フミヨはいずこ?
タカキ町の殺人事件については、ここにきて、再び行き詰まる事となった。
死体の身元である北園竜子の経歴は分かったものの、彼女が殺された理由はまるで見つからなかったからである。せいぜい判明したのは、死ぬ前の竜子がフミヨと接触していたらしいと言う事だけだった。その為、アケチ探偵の陰謀説を差し置いて、フミヨが竜子を殺したのではないかと言う疑いまで浮上してきたのだ。
フミヨに殺人容疑がかけられるなんて、とんでもない話なのである。その点でも、濡れ衣を晴らす目的で、蒸発したフミヨを見つけ出す事は緊急の課題となってきたのだった。
本来、アケチは「足の探偵」などではなかった。それなのに、今回の事件に関しては、アケチもまた、ナカムラ警部と一緒に、あてもない聞き込み捜査にと手をつけたのであった。
そこまで、有力な手がかりが無かったのだとも言える。同時に、身内の危機に対して、アケチがそうとう焦って、本当に困っていたらしき状況も伺えるのだ。
もちろん、この広いトーキョー内で、やみくもな捜査をしたところで、すぐに欲しい情報が手に入るはずもなかった。しかし、それでも、そのような手段に訴えるしか無かったほど、今のアケチ探偵は追い詰められていたようなのである。
日にちは、無駄に、どんどんと過ぎて行った。アケチ探偵は、今日もまた、他の仕事依頼は全て後回しにして、フミヨの手がかりを求めて、都内のあちこちを歩き回っていたのだった。
この日は、ナカムラ警部も同行してくれていた。日差しの強い一日であった。アケチとナカムラの二人は、連れ立って、都内の雑踏の中を歩いていたのである。
ふと、前進するアケチの目先に、一枚の紙切れが差し出された。アケチは、ハッとして、立ち止まった。
それは、チラシであった。道端に立ったバイトの配布員が、相手が名探偵だとも気が付かずに、普通に、チラシを配ってきたのである。少し上の空だったアケチの方も、すんなりと、そのチラシを受け取ってしまったのだった。
「何のチラシだね?」と、ナカムラ警部が覗き込んできた。
そのチラシには、サーカスのトーキョー興行の予告が書かれていた。「Z曲馬団」と記されている。
「ほう。このサーカスの事は、他でも見たよ。大々的に宣伝しているようだね。聞きなれない名前だが、立ち上げたばかりなのかな?初公演は、来週からだったっけ?」ナカムラが呑気に言った。
「はあ」アケチは、つれない返事をした。今の彼には、サーカスなどに心を奪われている余裕は無かったのである。
「おや。どうかしたかね」アケチの様子を見て、ナカムラが尋ねた。
「いえ、何でもありません。ただ・・・」
アケチは、ぼんやりと、サーカスのチラシを眺めていたのだった。どこか、気になったようなのだ。しかし、それが何なのかは、自分でもピンときていないらしいのである。
「さあ、フミヨさんの捜索に戻るとしよう。なあに、彼女が見つかって、何事もなく解決すれば、その時は、一緒に、このサーカスへでも行って、楽しんできたらいいさ」
「そうですね」
腑に落ちないながらも、アケチも、ナカムラの励ましを受け入れると、サーカスのチラシをクシャクシャに丸めて、それを近くのゴミ籠にと放り投げたのであった。
夕方、何の収穫もないまま、アケチ探偵は、自分の事務所へと戻ってきた。
彼は、がっくりと自分のデスクに腰をおろすと、暗くうつむいて、大きなため息をついたのだった。最近のアケチはと言えば、いつも、こんな感じなのである。
そんな彼のことを、言うまでもなく、一番の身内であるコバヤシ助手は、特に心配していたのであった。献身的なコバヤシは、師のアケチがフミヨの件でつきっきりの間は、事務所の仕事は、全て、代わりに引き受けていたのである。
そのコバヤシが、帰ってきたばかりのアケチのもとへ寄ってきた。コバヤシは、いつものように、うなだれているアケチに、ひどく気遣っている様子なのだ。
「先生。福田博士より、先生へ、荷物が届いていました」と、コバヤシはアケチに告げた。
そのあと、彼は、抱えていた小さな包みを、アケチのデスクの上に、そっと乗せたのである。
アケチは、その小包に貼られていたラベルを、最初は、じっと読んでいた。しかし、すぐに目をつぶると、その小包を横へと押しやったのだ。
「何が入っていたのですか」恐る恐る、コバヤシが聞いてみた。
「これは、福田さんに密かに製造を頼んでおいたものだ。でも、今、完成しても、手遅れだったんだよ」アケチは、ぶっきらぼうに答えたのであった。
「なぜですか?」
「フミヨに渡しておこうと思ったものだったからさ。しかし、ほんの少しだけ遅かった。もう、あの子を、これで助ける事はできないんだ」
アケチの悔しげな告白に、コバヤシも身を切るような思いになったのである。
「コバヤシくん。君も、こないだ担当した川手家の殺人事件のことは、覚えているね?あの事件の真犯人である宗像博士は、法医学の権威という立場を利用して、捜査を手伝うフリをしながら、怨敵の川手家の家族を皆殺しにしようとした。特に当主の川手庄太郎氏に対して用いた殺人方法は残忍だった。彼のことを、生きたまま、棺桶の中に閉じ込めて、土葬してしまったんだ」
コバヤシは、反応の仕方に困りながら、アケチの話を聞き続けていた。
「コバヤシくん、分かるかい?つまり、加害者がやる事は、憎しみが強いほど、それだけ残虐だって事なのさ。幸い、川手氏に関して言えば、土壇場で、僕がこの犯行に気が付いたので、死ぬ前にどうにか救出する事ができた。しかし、フミヨの場合はどうだろう。あの子も、暗黒星にはそうとう恨まれているだろうから、どんな残酷な報復をされるか、分からないんだ。僕は、ずっと、その事を心配していた。いまだ行方不明の彼女は、今まさに、生き埋めにされるみたいな、恐ろしい処刑を受けている最中かも知れないんだ」
アケチは、辛そうに、自分の頭を手で掻きむしったのだった。彼は、さらに言葉を続けた。
「フミヨのことだ。竜子さんの事を妙子さんと間違えて、会いに行ったのだろう。あの子はね、僕の教えに感化され、恐らくは、妙子さんを平和的に説得して、僕らのところに連れ帰ろうと考えたんだ。それで、こんな無謀な単独行動をしてしまったに違いない。全ては、僕の不注意だった。僕さえ、もっと、しっかりしていれば、こんな事態にはならなかったんだ!」
アケチは、激情して、自分を責め続けた。そんな彼へ、コバヤシは、静かに、優しく、声を掛けたのだった。
「先生。大丈夫ですよ。フミヨさんは、ぼくたちが思っているより、ずっと強い女性なんです。そんな簡単にやられたりはしませんよ。きっと、まだ生きていますって。だから、まずは、ぼくたちが、フミヨさんの事を信じてあげましょうよ。そして、待ち続けている彼女を、少しでも早く、助け出してあげなくては!ね、そうでしょう」
アケチは、顔を上げて、コバヤシの善良な表情を、そっと見つめた。それから、彼の言葉に共感したらしく、力強く、コバヤシの手を握りしめたのだった。
さて、その頃、彼らの探していたフミヨはと言えば、確かに、まだ殺されてなどはいなかった。彼女は、起きているのか寝ているのかも分からぬような、混濁した意識で、ずうっと、ボンヤリとした状態を漂っていたのである。