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畑柳邸の異変

 さて、しばらくの間、アケチ探偵事務所がらみの出来事ばかりを追ってきた訳だが、ここらで、あらためて、本作のもう一つの舞台である畑柳家の方へと目を向けてみる事にしよう。

 畑柳家では、茂くんの誘拐事件が解決したあと、長らく、安穏とした日々が続いていた。岡田道彦の正体であるクモ男も、あれっきり姿を見せなくなったし、畑柳の親子を脅かす存在は、全くもって、居なくなってくれたようにも感じられたのだ。

 そんな或る日の午後、畑柳邸へと、あの奇妙な来客が訪れたのだった。

 その人物は、歳は30代なかばと思われる男性であった。背広をビシッと着こなした、一見、セールスマン風の中年男なのである。彼は、小川正一と名乗り、玄関では、いちおう、名刺も差し出してきた。名前以外は何の情報も書かれていない、礼儀程度の名刺なのだ。

 彼は、応対した女中に、倭文子夫人との二人っきりの面会を申し込んできたのだった。

 その件は、さっそく、奥の部屋に控えていた倭文子へと伝えられた。しかし、例の不審な誘拐拉致事件が起きてから、まだ、さほど間が空いてはいないのである。見知らぬ相手とは、不用心に会わないのに越した事はないのだ。そんな次第で、最初は、小川との対面を断ろうとした倭文子ではあったが、しかし、女中の何気ない一言が、彼女をハッとさせたのであった。

「なんでも、亡くなられたご主人さまの事で、お話したい事があると言っていたのですが」と、女中は口にした。

 それを聞いて、倭文子は急に心変わりして、この謎の人物と会ってみる気になったのだった。彼女は、死んだ夫・庄蔵に、心の底では、まだ色々と未練を抱いていたのである。

 小川は、さっそく、畑柳邸の応接間へ通される事となった。そして、条件どおり、倭文子と二人っきりで話をさせてもらえる事になったのだ。

 倭文子以外の人間の同席を認めないと言う事は、きっと、庄蔵に関わる、かなりプライベートな話題を、小川は話すつもりだったのであろう。

「小川さんと言いましたね?一体、どんなご用件ですの?主人の何を教えてくださいますの?」来客用のソファに座って、小川と対峙した倭文子は、すぐさま、話を切り出したのだった。

 一方の小川は、余裕の感じで、ゆっくりと、倭文子や部屋の中などを見回しているのだ。

「立派な屋敷にお住まいですな。それに、奥さんも、若くて、美しくて、何よりの事で」ニヤつきながら、小川は言った。

「それと主人が、どう関係あると言うんです?」と、少しムッとしながら、倭文子。

「いやね、奥さん。あなたも、なぜ、あなたのご亭主が、財産家として、こんな立派な館に住めるようになったのかも、きっと、ご存知じゃないかと思いまして」

「ええ、知っておりますわ。あなたは、わざわざ、その事を誹謗したくて、ここへ訪れたのですか?そう、確かに、主人は犯罪者でしたわ。汚い事や悪い事もして、財をなしたのかも知れません。でも、主人は、きちんと、その報いは受けました。法の裁きを受けて、獄中で亡くなったのです。今さら、過去の罪を、あらためて責められる覚えはありませんわ」腹を立てた倭文子は、毅然として、小川に言い放ったのだった。

「ほほう。でも、全てが過去の話とも言い切れるのでしょうかね。案の定、あなたは、ご亭主から何も知らされていなかったようだ」と、小川は、なおも意味深な憎まれ口を叩くのであった。

 そんな時、この応接間に、女中が入ってきたのである。倭文子へと電話がかかってきたとの言伝だった。

 不機嫌そうな倭文子は、立ち上がった。小川と話を続けるのが嫌なので、先に、電話に出る事にしたのだ。

「ここで、待っていていただけます?すぐ戻りますわ」そう言って、倭文子は、この部屋に小川だけを置いて、外へと出ていった。電話器は別の場所にあったのだ。

 しかし、この僅かな対応ミスが、のちの奇妙な事件のキッカケにもなってしまったのであった。


 家の固定電話に出た倭文子が、つい長電話になってしまい、応接間の小川を放ったらかしにし続けていた頃、この畑柳邸の2階では、住み込みの若い女中のお菊が、家事を片付けながら、廊下を歩いていた。

 すると、すぐ手前にある部屋のドアが、だらしなく、半開きになっていたのであった。

 その部屋は、亡き主人が使っていた書斎だった。主人・庄蔵が刑務所に入ってしまった後は、鍵をかけられて、それっきり開かずの間になっていた部屋なのである。それなのに、なぜか、そのような部屋が、ひょっこり、ドアが開いてしまっていたのだ。

 お菊は、ははあ、と思った。きっと、茂お坊ちゃんが、こっそり鍵を持ち出したのだ。そして、冒険ごっこのつもりで、この書斎を覗き、中にも入ってみたのだろう、と、そう彼女は考えたのだった。全く、幼い男の子というのは、腕白ざかりで、困ったものなのである。

 だが、使用人の身であるお菊としては、文句も言っていられないのだ。茂お坊ちゃんがイタズラしたのであれば、黙って、後片付けをしてやるのも、彼女の務めの一つなのである。

 お菊は、ゆっくりと、書斎のドアの前にまで近づいた。それから、半開きだったドアをきちんと引き開いたのだ。中が散らかっていないかを確認する為である。

 幸い、書斎の内部は、きれいに片付けられたままだった。主人の趣味だったのか、一方の壁には、幾つもの骨董の仏像が、横並びで飾られていたのが、やや悪趣味でもあるのだ。この仏像群が気持ち悪かったものだから、主人の生前より、お菊はこの書斎があまり好きではなかった。

 そして、今久しぶりに入ってみると、この部屋は荒らされてはいなかったものの、その床には、一人の男が倒れていたのだった。寝そべっていた男は、小ぎれいな格好で、背広を着ていた。この男こそは、先ほどまで、応接間の方にいたはずの小川正一だったのだ。

 何かがあったらしいと言う事は分かったものの、根が呑気ものだったお菊は、何の気なしに、倒れている小川のそばにまで近づいていった。そのあと、起こすつもりで、実際に小川の体に触ってみて、彼女は、ようやく、小川が死んでいる事に気付いたのだった。

 さすがに、のんびり屋のお菊でも、これには驚いた。彼女は、思わず、絹を裂くような悲鳴をあげたのだ。

 しかし、その直後に、お菊の背後に何者かが忍び寄り、すばやく、彼女の口を手のひらで塞いだのだった。


 ようやく、電話を切った倭文子は、気乗りしないまま、応接間へと戻って来た。

 ところが、部屋の中に入ってみると、そこには誰もいないのであった。空っぽであり、全くの無人なのだ。はて、あまりに長いこと放置されたものだから、小川は、怒って、何も言わずに帰ってしまったのだろうか。

 その時、倭文子の耳にも、若い女性の大きな悲鳴が聞こえたのだった。

 彼女はギョッとした。その悲鳴は、上の方から聞こえてきたのである。この屋敷は2階建てなので、恐らく、2階で何かがあったのだろう。

 倭文子は、応接間を後にすると、急いで、2階へと向かった。

 階段を上り、2階にたどり着き、倭文子が少し廊下を歩くと、ちょうど、亡き主人の書斎の前に、女中のお菊が、ぼんやりとした表情で立っていた。だが、それだけではない。ずっと閉ざしたままだった書斎のドアも、なぜか、思いっきり開いていたのだった。

 倭文子は、とっさに、嫌な予感がした。

「お菊!これはどう言う事?何か、あったの?」と、倭文子は、すぐに、お菊にと尋ねた。

 だが、お菊は、困ったような顔つきで、返事をためらっていたのだった。もとより、お菊は、少し頼りない感じの娘であった。

 倭文子は、お菊の答えを待つのはヤメて、自身で、気にかかっている書斎の中を確認する事にした。

 彼女は、ドアを押しやって、バッと書斎を覗き込んだ。

 しかし、書斎の内側には、どこにも変わった部分は無かったのであった。以前に、倭文子だって見た事のある書斎のままだったのだ。いつも気味悪いと感じていた、主人の自慢の仏像群も、前に見た状態で、一方の壁にズラリと並んでいるのである。

 倭文子は拍子抜けした。なんだか、狐につままれた気分なのである。さっきの悲鳴の主は、恐らく、お菊じゃないかと思う。では、お菊は、なぜ、悲鳴など上げたのだろうか。

 倭文子は、事情を伺おうと、お菊の方に振り返った。と、そこには、すでに、お菊はいなかったのだった。代わりに、執事の斎藤が立っていたのである。

「どうしましたか、奥さま」斎藤は、微笑しながら、倭文子に話し掛けた。

「ねえ、斎藤。お菊はどこ?さっきまで、ここに居たのよ。彼女ったら、急に大声を出したらしいの。そこで、私が見に来たらね、書斎のドアが開いていたのよ。ねえ、なぜだと思う?」倭文子が早口で喋った。

「お菊には、用事を頼んで、ここから去らせました。彼女のことですから、書斎の掃除にでも入った時に、虫でも見て、うっかり悲鳴を上げたのでしょう」斎藤は、動揺した様子もなく、落ち着いて、そう答えたのだった。

「でも、なぜ、お菊は、急に書斎の掃除などを始めたの?今はちょうど、お客さまだって来ていたのよ。ああ、そうだわ。そのお客さまが、応接間に行ったら、居なくなっていたのよ。帰ったのかしら。ねえ、斎藤の方に、お客さまは帰る旨でも伝えていたかしら」

「その事も気になさる必要はありません。全ては、私どもに任せておいて下さい。奥さまは、何も心配なさらなくていいのです」

 斎藤の態度があまりにも冷静で淡白だったものだから、倭文子は、逆にわだかまりを感じたのだった。

 もしかすると、斎藤は何かを知っているのではなかろうか。その上で、倭文子にだけは、その真相を隠しているのかも知れない。だが、そうだったとしても、斎藤があっさりと全てを話してくれるとは思えなかった。

 斎藤が、まるで追い払うような態度を取り続けるものだから、倭文子は、やむなく、スッキリしない表情を浮かべたまま、書斎の前から立ち去ったのだった。

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