空き家の秘密
鳥井が事務所から去ったあと、フミヨは、すっかり落ち着かなくなっていた。彼女の頭の中には、ある新しい憶測がよぎってきたからである。
「そうよ。もしかしたら、妙子さんは引っ越したのではないのかも知れない。彼女が、北園竜子なんて名前を使って、ひっそりと一軒家の中に隠れ住んでいたのも、実は、誰かから逃げていたからだったのよ。もしかしたら、妙子さんは、もう、暗黒星とは手を切っていたのかも知れない。そして、連中の秘密を知り過ぎたものだから、今では、暗黒星から命を狙われる身になっていたと言う可能性もあるわ。だとすれば、普通に引っ越して、逃げ回るような事もしていないかも知れない。だって、暗黒星につけ狙われたら、奴らはどこまでだって追い掛けてくるもの」
相変わらず、フミヨの思った事は、呟きとなり、口から漏れたのだった。
こう考えがまとまると、フミヨは、なおさら、居ても立っても居られなくなってきたのである。早く何とかしないといけないと、気ばかりが焦り始めたのだ。かわいそうな妙子のことは、必ずや、自分が助けてあげなくちゃいけないと、彼女は強く思い込んでいたのだった。
当然、正攻法で行くならば、まずは、この事をアケチ探偵や警察に伝えて、彼らに今後の対処を任せるべきなのであろう。しかし、アケチや警察だと、十分な根拠がなければ、早急には動いてくれないかも知れない。だが、それだと、暗黒星の魔手に先を越されてしまう恐れもあるのだ。ならば、やはり、ここは、まず、フミヨが勇み足でもいいから、先に動いて、妙子を保護しておいた方が、確実に彼女を助けられるはずなのである。
そうだ。妙子を無事に救出できれば、アケチ探偵に頼んで、この事務所で匿ってあげてもいいだろう。そしたら、フミヨと妙子の二人で、アケチの双翼の女助手となり、彼の探偵職を手伝ってあげると言うのも、なかなか良いアイディアかも知れない。
フミヨは、早くも、そんな浮かれた将来まで夢想し始めていたのだった。
そして、彼女にとっては、すぐに、最高のチャンスが巡ってきたのである。
その日の夜は、コバヤシ青年が、自分が団長を務める少年探偵団のために、肝だめし会を開いていた。その事を後から知ると、アケチ探偵も、慌てて、その肝だめし会の会場へと向かってしまったのであった。アケチの事務所には、再び、フミヨだけが残される事となった。それは、まさに、フミヨにとっても、一人で自由に動き回れる時間ができた事に他ならなかったのだ。
彼女は、迷わず、この好機を生かす事にした。彼女は、いつもの紺のスーツ姿の男装に着替えると、事務所には鍵をかけて、早々に、外へと飛び出したのである。
行き先は、もちろん、タカキ町の北園竜子が住んでいた民家だった。フミヨには、ある思惑があったのだ。彼女は、それを、ほぼ確信していたのであった。
他所では肝だめし会が行われているぐらいなのだから、すでに屋外はそうとう暗くなっていた。フミヨは、難なく、竜子の家の前に到着したが、そのお目当ての空き家も、薄気味の悪いシルエットと化していたのだった。幸い、近所の人たちは、もう、各々の屋内に篭っていたらしく、周囲に人影は見えなかった。
このあと、フミヨは、ピッキングの技術を用いて、竜子の家の玄関ドアをあっさり開錠したのだった。このピッキングの才能は、師匠のアケチ探偵や兄弟弟子のコバヤシも身につけていた。だから、フミヨも、ごく当たり前のように、この技を使えたのである。
さて、空き家とは言え、閉まっていた家のドアを勝手にこじ開けたのは、実に良くない行為だったとも言えよう。しかし、フミヨは、それどころか、ズカズカと家の中にも入り込んでいったのである。こんな夜中で、誰にも見られていなかったからこそ出来る、大胆な行動なのだ。
空き家なのだから、中に入ったところで、室内も真っ暗なままなのだった。むしろ、家内に何の光源も無かった分、野外よりも暗く感じられるようなのだ。不気味に静まり返った空き家の内側で、なんだか、フミヨも、一人で肝だめしをしているような気分になったのだった。
そんな怪しい空間で、フミヨは、そっと身動きをやめた。その状態で、慎重に、耳だけを澄ましたのである。
ここは誰も住んでいない家なので、そこでは物音などは一つも聞こえないはずなのであった。ところが、かすかな音が聞こえてきたのである。ガサガサと、やや大きめなものが動く音なのだ。
その音は、家の上の方から響いていた。しかし、この民家は平屋なのである。二階はないのだ。となると、この音は、天井から聞こえてきた事になる。では、これはネズミでも走っている音だったのだろうか?だが、ネズミの移動している音にしては、やや重々しい感じもするのである。
フミヨは、ここで決心して、この真上にある天井裏も探ってみる事を思い立ったのだった。
確か、このような昔の民家の場合は、押入れなどに、天井裏へ行く為の入り口があったはずである。フミヨは、持参した懐中電灯をようやく点けると、それで周辺を照らしながら、押入れの方に向かったのだった。
天井裏への入り口がある押し入れは、間もなく、見つかった。その入り口は、押入れの天井の板をスライドさせる事で、開く事ができたのだ。なんだか、隠し扉みたいで、フミヨも、ちょっとワクワクしてきたのだった。
勇猛な婦女子であるフミヨは、こんな怪しい天井裏への入り口ですらも恐れる事はなかった。彼女は、その四角形の穴を、アッサリとくぐってみせたのである。
フミヨの上半身が、天井裏へとヌッと突き出した形になった。窓のない天井裏は、下の階よりも、暗さが増しているのである。ただし、今度こそ、この天井裏からは、はっきりと、例のガサガサする音が確認できたのだった。つまり、真っ暗な闇に紛れて、ここには、明らかに何かがいるのだ。ものが動く音だけではなくて、押し殺した呼吸音も聞こえてくるような気がしたのだった。
フミヨは、ついに、この天井裏も、懐中電灯で照らしてみる事にした。彼女は、押入れの中にあった電灯を持ち上げると、天井裏へと、その光を当ててみたのだ。
「あっ」と、思わず、フミヨは声をあげた。
いや、声を出した人間は、彼女だけではなかった。この天井裏にじっと潜んでいた人物も、まぶしい電気の光を身に受けて、つい小声を漏らしてしまったのである。
驚いたのは、きっと、フミヨだけではなく、相手も同じだったのだろう。天井裏にいた人間とは、まさしく、想像どおりの、引っ越したはずの北園竜子であった。彼女は、何かを欺く為に、引っ越したフリをして、実は、こんな場所に隠れていたのである。とりあえずは、何日か分の食料や水も持参しておいて。