喰うか喰われるかです!さっそく、人間対猛獣の大勝負を始めましょうか!」続けざま、ニジュウ面相は、戦闘開始を宣言したのだった。